雨
いい匂いがする。
身体が少し痛む。
それでも落ち着く。
誰かに頭を撫でられた気がする。
このまま、心地よい眠りに沈んでいよう。
そう思う優の耳元で、誰かがささやいた。
「まあー、びっくり。すごいあさだち」
「うおい!」
「あっ、起きた」
「何見てんだ!?」
「外を見てるけど?」
土砂降りの雨が降っていた。桜は天気を確認すると、雨戸を閉めた。
「なんのことだと思ったのかしら」
優が顔をそむけていると、桜はおはよう代わりの挨拶をした。
「良いお湿りになって」
朝。
優は携帯を開いて何かを入力していた。
苦笑いをしているところを見ると、親から心配するメッセージでも来てたみたいだ。
桜は申し訳無さを感じた。
「昨日の怪我、よくなった?」
「まだちょっと痛むけど、大丈夫。こっちこそごめん。雨宿りのつもりだったのに、泊まっちゃって」
「いいよ。おへそ取られないように、注意だけはしてね」
雷鳴が聞こえた。優は驚いたが、桜は平気なそぶりだった。代わりに呪文を唱えていた。
「くわばら、くわばら」
「それ、どういう意味なの?」
「桑畑のような低い茂みに避難しなさい」
「へー、そうだったんだ。おそろしい、って意味かと思ってた」
「諸説あるけどねー」
桜はあくびをしていた。よく眠れなかったのかもしれない。
「それにしても偉いね」
「何がだよ?」
「本当にただ雨宿りしかしなかったなんて。ソファですやすや寝てたよ」
「何も悪いことしてなくない?」
「恋人が家に帰っちゃいそうな時に、引き留めるかのように降る雨のことをなんていうでしょう?」
「古典で習ったよ。遣らずの雨だろ」
「ふふ、やらずの雨だって。あなたらしい」
桜は自分の言葉にうれしそうに笑っていた。
優は反応に困り、話題を変えた。
「雨やだな。今日授業いっぱい入れてあるから行く気なくすなぁ」
「朝雨に傘いらずっていうでしょ。天気予報だと、もう少ししたら晴れるみたいよ。雨のち晴れ」
「さぼっちゃおうかな」
「まだ身体痛むの?」
「痛いというより、めんどうくさいだけ」
「気持ちはわかるけど、ちゃんと出ておけば?コツコツ積み上げておかないと、いつか苦しい目にあっちゃうよ。雨垂れ石を穿つっていうでしょ。私も一緒に行くから。授業中寝ててもいいから出席だけでも取ろうよ」
「授業抜け出して学食行ってるやつに言われてもなぁ」
「たまにだよ。出席はちゃんとしてたし。あっ、雨蓋がよじれてる」
「なんだって?」
「服のポケットの上についてるフタのこと。今どきついてるのも珍しいね」
「雨言葉の好きな女だなぁ」
「えへん。じゃあ雨に関するクイズです」
「どうぞ」
「雨蛙は、どうして鳴くのでしょう?」
「求愛行動じゃないかな。くじゃくが羽を広げるみたいに」
「うーん、別解かなぁそれは」
「正解は?」
「昔々ね、いつも親にさからってばかりの雨蛙の子がいたの。死期が近いのを悟った親ガエルは子を呼んで『死んだら川のそばに埋めてくれ』って頼んだの。そうすれば山に埋めてくれると思ったから。でも、子蛙は心のなかではこれまでの親不孝をすまなく思っていたから、最後くらい親の望みをかなえてやろうと、言われたとおり川のそばに埋めた。だから今でも雨が近づくと、川水があふれることを心配して蛙が鳴くんだ」
「俺がそのとおり回答してたら腰を抜かしたでしょ」
「第2問です。傘をさすの『さす』は、漢字でどう書くでしょう」
「うーん、なんだろ。ちょっと待って」
優は日記と青いボールペンを取り出した。
「『刺す』。これでしょ?」
「残念。正解は『差す』でした」
「騙された」
「日記まだ持ち歩いてるんだ」
「必要なことをいつでも書き留められるようにさ。大事なものだからこそいつもそばに置いてる。君から貰ったこのボールペンだってそうだよ」
「……ありがとう。失くしちゃだめだよ」
「わかってるって」
「えーと。それじゃあ最後に、ポーランドからのクイズです」
「かかってこい」
「私がいないと私を求め、私がいると私の前から逃げるものってなーんだ」
「クイズっぽいクイズだな。まあ、昨日も降り続いて、この流れだとさすがにわかるよ。答えは」
ピンポーン。チャイムがなった。
「こんな朝から、誰だろ」
「出ないで」
「えっ?」
「出なくていいから」
桜が泣きそうな顔をしている。またチャイムがなった。
「誰なんだ?」
「…………」
「なあ、わかったよ。あのストーカーだろ」
「このままやり過ごしましょう」
「男が部屋から出てきたら、諦めもつくんじゃないか」
「あなたも巻き込まれるわよ」
「上等だよ」
優は玄関に向かった。チェーンをかけたまま、ドアをあけた。
「ごめんね桜、朝から急に。実家から梨たくさんもらっちゃってさ。よかったら……」
ダンボールを抱えていた女子大生は、隙間から顔を覗かせた。優と目が合った。
「ま、間違えました……」
「いえ、あってます。代わりにお渡しします」
「ご、ごめんなさい急に!彼氏いるなんて聞いてなかったもので!」
ダンボールを置くと、すぐさま帰っていった。桜は後ろで照れ笑いをしていた。
「あはは……。勘違いだったみたい」
「今の人は?」
「福島しょう子ちゃんだよ。高校2年生の時のクラスメートになって、夏休みに仲良くなったんだ。違う学部だけど一浪してうちの大学に入って、今は近所に住んでるの。体育の授業も一緒に取ってるよ」
「例の子か。なぁ、桜。何があっても、もう能力使うなよ。あの子から、梨がもらえなくなってしまう」
「……うん。わかってる」
「朝メシでも食おうよ。コロッケでも買おう。台風コロッケ。それから大教室に眠りに行こう」
「ふふ。台風じゃないってば」




