一〇九一を刻む時に
争いが始まる時期がそろそろであろうか。
作物を作るときに、少しも力になれなくたって、むらを守るために命を懸ければ、簡単に英雄になることができるだろう。
地道に努力するよりも、ずっと簡単であるに違いない。
戦って、活躍すれば、ただそれだけで十分なのだ。
もしそこで死んだとしても、英雄は英雄であり、その名は残る。
むしろ死んだ方が英雄の名は伝説へと近付くことだろう。
問題点としては、戦うだけでも僕には厳しいところであるというのに、そこから活躍までしなければならないのだということだ。
僕に戦う勇気などなければ、僕に活躍する力などもない。
戦おうにも勇気が出せなくて、怯えたまま臆病な心で家の中に籠もっていて、そうして僕は終わるに決まっているのだ。
それこそが僕というものであるに違いなかった。
だからといって、諦めてしまうのもなんだか癪なのである。
抗うのは面倒なことだ。
けれど従うのは嫌なのだ。
何を取ったなら、僕は英雄になれるのだろうか。
僕が必要とされる世界、社会というものは存在しているのだろうか。
人々に理解されない英雄は、人々のことなど気にせず凛としてあるけれど、僕にはどうにも気にしてしまうところのあるのだった。
だれにも、どこにも僕が必要とされていないのだということを、感じるところのあってしまうのだ。
気にしないことこそが英雄なのだと自分で言ってきた。
理解されないでいて、独り、自分の道を貫くことこそが英雄なのだと自分で言ってきた。
それなのに、気にせずにはいられないで、理解され認められることを求めてしまっているのだから、自分で自分を英雄でないと言っているようなものだ。
英雄だ。僕は英雄だ。
繰り返すほど虚しくて、僕が英雄と程遠い存在であることを思い知らされる。
僕が英雄であると言う度に、僕は英雄ではないと言われているような気分になるのだ。
臆病な僕に英雄などになれるはずがない。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。そうだ、何もかもが、全てが怖くて堪らないのだ。
怖くて怖くてならないのに、称号のために打ち勝てない。
やはり僕には無理であったのだ。
まだ終わってもいないというのに、諦めのままに俯いた。
無理であったとのだ、と。そう過去形にしたのだ。
そうでなければ、僕は駄目だった。
きっとこれこそが僕だというのだから、僕は僕らしく僕でいよう。
邪魔者だと思われていることを知っている上で、動かないでいるのだ。
それが”僕”なのだから。そのす型こそ本物なのだから。
だから僕は、これで良いのだ。
永遠に部屋の中に籠もりっきりで、それこそが、何よりも僕らしいということであり、僕の存在証明でもあるのだ。




