PM3:34~PM4:00
昔に、1週間ほど悩んだ決めたキメ台詞を言ったはいいものの、ハルは遺物の能力が分からないため、攻めあぐねていた。
腕だけ切るという何度も非合理な行為の真相が分からない。確かに無力化する分ならそれで十分なのだが、それはキュウにすべきだろう。
無力化したキュウの目の前でハルを痛めつける、なんともキュウが嫌がりそうなことだ。
「遺物の力ってやつだな?ああ、そうかぁ……欲しいな……お前のその遺物寄越せよ!」
「欲しけりゃ私をぶっ殺しな」
「ああ、そうしてやるよ」
「己の力量を計れないってのも困りもんだな」
遺物の能力がわかったわけでもないのに、ハルは煽った。ただ、相手をイライラさせるために脊髄反射で肩をすくめるジェスチャーをして煽った。愚かな行為にまるで理由はない。ただ相手を煽りたかっただけ。
しかし、まあ、考えるだけ無駄か。やるっきゃねえ。
ハルは頭を使うこと諦め、バットケースを下ろし、サカガミと睨み合った。睨みつけているのか、ただじっと見てるのかは、表情の変わらないひょっとこからは分からない。しかし、そんなふざけた格好の少女から放たれる殺気は尋常ではない。
キュウですら身震いするほどの強烈な殺気と、サカガミのハルに向けた絡みつくような殺気がぶつかり合い、部屋が緊迫した空気に包まれる。
「キュウ、動くなよ。全部この万事屋に任せな」
「……ああ、分かったよ」
ハルはそう言うと、畳に向かって勢いよく足を振り下ろし、気持ち良く外まで響く大きな音をたてた。
その行為を見て、サカガミは反射的に身を強ばらせ、鎌を両手で持ち、身構えた。
「てめえ、ビビったな?」
ハルから飛んできたのは、ナイフとか銃弾とかではなく、言葉であった。短いが、その短文の中にもはや清々しいまでの、相手を馬鹿にしてやろうという幼稚で不愉快な感情の塊だった。
「ビビっただろ。ただの音に。雑魚だから」
「なんだと……?」
「キュウに構ってもらえないし、目の前の小娘には馬鹿にされて悔しいのか?ほらほらどうなんだ?」
「てめえっ!死ねっ!」
サカガミは、感情をセーブして冷静に対処するほど考えられなかった。
憤りに身を任せ、彼は手に持った鎌をめちゃくちゃに振り回しながらハルの元へと駆けた。
その鎌の軌道に何か意味がないか、考えようと少し脳を働かせるが、少しも思いつかなかった。ただ振っているだけだし、それを見てわかるようなら初めから苦労しない。
「後悔すんじゃねえぞっ!」
ハルはそう生き生きと楽しそうに応え、迎え撃った。
声とは対照的に、彼女の気配がガラッと変わる。啖呵を切った様子とは真逆に、気配が虚になる。
その気配はまるで、煙。風に吹かれて消えてしまいそうな、弱々しい火から立ち昇る、煙。希薄な存在感と身軽さ、そしてどこにでもするりと潜り込む狡猾さ。その全てを併せ持つ煙。
サカガミは気づいていないが、キュウはそれを感じ取ってギョッとした。ハルの気配が薄れ、見えている姿が幻覚やモヤとしか思えない。そこに確かに存在していると、頭ではわかっているが、直感がいないと言っている。
「ぼうっとしてんじゃねえ!」
サカガミは鎌を振り下ろした。しかしハルには命中せず、鎌が畳に突き刺さり、鎌のすぐ横にハルがいた。サカガミはすぐに鎌を引き抜き、今度は横一文字に振る。しかしハルはそれを少し後ろに動くだけで避けた。
避けた後に、ハルはわざとらしくピースサインをサカガミに向けた。指をぴょこぴょこかわいらしく動かし、幼児と戯れ合うように優しく鎌を撫でた。
「バカにすんじゃねえええ!」
その場でやたらめったら振り回すが、ハルはそれを全て最小限の動きで避け、攻撃せずに後ろで手を組んでじっと立っていた。
ここでようやくサカガミもハルの気配の希薄さに気がついた。それに気がつくとすぐに、やたらと避けられた理由も分かった。
ハルは鎌を避けているのではなく、鎌の動きをコントロールしている。
人間は対象を姿形の視覚情報だけでなく、音や匂いなど嗅覚聴覚等も合わせて、つまり持った五感をフル活用して認識する。
その時重要なのが、気配というのもーー意識しているか否かに関わらずーー対象を認識することに大きな役割を持つようになる。
裏を返せば気配を操ることで、意図的に対象の認識を錯乱させることが可能となる。
例えばハルが最初に避けた時は、サカガミが鎌を振り下ろそうとする直前に気配を元に戻し、すぐに気配を希薄にして鎌が当たらない位置に瞬時に動いている。
そうすることによって、サカガミは気配が強かった方に無意識に振り下ろしてしまい、まるでハルが避けたかのようになってしまっていた。
また、煽るような最小限の動き。これは、動きすぎると気配に気付かれてしまうため、最小限しか動けなかった。
「その顔見ると気づいたって感じだな。クソ親父の編み出した歩法だよ。『縮地法と隠密術の組み合わせだ、ナハハハハハ』って言ってたな」
「うっるせえ!」
サカガミは今度こそ当てようと、しっかりとハルを捉えて鎌を振り上げたが、ハルの前にそれは遅かった。
出鱈目な動きをする鎌はなんの狙いも定まっていない分素早く振れていたため、ハルは避けに徹していたが、しっかりと狙いを定める時間がある分ハルが鎌を止めるだけの時間があった。
「っ……!てめえ」
「これまた発案者クソ親父。『九ノ宮・破山』!」
鎌を止められた驚きから、サカガミに一瞬隙ができた。ハルはその隙を見逃さず、バレーボールのスパイクのように、飛び上がって空いた手を振り上げた。
彼女の筋繊維がぶちぶちと音を立てながら切れる。骨もミシミシ音を立てているし、皮膚もギチギチと悲鳴を上げている。
こんなもの、当たるとやばいと、サカガミの本能が告げていた。しかし、避けられない。
でもまあ、この程度ならいける。
「いっだああああっ!」
サカガミが一瞬口角を上げ、すぐに叫び声を上げたのは、ハルだった。
また何かが空を切る音がして、腰から下が綺麗に切れてしまった。下半身を急に失い、バランスを崩してしまったために攻撃は命中しなかった。
内臓が重力に従って床に飛び出し、生肉が地面に叩きつけられた時のような音を出した。内臓に引き摺られるようにしてハルの体も落ちた。
「ガキが手こずらせやがって。再生できるからって調子乗ってんじゃねえぞ!」
声が出ずにヒューヒューと死ぬ寸前の人間のような掠れた息で、もう倒せるはずもないのに諦めずにサカガミの足を掴んだ。
「まだ生きてんのかよ。さっさと、死ね!」
サカガミはそう言ってハルの背中に鎌を突き立てた。
ハルは一瞬ピクリと動いて動かなくなった。
「キュウ、あとはお前だけだなぁ。それにしても薄情なやつだぜお前は。子供が戦ってるのに見てるだけってなあ?ひどいやつだぜまったく」
鎌を引き抜き、ずるずる引きずりながら、サカガミはキュウを嘲笑った。
しかしキュウはそれに反応せずにじっとサカガミを見据えた。
その目には諦めの色はなく、堂々としていた。
「そこの気持ち悪い女も死んだ。お前を助けてくれる人間も居ねえ。どうする気だ?」
サカガミは鎌の先をキュウの頬につけて尋ねた。鎌に少し力が入るだけで死んでしまう状況なのに、キュウは狼狽えもせず、サカガミの目を見つめた。
サカガミはその目に腹が立って、鎌に力を込め、キュウの左頬を貫いた。キュウは口に燃え上がるような痛みを感じた。同時に口の中に横から空気が入りながら、血が流れ出し、口の外と内が分からなくなる奇怪で不快な感覚を味わった。
それでもキュウは取り乱さず、痛みに耐えながら、サカガミの目を見つめ続け、逃げ出そうとしなかった。その目はまだ、諦めていない。勝ちを確信している。
圧倒的に優位な状況にいるというのに、サカガミはまったく勝った気持ちになれなかった。ムカつくこいつを後一歩で殺せるというのに、生殺与奪権を握っているのはこっちだというのに、イライラが募るだけだった。
「なんなんだてめえは!お前は俺に殺されそうなんだぞ!泣けよ喚けよ許しを乞えよ!」
「……ハルが動くなって言ったんだ……俺は……奴を信じて動かねえだけだ」
「信じて損したな!あいつはもう動かねえ!お前の負けなんだよ!いい加減認めやがれ!」
「そう思ってるから……お前はその程度なんだよ」
あまりにも自信満々に言うから、サカガミはまさかと思い、動かない上半身があるはずの背後を振り返った。
ない。あるのはハルの下半身。上半身はいくつかの臓器を残して綺麗さっぱりなくなっていた。
あの状態で素早く動けるはずもないし、一瞬で再生したのならば背後から不意打ちをするはずなのに、それもない。しかし、部屋から出るにはキュウの背後の開きっぱなしの襖を通るしかない。部屋の閉まっていた襖がひとりでに開けば、さすがにサカガミも気づく。
体が煙のように消えてしまった。気配だけでなく、姿形も煙のように。
「てめえ何しやがった!」
「俺は……何もしてねえよ」
「もう片方にも穴を開けてやろうかてめえ!てめえしかいねえだろ!どこへやりやがった!」
サカガミは、唐突に消えた上半身や、理由のわからないキュウの自信に戸惑いを隠せず狼狽えた。
「カハハハハハハハハ!何を戸惑う必要がある!掻き切れよ!お前はまだ俺の生殺与奪権を握っているのにどうした!」
そんなサカガミの心を見抜いたかのように、キュウは勝ち誇ったように笑った。不気味な程に明朗に、不安になる程に快活に笑った。
口には穴が開き、血が流れているというのに、お前など取るに足らない小物だとでも言いたげに笑った。
「手が震えてるぞ」
「ッッッ!黙れっ!」
心理戦とか、そういう次元のものではなかった。戦いに持ち込む前に、サカガミは既に貴重な選択肢を取り逃がし、目的を見失っていた。今はもう、キュウに嬲られているだけ。
サカガミが金龍会の構成員を殺し、裏切りが出ない組織から裏切りを出させ、キュウを連れてきたのは、彼を殺すためだった。手に持った鎌で切り、突き、叩き、裂き、解体すためだった。彼はそれを見失っている。
どこからハルが襲いかかってくるのか、目の前の男はなぜここまで自信たっぷりなのか、そもそも自分の敵は何人なのか。数々の恐怖で、考えることができなくなってしまった。
起こったのは上半身が消えただけで、サカガミという男に何も実害はないし、キュウを殺す大きなチャンスが生み出された。何も気にせず鎌を振ってしまえば、考えることはしなくていいし、悩むこともない。しかし、サカガミは上半身が消えたことについて考えすぎてしまった。騙し討ちをする作戦なら、キュウも察して黙っているはずなのに、騙し討たれるのかと思い、キュウを殺せずに悩んでしまった。
それこそがキュウの狙いだった。
「……ま、時間稼ぎはこれくらいでいいだろ?」
キュウがサカガミの後ろを見てそう言った。
「え、えい!」
「ぐっ!」
サカガミは後頭部を、何かで殴られた。石とか鉄パイプとかではなく、硬いようでどこか柔らかい、おかしな物体。そんなもので殴られたのは初めてだった。迷いだけはない、愚直なほどにまっすぐな攻撃。声色から察するに、それは女。
振り向こうとするが、倒れ始めた体は止められなかった。
「えい!えい!えい!えい!」
「うっ、ぐあっ、あがっ、うぐぁっ……」
倒れた後にも、これでもかと言わんばかりに同じもので叩かれ、起き上がることもできずにサカガミは倒れてしまった。
彼の背後には、ハルの上半身を脇に抱え、タバコを咥えたミチルがいた。お面のせいで顔色がわからないが、それでもハルの露出した肌は、彼女の髪と同じくらい白くなっている。
ミチルは武器としてそこら辺に転がっていた、ハルの下半身を選んだ。
「へ、へへへ。キュ、キュウさん。よ、万事屋としての初仕事です」
「おう、お疲れさん」
キュウはそう言って、ミチルの頭をポンポンと叩いた。
ミチルは恥ずかしそうに頬をかきながら「え、エヘヘ」と笑った。
筆が乗った……!どうも門田です。やたらと筆が乗って遅筆な僕ですが早く書けました。うーれしーぃ!
最後になりますが、ブックマーク、感想待ってます。それがの励みになりますので!ではまた!




