PM1:03〜PM1:36
ハルは絶好調。アキは動けない。その上、ハルはそもそも不死なのだ。いくらフルキが強いからといっても負ける要素がない。
そんな負ける方が難しいという状況なのに、ミチルはとにかく何か嫌な予感がしていた。言い表しようのない、何か酸っぱいものを飲み込んだ時のような心地の悪さ。とにかく不安だった。
「アキ、休め」
フルキはアキに一瞬目をやってそう言った。
そしてハルに向き直ると中国の演武のように両手を巧みに使い、槍を流水のように動かした。
ゆいんゆおんゆいんゆおん。
音を立てて滑らかに槍は回る。フルキの武術の才能を証明するには十分すぎるものだった。
ハルは手を横に伸ばしてミチルを守るように一歩前へ進んだ。そして『粉砕王』を肩に担いで何も言わずに、面白い遊び道具を見つけた子供の純真な笑みを浮かべて、フルキをじっと見ていた。
一陣の風が吹き、フルキは槍を構えたままピタッと動きを止めて、今日一番の笑顔を見せた。
悪鬼。人間をいたぶり殺すことを心の底から楽しむ怪物の笑み。
向かい合う両者の間に緊迫した空気が流れる。
少女は『粉砕王』を男に向けて不敵に言った。
「ぐっちゃぐちゃにしてやんよ」
「さあこい、バケモン」
辺りは静まり返り、アキの浅い呼吸音と風に戦ぐ木の葉の音しか聞こえず、そのためかミチルには自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。
睨み合いの後、先に仕掛けたのはハルだった。
『粉砕王』を高く放り投げて、ぐっと足に力を込めて飛び上がり、回し蹴りを放ったが、フルキは手の甲で受け流した。
軍靴の蹴りは頑丈で重みのある攻撃だが、直撃した瞬間体全体で衝撃を地面へと逃した。
「これで終わりか?」
「うるせえ!」
ハルはそこから何度も蹴りや突き、パンチを繰り返したが、それら全てをフルキはニヤニヤしながら片手一本で受け流した。
避けられるものですらわざと受け止めるその態度が、ハルの苛立ちを加速させた。
フルキは途中で急に立ち止まり、右に一歩動いた。フルキがいた位置に落ちた『粉砕王』が突き刺さる。
「頭上注意だな」
「ちっ!」
ハルは『粉砕王』を引き抜いて素早く後ろに下がった。
「は、ハルさん……」
ミチルは悪い予感がとにかく続いた。このまま続けるとハルが負けてしまい、自分も死んでしまう気がしてならなかった。
素人にですらわかる圧倒的なまでの力量の差。攻撃を一度たりとも避けていないという事実がフルキの力を証明していた。
ハルがフルキめがけて走り、それと同時にフルキは穂先に力を込めて、ハルの顔面目掛け地面を抉り飛ばした。
「見えてんだよっ!」
ハルは叫びながら『粉砕王』を斜めに振り下ろした。
ガン!と大きな音が鳴り、『粉砕王』に土で作られた死角から出てきた黒い槍の穂先が当たった。
ピシッと槍が悲鳴を上げると、ヒビが全体に走り、槍は砂のように地面に落ちた。
『粉砕王』の全てを破壊する能力。物理法則など無視して、万物を砕く。文字通り粉砕する。
しかし、ハルはそんな能力など発動していなかった。
「はぁっ!?壊れた!?」
遺物は壊れない。それは『粉砕王』のものを破壊する能力ですら覆すことが不可能なのだ。たとえ高所から落としても、酸やアルカリをかけても、核爆弾を落とそうとも、壊れない。
つまり、黒い槍は『粉砕王』の能力で壊されたわけではなく、あろうことかただの質量の大きい攻撃によって壊れたのである。
「捕まえろ」
そう言ってフルキが両手を結ぶと、ハルの四肢を地上から生えた黒い鎖が拘束した。
ハルが全力で抗っても鎖を引きちぎることなどできなかった。というよりもハルが腕を上にあげようとする力と同じだけの力で鎖が下に引っ張っている。
「気をつけ、だ」
フルキの言葉に合わせて下へと引っ張る力が強まり、ハルは腕を下ろしてしまった。
倒れたアキがさらに吐血した。うめき声がより一層苦しそうになっている。
「アキも限界近そうだし、決めさせてもらうぜ」
フルキは半身に構えて右手でハルの腹に触れた。壊さないようにそっと力を込めずにただ手のひらで優しく触れただけだった。
「ミチル!」
「せいっ!」
ミチルの方を振り返って叫んだその時、ズドン、とフルキの震脚の音と共に、ハルの腹が突き破られた。
ずっと続いていた嫌な予感は見事に的中した。
「ぐあっ!」
発勁——手を引かずに相手に直接力をぶつける打撃術。腕を引いて殴るのではなく、引かずに掌という小さな面積から全身の体重を相手にぶつける技。中でもフルキが放ったのは手を密着させて放つ発勁の中の発勁、究極にして至高の発勁と言える、零勁。
力を逃せない状況なら、ハルの体はただの血が入った袋に等しい。
「中国武術もバカになんねえな」
ミチルはどう逃げようかと頭をフル回転させているその時、フルキの横っ面に、突然現れた男の強烈なパンチが炸裂し、彼は派手に吹き飛んだ。
フルキの集中が途切れたからなのか、鎖が消滅してハルは『粉砕王』で支えるようにして立った。
その場に突然現れたのは金髪で疲れたような顔をしてタバコを咥えた男——ムシヤキュウだ。はあはあと息切れを起こしていて、汗がダラダラと滴り落ちている。
疲れたようなというか実際疲れている。彼はハルの連絡が急に途絶えたことで、最後の端末の位置情報をもとに警察に人払いをさせて、その後あのビルからここまで走ってきたのだ。
「っー。お久しぶりです、キュウの旦那」
フルキはニヤけながら立ち上がった。あの一瞬で判断し、わざと派手に吹き飛ばされることによってパンチのダメージを抑えた。
「こんなところで……会うとは……思わなかったぞ……蝙蝠」
「タバコの吸いすぎっすよ、旦那」
「余計な……お世話だ……」
キュウはそう言いながら、ハルに目をやった。肩で息をして俯いてるが、怒りの炎が目に宿っている。
彼は大きなため息をつくと、「おいお嬢ちゃん」と言ってミチルをそばに寄せた。
「あらら、どこか行っちゃいましたか。お喋りしたかったんですけどね」
「あれ、キュウさん。もしかして……」
「ああ、あいつにはお嬢ちゃんの……姿も見えないし声も聞こえない……俺から離れない限り、な」
キュウの言う通りで、フルキはキョロキョロと辺りを見渡している。
完全秘匿の遺物、不可逆不可視不完全立体。姿は勿論音、匂い、気配を完全に遮断する。
今、フルキからはミチルの存在を認識することは不可能だ。
「てめえの相手は私だ、フルキ」
白い夜叉のようだった。乱れた髪の毛に血塗れの体。目だけがギラギラと光っていて、やたらめったら殺気をばら撒いている。
見えていないはずなのに、ミチルは心臓をハルに鷲掴みにされている気分だった。
いつもハイテンションなハルが落ち着いているという状況も加わって恐ろしかった。
「か、勝てますかね?」
「ハルには奥の手がある。まだアレを見せてねえはずだ」
キュウは公園の隅で木にもたれ、そのそばでミチルは体育座りでハルたちを見ていた。
そのセリフを聞いてミチルは首を傾げた。
「えっと、それって先読みの力なんじゃないですか?」
「あー、それもすごいんだが裏東京にはもっとすごい奴がいる。あいつには必殺技みたいなもんがある」
そう言うとキュウは新しくタバコをふかし始めた。
殺すって言うより食ってやるって感じだなーーそう感じたフルキは半身に構えて、腰を低くして拳を握りしめた。
「すぐ死ぬんじゃねえぞ」
その言葉を聞いて、フルキは「難しい相談だな」と笑った。
次の瞬間、パァンと何かが弾ける音共にハルの姿が揺らいで消えた。
「ハルの奥の手、超高速移動。あいつ曰く〈雷光〉」
「〈雷光〉……」
「光の速さで動かし、雷のように屠る、だから〈雷光〉ってことらしい」
ハルは生きた遺物ではあるが体は人間と同じ構造をしているが、発揮する力は人体なんて比べ物にならないほどの性能を誇っている。
その性能を一時的にではあるが、さらに上昇させる状態をハルは〈雷光〉と呼んだ。体全体を超高速で動かす。その動きに耐え切れないがため筋肉が千切れ、骨が砕け、皮膚が裂けてしまうが、それら全て壊れた箇所から再生していく。
人間の動体視力などで捉えきれない動きで、ハルは右へ左へと動いていた。気配を感じ取って対応しようにも、高速でその場所が変わるため誰も正確な位置を認識することなどできない。ただ破裂音のみがハルの動きを示している。
「何してんだ?」
フルキの目の前に『粉砕王』を振り上げて出現した。
「っ!」
フルキは振り下ろされる超重量の鈍器を、転がるようにして間一髪で避けた。
〈雷光〉で強化された一撃で、まるで見きれない。ハルの声を聞くと同時に動いたため避けられたが、もう一度できるわけではない。気づいたらさっきまで自分がいたところに『粉砕王』があった。
回転を利用してすぐに起き上がると、今度は手を開いて構えた。
迎撃ではなく受け流して、カウンターを叩き込む。避けられないのならダメージを最小限に抑える。
彼は目を閉じてハルの攻撃を待った。何回も何回も何回も破裂音がするなか、ただひたすら静かに待った。
「死ねっ!」
ハルの声と共に『粉砕王』が真横から迫ってきた。その瞬間フルキは目を開き、超スピードで向かってくる攻撃を右手で受け流し、すぐに左手でカウンターの突きを放った。
ハルはそれを空いた手で防いだが、バランスを崩して着地を失敗してしまった。
人間は生命の危機に陥ったとき、火事場の馬鹿力と言われるような、脳が普段かけていたリミッターを外して一時的に超人的な力が出る。
フルキはまさにそれで、ハルの動きに体が対応していた。しかし。
「一回が限界だな、こりゃ」
何かが爆発したかのようにぐちゃぐちゃになった両腕を見てフルキはそうぼやいた。
普段はリミッターがかかっている理由は、体がついていけないからだとは知っていた。
立ち上がってもう一撃決めようとするハルを見て、フルキは座り込んだ。
「降参だ、知ってること全部話してやるよ」
「うるせえっ!ぶっ殺す!」
「いいのか?情報を教えるって言ってるんだぜ?」
ハルはそれを聞いて小さく唸ると、バットケースを拾い、そこから縄を取り出して素早く倒れた2人を縛った。
アキを縛る時、フードをめくってみるとそこには自分の顔があったので、ハルは一瞬だけギョッとした。
それを誤魔化すように、ハルがキュウの名を呼ぶと、さっきまでいなかったはずのキュウとミチルが景色から滲み出るようにして現れた。
「キュウ、お前とこいつの関係は何だ?」
「雇われの殺し屋で俺が個人的に雇ってた時期がある」
「蝙蝠ってのは?」
「金さえあればすぐ裏切るんだよ」
キュウはフルキを蔑んだ目で睨みながら、苦虫を噛み潰すような顔をして、拳を握りしめて言った。
裏切りはキュウのような古いタイプの極道にとって最も恥ずべき行為であり、親殺しと同じと捉える罪深い行為であった。
「そうか。じゃあフルキ。てめえの目的について教えろ」
「目的1、お前への宣戦布告。目的2、ヒガノヤマミチルの抹殺」
「はぁ?どういう事だよ」
「ヤオってお人に言われたのさ、あ、ヤオってのはな……」
フルキは気持ち悪いぐらい素直にハルの疑問について細やかに聞いていないことまで説明した。
ミチルを殺したことにするとネットやら週刊誌やらで上がってくる目撃情報を得て殺すつもりだったという事、ミチルとハルが同じ場所にいるとは思わず、自分でも驚いている、などとベラベラと饒舌に喋った。
「ヤオ?ヤクザか?マフィアか?ギャングか?政治家か?」
「どれでもねえな。強いて言うなら破滅家ってところかな」
「はあ?なんだよその気取った名前は」
「世界を単純に破滅させたいとかなんとか言ってたんだよ。それのためにはお前が必要なんだハル」
フルキはそこで言葉を切り、アキに言葉を投げた。
「アキ、出番だぞ」
「分かった」
側に転がっていたアキの目がカッと開き、体が肥大して縛っていた紐が服ごと、ぶちんと音を立てて切れた。裸のまま四つ足で地面を支え、ハルを睨みつけて唸っている。唸り声は人間ではなく、飢えた野生の獣のようで、ハルを警戒させるには十分だった。
「ウォォォォオオン!」
空気を震わす遠吠えと同時にアキの体は一瞬で毛に覆われ、尻尾から顔まで漆黒の、闇夜から出てきたような大きな狼になった。
艶のある毛に、澄んだ水晶のような瞳、しなやかで強靭な四肢、剥き出しにされた牙。人間だった面影はまるで残っていない。
アキがフルキを縛る紐を爪で切り裂くと、彼は立ち上がり、アキにまたがってウインクした。
「んじゃ、また今度!」
「逃すかっ!」
跳び上がったその時、ハルの全身に耐え難い激痛が走った。無数の細い針で突き刺されるような、体をミリ単位で切り刻まれるような。
例えるならば沸騰。トレーニングを繰り返し、一定のラインを超えると筋肉が悲鳴を上げて急激に痛みが増すように、短時間で破壊と修復を行った筋肉はとっくのとうに限界を迎えていた。
その上、ハルの頭は意識を保つのがやっとで、細かい思考ができない。
高速で体を動かすためには、脳の処理する量が増える。例えば筋肉の収縮と弛緩が倍以上になればもちろん脳が処理することも倍以上になる。脳に負荷がかかり過ぎている。
それでも体に鞭を打ち〈雷光〉を維持する。
「ぐっぅぅう……だりゃああああ!」
「アキ、やれ」
「ワォン!」
ゾッとするような声だった。情けをかけるとか、容赦なくやるとかそういう感情がない。服についた埃をはたき落とす時のように、なんの感情もこもっていなかった。
フルキの呼びかけに応えるように、アキが吠えるとハルの胸を一本の黒い槍が内から貫いた。
「ぐっああああ!」
「ハルさん!」
振り上げた『粉砕王』は振り下ろされる事なく、ハルと共に地面に落ちた。
死んだ方がマシだと思えるほどの痛みがハルを襲った。落下の衝撃で全身の骨が軋み、臓器が中で踊った。
それでもハルは意識を保っていた。
「キュウっ!」
「間に合えっ!」
キュウはすぐに拳銃を懐から出して撃ったが、アキは避けずにそのまま銃弾を受けた。しかし、まるで効いておらず、フルキを乗せたまま高く跳び上がり、公園を囲む木々を跳び越してどこかへ走っていった。
「ハルさん……大丈夫、ですか?」
ミチルが駆け寄って抱き起こすと、ハルは地面を殴って咆哮した。
胸から生えた槍を無造作に引き抜いて地面に叩きつけ、噴水のように湧き出る血をまるで気にせずにハルは地面を殴り続けた。
「クソッタレがっ!」
「ハルさん……」
「あいつ私に手加減しやがった!腹破った時に私に槍の種仕込んでやがった!なのにわざと降参しやがった!舐めやがって!くそっくそっくそっ!」
情けをかけられたことが、許せなかった。それに負けた自分がもっと許せなかった。
悔しさと怒りがごちゃ混ぜになった行き場のない感情を爆発させていた。
ハルが立ち上がって『粉砕王』をブランコに打ち付けようとした時、電源が切れたおもちゃのように急に倒れた。
勢いよく振り上げられた『粉砕王』はすっぽりとハルの手から離れて、空中で回転しながらハルのすぐそばに落ちた。
キュウは血で汚れることを気にせずにハルを背負った。
「お嬢ちゃん、今日のことは忘れて家に帰んな」
「あっ、言い忘れてたんですけど、私実はハルさんのもとでご厄介になることが決まりまして……」
「ん?どういう事だよ」
「えっと……私公的に死んでしまってて……」
「はあっ!?」
キュウの驚いた声が公園に響いた。そこでミチルはただ罰が悪そうに笑うしかなかったのであった。
どうも門田です。遅筆すぎます。更新頑張ります。
ほんと、頑張りますから