青春かまいたち
「膝、擦りむいてる。じっとしてて」
「……いてて」
「しみる?」
「やさしさが」
「馬鹿言うなら元気な証拠だね」
桜は優を家に入れた。
優はためらっていたが、終電までの雨宿りだと言って休ませた。
「救急セットがあるなんて、できた一人暮らしだ」
「最初は自炊を頑張るつもりで、怪我をした時のために買っておいたの。結局、大学の学食で食べるようになっちゃった。安いし、バランスも取れてるし」
「雨が降ってる時に学校まで歩くのだるくない?」
「だるいよ。その時は近くのコンビニで済ませちゃうかな」
「不健康なやつ」
「傷だらけの人に言われたくないです」
桜は優のひざをじっと見ていた。
「どうした?」
「かまいたち、って知ってる?」
「ねずみみたいなやつだっけ。ゲームの敵キャラに出てくるよ」
「私ね、昔かまいたち現象に遭遇したことがあるの。膝からすねまで、切り傷ができて、少し血も出た」
「どんな風に?」
「話が長くなってもいいかな。私、本当はお兄ちゃんがいたみたいなの。水子って聞いたことあるかな」
桜は語り始めた。
「お母さん昔、流産したらしくてね。それで、次に生まれたのが私だったの。お父さんもお母さんもこどもが二人ほしかったそうなんだけど、お父さんが過労で体調を崩して入院して、私だけを育てることにしたらしいんだ。私がお兄ちゃんを犠牲にして生まれたってわけではないんだけど。それでも、小さい時には思っちゃったんだよね。お母さんは、男の子がほしかったのかなって。よその男の子を目を細めて見るの。私が生まれてよかったのかなってそんな時に思ってた」
「お兄さんを、重ねて見てたのかもしれないな」
「お母さん毎年ね、茨城県の雨引観音っていう寺院に、お兄ちゃんを供養しに訪れてた。私も幼い頃に一緒に行ったことがある。そこの広場で、お母さんにお姫様だっこされているときに、ぷつぷつって足が切れたんだ。私はスカートがめくれてて、それが見えた。お母さんは長袖だったからか、怪我はなかった」
「痛かった?」
「全然痛くなかった。怪我もね、すぐ治っちゃった」
「それがかまいたち?」
「かまいたちについてね、高校生の時に調べたことがある。伝承によるとかまいたちは、三人一組なの。一人目が人を倒して、二人目が刃物で切りつけ、三人目が薬を塗りつける。傷はつくけれど、出血も痛みもなく、傷もあっという間に治ってしまう」
「自然現象じゃないのか?」
「小旋風砂粒説というのがあるよ。風に舞った石や砂が人を傷つけるの。かまいたちの報告例も寒い地方に多いことから、痛みや出血がないのは寒さで麻痺しているからだって。私が遭遇したのも秋の頃だったかな」
「その日からかまいたち現象に遭遇したことってあった?」
「ないよ。特に雨の日にかまいたちって出ないらしいよ。きっと、雨が苦手なのよ」
桜は台所に向かった。コップに飲み物を注ぐと、優に差し出した。
「初めて話すね、この鈴守を拾った時のこと。中学3年生の冬のこと。転校した私は学校でずっとひとりぼっちで、受験のことでも親から色々うるさく言われて、その矢先に大好きだったお爺ちゃんも亡くなって、感情が爆発しちゃったんだ。私服に着替えて親の金を取って、学校をさぼって家出したの。ひとりぼっちの癖に、ひとりになりたいって願ってた。そして、電車で行く宛もなく何時間も旅をしているうちに、ふと思いつきで雨引観音を訪れた。昔の記憶と同じ道を歩いた。ここに訪れたという証を残したくて、お土産屋さんで鈴守を買ったの」
「それが、あの鈴守?」
「そう。帰り道にね、バス停に向かって歩いていると、雨が降ってきたの。怪雨、って聞いたことある?」
「雨の言葉の辞典で読んだ。旋風や竜巻で、空中に巻き上げられたものが降ってくるんだろ。貝とか、魚とかさ」
「ふふ、最近勉強してるもんね。それで、あの日、お参りをした帰りに『見えない何かが降ってきた』気がしたの。きっとあの時に、鈴守に力が宿ったのだと思う。でも鈴守の力に気づくのはずっとあと。その日は雨が降ったけど、ちゃんと傘も持っていたからね」
「その日は何事もなかったのか」
「そんなことないよ。帰り道、疲れて居眠りをしてたら乗り換えの駅についててね。慌てて電車を飛び出したら、傘を届けてくれた人がいたの」
「あの日だったのか」
「好きな人のSNSをストーカーしてるなんて思いもしなかったけど」
「あはは……」
「受験は滑り止めのところに行って、女子校に通うことになった。でも、私にとっては大正解だった。最初はやっぱり馴染めなかったけど、一人ぼっちでいる私に話しかけてくれる子がたくさん現れて。友達もたくさんできた。三年間色んな女の子たちと、ずっと楽しい毎日を過ごせた。クリスマスにみんなでミサを歌った時は、世界が凄く綺麗に見えたな」
「よかったな。俺は友達こそいたけど、なんか荒んでたし」
「大学に入ってからは酷いものだったよ。同じ大学に進学した子がほとんどいなくてさ。友達をつくらなきゃという気持ちと、いつも逃げ出したい気持ちとでいっぱいだった。サークルも入ってたけど、だんだん幽霊部員になっちゃったし。そして暗い顔をして授業を受けていたら、隣に幼馴染が座ってきた。私が誰かと笑顔いっぱいで過ごしてたら、隣に来なかったと思うな」
「それからストーカーの被害に遭った?」
「そうだね。一人で歩くのが怖くなってきて、防犯ブザーはもちろんいつも持ち歩いてるんだけど。見えない力にもすがりたくなって、あの鈴守を身につけるようになったんだ。雨が降ってきた日、私はその日たまたま傘を家に忘れていて。帰り道にあいつの気配を感じた時に、鈴守が私の位置を教えちゃうんじゃないかってマヌケなんだけど気づいてね、音がならないようにぎゅっと握ったの。そしたら、透明になった。信じられないまま立っていると、逃げられたって悪態をつきながら、あいつが私の目の前を通り過ぎていった。鈴守が、亡くなったお兄ちゃんが私を守ってくれたんだって思った」
桜はベランダに近づいた。
窓と雨戸をあけると、涼しい空気が入ってきた。
「普段、雨戸閉めてるの。誰かに見られるのが怖いから。久しぶりだな、部屋の中から雨を感じるの」
「俺、小学生の頃は雨が好きだった。」
「どうして?」
「毎朝吐き気に襲われてたんだ。雨の日だと、なぜかやわらいだ」
「そんなに学校嫌いだったの?」
「ううん。ストレスとかじゃないよ。原因がわからないんだ。朝、集団登校している間には吐き気がこみ上げてきて、授業が始まる頃にはもう嘔吐寸前。そして、1時間目の授業が終わる頃にはすっかり治ってみんなとドッジボールしに行ってた。朝だけはいつも死にそうな顔してるなって友達からも言われた」
「雨の日はどうだったの?」
「吐き気が抑えられたんだ。秋、冬も体調がよかった。気圧が変わると頭痛がする人、古傷が痛む人がいるように、俺は雨に体調を救われてた」
「親に打ち明ければよかったのに」
「変に思われたくなくてずっと黙ってた。友達にも平気なふりをしてた。病人としていたわってもらうより、健康児として扱ってほしかったのかも。身体が成長するにつれて治ったよ。車酔いをしなくなるのと似ているな。治るにつれてこんなことを思ったんだ。老人に近づくにつれて、また再発するのかもしれないなって。また老人になったら、幼いときのように、朝は弱くなってしまうって」
「悲観的ね」
「だから、雨が降ってると安心した」
「かまいたちも出ないしね。切り傷を見て、親がパニックになることもない」
優はソファに寝転びながら、桜はベッドに座りながら、話を続ける。
「さっきさ、桜の家まで二人で歩いている時に、すれ違った学生がなんて言ってたか聞こえた?」
「聞こえなかった」
「リア充って言ってたんだ」
「あら、そうなの。少し、寄り添ってたからかな」
「そんな言葉、使っちゃ駄目だと思うんだ。リア充って言葉を使った途端、自分はそれとは異なる世界の住人だって、自分に認めることになるからさ」
「リア充って言葉が、自分をリア充から遠ざけるってことかな」
「そう。でも、それだけじゃないんだ。他人のことも見えなくなっちゃうと思うんだ。幸せそうに見えるから幸せだ、って決めつけるとさ。その幸せをつくるまでの苦労とか、その幸せに隠れている不幸だとか、そういうものを想像しなくなってしまう。目に見えるものだけが、その人の全てではないのに」
「そうだね。私もね、電車なんか乗ってる時に、髪の毛染めてぺちゃくちゃ喋ってる女子高生とか、スマホ片手にニヤニヤしている大学生とか、みんな幸せそうに見えてた」
「うん」
「でもね。優と出会ってからは、なんでかわからないんだけど。あなたがヘラヘラしてるくせに、真面目なところもあるせいなのかな。もしかしたら目の前では幸せそうに見えるこの人たちも、大きな悩みや苦しみを抱えてるかもしれないなって想像するようになったんだ。別に、それがあたってても外れててもいいんだよね。本当は何ひとつ不自由のない人でもさ。大事なのはさ、今目の前にいるその人も、血の通った喜怒哀楽のある人間だって、想像してあげることだったんだね。透明人間なんて、いないんだから」
「みんな心に傷を負って生きてると思うよ」
「そうだね。本当は傷だらけなのに、痛くないから、血が出てないから、すぐ治るから大丈夫だなんて言って笑って。見えない何かに傷だらけにされながら、平気な顔して青春を生きている」
「誰が傷つけているんだ。透明人間?」
「いいえ、青春かまいたち。透明人間は、やさしい男の子だよ」
「やさしい女の子かもな」




