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1 アビゲイル、剣の下に飛び込む

「アビー、では行ってくるよ」

「いってらっしゃい、お父様」


 アビーことアビゲイル・ヘイズは王城に出かける父を見送った。

 父は領地なしの男爵で、王城の文官を務めている。もともとは平民だった祖父が戦争で功績をあげたことから、男爵位の褒美を賜ったのだ。


「領地無しの貴族は大変よね。貴族の付き合いにお金がかかるのに、領地からの税収はないんだもの」

「でも、男爵位があるから王城でのお仕事を得られたんですもの。文句を言ってはいけないわ。感謝しないとね」

「そうね、お母様」


 アビーはヘイズ男爵家の一人娘だ。小柄な身体、愛嬌のある可愛らしい顔立ち。

 明るい茶色の髪を高い位置でひとつに縛り、深い緑色の目は頭の回転の良さを反映している。

 ヘイズ家には使用人がいないから、アビーは母と二人で家事をする。

 昼、アビーが庭で洗濯物を干していると、通りかかった近所の老人が声をかけてきた。


「アビーさん、そろそろいい人はできたのかい?」

「もう、いつも同じこと聞いて。そんな人いやしませんて」


 王都にある家は、貴族街とは名ばかりの場所にある。

 平民街と貴族街の境目にあり、お付き合いしている近所の人たちは、ほぼ平民だ。


「アビーさんはいくつになったかねえ」

「二十四になりました」

「そりゃ嫁入りを急がんとならんな」


 苦笑して聞き流すアビーは、小柄で童顔。少女のように見える。

 体格は生まれた時から小柄で、身長は同世代の友人たちの中ではいつも一番低かった。

 周囲には「気にしていないわ」と言っているが、本心では「せめてあと五センチあったらよかった」と思っている。


 二十四歳のアビーは結婚する気が全くない。

 それには大きな理由があるのだが、両親でさえもその理由を知らない。

 何も知らない両親や近所の大人たちは、あれこれと縁談を持って来ていたが、アビーは相手との顔合わせさえせずに全て断ってきた。


「いったいなぜだい?」と両親は心配そうに聞くけれど、結婚する気がない本当の理由は、絶対に言わないつもりだ。


     ※・・・※・・・※


 今日は平民街のお祭りの日。

 母がアビーに遠慮がちに声をかける。


「アビー、誰かとお祭りに行かないの?」

「行きません。刺繍と縫い物をしてます。ごめんなさい、お母様」


 アビーはたくさんの人が集まるところには行きたくない。

 幸せそうな恋人たち、夫婦、幼児を抱いた母親、それらの『手に入れた人たち』を見て落ち込みたくないのだ。


「一生結婚しない人だっている。コツコツとお金を貯めて老後に備えればいい。つつましく暮せばいいんだもの、跡継ぎがいなくて爵位を手離したとしても私は困らない」


 アビーは刺繍と洋裁でそこそこの収入を得ている。平民だったならばどうにか暮らしていけるくらいには仕事がある。今日も依頼されている分の刺繍を始めたが、しばらくして再び母の声がした。


「アビー、テッドを探してきてくれる? 仕事の呼び出しがあったらしいんだけど、テッドはお祭りに行ってるんですって」


 二つ年下のテッドは幼馴染みの平民だ。

 テッドの母親は働き過ぎで身体を壊してからは、家で療養している。だからテッドは十歳になった頃にはもう働いていた。


「テッドはクロスボウが得意だから、お祭りに行っているならきっとまと当て屋さんね。行ってくるわ」

「行ってらっしゃい。頼むわね」


 歩いてお祭り会場に行くと、やはりテッドは的当て会場で勝ち残っていた。

 茶色の髪は母親の手で短く刈ってあり、やんちゃそうな吊り上がり気味の目も茶色。男性としてはやや小柄なテッドは二十二歳より若く見える。

 そのテッドが決勝戦らしい場に、もうひとりの男性と二人で立っている。


「さあ、いよいよ決勝戦!」

 と進行役のかけ声がかかり、テッドがクロスボウを構えた。

 クロスボウといっても、先端にはインクを染み込ませた丸い綿入りの玉がくくりつけてあり、的についたインクの跡で点数を競うものだ。万が一人に当たっても怪我人は出ないように配慮されている。


「優勝が決まってから声をかければいいわね」

 とアビーが眺めていると、テッドは的に向かってクロスボウを構え、いよいよ矢を放つという瞬間にくるりと身体の向きを変えた。


「何をやって……」


 アビーと観客たちが驚いているうちにテッドはクロスボウの矢を放った。

 矢は周囲を囲んでいた見物人の頭上を越え、少し離れた場所に立っていた背の高い男性に向かう。皆が驚く中、狙われた男性は素早く剣で矢を払った。


 カシン! と音を立てて矢が石畳に落ちるより早く、背の高い男性は抜き身の剣を握ったまま台の上にいたテッド目がけて走った。それを見たアビーも迷うことなく走った。アビーの方がずっとテッドに近い位置だ。テッドは逃げようとしたけれど、観客が詰めかけていて逃げられないでいる。

 アビーがテッドのところに着くと同時に男性も追いついて剣を振り下ろした。アビーがテッドを突き飛ばして男を振り向く。

 観客から悲鳴が上がった。


 全てが短い時間の中の出来事だった。

 男はアビーを避けるために剣の振り下ろす先を変えようとしたが、男の全力を以ってしても剣先はわずかにアビーの額に触れた。

 アビーは声もなくその場に仰向けに崩れながら、自分の血が飛び散るのを見た。


「アビー!!」

 

 テッドは少し離れた場所で、アビーが斬られたことに気づいて絶叫する。そのテッドに向かって行こうとする男。その脚に倒れたままのアビーがしがみつき、叫んだ。


「逃げて! 早く!」


 背の高い男はアビーを自分の脚から引きはがそうとするが、アビーは自分でも驚くような強い力としつこさで男の脚にすがりついた。


「早く逃げてッ! 早くっ!」

「どけっ!」

「あの子を殺さないでっ!」


 そこでお祭りの見回りをしていた警備隊が駆けつけた。

 顔を血まみれにしたアビーも、抜身(ぬきみ)の剣を持っている男も、警備隊員たちに取り囲まれた。  

 テッドは走って逃げた。


     ※・・・※・・・※


 アビーは警備隊の建物で医者の手当を受けている。

 蒸留酒を額にダバダバとかけられ、極細の針と絹糸で斬られた額を縫われている。傷は髪の生え際から左の眉尻にかけて続いていて、かなり大きな傷だ。


「お嬢さんは気丈だね。縫われるときは悲鳴をあげたり失神したりする人が多いのだが」

「痛みは我慢できます。お医者様、テッドがどうなったかご存じですか?」

「貴族に矢を放ったんだ。覚悟はしておいたほうがいい」


 貴族に平民が危害を加えたら、軽くても数年間の強制労働、最悪は死罪だ。おもちゃのクロスボウだったから、強制労働だと思いたいが、相手による。

 姉と弟のように育ったテッドが死罪を言い渡される場面を想像したら胸が詰まった。


「おいおい、泣いてもいいが顔を動かしちゃいかん。なるべく跡が残らないように細かく縫っているんだから」

「はい、はい」

「さっき小耳に挟んだが、あんたの友人が狙った相手は有名なお方だ。『殺戮(さつりく)使徒(しと)』って二つ名を聞いたことはあるかい? 君の友人は馬鹿なことをしたな」


『殺戮の使徒』なら貴族社会に疎いアビーだって知っている。

 先の戦争でも、それに続いた内戦でも、大変な功績を挙げた剣豪だ。あまりに多くの敵兵をほふったから、敵にも味方にもそう呼ばれるようになった人。陛下のお気に入り。

 

「そんな人に、テッドはどうしてあんなことを」


 アビーは絶望し、目を閉じた。



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コミック『殺戮の使徒様と結婚しました1・2・3巻』
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