11 包帯の交換
「包帯の交換なら戦場で慣れている。安心しろ」
ギルバートはそういうと、そっとアビーの額に巻かれた包帯を外し始めた。その手つきが、まるで壊れ物を扱うように慎重で丁寧だったので、アビーは意外に思う。
ギルバートは包帯を全部外したあと、アビーの額を見つめたまま、何も言わずに傷を見ている。
「私は見慣れてますが、旦那様は初めてですものね。お見苦しくて申し訳ありません。でも旦那様は戦場でこの程度の傷はたくさん見てらっしゃるのでしょうね」
「……なかった」
「え?」
「ここまで目立つ傷とは思っていなかった。さぞやつらかったろうな」
「旦那様、そんなご心配は」
そもそも振り下ろされる剣の前に飛び出したのは自分なのだ。
今こうして生きているだけでも幸運だと思っている。それに、この傷がなくても自分は結婚できない身体だ。焼き印のことを夫に隠しているアビーは、逆に申し訳なく思う。
「その上、俺が急がせたせいで骨折まで。すまない」
「私が勝手に滑って転んだのではありませんか」
「医者が俺の暴力を疑うのも無理はない」
「あっ」
アビーは思わずギルバートから目を逸らした。
毎日自分で包帯を交換しているから、額の傷がどう見えるかよく知っている。
赤く長い傷は、少し前に抜糸も済んでいて、傷の両脇に点々と糸の通った跡が残っている。自分でも一瞬「これはかなり目立つ」と思ったが、それをギルバートに言うつもりはなかった。
「明日の外出はやめる」
「私なら大丈夫ですよ」
「骨折している君を連れて行くほどの用事ではない」
「では旦那様だけでも行ってらしてください。私は家で過ごします」
額に包帯、右手も包帯をグルグル巻き。
確かにそんな妻を連れて行ったら悪い噂が立ちそうだ。
「明日は俺も家にいよう。医者が言うとおり、お前が不自由しないよう一週間は付き添う」
「それはご遠慮いたします。キャシーがいるのですから旦那様は普段どおりになさってください」
「意地を張らずに言うことを聞け」
「意地を張ったりしていません。賃金をいただいて妻役をしているだけの私に、そこまでのお気遣いは不要です、旦那様。私なら大丈夫です」
アビーは両親に「天使みたいな笑顔」と褒められる笑顔を意識して作り、ギルバートを見上げた。
「無理して笑顔を作らなくていい。いろいろすまなかった。だがお前を、いや、君をクッションなどと思ったことはない。ちゃんと人間だと思っている」
「私はそれで充分です」
「いや、一週間は俺が付き添う」
仕方ない、と諦めてアビーはうなずいた。
※・・・※・・・※
翌日の朝食時から、ギルバートは約束を守ってくれた。
だが、アビーは早くも断らなかったことを後悔している。
「ま、待ってください旦那様。まだ口の中に入ってますので。それに、一度にそんなにたくさん詰め込んだら噛めません」
「小鳥だってもっと食べるだろう」
「ギルバート様、奥様のお世話はわたくしとキャシーがいたしますので」
「いや、いいんだオルト。俺がやりたいんだ」
キャシーは両手を揉むようにして心配している。オルトもハラハラしていた。
アビーは必死に噛んで飲み込み、朝食をあらかた食べ終えた。食べ過ぎた、と思った。
「よし、食べられたな。今日は静かにベッドに入っているといい。一週間は絶対に安静を守るように」
「はい、旦那様」
朝食を終え、アビーはホッとして自室に戻った。
その頃、ギルバートも自分の部屋で書類仕事を始めたのだが、手が止まる。アビーの額の傷が、想像していたよりずっと酷かったのだ。
戦場で兵士たちの傷を山ほど見てきた。アビーが包帯を巻いている間は(不可抗力の結果で生まれた傷)という程度の認識だった。
だが、真っ白で滑らかな額に赤い傷跡が大きく伸びている様子は、傷など見慣れていたギルバートでも胸が塞がる思いがした。
「彼女はただの一度も、あの傷のことで恨みごとを言わなかったな」
毎日自分で包帯を交換しながら、彼女はどんな気持ちであの傷を見ていたのだろうと思う。
「ああっ、くそ、なんでこんな」
ギルバートは髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
その後も、着替えと入浴以外の世話をせっせとしたギルバートは、少し変わった。
アビーと会話を交わすようになったのだ。
今もお茶とお菓子を前に、二人で向かい合っておしゃべりをしている。
「我が家は父の文官の収入だけで暮らしておりましたので、使用人は置いていませんでした」
「掃除や洗濯はどうしていたんだ?」
「私と母で。家事だけではなく、私も母も、刺繍や縫い物で細かくお金を稼いでおりました」
「そうだったのか」
「はい。こういうと苦労続きみたいに聞こえるでしょうけれど、貧しいながらも楽しい我が家でした」
「そうか」
「旦那様のご実家は、どんなおうちでしたか」
「俺の家は……君の家とは正反対だ」
そう言ったときのギルバートの顔が、初めて見たときの冷たい顔になっていて、アビーはなんとなく事情を察した。
「俺の実家は妹が早くに婿養子を迎えて継いでいる。俺は武功で新たに伯爵位を賜ったんだ」
「そうでしたか。素晴らしいお手柄だったのですね」
「そういう事情だ。俺の代でイーガン伯爵家が途絶えても、誰も文句はいえないさ」
「わかりました」
「だから君は気を使うことなく、堂々としていろ」
「はい。ありがとうございます。あの、旦那様? 私は生まれたときから小さいので、結構大きくなっても、よく頭を撫でられてきました。頭を撫でられるのは心が穏やかになるから好きでした。旦那様は背がお高いから、頭を撫でられたことは少ないのではありませんか?」
「記憶にないな」
「一度もですか?」
「ああ」
アビーは立ち上がり、ギルバートの隣に進んだ。
「失礼いたします」
そう言ってギルバートの頭を左手でそっと撫でた。
優しく頭を撫でながら、驚いて固まっているギルバートに語りかける。
「これは戦争で民のために戦ってくださった分。これはお一人でこの伯爵家を守っていらっしゃる分。そしてこれは、優しく私の世話をしてくださってる分。はい、これでおしまい」
自分の席に戻り、お茶を飲みながらギルバートを見ると、固まったままだがやはり耳が赤い。
(殺戮の使徒なんて、外側だけを見た呼び名ね)
家族や近所の人たちに守られ愛されてきたアビーは、ギルバートを気の毒に思った。結婚式に家族を呼ばなかったくらいだ、仲良くないことは容易に察せられる。
安静にして一週間が過ぎる頃には、アビーは(契約している二年の間だけでも、この不器用な人に優しくしてあげたい)と思うようになっていた。





