負のストローカー
また、雨が降っていた日のこと。
いつものように小さな人助けをした帰りだった。
公園のベンチまで行くと、雨が不自然な当たり方をしていた。
「そこにいるんでしょ。何も透明で待つことないのに」
「おお、見抜くのうまくなったな。この雨の中をびしょ濡れの男がいたら通報されそうだからさ」
「はい、コンビニで下着とタオル買ってきたわよ。今日体育の授業あったから、ジャージも貸してあげる」
「えっ、体育なんて取ってたの?」
「本当は取りたくなかったんだけど、数少ない高校からの同級生が一緒に取りたいって言ったから、仕方なく取ったんだよね。福島しょう子ちゃん」
「ああ、時々名前出る子だ」
「そんな汗もかいてないと思うから」
「なんで一生懸命体育に打ち込まないんだよ!」
「そういう謎の怒りの沸点芸やめてちょうだい」
素直に借りるのが恥ずかしいから冗談でごまかしているのだろう、と桜は思った。
「そういえば、どこで着替えるの?ここ公衆トイレもないし。20分くらい歩けばうちに着くけど」
「ここでいいよ。雨も大して強くないし」
「ここ?」
しゃりん、しゃりん、と鈴の音を鳴らしながら、衣服を脱ぐ音が聞こえた。
「何やってんのよ!」
「見えないんだから問題ないだろ。あと、あんまり俺に話しかけるなよ。おかしい女に思われるぞ」
桜はしぶしぶ黙った。
雨の日の小さな公園には、自分たち以外だれも見えなかった。
公園のど真ん中で着替える非常識さに戸惑った。
見えないとわかってはいるものの、桜はそっぽを向いて距離を置いた。
やっぱり変わってる、と思った。
でも単に、私の家にお邪魔することに遠慮しているのかもしれない。
おふざけと真面目さが両立しているから、この男はわかりづらい。
そろそろ着替え終わったかと思い振り返ったが、優の姿は見えない。
しばらく歩いているうちに、どこにいるのか検討がつかなくなった。
もしかしたら、出現場所を探しているのかも知れない。
鈴守を解除した瞬間を誰かに見られないように、建物の隙間なんかに移動したのだろうか。
傘をさしたまま、ずっと待っていた。
何分経っただろう。
心配し始めた時、りりん、という小さな鈴の音とともに肩を叩かれた。
「お前、つけられてるぞ」
「全裸の男子大学生にね」
「違う。衣服を身にまとった輩だ」
優は、しぃー、と耳元で囁いた。
「冗談はさておき、さすがにもう着替えたわよね。なんで透明なのよ」
「いや、まだ全裸だ」
「はぁ?」
「お前のこと、尾けている男がいる」
「……うそ」
「できるだけ大通りを歩いて駅まで向かうんだ。気にする素振りを見せるな」
「……わかった」
「こいつだ。見覚えあるか?」
ゲームセンターに入った。着替えた優がやってきて、携帯電話の画面を見せた。
「……幼馴染よ」
「幼馴染?」
「昔、家が隣だったの。小さい頃はときどき遊んでた。中学のときからあまり喋らなくなったけど、一緒の部活に入った。途中で私が都内に転校して、離れ離れになったけど」
「どんなやつ?」
「小学生の頃は成績がよかった。でも、怒ると手がつけられない子だった。だんだんね、仲間はずれにされていってた。おとなしいんだけど、誰かが話しかけたりすると、上から目線で話すの。お父さんが弁護士なのを自慢したり。誰かの弱みを握ったら、ずっとそのことを言うようなタイプでさ」
「すげえ嫌なやつじゃん」
「ただね、例えば誰かが仲間はずれにされたとするでしょ。そしたら、その子にすごくやさしくするの。そして、その子が誰かと仲良くなり始めると、その子をいじめるんだ。支配がうまいというのかな。束縛とか、嫉妬とか、そういう感情が強くてさ」
「よく話したりしてたの?」
「そんなには。でも」
桜は思い出すように語り始めた。
「私もあの人も、中学の時に卓球部だったんだけど。ある日、大会の会場に行くのにお互い遅刻しちゃってね。どっちも補欠だったから、ただの応援だったんだけど。行きの電車で彼を見かけて、一人で行くのも不安だっから二人で行ったんだ。途中で雨が降ってきたんだけど、あの人が傘忘れてたから、入れてあげたの。代わりに道案内をお願いした。読んでる本の話題とかで盛り上がったりもして、昔の幼馴染だった時の関係に戻れた気がした。でもその翌週ね、彼、不良の男子グループからリンチにあっちゃったんだ。昇降口で失禁してる姿を大勢の生徒に見られて。それ以来不登校になっちゃたんだ」
「…………」
「私とあの人の思い出といったら、それくらい」
「…………」
「どうしたの?」
「男女差の違いって怖いんだなって、ものすごい衝撃を受けてる」
「どういうこと?」
「男の子にとっては人生を揺るがすような出来事も、女の子にとってはたかが一つの記憶にしか過ぎないんだなって。多分彼にとって、それは一生忘れられない1日だったんだ」
「何それ」
「男の純愛には共通点があってさ。惚れたこの子だけは絶対に性の対象にしないぞって決意するくせに、本心だと、やっぱり一番身体を求めているんだよ。そいつの性欲が、神田さんのこと狙ってるかもしれない」
「やめてよ。怖いこと言わないでよ」
「本音で話してるんだから、本気で聞いてくれ。俺にはその男の子の気持ちがわかるんだ」
「それって、昔好きだった人のこと?」
「男が女にふりまいたやさしさは、利用されることはあっても、仇となって返ってくることはない。女が男にふりまいたやさしさは、恩となって返ってくるだけじゃなく、仇となって返ってくることがあるんだ。決して女の子がやさしさを差し伸べてはいけない、弱い男っていうのはいるんだよ。弱い男は、ストーカーになる」
「あなたも同じなの?」
「そうなりそうだったから、大学生活をがんばったんだよ」
「ストーカーって、ただ好意が強すぎるだけなのよね?ちゃんと振ったら諦めてくれるの?」
「負のストロークっていう言葉がある。ストーカーは、無関心でいられることよりも、憎まれることを好むんだ」
「憎まれるための好意なんて、誰も幸せにならない……」
「誰かを幸せにさせる自信のある男なら、そもそもストーカーにはならないんだ。昔の恋にしがみつくような男は、自分を幸せにしてもらうことに必死だよ」
「純愛とは別なの?」
「昔の恋を今に引きずることと、今を生きてる女の子を昔の恋に引きずり戻すことは全然違う。ストーカーの半数近くが、元交際相手っていうしね。束縛が強いとか、そういうこと以前にさ。ストーカーになるような男の時点で、人間として実力不足なんだよ。ストーカーと結ばれても幸せになれないのは、その強すぎる好意が故ではなく、実力不足のせいなんだ。ストーカー気質の男性に実力がついて、たくさんの女性にモテルようになったら、初めて呼ばれるんだよ。一途、ってさ」
「…………」
「ストーカーは尽くす人では決してないよ。尽くしてくれることを執拗なまでに求める人だよ」
「…………」
「なあ、さっき画像見せた時、すぐにわかってたよな。あまり驚いているようにも見えなかった。何度か被害に遭ってたんじゃないのか?これが、初めてじゃないんだろ?」
「……心配かけたくなくて、ずっと言わなかったことがあるの」
「うん」
「雨の日になるとね。ときどき、あの人が現れるの」
「大学1年生の前期のこと。大学にあまり馴染めてなかった私は、一人で受けていた授業もたくさんあってね。ある日、大教室で一般教養科目の授業があるときに、空いてる席がたくさんあるのに私の隣にいきなり座ってきた男子生徒がいた。不思議に思って顔を見ると、幼馴染だった。同じ大学になったんだねって、その時お互いに驚いてた」
桜は話を続ける。
「自慢気に高校の頃の想い出を話してくれた。弓道部の部長になったとか、クラス委員長をやってたとか、楽しそうに想い出をよく話してた。でも、口がすごい動く割に、私と全然目を合わせずに話すの。私も合わせるの苦手な方だけど、私以上だった」
「…………」
「ある日にね、小テストをやることになったの。初回のガイダンスでも予告してたし、シラバスにも書いてあった。でも、彼すごく焦ってるようにみえた。黒板に書かれた学籍番号に従って、生徒は着席し始めるんだけど。いつまで経っても、彼はうろうろしているの。一度席に座っては、他の学生が肩を叩いてどいてもらうなんてことを2回ほど繰り返した。席を探すのを手伝おうと思って近づくと、走って逃げ出した」
桜は悲しそうな表情を浮かべた。
「今まで会話が噛み合わないこともあったし、おかしいなってさすがに思ってね。中学時代の友達に聞いてみたんだ。そしたら、うちの学生じゃないことがわかった。高校の間に両親が離婚して、大学受験にも失敗して、最初はその子と同じ予備校に通ってたんだけど、すぐに休むようになったんだって」
「それからどうなった?」
「次来た時に話を聞こうと思ったんだけど、それからもう、授業で姿を見かけることはなかった。だけど、だけどね。なんでかわからないけれど、雨の日になると、彼の気配がすることがあるの。私が歩くと後ろで誰かも歩いてる気配がして。たまに、桜って名前を呼ばれることもある」
「親には言ったの?警察は?」
「……言ってない。心配かけさせたくなくて。警察にもまだ言ってないんだけど、動画をまわすようにしたの。いざっていう時に、何かの証拠になると思って。でも姿を見せないから、音声しか取れてないんだ」
「何かが起こってからじゃ遅いよ」
「多分、何も起こさないよ」
「何も起こさない?」
「こう言われたことがあるの。何もしないのが僕の誇りだって。君に指一本触れない。傷一つつけない。何も奪わず、何も与えず、何も見せないって。だけど雨の日に、僕がいることを忘れないでって。そんなこと言いながら、曲がり角の先に待ち伏せてる時なんかもあった。あれには泣いちゃったよ」
「本当に、質の悪いストーカーじゃんか。ごめん、気になったんだけど、そいつに透明人間になる瞬間を見られてる可能性はない?」
「それはないよ。もしも見られてたら、力づくでも奪われて、好き放題使われてると思う。私も能力の使用に関しては常に注意を払ってたし」
「まだよかった。最悪の兵器を奪われないで」
「兵器か。そうだね。使い方によっては、そうなるね」
「ふと川端康成の花の名前を教える話を思い出した。ネットで話題になってたやつ」
「どういうの?」
「川端康成の女性に対するアドバイスだよ。別れる男に、花の名前を一つ教えるんだ。花は毎年必ず咲くから、その時に男はその花の名前を教えてくれたあなたを思い出すことになるだろうって」
「それ、ひどい呪縛だね」
「雨の日に現れるという鉄則を、彼はきっと崩さない。多分、君と中学時代に話をした雨の日に由来しているのかもしれない。要するに、雨が降った日くらいは、自分のことを思い出してほしいんだよ」
「……正直に言うとね。雨の日に家に閉じこもってると、あいつが玄関の前にいる気がしちゃうんだ。だから、家を出て、一人街を歩いてた。自分は被害者じゃなくて、誰かを助ける側の人間なんだって思いたかった。あなたと出会って、ふざけたことをして笑っている間は、忘れることができた。今まで黙っててごめんなさい」
「なんで神田さんが謝るんだよ」
「私が大学に入学してからも、孤独でいたのがいけなかったのかな。どうせ馴染めないと諦めちゃって、誰かと話すことも、笑うこともなかったから。そんな私だから、あの人は隣に座ってきたのかな」
「自分を責めるなよ。隣に誰もいないのに、笑えるなんておかしい奴だけだ」
「あなたと出会えてから、私はおかしくなれたみたい。私は孤独じゃなくて、一人でいるだけだって思えるようにもなった」
「もう耐えるなよ。これからは、ずっと一緒にいればいい」
「えっ?」
「授業が終わった後、家まで送ってく。好きな時に俺に電話をかけていい」
「そんな迷惑かけられないよ」
「そいつが現れるのは雨の日だけなんだろ?遠慮するも何も、雨の日は一緒にいたじゃんか。多分なんだけど、俺と一緒に行動するようになってから、露骨なストーカー行為も減ったんじゃないか?」
「そうだね。うん。あなたと一緒に行動するようになってから、あまり気配を感じなくなった気がする」
「彼氏かなんかだと思われてるのかもな。雨が降るたびに見せつけてやればいい。雨の日に、私は楽しくやってますって」
「……千笠くん」
「俺のこと、優って呼んでよ。俺も神田さんのこと、桜って呼ぶからさ」




