小太郎誕生!
「まだかのぉ…」
ウロウロ…ウロウロ…ソワソワ…ソワソワ…
「ん?お主何を見ておるのじゃ…わしが見えるのか?ならばお主は清い心の持ち主じゃな 何故ならわしは家を守る 家の妖精 薄若丸と申す者じゃ わしら妖精は清い心の持ち主にしか見えぬ そしてわしら守家妖精は家がある所にはどこにでも居る…まぁ詳しい事は追い追い話すとしようではないか」
薄若丸 通称 小ちゃいおっちゃん 背丈はほんの数cmという小さな小さな妖精
この物語は 小太郎と この古風な話し方をする薄若丸こと小ちゃいおっちゃんと のちに出て来る晶ちゃん そして小太郎と晶ちゃんを優しく見守るしょうこ姉ちゃんや大人達の 笑いあり涙ありの物語
「しかし 見事な桜じゃのぉ…」
遅咲きの桜が 春の訪れを感じさせる四月半ばの暖かい昼下がり
「おぅ!まだか!」
「ん?また来おったな」
「お父さん…予定日はまだですよ」
「予定日はあくまで予定日だろ!赤ん坊は予定日なんて知らないんだ いつ出て来てもおかしくないだろ」
滅茶苦茶な理屈を言ってるこの人は 小太郎のじいちゃん
「なんだ?婿は居ないのか?」
「仕事ですよ 今頃沖縄辺りじゃないかしら」
「全く…仕事なんか他にいろいろあるだろうに…」
「船乗りはあの人の夢だったんです こうなることを知って結婚したんですから…お父さんも納得してくれたでしょ」
「そうだが…何も我が子が生まれる時くらい 側にいるくらいの事をしても…」
「だから 仕事をしてるんです」
「おぅ!まだ生まれないのか?これうちのやつが…おっ 棟梁!また来てたのか!」
この人は 隣に住むおじちゃん
「もう俺は棟梁じゃないぞ 棟梁はおまえだろ ところでしょうこちゃんは元気にしてるか?」
おじちゃんは じいちゃんが大工をしている頃 じいちゃんの元で 一緒に大工をしていた
「いや 棟梁は俺にとって いつまでも 師匠 なんだ」
「ふっ 勝手にしろ ところで何持って来たんだ?」
「あ!これうちのやつが作った煮物」
「あら 毎日すいません」
「なぁに 余り物だ 気にすんな」
おじちゃんが持って来たタッパには 出来立てで熱々の煮物が入っていた
「今日の夕飯は煮物じゃな」
守家の妖精は 家を守る代わりに食料をいただくのだ
もちろん 守家の妖精が見える者は少ない
悪い言い方をすれば 盗み食いをする
「棟梁 そんなに心配なら生まれるまで泊まってればいいんじゃないか?」
「心配なんかしてはおらん たまたま近くに来たから寄っただけだ」
「たまたまって…週に三度…片道20キロあるのに…」
「何か言ったか?」
「いや何も…」
「じゃあ俺は帰るぞ 今度は孫が生まれたら来るからな」
帰り際 必ずじいちゃんが言う言葉
ここ数週間で何度も聞いている言葉だった
そして時は過ぎ
いたる所で 大空を色鮮やかなコイが泳ぐ季節
「これで良し…」
「奥さん そろそろ行くかい」
「えぇ でも一人で行けますよ」
「ダメダメ うちの人から ちゃんと病院のベッドまで連れて行くように言われてるんだから」
隣のおばちゃんが入院の付き添いとしてやって来た
「すいません…しょうこちゃん せっかくのゴールデンウィークなのにごめんね」
「ううん おばちゃん赤ちゃん産まれるんでしょ?産まれたら 私にも抱っこさせてね」
「うん もちろん!」
一人っ子のしょうこちゃんにとっては 弟か妹が出来るような喜び
「さぁ そろそろ行きますよ」
「あっ 私が持ちますよ」
「いいのいいの しょうこ おばちゃんが転ばないように手繋いであげなね」
「うん!」
ニコニコして手を繋ぐしょうこちゃん
「ありがとう」
今から母親になろうとしている者には この笑顔は希望に満ち溢れたものだったに違いない
「ふぅ…ようやっと行きおった…元気な赤子を産むのじゃぞ」
窓際から見送る小ちゃいおっちゃん
「あぁ〜!わし 何を食えばよいのじゃ〜…まぁ 良いか…わしらは一年くらいなら食わぬでも大丈夫じゃから…ん?このにおいは…おぉ 握り飯じゃ!これだけあれば十日は持つのぉ…」
テーブルの上に置かれていた小さな小さな握り飯
「うむ…美味い…いかんいかん これから何日あるか分からん…後一つでやめねば死活問題になってしまう」
と言いつつそれから三つ平らげた
「わざわざありがとうございました」
「何言ってんだい しょうこの時にいろいろお世話になったでしょ 持ちつ持たれつですよ」
「おばちゃん 元気な赤ちゃん産んでね」
「しょうこちゃん ありがとうね」
「予定日は明日だったよね?子供の日かぁ 元気な子が産まれてきそうだねぇ」
「どうかしら まだ何の前兆もないし」
お腹を優しく摩りながら母親の顔になる
ガチャガチャガチャ…
「ん?誰じゃ?」
鍵が閉まっている玄関の扉を誰かが開けようとしている
「ま…まさか…盗っ人…」
タタタタタ…
小ちゃいおっちゃんが玄関へと走る
「誰じゃ!」
声を掛けるが 妖精が見えない者には声も聞こえない
ガチャガチャガチャ…
なおも執拗に扉を開けようとしている
「ま…間違いない…盗っ人じゃ…今こそ守家妖精の出番じゃ…」
全身 恐怖で震える小ちゃいおっちゃん
「どうすれば良いのじゃ…」
考え込む小ちゃいおっちゃん
その時
「なんだ?居ないのか?もうすぐ産まれるってぇ時にどこに行ってるんだ?」
その声は じいちゃんだった
「ふぅ…驚かすでない…心臓が口から出るかと思うたわい…しかし じい様殿も心配で来たのじゃろう…」
タタタタタ…
小ちゃいおっちゃんは茶の間に走り
「確かこれじゃな…」
カキカキ…
「良し!我ながら達筆じゃ」
病院の名前と住所を書き 玄関へと戻る
「じい様殿 ここへ行くがよい」
その紙を玄関の隙間から外に出してやった
しかし…小ちゃいおっちゃんが 小さな紙に書いた小さな字は じいちゃんの目にとまる事はなかった…
そしてその日の深夜
陣痛が始まり 日付けが変わった頃に分娩室に運ばれた
「おはよう…あら居ない」
おばちゃんが心配で 朝早くから病院に来たのだ
「あのぉ…お隣さんなら夕べ分娩室に入ったままですよ」
「えっ そうなんですか!」
「お母さん 赤ちゃん産まれるの?」
「そうだよ しょうこちょっとお父さんに電話してくるから待っててね」
おばちゃんは電話を掛けるのに公衆電話へと走る
「お嬢ちゃんの妹か弟が産まれるの?」
「うん!そうだよ!」
しょうこちゃんは思わずそう答えた
まだ四歳のしょうこちゃん
兄弟の意味を知らない訳ではないが それだけ赤ちゃんが産まれてくる事を 待ち遠しく思っていたのだ
「夕べから入ったみたいだから…そろそろじゃないかと思うんだけど…うん…うん…電話番号は電話の隣に有るでしょ…そうそれ 今どこかわからないけど 会社の方に連絡すれば伝えてもらえるから…じゃあお願いね…」
受話器の向こうから聞こえる何かが倒れる音
「大丈夫?急がなくていいから…」
チンッ…
「全く…いざという時男は…」
かなりおじちゃん焦っていたんだな…
分娩室の前で待つ おばちゃんとしょうこちゃん
「お母さん まぁだ?」
「今ね おばちゃんと赤ちゃんが頑張ってるんだよ」
しかし おばちゃんも少し心配にはなっていた
分娩室に入ってから十一時間を過ぎようとしていたのだ
「どうしちゃったのかねぇ…」
バッタバッタバッタ…
そこへ スリッパ履きで走ってくるおじちゃん
「どうだ!まだか?」
「えぇ…もう少しだとは思うんですけど…電話は?分かりましたか?」
「おぅ!ちょうど帰港していてな 直接話せたぞ!今 こっちに向かってる」
「そうですか」
「しかし…遅くないか?」
「そんな簡単には産まれませんよ もしかすると赤ちゃんは お父さんの到着を待ってるんじゃないかな?」
おばちゃんは おじちゃんを安心させるように そう 言った
それから一時間後…
「オギャャ オギャャ ……」
病院に響き渡る産声
「産まれた!母ちゃん産まれたんだよな!」
「そうだね 産まれたみたいだねぇ」
「やったぁ!赤ちゃん産まれた!」
おじちゃん おばちゃん しょうこちゃんは大喜び
分娩室のドアが開く
「付き添いの方ですか?」
「はい」
「元気な男の子ですよ」
「男か!やったなぁ…」
おじちゃんは感動のあまり涙を流している
「赤ちゃん見てもいいの?」
「いいよ お嬢ちゃんおいで」
看護師さんに連れられて しょうこちゃんが分娩室に入って行く
その後をおばちゃんも
「奥さん 頑張りましたね」
「はぁ…お産がこんなに大変だとは…」
「おばちゃん…お腹痛い痛い?」
「しょうこちゃん もう大丈夫だよ」
「ほら しょうこ 赤ちゃん見せてもらいな」
しょうこちゃんは抱き上げてもらい 産まれたばかりの赤ちゃんを眺める
「お母さん 寝てるね」
「そうだね 赤ちゃんは泣いて寝てを繰り返して大きくなるんだよ」
「可愛いね」
「そうだね ほら おまえさんも…あれ?」
おじちゃんの姿がない
おじちゃんは分娩室の入り口から背伸びして中を見ていた
「何やってるの?中に入って来て見たらいいのに」
「いや…俺みたいなのが入っていいのかどうか…」
くすりと笑う看護師さん
「おじさん 見てやってください」
「お…おぅ…」
恥ずかしそうに入ってくるおじちゃんが赤ちゃんを覗き込む
「お父さん 可愛いね」
「そうだな…」
また涙を流すおじちゃん
「じゃあ これは明日洗濯して持ってくるからね」
「何から何まですいません」
「ほらまた 何言ってんだい お互い様だって言ったでしょ」
「そうだぞ 遠くの親戚より近くの隣って言うだろ」
それを言うなら
遠くの親戚より近くの他人 だ…
「すいません」
「ほら しょうこ 赤ちゃんにバイバイして」
「また来るね」
ほっぺをツンツンするしょうこちゃんの指を 口で追う赤ちゃん
「え?」
驚くしょうこちゃん
「お腹空いてるんだよ」
「オギャャ オギャャ ……」
「ほらね しかし元気だねぇ」
「病院中に響いてんじゃないのか?」
産まれたばかりとは思えない泣き声
両手を力いっぱい握りしめて体を震わせながら泣いている
「こいつは将来大物だな!」
オムツを取り替えてもらい おっぱいを飲み また眠りにつく
「また寝たね…」
「これが赤ちゃんのお仕事なんだよ…って これじゃいつまでも帰れないねぇ」
いくら見ていても飽きないしょうこちゃん
「ほら また明日来るから」
「うん…」
名残惜しそうに手を引かれて病室を出て行く
バッタバッタバッタ…
階段を急いで駆け上がってくる一人の老人
「おぉ!棟梁!」
帰ろうとしていたおじちゃん達とすれ違ったその老人は じいちゃんだった
「棟梁 おめでとうございます 元気な男の子ですよ」
「おぉ!男か!でかしたぞ!」
バッタバッタバッタ…
それだけを言うと また階段を駆け上がって行った
「なぁ…母ちゃん ここ四階だよな…」
「よっぽど待ち遠しかったんだねぇ…あんなに急いで」
病室は五階
それを駆け上がって行くじいちゃんをおじちゃん達は見送った
ガラッ!
病室に勢いよく入って行くじいちゃん
「お父さん!」
「でかした!男だってなぁ!」
「ここは病院ですよ…」
そんな事は御構い無しとばかりに 真っ直ぐ赤ちゃんの元へ
「おぉ めんこいなぁ…」
目尻を下げて赤ちゃんを眺める
「お父さん…」
その顔は 初めて見る父親の顔
いつもは 仏頂面で頑固な 笑顔という笑顔を見せた事がなかった
「ほぉ…ほれほれ…」
腫れ物に触るようにそうっと触れるじいちゃんの目に光るものを見た
「名前はもう決めたのか?」
「まだですよ さっき産まれたばかりなのに」
「良し!俺が付けてやろう」
そこへ
ガラッ…
「はぁ…はぁ…」
おそらく階段を駆け上がって来たんだな…
「あなた…」
「はぁ…遅くなった…あっ お義父さん ご無沙汰してます」
「ふん…我が子が産まれる時も仕事か…」
ぶっきら棒に言うじいちゃん
「お父さん…」
「わかっておる…」
我が子が可愛いあまりに毒を吐いてしまうのだ
それは二人共わかっていた
「おぉ!男の子か!」
恐る恐る赤ちゃんに触れる父ちゃん
「温かいなぁ…」
「生きている証拠だ」
「いつまで居られるんですか?」
「すまん…もう行かないと…」
「そうですか…無理して来なくても…」
「無理なんかしてないぞ 我が子に会いに来たんだ それを無理とは言わないだろ」
「ところで名前は決めたのか?なんなら俺が付けてもいいが」
「名前はもう決めています」
「えっ?」
「今 来る時に考えて来たんだ」
「どっちかわからなかったのに?両方考えたの?」
「いや 一つしか考えていない」
「男のか?」
「はい!」
「なんて名前だ?」
「はい 昔話には桃太郎や金太郎 浦島太郎と太郎と名のつくものがあります みんな心優しく強い者達ですよね」
「それで?まさか太郎?」
「いや 小太郎だ!」
「小太郎?」
「そうだ!小太郎だ!小さくても心優しく強い男になって欲しいと願いを込めて 小太郎だ!ダメか?」
「小太郎か…いいですね」
「ふん…小太郎か…まぁ 良いか おまえは小太郎だ!」
こうして 小太郎 が誕生した
「すまん…そろそろ行かないと」
「無理はしないでくださいね」
「わかってる…小太郎の事頼んだぞ」
「大丈夫です」
「それじゃ お義父さん失礼します」
黙っているじいちゃん
ガラッ…
父ちゃんが病室から出ようとした時
「一人の体じゃないんだ 無理だけはするなよ…」
じいちゃんは聞こえるか聞こえないかのような小さい声で言った
しかしその声は父ちゃんに届いた
「はい!」
父ちゃんは背中を向けているじいちゃんに一礼して病室を後にした
「小太郎か…」
ボソッと呟くように囁いて
「どれ 俺も帰るか」
「お父さん 家に泊まったら?ご飯はおじさんに電話してお願いするから」
「なぁに たまたま寄っただけだ 今から帰っても充分夜中には帰れるさ」
たまたま寄っただけ…階段を急いで駆け上がり 夜遅くまで居て…母ちゃんはそれ以上何も言わなかった
「んじゃな 小太郎また来るぞ」
じいちゃんが病室を出て行く
「あら何かしら?」
じいちゃんが何かを落としていった
それを拾い上げると くしゃくしゃになった紙切れ
母ちゃんがその紙切れを広げるとそこには
《 小太郎 》
という文字が一つだけ書かれていた
それはじいちゃんが考えて来た名前だと 母ちゃんはすぐにピンと来たのだ
「全く…男の子の名前しか考えてなかったんだから…」
呆れたように笑う母ちゃんは
「おまえは小太郎だよ」
そう言い頭を撫でた
その頃 小太郎の家では…
「無事産まれたかのぉ…」
病院での出来事を知る由もない小ちゃいおっちゃんは一人 気が気でない時間を過ごしていた