地獄よりも嫌なこと
「あー、死ぬかと思った」
アルバイトからの帰り道、とぼとぼと駅まで歩いた。
店長こそやさしいが、仕事の忙しさは地獄だ。
特に、大学生が貸し切る飲み会は大変だ。
自分を有能な大人だと勘違いした上級生が、遅いだの気が利かないだのと文句を垂れながら無茶な要求をしてくる。
自分がアルバイトで理不尽な目に遭っているから自分がお客様になったときは優しくしてあげよう、という思考回路なら非常に助かるのだが。
自分もアルバイトで理不尽な目に遭っているから自分がお客様になったときは同様に理不尽なほど要求をしてやろう、という思考回路になる学生も時々いる(私もその傾向がある)。
そうはいっても、代表の人だけは、意外に腰が低かったりするのだが。
家庭教師のアルバイトをしているときはよかった。
勤務時間外労働など当たり前の世界だったが、こどもが可愛いからがんばれた。
やりがい搾取という言葉はあるが、給料搾取に比べたらずいぶん人間らしい働き方ではないだろうか。
生きる糧を稼ぐためだけに時間を費やす方が、よっぽどしんどい。
「まあ一番は、搾取されない楽な仕事がいいんだけどね。バイト、変えようかな」
はじめて間もないのに、そんなことをつぶやいた。
そういえば、イベント派遣のバイトをしていた知り合いが、一日ぼーっと道案内や会場案内のために立っていただけで時給千円をもらえたと言っていた。
何より、日雇いなら、人間関係に悩まずに済む。
歩きながら町並みを眺める。
居酒屋、ファミレス、ラーメン、定食屋。学生街には飲食店が多い。
大学に入学したばかりの頃。
当時所属していたサークルの同期に誘われて、名前しか知らないアーティストのライブにしぶしぶ行ったことがある。
サイリウムの振り方に戸惑い、知らない曲の多さに困り、疲れただけだった。
帰りにアリーナ近くのファミレスに寄ったが、異常なほど混んでいた。
時給千円アルバイト募集、と書かれた張り紙を見て同期は言った。
「こんなんだったらさ、短期で水商売のバイトやったほうがマシじゃない?」
「えっ?」
「そりゃあ私もさ、知らないおっさん相手にくんずほぐれつするのはきついよ。でもさ、レンタル彼女とか、耳かきとか、ガールズバーとかなら、肉体的接触は最低限に抑えられるし稼ぎも良さそうじゃない?」
「レンタル彼女だって手とか繋がないといけないんでしょ?」
「手ぐらいいいじゃん」
初めて手を繋ぐ相手は好きな人が良い、という純情な言葉をぶつけるとなんて返されるかわからなかったので、まあそうかもねと言っておいた。
そう考えると。
地獄のように混み合うレストランで、死にそうな顔をして働いている世界中のウエイトレスの女の子は、それでも自分の性を切り売りしなかったといえる。
鳴り止まないオーダーの音に苛まれても。
客からのクレームの侮辱に耐えても。
好きでもない異性と触れ合うことの方が、嫌だったのだ。
地獄よりも、嫌なのだ。




