3.
「な、ショーイチ、もったいぶるなよ。何見たのかおしえておくれ。おしえておくれよ」
と母はにやにやとねだるように笑った。
「なんにも見てない」
と章一はきっぱりと言った。
「そんなにムキになると、何か隠してるんだな、とわかるよ。ふふふ。まだまだ子どもなんだな」
章一はむっとしながらも、祖母の世話に焦点を合わせて、母の言葉を聞かないようにした。もう三十歳になろうというのに、何かあるたびに「子どもなんだな」と決めつける。それは母のクセなのだ。
「ショースケ、ありがとね。ありがとね」
と祖母は章一に拝むように言い、涙を流した。
「ばあちゃん、おトイレもね、ショーイチが一緒に行ってくれるよ。良かったね」
と母が笑い、章一はむかむかした。
「ありがと、ありがと」
と言い、章一を見つめる祖母のことも疎ましく感じたけれど、そういう疎ましさはとにかくシャッターの外に締め出すのだ。それに、祖母の世話をしていると、章一は心が落ち着くのを感じていた。
食事のあと、章一は部屋にこもった。パソコンのネットゲームをすることが、章一の一番の楽しみだった。ネットに集まった数人で相談しながら、要塞に立てこもる悪辣な怪物をやっつけに行く。
その怪物は時には姿を消し、ぬるぬると流動物のように分散して場所を移っている。その怪物の残したものは、ヒントとして画面に表示されていることがある。ゲームを一緒にやっている仲間のだれかがそれに気が付き、その人が仲間に指示を出し、怪物を追い詰めて行くというゲームだった。章一がその日のリーダーを務めることもあった。
「ねえ、ショーイチ」
と母が外から声をかけた。章一は無視しようとしたが、そうしても、母はねちねちと自分が納得する返答が聞けるまで章一にまとわりつくのだ。
章一はしぶしぶ、仲間にゲームを離れることを告げ、パソコンの電源を切った。母はパソコンも嫌う。「電波を通じてやるものなんか、身体にいいわけがない」と言い切り、これまでもゲーム機やパソコンを買おうとする章一に嫌味を言い、母独自の言い回しであれこれと根気よく言ってくるし、時にはパソコンやゲーム機が処分されていることもあった。だが、それが章一の身体のためだと信じ切っているし、良いことだと信じているから、母の独自の考えに対抗するのは一苦労だった。シャッターを閉めても閉めても叩かれる。
章一は仕事のためにパソコンが必要だということを根気よく母に伝え、仕事で金を得るためには家でもパソコンで勉強をすることが必要なのだと根気よく母に伝えた。
母は聞く耳を持たないというわけではないのだ。母の興味に合わせて自分の対応を変え、言葉を選び、言う時を選んで、そのチャンスを逃さずに伝えてきたのだ。
この家での唯一の逃げ場を失ったら章一は気が変になりそうになる。だから、自分の正気を保つために、母に対抗し、自分の砦を守って来たのだ。
母はお金を愛している。
母にとってはそれは使うものではなく、貯め、養うものなのだ。
章一はそこをうまくくすぐって、自分が得た報酬を母にも分ける形で、なんとか母を飼いならしてきた。
母には独自の世界があった。その独自の考えにとらわれるようになったのは、章一が小学生になった頃だった。
ある日、「ショーイチ、学校で何か見かけなかったかい?」と母が唐突に聞いた。
「何? 何を見かけるの?」
まだその頃、章一は幼く、無邪気に母の話に耳を傾けていた。
「人じゃあないのに、人の形をしていたり、人の感じをしている物だよ」
そう言われても章一にはわけがわからなかった。
たまに母と出かけるようなことがあると、母は立ち止まって妙なことを言うことがあった。
「ほらショーちゃん、見てごらん」
とデパートの壁などを指さし
「ここに目のように見えるところがあるだろ。こういうところがもっとね、生きているように感じられることがあるんだよ。時には動いたり、音を立てたりすることもね」
たしかに母が指さしたところは、目と言えば、目のように見えなくもなかった。そいうものは町中にあふれている。ある間隔で同じものが二つ並んでいると、目のように見えるものは少なくない。たとえば、車のライトなどのように。
章一は行きかう車を見て
「目に見えるって…、車の顔みたいなこと?」
と聞いた。
「そうそう。よくわかるね。おまえは頭がいいね。顔みたいに見えるだろ? そういう物はね、生きている人の生霊を表していることがあるのよ」
「イキリョウ?」
「そうよ」
それが何のことかはわからなかったのだけれど、それから章一はいろいろな物の中に人の顔のような部分を探すようになってしまい、それを報告すると母が喜ぶため、習慣になってしまったようなところがあった。
また、母はPTAなどで付き合いのある人のことについて、あれこれ言うようなところがあった。
「サカタ君のお母さんね、あの人は恨みの気持ちが強いよ。サカタ君と付き合う時は気をつけないとね。サカタ君に生霊が付いているとね、あんたにも何かあるといけないから」
「ムラカミ先生の首にできた噴き出もの。二つ並んで目のように見えるね。だれかから恨まれてる証拠だよ。まあ、先生っていう商売はそういうことを避けられないけどね。それが悪さをすることがあるんだよ。あんたはよけいなことで叱られたりしないように気をつけなさい」
章一は「はーい」とのんきに返事をするような少年だった。そのことについて、気をつけると言っても、何をしていいのかはわからなかった。でも、始終そんなことを言われ続けていたため、なんだか変なものに気が付きやすくなってしまったのだ。