15 里帰り
「アビゲイル、今日は帰りが遅くなるんだ。屋敷に戻るのは日付が変わってからになるだろう。待たずに寝ているように」
「あの、旦那様、それでしたら一度実家に帰ってもいいでしょうか」
「実家? ああ、そうか。急にここに引っ越してきたからな。移したい物があるのか?」
「いえ、ただ、両親の顔を見に行くだけです」
アビーがそう答えると、ギルバートは一瞬虚を突かれたような顔をした。
「そうか、普通はそうだな。行ってくるといい。いつ帰ってくるんだ?」
「いつって。夕食頃には帰るつもりでしたが、泊まったほうがよろしければ泊まってきます」
「いや、できれば泊まらずに帰ってくる、といい、のかもしれないな」
「はい、結婚したばかりで何日も里帰りは外聞が悪いですものね。では夕食までには帰ってくるようにいたしますね」
「うん、そうしなさい」
妙にぎくしゃくしているギルバートに、首をかしげるアビー。朝食の給仕をしながら笑いを堪えるオルト。『微笑ましいものを見た』という顔のキャシー。
ギルバートを見送ってから馬車で実家に帰ると、母が大喜びで出迎えてくれた。
「アビーったら。連絡をくれていたらお前の好物をたくさん作っておいたのに!」
「思いつきで来たの」
「それで、身体の方は大丈夫なの?」
「ん? 大丈夫ってなにが?」
「いえ、赤ちゃんができる気配はあるのかしらと思ったんだけど」
「あー。それはどうかしら。神様の思し召し次第ね」
母の期待が申し訳なく、心苦しい。
「腕はどうしたの?」
「転んでヒビを入れました」
「顔に大怪我したばかりで、なんて可哀想な。気をつけてね」
「動かさなければ、もう痛みはないんです。それよりお母様、テッドのことなんだけど、テッドがしていた小遣い稼ぎの仕事って、誰に雇われていたか、知ってますか?」
母は小さく首を振った。
「お前が知らないなら私が知るわけはないわよ。テッドは今もまだ逃げているんでしょう? 母親をあんなに悲しませて。親不孝もいいところよ」
「テッドのお母様はどうしてるの?」
「ふさぎこんでるわ。食べ物は私が毎日届けて、話し相手をしてるの」
「ありがとう、お母様。私、ちょっと行ってくる」
台所にある食べ物を手あたり次第籠にいれて、テッドの家に向かう。
テッドの家は三階建ての古い集合住宅の一室だ。横になっていたらしいテッドの母親は、壁を伝うようにして出てきて、アビーの顔を見るなり泣き出した。
「アビーさん、ごめんなさい。テッドのせいでお顔に傷が。本当に申し訳ありませんでした」
「おばさん、泣かないで。自分で剣の下に飛び込んだんですから。傷のおかげで結婚できたようなものですもの、何も気にしないでいいんですよ」
「ありがとうございます、アビーさん。いえ、伯爵夫人」
「やめてくださいよ。それよりおばさん、テッドはあんなことを誰に命じられたか知ってますか? 私、テッドが重い罰を受けずに済むよう、旦那様にお願いしようと思ってるんです。そのためにはテッドが誰に雇われていたかを知りたいの。何か思い出せませんか」
テッドの母親は突然号泣した。
「どうしたの? おばさん!」
「ごめんなさいね、アビーさん。テッドのせいで大きな傷がついちゃったのに。それでもあの子のことを心配してくれるなんて。ありがとうございます。その傷、代われるものなら私が代わりたい」
「私、傷なんて気にしてませんから。それよりテッドの雇い主のことで何か思い出せること、ありませんか?」
しばらく母親はしゃくりあげて泣いていたが、そのうち顔を上げた。
「テッドはいろんな人の仕事を受けていたから。何もわからないの。役立たずでごめんなさい」
「いいんですよ。おばさん。これ、よかったら食べて。たいした物じゃないけど。今度、イーガン伯爵の家から何か美味しい物を貰ってくるわ」
再び泣き出したテッドの母親に別れを告げて実家に帰る。
(そうよね、何十人も依頼主がいただろうし。収穫無しね。もうお屋敷に帰ろう)
アビーは早く帰ろうと思ったところで気がついた。
(私、いつのまにかあの家が帰る場所だと思うようになってる)
互いに愛のない偽りの結婚なのに、二年で出て行く家なのに、と自分の無邪気な愚かさを苦く笑った。
「今夜は急いで帰っても、旦那様はいないのだったわ。それなら街歩き用の服と棒針の編み物道具を持ち帰ろう」
と袋詰めに精を出した。ギルバートにマフラーを編んであげようと思いついたのだ。
「いいわよね、マフラーを編むぐらい。旦那様はいろんな物を惜しみなく買ってくださってるんだし」
誰にも何も言われていないのに、言い訳がましくそんなことを考える。
そしてギルバートなら何色が似合うだろうか、と考えながら毛糸を集めて入れてある木箱をかき回し、青色の毛糸は全種類を袋に詰め込んだ。





