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賤ヶ岳の戦い7

 3月。秀吉と同盟を組む丹羽長秀が柴田勝家の西進に備え海津と敦賀に進出し、戦線は更に膠着。27日。秀吉は一部の軍勢を率い長浜城に帰還。伊勢、美濃方面にも備えるのでありました。

 4月16日。秀吉に降伏していた美濃の織田信孝が伊勢の滝川一益と手を結び再び挙兵。岐阜城下へ進出。この動きを受け秀吉は翌17日に兵を大垣へと進めるのでありました。越前、美濃、伊勢の三方向から囲まれることになった秀吉。この時、秀吉陣営に更なる動きが……。

三成「なに!?勝豊の家臣が居なくなった。と……。」

 先の長浜城攻略戦において柴田方から寝返った柴田勝豊。その勝豊は既に病に臥し、京・東福寺にて隠棲中。いくさには代理の家臣が出陣していた。その家臣が……。

三成「殿に報告しなければ……。」

秀吉の陣に出向き報告。これに対し、

秀吉「そうか。そうか。」

の一言。

三成(……そうか。そうか。って……。)

その頃、勝豊の家臣は……。

佐久間盛政「なに!?秀吉が長浜に居ないのか!!!」

佐久間盛政が陣取る行市山に駆け込んだのでありました。

勝豊家臣「はい。信孝様に対峙するべく秀吉は今。大垣にいます。加えて揖斐川が氾濫しているため岐阜に攻め入ることが出来ない状況に陥っています。」

佐久間盛政「大垣から長浜。更には秀吉が陣を構えていた木之本までには13里の距離があるな。」

勝豊家臣「はい。少なくとも2日の時間を要することになります。」

この報を受けた盛政は、勝家が陣を構える内中尾山へ赴き、事の仔細を報告。

柴田勝家「……しかし秀吉が仕掛けた罠かもしれぬぞ……。」

と慎重な構え。これに対し

佐久間盛政「確かに秀吉が仕掛けた罠かもしれませぬ。しかしたとえ罠であったとしても余呉から大垣までには距離があります。すぐに戻って来ることは出来ません。少なくとも2日の猶予があると思われます。その間にそれがしが決着を付けまする。」

柴田勝家「……そうだな。近江に来て1ヶ月。我が方の兵糧もそろそろの段階に入って来ておる。このまま引き返すのも面白くは無い。わかった。出陣を許可する。」

佐久間盛政「ありがとうございます。」

柴田勝家「ただ期間は限られておる。その期間内に戻って来ること。それは約束せよ。」

佐久間盛政「わかりました。」

柴田勝家「そして前田殿に金森殿は、盛政が何かあった時の後方支援をお願いする。」

前田利家・金森長近「わかりました。」

 4月19日。佐久間盛政は手勢を率い、余呉を西回りで秀吉の弟・秀長が本陣を構える木之本目掛け出陣するのでありました。


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