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雨の日に笑うの、透明人間。  作者: 踏切交差点
大学3〜4年
14/51

「お隣いいですか」

「お隣いいですか?」


学食で一人で食事をしているときだった。


突然千笠優が隣に座ってきた。傘が盗まれてから、二週間ほど経っていた。


「失礼を承知で聞くけど。私のこと、待ち伏せしてた?」


マンモス校のうちの大学で、誰かと偶然すれ違う可能性なんてほとんどない。

入学して1年近く経ってから、昔の同級生とすれ違い同じ大学だったと気づいたことさえある。


「言っておくけど、あんたのストーカーではないからな」


「あなた、変わらないね。過去の想い出に縛られて。進まないどころか、後退してばかり。猿じゃないんだから」


「猿?」


「進化してないってこと。むしろ退化してるんじゃないかってこと」


「ちっちっ。進化についてわかってないな」


エンジンがかかったのか、彼は饒舌に語り始めた。


「あれって、成長の上位互換じゃないんだよ。生物の形質が世代を経る中で変化していくことなんだ。例えばさ、キリンは高い木に実っている果物を食べるために、首を伸ばそうとがんばってきたわけじゃないんだ。高い木に実っている果物を食べられたキリンだけが生き残って、その遺伝子が受け継がれて、今のキリンはみんな首が長くなっているんだ。殺虫剤を浴びたけど何とか耐えた虫が抵抗力を後世に伝えて耐性のある虫が生まれるんじゃなくて、今の時代の殺虫剤が効かない虫が生き残って繁殖するんだ。あるいは、釣りのルアーに対して一度ひっかかりかけて痛い思いをした魚が後世に危険を伝えるのではなくて、ルアーを本能的に警戒する魚が生き残って遺伝子を受け継がせているんだよ」


だから某ゲームの進化の定義は間違いだ、と付け加えた。


「珍しいよな。一人で食事しているのに、スマホを机の上に出してない。女子は当然、男子でも珍しいよ」


「それはどうも」


「食事中にスマホをいじるのはさ、ただ咀嚼している時間がもったいないからというよりも。自分は誰かとつながっていることを周囲にアピールしたいんだな」


「どうせ誰も見てないのに」


「皮肉なことに、誰にも見られてないからこそするんだよ」


彼は笑って言った。


「外で一人でご飯を食べてると惨めに感じるだろ?あれはさ、縄文時代に狩りをしている時に見つけた食料を、こっそり食べていた奴は他の仲間に見捨てられて淘汰されたからだと思う。食事の時間はみんなで共有するものだという価値観を持った人間だけが生き残ってきたんだよきっと」


「それ、授業で習ったの?」


「授業なんか聞かないよ。だから大学から淘汰されそうになってる」


「留年を違う表現で言わないでよ」


「必要のないものを切り捨てるのが、進化の場合もあるけどな。人間の尾てい骨だって、昔はしっぽだったっていうだろ。人類が生存していくうえで、しっぽが不要になり、退化したんだよ。つまり、退化も、進化の一種なんだ。となると、しっぽが短い人がモテたりしたのかな」


「進化の話がしたいの?それとも、一人で食事している私を批判したいだけ?」


「進化の話じゃない。人ひとりの一生に、進化も退化もないんだから。あんたの話でもない。これは、俺の話だ」


「あなたの話?」


「透明人間の力を貸してくれ」


「心当たりがないわ。そんな存在この世にあるのかしら。見間違いじゃないの?」


「見間違うものか。見て間違うのではなく、見えないのが透明人間だろ?頼むよ、今度こそ君の望みを一つ叶えるから」


「何よ」


「君の傘を、取り戻す」


ぴちょん、と、雨が弾けた。


/


それから。

私が学食に行くと、驚くほどの頻度で彼と出くわすことになった。

とりわけ、雨の日に。


/


「お隣いいですか」


「いいですよ。……うわっ、あなたか。やっぱり駄目です」


「邪険に扱うなよ。傘が見つかったら君も嬉しいだろ」


「ご飯食べながらのんきに観察して見つかるかしら。それに、盗んだ人の顔も覚えていないんでしょ?」


「そうだけどさ。その人に良心があれば、きっと傘を戻しに来るよ。ここじゃなくてもさ、大学の紛失物管理センターにでも」


「良心がある人は他人の傘を取らないわよ」


「盗まざるを得ない、止むに止まれぬ事情があったのかもしれない。うちの親父が言ってた。運転してる時に、危険な運転で追い越してきた車がいるとするだろ。そしたら、家族が危篤状態になっている人が乗っているかもしれないって想像するんだよ。関東圏内にも関わらずエスカレーターの右側で立ち止まってるおばあちゃんも、右足で踏ん張る力が弱いのかもしれない。それが事実かどうかはともかく、怒りを同情に変えることができる」


「濡れたくなかっただけでしょ」


「まあそうだろうな」


「目の前の人がどんな痛みを抱えているかも知らずに、幸せだって決めつけるつもりは私だってないわよ。でも、盗難は盗難よ」


「わかったって。頑張って見つけるから」


「見つかるわけないでしょ」


「どっちの味方だよ」


/


「お隣いいですか」


「駄目です」


「3日ぶりだというのに拒絶の反応が早い。学習能力が高いな。でも、知人を無視するという、道徳的に誤った学習をしている。つまり君には、マッドサイエンティストの素質があるということだ」


「4文字の返事によくそこまでの言葉が紡げるわね」


「いつもこの時間帯は学食にいるんだな」


「そうね」


「授業の時間帯と被ってるけど、昼休みはご飯食べる時間なかったのか?」


「色々あるのよ」


「色々か、なるほどな。色々といえば、世の中にはいろんな色があるが、透明についてどう思う?」


「話の持って行き方が強引過ぎる」


「世の中にはいろんな色がいるのに、自分だけ透明に生まれていたら、色社会の中で劣等感を持つかもしれないな」


「じゃあ透明人間に対する憧れも捨てることね」


「ここで問題。透明人間になる能力に最も需要の無い人たちってだーれだ?」


「なによ急に。えー、それは常に周囲から見える必要がある人ではないかしら。例えば、交通の誘導をする警備員さんとか?他にも、ライフセーバーさんなんかも透明で救助に向かうメリットはないわよね。他には……」


「正解は、露出魔でした。見せるのが目的だからです」


「もうそのくだらない問題を二度と出さないで」


「話繰り返すけど、どうしてこの時間帯に学食で食べるんだ?」


「さあ、どうしてでしょう。出題されっぱなしでうざいので、私からもクイズです」


「大勢の学生がいる中一人で食べたくないから?」


「…………」


「大勢の学生がいる中」


「繰り返さないでよ」


「あんたにとってはクイズというより文字通り問題だな」


「一人で食べたくて食べてるからいいの。一人暮らしだから家に帰っても料理が待ってないの」


「大変だな。こうして俺に一人で食べているところを隣で見られているし」


「その男も一人で食べているから気にしないわよ」


「それじゃあ俺が友達と二人で来たらどうだ?絶望か?」


「別に無視するわよ。むしろ私と話さなくてありがたいくらい」


「それじゃあ俺が二人に分身したらどうだ?」


「絶望よ。ごちそうさま。お先に失礼します」


「一緒に犯人待たなくていいのか?」


「それはあなたの仕事でしょ。それに」


「それに?」


「私は人の善意を信用してないから」


/


「お隣座らなくてもかまわなくないですか?」


「だめです。いや、いいです。あれ、どっちかしら」


「勝利」


「また来たの。というか、あなたが来る日はいつも雨が降ってるわね。雨男ね」


「雨の日だけ俺が来るんだよ。雨の日はバイトもないから」


「お暇潰しに傘を探していただけて何より。というか、雨の日だけ休みのバイトなんてあるの?」


「高速道路の工事現場にカラーコーンを並べる仕事がその代表だな」


「すごいニッチな代表ね」


「俺のバイトは個人経営の飲食店だよ。雨の日は客足が途絶えるから来なくていいってさ」


「それって休業手当でるの?」


「来たけりゃ来いとは言われてるから、来ないのは俺の責任じゃないのかな。急に労働基準法の話ふるなよ」


「一つ聞きたいんだけどさ。まだ私が透明人間だなんていう、非科学的な妄念に囚われているの?」


「うーん。例えばさ、今の質問にこう返すこともできる」


「どう返すのよ」


「君は幼少の頃より訓練されていて、隠密行動の能力が著しく長けている。聴覚が人より優れていて、人の気配も手にとるようにわかるし、逆に相手に警戒を抱かせずに尾行する能力も身につけている。壁登りも得意で二階の部屋から侵入することもできるし、いきなり姿をくらますこともできる。そして入り込んだ女子の部屋にある日記を盗み見ることなんか簡単にできる。だから、君にお願いしたい。そう言ったら、すごく道理な依頼に思えるだろう?」


「そうね」


「だとしたらさ、実は君は透明人間の能力を持ってるってことになっても、同じことだと思うんだ。その子ができることは一緒で、ただやり方が違うだけなんだから」


「じゃあ、私が透明人間ではなく、特殊部隊のSWATに所属している人だったとしたら、それでもやっぱり同じお願いをしたの?」


「しなかったろうな」


「ほらね」


「だって、SWATの人なんかとは、桁違いの力だからだよ」


「えらく評価するのね。力が違うと、何が違うのよ」


「力の行使への敷居が下がる。折り紙で一羽の鶴を折るのに2時間かかった子どもはそれをくれないだろうけど、5分で折れた子は簡単にくれるだろう。それと同じことだ」


「人の善意を信じてるとは思えない発言ね」


「君に力があることは確かだ」


「あなたにも力はあるわよ。その子の家に忍び込んで、日記を盗むために窓ガラスを割ればいい。ハンマーはホームセンターに売ってるわ」


「君はリスクが0じゃないか。透明人間の力の真価は、まさに、この世の誰も透明人間の存在を信じていないところにある。法で裁く以前に、人が透明になることを前提とした警察の捜査が行われない。運良く、俺は信じているけど」


「ばれないなら何をしてもいいの?」


「この世の誰からも、絶対に何も奪わない、何も傷つけない犯罪があったとしたら、それは犯罪だと言えるのかな」


「犯罪は誰かから何かを奪ったり、誰かを傷つけることを言うでしょ」


「透明人間になって女湯に入ることはどう?絶対にばれることはないから、覗かれたショックで女性が傷つくこともない」


「紛れもない犯罪よ」


「どうしてだよ」


「盗み見たという優位に心が染まったあなたは、必ず誰かを傷つける悪人になるから。覚せい剤の使用が犯罪なのは、それによって人格が変わるからでしょ。それと一緒。ごちそうさま」


「おい、ちょっと」


/


「お隣いいですか」


「10席隣ならいいですよ」


「それ隣じゃないから」


「また今日も来たの」


「うわー、親子丼食べてる。うまそう。今日親子丼食べるかトムヤムクンラーメン食べるかで迷ったんだよね。親子丼にすりゃよかった」


「それ全然気分違うわよね。よく選択を誤ったわね」


「まあ一緒にご飯でも食べながら犯人を待とうよ。っておい、食べるペースをあげるな」


「私急いでるから。このあと図書館に行くの」


「テスト期間でもないのに?」


「人生の選択を間違えないように、読書をして学んでおくの。例えば、親子丼とトムヤムクンラーメンの選択の岐路に立たされた時に、栄養学的、心理学的、哲学的観点からどちらを選択すべきか判断できるようにね」


「意味わかんねーよ」


「あなたを真似たつもりなんだけど」


「何の本読むの?」


「学ぶなんて嘘。授業の時間まで寝るだけよ」


「今何年生だっけ?」


「あなたと同じ3年生よ」


「同じ学年だったんだ。ならよかったじゃん。上級生はひとりでご飯を食べるのがかっこいいみたいな風潮あるしさ」


「聞いたことないわよ。というかあなた、カバンの中から本が何冊か見えるけど、何読んでるの?」


「これか。一つはビジネス本だよ。面白いことが書いてあった。小説は小説の皮を被った自己啓発本だっていうんだ」


「ビジネス本なんて読まないなぁ」


「小説家も本当は自己啓発書を書けるんだけど、ありのままの自分を曝け出すのが恥ずかしいから小説で登場人物越しに語らせるんだって。虚構であるはずの小説だからこそ、作者は惜しげも無く、真実を描こうとする」


「だとしたら、ファクトベースのビジネス本よりも、フィクションの小説の方が真実に近いという皮肉な話がうまれそうね」


「事実は小説よりも奇なり。小説は事実よりも事実なり」


「そういう勉強好きなのね。この前も進化論がどうの言ってたし」


「一般教養科目が好きなんだ。並行して心理学の本も読んでる」


「へー、真面目ね」


「100倍モテるようになる、合コンで気になる女を絶対にオトス心理学」


「不真面目の極み。それ心理学じゃないから」


「今まで絶対に手に取らなかった本を読んでみようと突然挑戦心が沸いたんだよ。読んでみたら驚くようなテクがたくさん載ってた」


「ふーん。それじゃあ、私が合コンに現れた気になる女だと仮定して、試してみなさいよ」


「種明かしをしながらマジックをしろと言われてもなぁ」


「馬鹿馬鹿しいって文句つけるだけだからいいのよ」


「ひどいな。じゃあ、君と個室で二人きりになれたと仮定して、がんばって脱がしてみる」


「個室で二人きりになるまでが大変だろうし、そこで脱がせるのがアウトだと思いますけど、どうぞ」


「上から脱いで全裸になるのと、下から脱いで全裸になるの、どちらがいいですか?」


「どっちも嫌よ!」


「あれ……おかしいな。なんで、なんでなんだ……」


「あなたがなんなのよ。今のは何?」


「ダブルバインド。相手に二択で迫ることで、こちらの要求に乗らせようとする方法。例えば『食事に行きませんか?』と誘うとイエスかノーかの二択になるけど『イタリアンか中華を食べに行きませんか?』と尋ねると、相手は2択で考え始め、食事に誘いやすくなるらしい。まぁ、巷の書籍ではダブル・バインドの名前で説明されることがあるが、ダブルバインドは本来、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状態を意味するものであり、例えば母親が『怒らないから正直に話しなさい』と言ったのに、こどもが正直に答えたら怒られるというような例に近い。そうです」


「秒で失敗した直後によく語れるわね。他にはないの?」


「全裸になった後にブリッジしながら大声で叫んでください」


「無理よ」


「じゃあただ全裸になるだけでいいです」


「全裸が問題なのよ」


「うぅ……どうして、どうして……」


「いちいち頭を抱えてわなわな震えるのやめてくれる?」


「さっきのはドア・イン・ザ・フェイステクニック。最初に難度の高い要求を相手に突きつけNOを言わせ、それから水準を下げた要求をしていく方法。最初の要求を断った後ろめたさにつけ込んで、軽い要求なら飲み込んでしまおうと思わせるんだ」


「へーそう。はい、次」


「手のひらを見せてくれませんか?」


「嫌」


「……手のひらを見せてくれませんか?」


「なんでよ。嫌よ」


「フット・イン・ザ・ドア・テクニックは逆に、小さな頼み事を承諾させてから、大きな頼み事を承諾させていく方法なんだ。一度決心した行動や発言などを、貫き通したいと思う人間の心理を利用している。だから僕は今、君から手のひらを見せてもらったあとに、全裸を見せてくれないかお願いしようとしたんだけど。まず手のひらさえ見せてもらえなかったわけだ」


「あ、そういうことだったの。手触られるかと思っちゃって」


「その言葉にショックだよ」


「これで終わり?」


「いつも全裸でいていただき、ありがとうございます」


「『いつもトイレを綺麗にご使用いただきありがとうございます』を応用するんじゃないわよ。どうせ人は期待を裏切りたくないみたいな効果のやつでしょ。そもそも私いつも全裸じゃないから」


「駄目だ……。学問の敗北だ……」


「あなたのコミュ力の敗北よ。ごちそうさま」


/


「お隣いいですか」


「あのね、ずっと言いたかったことがあるの」


「ま、まじか。でもごめん、俺好きな人いるから。それに今からカツ丼食べるからムードにならないと思う……」


「勘違い専用の反射神経でも搭載されてるの?」


「男はボディタッチされただけで勘違いする生き物だから。やさしく触れられると脳が揺れるくらいに」


「だったらいっそ可愛い子に頭を殴ってもらったら?揺れと揺れが相殺しあってまともに戻るかもよ?」


「……それは、性的コンテンツが過ぎる」


「興奮するって言葉をよくそこまでキモく言い換えられるわね」


「それで、ずっと言いたかったことってなんだ」


「あなた、折り畳み傘の畳み方が汚い」


「それか。2つの理由がある」


「どうぞ」


「昔から雑な性格の一家で育った」


「もう一つは?」


「短期でやってたバイト先で、神経質なおばちゃんに傘の畳み方で凄い怒られて以来、余計真面目に畳んでない」


「ふふ、そういうのあるよね。しっかりしろって言われたことはしっかりしたくないこと」


「勉強やれって怒られると、今やろうと思ってたのにやる気なくしたーって言いたくなる感じと似てる」


「わかってしまうのが悔しい。でも、そういうのをしっかりしてみるのも良いことだと思うよ。その人のことは好きにならなくていいから、その人の好きなことを好きになってみるのはいいんじゃないかな。そしたら、これから出会うあなたを怒るはずだった人たちが、あなたの味方になってくれるから。私も偉そうなこといえるほど、素直な性格じゃないんだけどね」


「……今、なんかバブみを感じた」


「どういう意味?」


「君の赤ちゃんになりたいって思った」


「今の日本にはそんなに不気味な言葉が存在するの?」


「俺は傘に対する反抗期が終わらないんだ。結局畳み方がよくわからない」


「今の時代、動画サイトで傘職人の畳み方を見れるわよ。まぁ、頭ごなし、言葉ごなしはよくないね。ちょっと貸して」


「手濡れちゃうよ」


「まぁ、可哀想に。こんなにしわくちゃになっちゃって。まずはね、持ち手の蓋に傘の先端を全部しまってね。伸ばして伸ばして伸ばして」


「……おお」


「ギュッギュッギュとして」


「……おお」


「クルクルクル……と巻いて」


「おお」


「パチッと留めて。はい、完成」


「ほんとだ。丁寧に畳んだ傘って、綺麗だ」


「まあ肩を落とさず君も精進したまえ。ぱんぱん」


「ちょっと、俺の背中で水滴拭くな」


「ボディタッチしただけよ」


「俺の勘違いだったのか」


「それじゃあ、ごちそうさま。じゃあね」


「えっ。行かないで、ママ」


「あなたも折り畳むわよ?」


/


「お隣いいですか」


「500円」


「ちょっとまってな、財布から取り出すから。……よいしょ、はい、500円」


「それで私がそのお金を財布にしまって、本当に取るのかよっていうやりとりをした後に返却するのが既に面倒くさいから受け取らないわ」


「計画的な性格だね。お金も貯まりそうだ」


「日本人には貯金性向があるから」


「じゃあ俺は何人なんだ?」


「貯金が無いって素直に表現しなさいよ」


「素直にお金をわたそうとした俺も悪かった」


「何でもハイハイ従っちゃ駄目よ」


「うん」


「ほらもう従った」


「日本人の悪いところが出たな」


「日本人はイエスマン性向もあるからね」


「ところでさ、イエスマンって日本語に訳すと何になると思う?」


「うーん、肯定人間?」


「良い訳だね、肯定人間。こうてい人間。透明人間。そういえばさ、透明人間について話したいんだけどさ」


「ノー!」


「ノーと言える日本人になるなよ」


「話したい気持ちは汲み取ったけど、私まだ食べ始めたばっかりだから食事に集中させて。お詫びに何かあげるから」


「カレーか、うまそうだな。お詫びに半分こしてくれよ」


「食事を半分の時間で終わらせるつもりよね」


「ところでさ、はんぶんこの『こ』って、どういう意味?」


「個数の個じゃない?」


「ググってよ。俺の話題を途切らせたお詫びに」


「もう仕方ないな、ちょっとまってて」


「その間俺がカレー食べててあげるから」


「やめなさい。えーと……ふーん」


「なんて出てきた?」


「はんぶんこのこは、状態を表す接尾語らしいよ。ぺちゃんこ、どんぶらこ、と一緒」


「どんぶらが何を意味するかがわからないが」


「疑問は解決したわね。それでは私は食事に集中させてもらって……」


「さっきのイエスマンの話に戻るけどさ。日本人は常に肯定している状態といえるのなら、『うん』という肯定を表す言葉に状態を表す接尾語をつけると、うん……」


「私が今何を食べてるかはご存知よね?」


/


「お隣いいですか?」


「どうぞ」


「やったぞ。毎週のログインで好感度がランク6になったぞ」


「そういう冗談よくないわよ。女の子は傷つくわよ」


「えっ、ごめん」


「あなたって、自分が女の子に優しくした時に、その優しさを笑いやネタで誤魔化すタイプでしょ。あなたは相手に気を遣わせなかったーって自己満足してるかもしれないけど、相手は一言余計だったのにってガッカリしてるの。嘘でもいいから王子様でいてほしいの」


「えーと、ごめん。なんで今日そんなに厳しいんだよ」


「この前さ、違う女の子と生協で買い物してたのを見たんだけど」


「うん」


「付き合ってるの?」


「誰とも付き合ってないけど」


「なんで?」


「なんでって。女子と付き合ったことないよ」


「……ない?」


「いや、だから、俺いない歴年齢だから」


「…………」


「大学生は恋人をつくらなきゃいけないなんて法律はないだろ?」


「……あの、傷つけてごめんなさい」


「ごめんなさいが人を傷つけることもあるんだよ」


「……ふーん、なるほどなるほど」


「何がなるほどだよ。なんで急にそんなこと聞いたんだよ」


「もしもあなたに彼女がいたらさ、こうして私とご飯食べてるの見たら、嫌な気持ちになるかなって」


「そもそもさ、昔好きだった人の日記を見ようとしてる時点で裏切り行為だよ」


「言われてみれば」


「俺は女の子を裏切ったりしないよ。裏切る女の子がいないから」


「本当にそうかしら」


「どういうこと?」


「ストーカーってさ、恋人じゃない人を恋人と認識してしまうようなことがあるじゃない?それとは反対に、あなたには本当は恋人がいるのに、その人を恋人と認識していないこともあるんじゃないかしら」


「鈍感系主人公みたいだな。でもそれはないな。この前一緒に歩いてた子は昔入ってたサークルの先輩だよ。彼氏もいる。たまたま久しぶりに会っただけだ」


「その人すごい笑顔だったから、勘違いしちゃった」


「同期や先輩とは一部を除いて良い関係を築けてた。でも後輩からはいつの間にか嫌われちゃってたよ。俺は可愛がってたつもりだったんだけどね」


「…………」


「別に昔のことだからいいよ。それにしても、あんたを怒らせるようなことしたかと思って焦ったよ。それか機嫌でも悪かったのかなって」


「まあ、ちょっと、機嫌は悪かったかも」


「なんかあったの?」


「笑われるから言いたくない」


「絶対笑わない」


「本当に笑わない?」


「本当に笑わない」


「親と電話越しに喧嘩した」


「…………」


「…………」


「…………」


「ふふっ」


「なんでお前が笑うんだよ」


「あなたが真顔過ぎたから」


「真顔に過ぎるも何もあるかよ」


「失礼したわ。でもね、あなたが普段へらへらしてるのがいけないのよ」


「俺が悪いのか」


「そう」


「じゃあ、慰みに、ジュース奢るから許して」


「あなたが奢ってくれるの?よくわからないけど、許してあげる」


「やった。許されたから今日はいい日だ」


「はぁー。つくづくいい人ね。これじゃあ対等な恋人関係も築けないかもよ」


「いいんだよ。人は許されたくて生きてるのだ」


「誰から?神様から?」


「自分から」


「訳わかんない。混乱ついでに、私もあなたにジュース奢ってあげる」


「慰めてもらったお礼に?」


「慰められた自分への罰に」


「自分のことを許さない女だなぁ」


「ストイックなの。このあとコーラを飲むけどね」


「今日は同時に言ってくれそうだな」


「何を?」


「ごちそうさまって」


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