シンデレラのアンブレラ
「こりゃあ、花火中止だな」
中学3年生の夏。受験勉強の息抜きに、クラスの友達と夏祭りに来ていた。
天気予報の通り、朝から一日中雨が降り続いていた。
「どっかでだべろうぜ」
10分ほど歩くと公園に着いた。人影は少なかった。中央には屋根のついた休憩場所があり、みんなでベンチに座った。
受験の話とか、最近聴いてる音楽の話などをしていると、女子の集団がやってきた。
「あんたたちも来てたのね」
「お前らも来たのかよ」
「何してたの?恋バナ?」
「ちんちんの話だよ」
「最低」
口調こそ喧嘩地味ていたが、そのまま二つの集団は会話を続けた。
男子も尖るのをやめて、冗談なんかを言って女子を笑わせはじめた。
しばらくして、女子が言った。
「ねえねえ、王様ゲームやろうよ」
「ルール知らない」
「あんたたちの好きなカードゲームよりは簡単だと思うよ」
「割り箸使うんだろ。持ってんの?」
「こんなこともあろうかと、屋台でたくさんもらって来たよ。ペンももってまーす」
「どんなことを想定してんだよ」
女子慣れしている男子と、男子慣れしている女子の会話でどんどん事が進んでいく。
僕はあわせるように、ヘラヘラと笑っていた。
正直、こういう空気は苦手だ。自分が笑顔を作り出しているのがわかる。
頬の筋肉を無理やり使うから、疲れるし、痛い。
でも、今日は、少しだけ違った。僕は横目でひとりの女の子を追っていた。
他のクラスの子が混じっていた。たった一度だけ掃除の時間に雑巾を絞りながら会話をしたことがある。
給食中に流れていた音楽を僕は小さな声で口ずさんでいたのだが、彼女も同じように口ずさんできた。
少し話すとお互いの音楽の趣味が完全に一致していたことがわかり、気になっていた。
その子も自分から発言することはせず、口元に手をやりながらクスクスと笑っていた。
「それじゃあ、私が割り箸持つから。みんなそれを抜いたらすぐに隠してね。はい、取って」
10本近い割り箸が引き抜かれた。僕の割り箸に書かれた数字は4だった。
「それじゃあいくよ。王様だーれだ!」
「俺だ!」
友達が引いた。普段から過激なことを言いがちなやつだった。
「それじゃあ、命令しまーす。3番が、6番の、ひじを舐める!」
爆笑が起きた。笑いが起きたこと自体に、内心驚いていた。
僕のブーイングの声はかき消されてしまった。
ここに来たことを後悔し始めていた。
男子だけでいる時は楽しい友達も、女子が混ざるとノリが変わってついていけなくなったりする。
男同士で肘を舐めるのも舐められるのも絶対に嫌だし。
僕が女の子の肘を舐めたり、あるいは舐めさせたりして嫌がられることを想像したら暗い気持ちになった。
幸いにも自分の番号ではなかったが。
「だれだー?」
「私3番!」
「えっ、うち6番なんだけど!」
男子に人気があるかわいい子が二人あたった。皆が笑う中、僕はどこか、ほっとしていた。
あのクスクス笑う女の子が、罰ゲームの対象にならなかったことに安心したのだ。
「いくよ!?いくよ!?」
「はやくして!」
公園は男子の歓声に包まれた。
何回目になった時だろう。
苦手だ、とまた思った。この空気が。早く家に帰りたかった。
女子が連続して王様になったおかげで、罰ゲーム自体は激しいものにはならなかった。
でも、皆の目が、何かを期待していた。
受験という言葉に鬱屈に押し込められた、中学生最後の夏。雨天により花火は中止になって。公園で男女が出くわして。
花火の代わりに、何かが打ち上がるのを期待しているような。たとえそれが鮮やかな青春ではなくて、インスタントに楽しめるような、人為的な夏の事件でもいいとでもいうような。
「王様だーれだ?」
「俺だ!」
一番あたってほしくない友人に再びあたった。
さっきからテンションがあがって、何を言い出すかわからない状態になっていた。嫌な予感がする。
絶対に外れてほしいと願う時に限って、僕はいつもそれにあたってしまう人間だ。
「1番と!」
血の気が引く。僕は1番を引いている。
「6番が!」
友達は命令を告げた。
「キスをする!」
いっそ、男子であれと思った。
男子をすばやく見渡すけど、みんなニヤニヤと笑っているだけだった。
女子を見ても、ニヤニヤと笑っている。
俯くあの子を除いては。
「ほら、見せなよ!」
罪悪感に襲われた。同時に、傷ついた。
一度しか話したことのない男子といきなりキスしろだなんて、そりゃあ、嫌に決まってる。
いや、会話をいくら重ねたって、嫌な相手だと嫌なものだ。
さっきまでクスクスと笑っていたのに、ずっとうつむいている。僕は悪者になった気がした。
思考が迷走して、何も言い出せずにいた。
すると、女子の一人が諦めたように言った。
「王様―、さすがに変えませんか?」
「うーん、そうだなぁ」
さっきまでは、命令に歯向かうと「王様の命令は絶対!」とみんな盛り上がっていたのに。
友人も、道徳的な考えからか、あるいは単に自分以外の男と女がキスするところを見たってつまらないことに気づいたのか、考えなおした。
「それじゃあ、デコピン!デコピンにしよう!千笠、お前がするんじゃないぞ!されるんだからな!」
みんなが笑った。僕もあわせてヘラヘラ笑い、彼女に近づいた。
彼女は顔をあげた。笑っているけれど、頬がひくひくしている。
泣きそうな気持ちを我慢していると、僕もそんな風になる。
僕は目を瞑る。しばらくして、ぽこ、と指の感触が額にあたった。
「なんだそりゃ。かたつむりも倒せねえぞ」
友人のツッコミに、またもやみんな爆笑をした。
僕はぶちぎれそうなのに、またヘラヘラと笑う。
隣で彼女が、えへへ、とぎこちなく笑っているのが聞こえる。
ああ、わかった。この子は、やさしいんだ。
たとえゲームでも、人を傷つけることはできないし。
そんな子が、本人の意思を無視して命令を聞くゲームなんか、やりたいわけもない。
むしろ、今どき珍しいのはこいつらだ。
王様ゲームなんて、いつの時代の遊びだ。
来るんじゃなかったと思った。
あるいは、雨を憎んだ。
晴れていれば、花火があがったのに。そしたら満足して、そのまま家に帰れたかもしれないのに。
もう、帰りたい。
「ごめん。私、門限だから帰るね」
数分して、彼女が言った。
「はやいな。シンデレラでもまだ帰んねーよ」
またも爆笑が起こった。女子もみんな笑っている。
多分、彼女は断るに断りきれずに来てしまったんだろう。
人を傷つけたくないから、自分が傷つくことを選んだんだ。
「俺もそろそろ帰る」
僕はそう言って立ちあがった。
「えっ、お二人でさっきの続きですか!?」
「違うよ。家の鍵忘れたんだよ。親明日旅行だから早く寝るんだよ」
口からでまかせだった。嘘だとバレてもいいから、帰りたかった。
「さっきはごめんね」
「ううん。気にしないで」
僕とその子は二人並んで帰った。
「家、近いの?」
「ちょっと歩くかな。千笠くんは?」
「遠いよ。自転車で来ようかと思ったけど、雨降りそうだったし歩いて来た」
「偉いね。傘差し運転しないんだ」
「親がめちゃくちゃ厳しくてね。カッパ着るならいいって言うけど」
「ふふ。カッパで来てもよかったのに」
「カッパ着て花火大会来るのって、おかしすぎるでしょ」
クスクス、と彼女は笑った。
心地よい時間だった。
誰かがいる時はあまり喋れなかった僕らも、二人きりの時は楽しく会話をすることができた。
「良い傘だね」
「これ?お父さんの借りてきた。少し大きいけど」
「こんなに雨が降るなら、お気に入の傘でも持ってくればよかった」
僕は黒い傘を、その子はビニール傘をさしていた。
「小雨だったら花火やるかなと思って、ビニール傘にしてたの。花火、見えやすいかなって思って」
「そうか。その発想はなかった」
「花火職人の人、残念だね。この日のために、頑張ってきたと思うのに」
「観客じゃなく、花火職人の人たちに思いを馳せるとは」
「だって、立派だと思わない?」
「どういうところが?」
「人の幸せを願わないと、花火なんて打ち上げられないから」
僕がこの子に惹かれる理由がわかった気がした。
この子は繊細で、傷つきやすい。
だから、人を傷つけないようにやさしくする。同時に、自分が傷つきやすいから、人を簡単に好きになれないのかもしれない。
自分も何か、気のきいたことを言おうと口をひらいた。
「リア充爆発しろって流行ってたじゃん?花火職人は、爆発させてリア充幸せにしてるんだな」
「えー、なにそれ」
クスクス、と笑ってくれた。
「雨降っちゃって残念だけどさ。俺、雨の匂いとか好きだよ」
「ペトリコールって言うらしいね」
「ペトリコール?」
「雨が降った時に、地面からあがってくる匂いのこと。ラジオで聞いたことある」
「へー、そうなんだ。なんか、こういうことについて話してるほうが俺は楽しいな」
「私も。ああいう空気は、どうも……」
「ペトリコールの話題は大勢でするには盛り上がりに欠けるかもしれないけどな」
「あのさ、さっきはごめん」
「もういいって。こっちのセリフだよ。君のトラウマにならなければいいけど」
「トラウマになんかならないよ。日記にも書くつもりだよ」
「日記?」
「私、毎日欠かさず日記を書いてるの。千笠くんは?」
「俺は書いてないよ」
「書いてみたら?今日をきっかけに」
三日坊主だからなぁと言うべきか迷っていると、彼女は意外な言葉を口にした。
「あのね。嫌いだからしなかったわけじゃないんだよ」
「気遣わなくていいよ」
「本当だよ」
「じゃあなんでしなかったの?」
「あそこでしたら、嫌われると思ったから」
「俺に?」
「そう、あなたに」
僕から嫌われることを嫌がる女の子なんているんだ、と驚いてしまった。
ふと、彼女は立ち止まった。
どうして止まったのだろうと勝手にドキドキしていると。
「送ってくれてありがとう。私の家、着いた」
「あ、ああ。ここ、家なんだ」
「知ったからって、勝手に入っちゃ駄目だよ?」
「しないよそんなこと!」
「王様ってかわいそうだよね」
「どうして?」
「王様は命令するだけで、当事者になれないんだから。仲間はずれだ」
その子は、傘を開いたまま、腕を降ろした。
傘の骨の部分を持って、濡れた生地をごしごしと袖で拭き取った。
驚いて見ていると、乱雑に掴んだまま、僕の顔に押し当てる。
反射的に顔を離そうとすると、彼女の左手が回り込んできて、僕の頭を抱え込む。
彼女は、顔を近づけた。
透明な膜を隔てて、僕らはキスをした。
「もしもなんだけど」
僕が何も言えずにいると、彼女は言った。
「二十歳になるまでにお互いに恋人ができていなかったら、恋人になりましょう」
「……うん」
彼女は傘を玄関脇に置くと、鍵を取り出し、ドアを開けた。
「次会う時は、傘いらないよね」
ばいばい、と彼女は言った。
ぼぉーっとした思考のまま、自宅まで歩く。
この幸福な余韻は、一生残り続けるのだろうと思った。
自分は、この世界から選ばれていると感じた。
世界中の、今日花火が打ち上がることを願っていた人間には申し訳ないけれど。
雨でよかった。花火などいらない。




