AM4:23~AM4:41
ぐちゃぐちゃにしてやんよ。
ミチルはハルがそう言った時、自分が一般的だと信じていた、人間を人間たらしめるルールである倫理というものが壊れた気がした。
先に仕掛けてきたのは男だが、それを骨折するようなもので殴り付けるハルに倫理観などないだろう。それはもちろん、あんな少女にナイフを突き立てるような男にも倫理観はない。
自分だけでなく人間全員が持っているはずだった倫理というルールが全く通用していない。本当にそんなものは存在しないかもしれないと思い始め、ミチルは悪い夢を見ているような気分だった。
ハルの血が完全に止まっていた。血が凝固したとかそういうわけではなく、傷跡から綺麗さっぱりなくなっている。
「は……?」
「え……?」
ミチルと男は同じようにに驚いた。ハルが平気なのはたまたま傷が逸れていただけなどと思っていたのに傷がなくなっていた。目の錯覚でもなんでもない。本当に傷が消えているのだ。傷跡も残さずに何事もなかったかのように綺麗さっぱり消えている。傷があったことを証明するのは、赤黒い服と、地面にできた大きな血溜まりだけだ。
「な、なんだよお前。なんで血が止まってんだよ!」
「刺せば死ぬと思った?」
ハルはそう言うと、素早く間合いを詰めた。
ハルが死んでいないことに驚き、距離を取ることもガードをすることもできずにガラ空きの顔にハルの旋風脚が炸裂した。
それは見事な蹴りで、格闘技の知識に疎いミチルでも美しいと思った。
男は声を上げることもなくそのまま地面に倒れた。
「それは人間の場合でしょ。私は化け物だかんよ」
ハルはそう言って男を腕が折れた男の場所に放り投げた。決して軽い体重ではないのだが、『粉砕王』に比べれば軽いのだ。同様にアッパーで倒した男も放り投げた。
「ヒガノヤマさん。依頼達成だ」
ハルはミチルと視線を合わせるように、たむろする不良のように地面に座った。
「な、な、な、な、なんで生きてるんですか……?」
「あー私がこれから言うこと全部信じてよ」
ハルは心底めんどくさそうな顔をしながら説明を始めた。
「この世には遺物って言って超ウルトラスーパーすごいパワーを持ったものがあるんだよねそれのうち生きて意思を持ったのがあるんだその一つが私再生能力に不老不死でそれなりの体力があるのつまり最強イコール私なのはい説明終わり質問は受け付けません」
ミチルはハルの句読点が一つもないような早口の雑な説明にクエスチョンマークで頭が埋まったが、ハルが不老不死で身体能力が高いと言うことだけを理解した。
「ま、化け物だと思ってくれたらいいよ。それはそれとしてヒガノヤマさん、なんで誘拐されてんの?」
「え、いや。分からない……です」
「まじか、総理大臣の娘とか総理大臣の娘とか総理大臣の娘とか理由ないの?」
「えっと、そ、総理大臣の娘、ではないです」
「わーってるよそれくらい。ギャグ、ギャグだよ」
「す、すいません……」
「まあ身代金目的の誘拐でここまで来るのはバカだからねえ」
ミチルは前から疑問であったことを質問した。
「えっと、ここってどこですか?」
男たちが船で来ていることからおそらく島だということがわかっていたが、人もいなければコンビニなどの生活に必要なものがまるでない。無機質なビルのみがいくつもある。そんな島など聞いたことも見たこともない。まずおかしいのだ。ビルという人間が築かないと存在しないはずの建造物があるのに人間がいないはずがない。
「あー、まあ部外者は知らない方がいいよ。まだあんた帰る気あるんでしょ?」
「ま、まぁ……でも」
「いやいや、たしかにあんたは被害者だから裏社会にずっぷり頭の先まで浸かってるけどね、ここは一応裏社会の秘中の秘なんだ。まだ帰る気あるなら知らぬが仏ってやつだよ」
「そういうものなんですね」
「そういうものなんだよ」
ハルは立ち上がり『粉砕王』を拾い上げて、バットケースに入れて、ミチルに背を向けた。
「んじゃ、帰るなら頑張って帰ってね。依頼は達成したから次からは前払いで〜」
「あっ、えっ、あ」
ハルは手を振りながらミチルから離れていく。
ミチルはてっきり帰るところまで手伝ってくれるかと思っていたので驚いたし、地面に倒れている男達が目を覚ますのも時間の問題だろうから焦り始めた。
「ま、待ってください!お代なら払いますから!」
ミチルはハルに向かってそう叫んだ。
お代なら払うと言ったが自分が大金を持っているわけでは無い、貧乏大学生をしているし、今持っているのはアパートの鍵とキーホルダー、一箱税抜き98円のシガレットラムネしかない。
お代と聞いてハルは踵を返して戻ってきた。
「何?どこにあるの?」
「えっと、こ、これで!」
ポケットに入ってきた3つのそれをハルは手に置いて捧げるようにして見せた。
みるからに価値のなさそうなアパートの鍵、100円均一ショップで売っている安いキーホルダーに、駄菓子屋で買った赤い箱のシガレットラムネ。どれにも高い価値がないことはミチルにも分かっていた。
「おい……」
ハルは戻ってきて口を大きく開けて震えながらそれらを指差した。
「は、はい!」
ミチルはもうやけになっていた。ここでハルの怒りをかって死んでもあとで3人の男達に殺されてもどうせ同じと思い、一世一代の勇気を振り絞っていた。
「シガレットラムネ!」
ハルの声を聞いてミチルはああ死んだと思った、シガレットラムネだとバカにすんなこいつぶっ殺すぞ、いいやぶっ殺すねみたいなことを言われて私死ぬんだ、と思っていた。
走馬灯が駆け巡る。
「よっしゃあ!本土まで帰るの手伝ってやんよ!」
「ええっ!こんなんでいいんですか⁉︎」
小学生ぐらいまで遡っていた走馬灯が一瞬で消えた。
「いーよ!私これ超好きだし!ここじゃ手に入らないんだよね。あ、ただお代がこれでいいってのはトップシークレット」
ハルは可愛く口元に人差し指を持っていき、笑った。そしシガレットラムネを受け取り、丁寧にプラスチックの包装を剥がして、そっと箱を開け、慎重に中の袋を開けて一本を咥える。
「んー、美味い。気分あがってきたぁ!」
ハルはタバコを吸うようにシガレットラムネを摘んで口に付けたり離したりしている。
「ひゃ、まびゅはひゅーかいしたこいつらになんでひゅーかいしたかきこーか」
ハルはシガレットラムネをくわえたまま男達を指差して言った。『じゃ、まずは誘拐したこいつらになんで誘拐したか聞こうか』と言ったつもりだが、ミチルにはそれが伝わらなかった。ミチルはとりあえず苦笑して答えた。
そこからハルはぶら下げたバットケースからか結束バンドを取り出して、テキパキと気絶している男たちの手を結んでいった。親指と親指を後ろで組まされているので起きても瞬時に抵抗なんてできたものではない。
ミチルはそれを見て、ナイフに結束バンド、バット――『粉砕王』も入っているあのバットケースの中には拳銃なんてさも当然のように入っているのだろうなと思った。
「おら起きろボケ!」
ハルは1人を何度もビンタして叩き起こした。アッパーで顎が赤く腫れ上がっているの加えて、往復ビンタでダルマのように顔が赤くなっている。
「う……あ……あ!」
「よう、起きたか」
「ほめえはひほんはよ!」
3人の間に一瞬沈黙が流れた。
「だはははははははは!おま、いや、はははははははは!」
ハルが腹を抱えて地面でのたうちまわっている。
ハルのアッパーで歯が根こそぎ折れてうまく発音できないのだ。
「ハル、さん。ふひひっ、いや、ふひ、悪いですよ」
「はんはんばよほめえら!」
「はははははははは!いや、何それ!は行に特別な思い入れでもあんのかよははは!」
「ふひ、ふひ、ふひひ、はは」
ミチルも必死に堪えているが笑いが漏れ出る。
がっしりした男が真面目な顔をしているのに発音がおかしい、そのギャップにハルもミチルも耐えられなかった。むしろハルは耐える気すら見せなかった。
「ひー、はー、ふー。お前は黙っ、といて、これじゃ私、たちが笑い死ぬ。過呼吸で、ひひ、ぶっ倒れる」
男は律儀にもそこで口を閉じ、喋ろうとしなかった。心なしか、耳が赤いような気がしたが、ミチルはそこを掘り下げはしなかった。
ハルは次に肩を砕き折った男を叩き起こした。
「おはようさん」
「……なんだよ」
「負けてんのにその反抗的な目、いいねえ」
「なんだって聞いてんだよ」
「なんでこの人を誘拐したのか知りたくてね」
「依頼されたんだよ」
「へぇ、誰に」
「誰にも何もそいつにだよ!」
そう言って男は顎でミチルをさした。
「へ?私?」
「しらばっくれんなよ。お前がわざわざ俺たちを指定して、顔突き合わせて、日にちの決定までして誘拐させたじゃねえか。その上、わざわざここに持ってこいまで言ったのもお前だ」
それを聞いてハルは何かが始まりそうな魅惑的な香りに胸を躍らせ、少し笑っていた。
シガレットラムネ、美味しいですよね。僕はコーラ味のよくみるあれより、ソーダ味のよくみるあれが好きです。ココアシガレットを食べたことがないのでいつか食べようかなとは思ってるんですけどいつもあの青色の箱のソーダ味のやつを選んでしまいます。
最後になりますが、この作品がいいなと思われたら、コメント、レビュー、ブクマ、よろしくお願いします。多分3時間ぐらいにやけて、その後にもう一回見て3時間にやけます。