表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨の日に笑うの、透明人間。  作者: 踏切交差点
大学4年
49/51

雨引観音

雨来ぬと 目にはさやかに見えねども 傘の音にぞ驚かれぬる

待ち合わせ場所に着くと、桜がいつもと違った髪型をしていた。

後ろの髪の毛を編み込んでいる。


「おまたせ」


「……おう」


「なによ、おうって。他にないの?」


「初めて見たなって」


「今日のわたし、変かな?」


「ううん。かわいいよ」


「かわいいかな。小さい頃にしてた髪型なんだけど」


「うん」


「……華やかではないかな?」


「ううん。華やかだよ」


「ありがとう。よかった」


二人で電車に乗る。


いつもみたいな冗談のやりとりもせず。

手をつないで、ただ窓の外を眺めて、ぽつりぽつりと景色の感想を漏らすだけだった。


長い間電車に揺られた後、岩瀬駅に到着した。


「バス、行っちゃったね」


「ごめん、ダイヤ勘違いしてた」


「ううん。歩くと遠いし、タクシーに乗りましょう。割り勘でよければ」


「そうしよっか」


青空の下。

駅前にはサイクリングの途中で休憩している人がいた。

タクシーが一台だけ停まっており、運転手が新聞を読んでいる。


コンコン、とドアを叩く。返事はない。

コンコン、コンコン、とまた叩く。返事はない。

もう一度叩くと、振り向いてくれた。


運転手のお爺ちゃんは、一度走り出したら、楽しそうに話しかけてくれた。


お朱印集めが流行っていることについて色々教えてくれた。

御朱印集めは最近のブームだと思っていたが、40年も前から流行っているそうだ。

といっても、地元の訛りが強すぎて、ほとんど聞き取ることができなかった。

桜を見ると、なんだか嬉しそうだった。



雨引観音の入り口へと着いた。

こどもが大きな声で、「31、32、33!」と階段を数えていた。

休日のためか、親子連れがたくさんいる。


手水舎があったので、柄杓で水をすくった。

僕が桜の手にかけた後に、桜が僕の手にかけてくれた。


女の子が宿椎スダジイという樹を指差して「にんげんの顔に見える!」とはしゃいでいた。


広場に着く。中央に机が置いてあり、花みくじを買った。


『雨引の 名もことわりの 時雨かな』

という芭蕉の句が記されていた。

『ことわりや 日の本なれば照りもせめ さりとてはまた 天が下とは』

と桜が言った。「天気はことわりなのね」と独り言を付け足して。


おみくじの結果は、僕は大吉だった。

愛情・縁談・恋愛の項目が「恵まれた愛情関係。しかし油断すると心の緩みやわがままに進展するおそれがある。縁談は良縁」と書いてあった。

桜は「油断大敵だぞ」と僕に注意をした。

桜は自身のクジを見て、あたってるあたってる、と言っていたが、僕には見せてくれなかった。

結んでいなかったので、それなりに良いことが書かれていたのだろう。


先に並んでいた老夫婦に続いて、お線香の束を買った。


どうしていいかわからずに困っていると、桜が線香を巻いている紙テープを片方だけ剥がし、上手に火をつけて立ててくれた。


賽銭箱に、兄弟らしきこどもが10円を投げていた。

「5円じゃなくていいの?」と弟らしき方が聞くと

「もらう方は10円の方がうれしいでしょ!」と兄らしき方が返していた。


僕たちもお賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らす。


これまでの出来事を思い返し、強い思いを込めてお参りをしたのだが、目を開けて横を見ると、桜はまだじっと手をあわせていた。

それは叶うことを願うというよりは、ただ届くことだけを祈るように見えた。


少し歩くと池があって、鯉が泳いでいた。

「人面魚だよあれ完全に!完全に人面魚!」

「ぼくのエサあんまりたべてくんないんだけど!!」

「お腹いっぱいになってるんだよ。下にも溜池あるからいこ!」

何人もの小さいこどもがはしゃいでいた。


こどもがとても多い。

幼稚園から小学校低学年くらいまでの年齢だ。

何人ものこどもと遭遇するのは、塾講師をしていた時以来かもしれない。


桜は順繰りに道を進んでいく。

お賽銭が置いてある場所がところどころにある。石の上にお金が乗せてあるところもあった。


僕はなぜだか一つも見過ごすことができなくて、全ての場所に小銭を置いて拝んだ。

片っ端から拝むのは少し変わっているのかなとも思ったが、桜も同じように拝んでくれたので良いと思えた。


上へと連なる道を登ると、小さなお地蔵様がいっぱい並んでいた。

しばらく登ると、こどもを抱えている地蔵があった。小さな石が置かれていて、お金が入っていた。

さきほどまでは賽銭に1円でも10円でも気にせず使っていたが、この時ばかりは何となく桜に5円玉を借りて入れた。


小さな一角があった。


ビスケット。小さなノート。おもちゃ。親御さんの願いが、たくさん供えられていた。


桜が悲しそうにほほえんできたので、僕は察して、少し離れたところを歩きに行った。

ここからは、兄妹だけの時間だ。


なんだか僕は、簡単に踏み入れてはいけない場所に来てしまった気がした。

無関係ではないけれど、僕が、本当の意味での当事者ではないことは確かだ。


桜はここに、鈴守を捨てることを兄に告げに来た。


あのお守りがなかったら、僕らが出会うこともなかっただろうし、桜は絶望した地獄の人生を送っていただろう。


桜は鈴守の力を、お兄ちゃんが与えてくれた守りの力だと言っていた。


誰にも馴染めず、大事な祖父を失って、桜はひとりぼっちになりたいとここを訪れた。


そして与えられた力が、透明になる力だった。


透明になってから、桜は人へと近づきはじめた。


そして僕と桜が出会い、恋人になった。


捨てよう、捨てようと思っても、簡単には捨てられないはずだ。


もしもこの力を使うことでしか防げない不幸や、手に入れられない幸福と遭遇した時に、捨てたことを後悔してしまうだろうから。


けれど、この鈴守がある限り、僕らは鈴守があることを前提とした生き方をしてしまうのではないかという気がした。


いざとなったら鈴守が助けてくれるという思いは、いざという時まで僕らが何もしないことになるのではないか。

他者に絶望するような思いに駆られた時に、鈴守を悪用してしまうのではないか。

これから出会う人達を、透明人間になる力の生贄、という思いでどこか見てしまうのではないか。


過去の僕も、きっと、嫌だったのだ。


ひねくれていたくせに。

人間関係を失うのを心底悲しむ、普通の男の子だったのだ。




いつの間にか桜が隣りにいた。僕の表情から何かを読み取ったのか


「いっぱいお賽銭あげて、えらい、えらい」


と、妙な褒め方をしてくれた。



山の上から街並みを見下ろしていると、雨が降ってきた。


「え、うそ。今日傘持ってきてないよ。優は?」


「俺も折りたたみ持ってない」


「急いで降りなくちゃ。広場に行きましょ」


「鈴守はどうする?」


「おみくじが結ばれる場所に、一緒に結んじゃう?」


「雨に濡れた人が、触ったらまずいよな」


「うーん……」


桜は悩みながら、階段を降りはじめた。


先ほどの広場に着いた。お土産屋さんで雨宿りをした。


桜がお手洗いに行くと言ったので、僕は携帯で天気予報を確認して待った。

お土産でも見ようかと思いはじめたとき、不思議な鳴き声が聞こえた。


「くおーん!くおーん!くおーん!」


広場に、くじゃくがいた。

傘を持ったこどもたちが取り囲んでいる。

僕も好奇心に打ち勝てず、濡れるのもかまわず近くに寄った。

羽の色が鮮やかで、とても美しかった。

トイレから桜が出てきた。

僕とくじゃくを見ると、笑って歩み寄ってきた。



その時、何者かが通り過ぎた気がした。



桜はバランスを崩して転びそうになる。

僕は慌てて駆け寄り支えようとするが、足がもつれ、転んでしまった。

りりん、という鈴の音が鳴った。


「優!大丈夫?」


「……君がどけば大丈夫」


「あれ、優。鈴守は?」


さきほどまで桜が紐の先で持っていた鈴守が、どこかへ転がってしまったようだ。


ふと、自分の手の平に、丸い感触を覚えた。


まさかと思ったが、鈴守を握ってしまっていた。


刹那。

最近話すようになった、やさしくてふっくらとした職場の女性の先輩の顔が浮かんだ。

彼女とのデートにおすすめだよと、都内のおいしいお店を教えてもらったばかりだ。


青ざめている僕と桜の胸中をよそに、こどもたちがわらわらと集まってきた。

転んじゃったの?と男の子が聞いた。

傘忘れちゃったの?と女の子が聞いた。


僕の姿は、消えていなかった。


雨に濡れて、鈴守を握っても、透明人間になることはなかった。


桜もおそるおそる、鈴守に手をのばした。

雨に濡れたまま握ったが、いつまでも効力を発揮することはなかった。


こどもたちに囲まれた僕らは恥ずかしくなって、屋根の下へと逃げていった。



雨が止んだ後の帰り道、桜は言った。


「かまいたちに、能力取られちゃったのかな?」


「日記に書いてあったけど、かまいたちって雨が苦手なんじゃなかったっけ?」


「雨が苦手でも出社しないといけない日だったのかもよ」


「社会人かよ」


「優、ちょっと擦りむいちゃってるね」


「かまいたちの仕業ならすぐ治るんじゃないかな」


「だめだよ。私が消毒する」


「塗り薬つけるのは三人目だったっけ」


「誰がかまいたちですか」


桜は優の脇腹を軽く小突いた。


バッグに結んだ鈴守が、しゃりん、と軽快な音を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ