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雨の日に笑うの、透明人間。  作者: 踏切交差点
大学2年
37/51

ありえたかもしれない過去に、君を引きずり下ろしたい

「もしも今から行うことによって、刑務所に入ることになったとしても。未来が楽しみだ」


23時過ぎ。雨。


バイトからの帰り道。

桜は優と電話をしながら家に向かって歩いていた。


遠回りになるからと、大通りではなく、公園を横切ろうとしたのがよくなかった。

長い間遭遇することがなかったので、油断もしていた。


手首に鋭い痛みを感じ、血が飛び散った。

携帯電話を奪い取られると同時に、ポケットに手を突っ込まれ防犯ブザーを取られた。


「目の前に現れないと思っていただろ。そう思い込ませたんだよ、この日のためにね。晴れている日に現れてもっと驚かせたかったんだけど、やっぱり雨の日の方が人通りも少ないからね」


幼馴染が立っていた。

刃物を持っていない方の手で、片手を掴まれた。


「欲望を満たした後に君に逃げられて、何年後か、年十年後か、長い服役の先に出所することになったとしても。また、君に会いに行くのが楽しみだ。この男は何があっても自分の寿命が尽きるまで人生につきまとってくる。その絶望を突きつける瞬間を生きがいに、僕は生きていけるだろう。その間に、君はあの男と結婚しているのかな。出所日に、君のこどもは生まれているのかな。そのこどもは女の子で、君に似ているのかな。今から未来を想像すると、ワクワクしてとまらない。あるいは、悲しみが原因で別れているだろうか。僕が原因で自殺してくれるだろうか。その時は、一緒に死んであげるよ。一緒に地獄に落ちよう」


恐怖で震えて、言葉が出なかった。

パニックになりそうで、相手の言葉もろくに聞き取れなかった。

それでも、この状況から脱する手がかりを得ようと、桜は相手に集中を向けた。


「君にはもう一つ選択肢がある。僕と結ばれることだ。こんなに何年も想ってくれる人がどこにいる?現に、あの男は今この場にいないじゃないか。僕なら24時間君のそばにいる。他の交友関係なんて一つもいらない。自分の時間を全て君だけに注ぐ。僕をただのいかれたストーカーだと勘違いしていないかい?今年こそちゃんと勉強して、来年は君と一緒の大学に行く。高校時代は思索や哲学の探求に耽っていて、受験なんてくだらないものを後回しにしていただけだ。今浪人しているのも、去年医学部に興味が沸いて少し遠回りをしたせいだ。今は自分の幸せが何かわかっている。来年こそは一緒にキャンパスライフを過ごそう。二人でサークルを立ち上げるんだ。僕が男子の代表で、君は女子の代表になればいい。偉そうな年上を入れなければ僕らはずっと最上級生だ。アホな飲み会なんて一切しないで、寂れた廃墟や商店街をまわるのさ。雨の日だけに活動するなんて決まりをつくれば情緒的じゃないか?勉強も頑張るつもりだよ。公認会計士か税理士の資格を取ろうと思ってる。でもそれはあくまで自分に箔をつける手段で、就職偏差値60以上のメーカーかインフラに入社して、経理職につく。死ぬほど馬鹿みたいに働いて血尿なんか出したくないからね。そして、20代で結婚しよう。僕はこどもが二人ほしい。お姉ちゃんと弟の組み合わせがいいかななんて思ってる。僕にはクソな兄貴がいたけど、いつも家では殴られてばかりいた。あれは学校でいじめられていた鬱憤を、弟の僕に晴らしたかっただけなんだろうな。おかげで僕も性格が歪んで、思春期には散々な思いをした。やさしい姉がいれば明るい人生を送っていただろう。君と中学時代には結ばれてキスもして、君が転校してからも月に1度はデートをして、高校時代までにはセックスを済ませていたはずだ。同じタイミングで同じ大学に入って、同棲して、快楽に溺れる日々を送っていただろう。意外に思うかもしれないけど、君さえ望めば僕は怠惰に溺れる幸せだって喜んで受け入れるよ。二人でボロボロになって、大学を中退して、世間から見捨てられてボロアパートに過ごす日々も間違いなく愛せるだろう」


幼馴染は、恍惚とした表情ですらすらと喋った。


桜はまだ足が震えていたが、多少落ち着きを取り戻した。

脳をフル回転させて、適切な行動を取ろうと努める。

恐怖に震えた風を装い、傘を投げ捨てる。


桜の行動を気にもとめず、幼馴染は語り続ける。


「僕は君のことを愛している。君は忘れているかも知れないけれど、君も僕のことが好きだったんだよ。君は今正しい判断をする能力を有していない。未来は見えるものにしか見えない。君には肝心なものが見えていないんだ。僕は君を見る。だから、君も僕だけを見てくれ。色々話してしまったけど、言いたいことは一つだ」


幼馴染は耳元でささやいた。


「君を僕の性奴隷にする。僕は君を犯したい。君を支配したと最も実感したい。頭の中だけでしか味わえなかった快楽を、現実の肉体でむさぼりたいんだ。僕とずっと一緒に生きるんだ。いいから黙って、ついて来い」


幼馴染が動くと同時に、桜は大声で助けを求めた。

口元をがっしりと押さえつけられた。

叫ぶことに夢中なふりを装い、掴まれていない方の手をバッグの中にまさぐらせた。


しゃりん、という音を掴み取った。


急いで下着の中に突っ込んだ時に、膝に鋭い痛みを感じた。


「血は趣味じゃないんだ。暴れないでくれ。どうせ君はもう、処女じゃないんだろ?」


雨は、あまりにも弱かった。

あと2分以上は濡れないと、透明になれないだろう。

透明になったところで、今は片手を掴まれている。


幼馴染は桜の背中に刃物を突きつけた。


「あそこに停めてあるワゴン車まで歩け。叫んだり、逃げ出そうとしたら切りつける。殺すだなんて、非現実的な脅しをするつもりはないよ。その代わり、君の命に直結しない部位は躊躇なく切る」


車まで20mほどの距離しかない。なんとか時間を引き伸ばさなくては。


「ねえ、一つ聞いてもいい?」


「嫌だね」


手首を捻りあげるようにしながら、強引に引っ張っていく。


「僕を見くびるな。通行人が現れるまで話を引き延ばそうという魂胆だろ?見え透いてるんだよ。君に出会えた喜びで、さっきは僕も無駄話が過ぎた」


桜は考える。


優は今、私の家にいる。きっと、ここまで急いだところで、10分近くかかる。


警察に連絡したとしても、私が車で誘拐されるところまで想定できはしないだろう。

ここまで用意周到に計画しているのだから、車の中には拘束具やスタンガンなんかもあるかもしれない。


捕まったらどうなるのだろう。

監禁されるのだろうか。

それとも、一生命令に従おうと思うほどの、嫌な映像でも撮られるのだろうか。


悲しい決断をするしかなかった。



「私も、好きだったの」



私は目の前の男を、優だと思い込んだ。


幼馴染の動きが止まった。


自ら歩み寄り、身体を引き寄せ。



キスをした。



唇だけをそっと重ねていたが、幼馴染が舌をぎこちなくねじ込んできた。


抵抗をせず、そのままやさしく受け入れる。


目を瞑って、愛おしさを込めて、背中を腕で包み込んだ。


トントンと、やさしく指でたたきながら、唇と舌を動かし続ける。


きつく握られていた手がほどけた。私はその手で頭をやさしく撫でる。


目は閉じたまま。開けたくない。


好きでもない異性と触れ合うことが地獄よりも嫌なことだとしたら。


少なくとも私は今、私を殺してしまっているのだろう。


まぶたから、涙が出るのがわかる。

そんな自分を悔しく思った。

感情を捨てた自分でありたかった。


涙が顔を伝う。やけに多い気がする。

そうだ、雨が降っていたんだ。

雨に濡れるために、こんなことをしたんだった。


優に、会いたい。


目を開ける。


幼馴染も、目をつむりながら、涙を流している。

キスの角度を変える。横目で見たが、ナイフは持ったままだ。けれど、手首の拘束は剥がれた。


自分の下着に手を入れて、鈴守を一瞬掴む。一瞬だけ腕が透明になったのを確認した。


「あなたにずっと、見せたかったものがあるの」


顔を離すと、幼馴染は夢見心地な表情をしていた。


「なんだい?」


私はまず、左足のスニーカーを脱いだ。そして、右足のスニーカーを半分脱いだ。


楽しかった、あの時を思い出して。


「あしたてんきに、なあれ」


思いっきり靴を飛ばす。

幼馴染が靴の行方を見ているうちに、鈴守を完全に握りしめた。


靴下のまま、公園を駆け抜ける。

膝の激痛に耐えながら。わずかに鳴る鈴の音に怯えながら、必死で走った。


嘘ではなかった。見せたいものは、透明である私。

もう、私を見てほしくない。


公園を無事抜けた頃、遠くの背後からおぞましい雄叫びが聞こえた。


人気の多い大通りに近づいた。

周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、鈴守を再び下着に入れた。


身体に色が戻る。今の使用時間で、私に梨をおすそ分けしてくれる友人はいなくなってしまっただろう。


手首から血を流し、膝から血を流し、傘もささずに雨の中を歩く。


そんな無残な私を最初に見つけてくれたのは。

同じく傘もささずに濡れている、男の子だった。

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