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面白きこと限りなし  作者: 楓
2/2

大学2年(2)

主人公のすこし昔のお話。

――あの人を最後に見たのは、いつだっただろう。


 カフェ勉、という言葉をご存知だろうか。カフェで勉強すること、らしい。私も詳しくは知らないが、かくいう私はそのカフェ勉派だ。家ではまず集中できないため、勉強するときに限らず課題図書を読むときや、食べ歩きログを書くときには必ずカフェ、それも大手コーヒーチェーンに行く。根っからの朝型の私には、通勤する社会人をターゲットにして早朝から開店しているその店舗がありがたい。

 カフェ勉のために、近所の店舗に通い始めてもう6年になる。コーヒー店の常連になるのが早いとお思いかな?これにはのっぴきならない事情があったのだ。特に長期夏期休暇中に。まず、家だと集中できない。そして、特に夏などは日の出も早いうえに気温が上がり始めるのも早い。しかし我が家にはクーラーなんてものは一台も設置されていなかったので、家に居たらまず体調を崩すのだ。宿題なんてしている場合ではなくなってしまう。

 だが朝型の私が精力的に活動すべく外出するにしても、通学時間帯から空いている場所など限られていた。通勤客をターゲットにした飲食店、特にコーヒーチェーン店しか選択肢がなかったのだ。


 最初は場違いかな、とも思ったのだ。夏期休暇中とはいえ平日の朝から中学生が一人、コーヒーチェーンで宿題を片付けているのは。あ、これでも私は「お受験」なるものをしていて、進学校に通っていたのだ。こう見えても。まあそれは、記念受験のつもりで一年間しか受験勉強をしていなかったにもかかわらず、一体なんの奇跡か合格してしまったというのが真実だ。改めて考えても何が起きたのかよくわからない。

 だから実は入学してからが大変だったのだ。主に勉強が。中学の3年間は主に勉強している記憶しかないぞ、私は。まあそんなわけで、中学初めての夏休みも例によって私は宿題と格闘する運命しかなかった。だからこそのカフェ勉だった。自分のコンディションが最高な朝から集中していたかったのだ。


 その人を初めて見かけたのも、そんな朝のことだった。


 開店直後の店舗に、ひとり温かいコーヒーを飲んでいるおばあさんがいた。ゆっくりとカップを傾けて、コーヒーをすする。こくり、と一口飲んでは、ほう、と静かに息を吐いていた。それを繰り返し、繰り返して、カップの真ん中あたりまで飲んだところで、ケーキを買いに、そうっと席を立つ。

 おばあさんは、必ず温かいものを頼んでいた。甘いものは必ず二つ。温かい飲み物も二つ。それでも、すべて空にしていたことはなかったと思う。おばあさんは、飲み物もお茶うけも、食べきれないまま毎日去っていった。

 お客さんの少ない店内で、手持ち無沙汰にしている店員さんと今日の予定について楽しそうにおしゃべりをして、9時になる前には去って行く。じゃあ、今日もありがとうね、ごちそうさま、とにっこり笑って、店員さんが押さえていたドアをゆっくりとくぐって出ていった。


 そんなおばあさんのことを、私は勝手に同士のように思っていた。同じ店舗の、数少ない早朝の常連さん。なにかを話したことも、目が合ったことすらなかったけれど、毎日その姿を見かけるのが、ちょっと嬉しかった。

 それは、ただでさえ人の少ない店内、これから出勤する壮年の人が多い中でのことだったからかもしれない。もしくは、おばあさんのそのゆったりとした、どこか上品な仕草に、ひそかに憧れていたし、今にして思えば、口数は少ないながらもゆっくりと、楽しそうにお話をするおばあさんに、当時の私は自分の祖母を重ねていたのだろう。


 そのおばあさんと、早朝の同じ空間を共有する日々が続いた。


 私の夏の日々は、そんな始まり方をした。店舗が混む日中には私もカフェを出て、通学定期を利用して隣町の図書館に行き、そこでも宿題と格闘していた。本当に多種多様な課題ばかりだったのだ。なぜか論文を書かなければならなかったし、好きな本を題材に自分で文章題を作らされた。論文なんて、当時の私は読んだこともなかったから、書き方から調べなければならなかった。うん、あれは自分史上二度とやりたくない課題トップ3に入る。


 気の滅入るそんな日々を送る間に、夏が明けた。


 一年生の夏から始まったカフェ通いも、毎年続けているうちに歴とした習慣になった。朝から課題に取り掛からないと落ち着かない、なんて具合になったのだ。これに気が付いた時には自分でもうすら寒くなったが。なんで勉強好きになっているのだ。この間まで問題集すら開いたこともなかっただろうに。知らぬ間に体が変わってしまったのが怖かった。


 毎年、おばあさんはお店にいた。頼むものは日によって、季節によって変わっていたのかもしれないけれど、変わらず二杯の温かいものと、二つのお茶うけをゆっくりと味わい、おしゃべりをして、それからまたゆっくりと店舗を後にした。

 毎年の夏、私はそのおばあさんを、開いた問題集越しに見送っていた。

年々増える課題だけでなく、色々な悩み事が尽きない日々の中で、ゆったりと、どこか上品なそのおばあさんを目の端で見送れることが、ただただ嬉しかったのだ。


 いくつかの夏を越え、二度目の受験を終えても私は何かと慌ただしい日々を送っていた。いつもの店舗にも、朝に通うことが出来なかった。学校の夏期講習や行事ばかりで、夏休み中も普通に登校していた。それが毎年のように続いた。


 時間が空くようになるまで、数年かかった。去年、ようやくいつかの夏のように、早朝の店舗に通えるようになった。しかし、あれ以来、おばあさんを見かけたことはない。


 いつかの夏をなぞるように、私は早朝のお店に通っている。通っているとは言っても、お財布の都合もあるので週に一回か二回だ。テスト期間中は本当にお世話になっていた。だって集中したい。超・集中力を発揮しないと詰め込みなんてできやしない。ただでさえ記述テスト2連続とか意味が分からない試験日程だったのに。テストの成績がそのまま単位になる授業だった。赤点とったらもれなく単位とオサラバの危機だった。あっぶない。

 一足先に全試験と評価対象課題を終わらせた友人は、昨日成田から飛び出していった。もともと一週間前倒しで日本を飛び出す予定で、授業内試験で評価される授業とレポート提出で評価される授業で時間割を組んでいたらしい。確かに定期試験週間はテストしか行わないから、授業参加や課題提出で評価する授業だけを履修してたら、一週間前倒しで休暇に入れるな。だけど計画的すぎて逆に引いた。君は4か月前からそんなことを考えていたのか。凄いけどやばい。夏休みに命かけてそうだ。しかしどこだ、ドウロヴァレー。あれポルトだったか?どこだって言ってたかな。

 

 しかし私にはまだやるべきことがある。今日はまず、課題をこなす。あのときは勘弁してよ、と悪態をついていた論文だ。当時はまだミルクを入れないと飲めなかったコーヒーも、いまではブラックならアイスがいい、と言えるようになった。いや、だからなんだって話か。それは好みの問題だったな。今はブラックのアイスコーヒーを飲みながら、6年前よりもすらすらと書き上げていく。当たり前だ、この一年半でどれだけのレポートや小論文を書いてきたことか。いい加減、慣れたんだ。

 これが終われば、今学期の評価課題を全て提出したことになる。そうすれば、大学生の夏休みが始まる。宿題のない、二ヶ月間の長い長い夏休みだ。



ファミレスで勉強するときはなんて言うんでしょうね、ファミ勉?

この主人公はおばあちゃんっ子だったようです。

ちなみに彼女が好きな女優さんはメリル・ストリープさんです。


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