1.
裏野ハイツという設定を使ってみたい、と突然思いつき、それまで考えていた話とむりくりくっつけてしまったため、えらい展開になってしまいました。
もしかして、これ、コメディーかもしれません。ホラーコメディーというジャンルがあるのなら、そういうことにさせて下さい。
よろしくお願いします。
それは車道に落ちていた。
章一の住んでいるアパートは最寄り駅から徒歩で約十五分ほど。駅からの信号待ちの時にすぐ目に入る商店街を入った先にある。商店街からのいくつかの脇道には、入り口近くには小さい飲み屋やカフェが並んでいることもあるが、奥に進むにつれ、アパートなどの集合住宅が増えていく。
章一のアパートはその商店街を出て一本目の脇道にあり、今はあまり標準的ではない三DKの間取りで、外見もいかにも古びている。築四十年は経っていたと記憶している。それは章一が生まれる前だ。
その商店街は交通規制がされており、物品の搬入や搬出以外に車両が入って来ることはない。そこを出たとたんにぐんと交通量が多くなる。
章一はこの商店街が気に入っていた。
適度な活気があり、人の息遣いを感じる。考えに没頭して歩いていても、駅への交差点に出たとたんに現実に戻ることができ、気持ちを入れ替えることができるのだ。
その落ちている物のことは、通勤の朝、駅前で信号を待っている間に気がついた。
ただの黒い袋のような物で、何台もの車がその上を走っていて、ちょっと見ただけでは単に道が黒くなっているだけなのか? わかりにくい物だった。音がしなければ、章一も気がつくことはなかっただろう。
ふいに「ギギギユゥウウ」というような機械がすれるような音がして、ふとその音がする方に目が行くと、そのうすっぺらい黒いものはタクシーのタイヤの下にあり、少しはがれたように見えた。それは老人の上半身のように見えた。だが大きさはレジ袋くらいだったから老人のはずはなかった。
ふっと目に入っただけだから、その時にはそんなに気にならなかったのだ。それに通勤途中だったからそんな物にとらわれているヒマはなかった。
ただ「何だろう?」と思ったところで駅への信号が青に変わったので、章一はそのまま会社に向かった。
その日、仕事からの帰り、夜の八時を過ぎており、交通量は朝に比べれば少なくなっていた。
駅からアパートへ向かう信号待ちの時に、「ギギギユゥウウ」と、また朝の時と同じ音がした。それで章一はとっさに朝見た黒い物体を思い出したのだ。
通勤の帰りということでは、章一が向いている方向は朝とは逆だったが、朝黒い物を見たその車道の場所に目を走らせると、その黒い物はまだそこにあり、半分くらいがちょうどタイヤの下になり、少しはがれたように浮き上がり…、章一と目が合った。
目?
本当にそんなものがあったのだろうか?
章一はその袋と目が合ってしまって、ぎょっとして、言葉を失い、信号を渡り損ねてしまった。そして、その黒い袋の正体を探るように見てみた。
それはただの黒いビニール袋のようなものだ。だが浮き上がる時には、人間が上半身をむっくり持ち上げる時のような、妙な生命的な雰囲気がある。
だが、そんなものに顔などあるはずはないのだから、目などがあるわけがなかった。
それは何台もの車に踏まれるままになっていて、車が走っている間は浮き上がりそうもなかった。
それは、ゴミなのだろうか? その黒い袋から目が離せなくなった。
そして、車道が赤になり車が止まった時、また「ギギギユゥウウ」と音がして、袋がタイヤに踏まれると、むっくりと浮き上がり…、今度は章一と完全に目が合った。
章一は立ちつくし、その黒い物をじっと見つめ、黒い物もじっと章一を見つめた。
その目にとらわれてしまい、章一の身体は固まった。
他にその物に気がついた者はいないのだろうか? とふと周囲が気になった。
その交差点で人はそれなりに行き来していた。が、誰もそんなものに気を止め立ち止まっているような奴はいない。章一だけがその物に気がついているようだった。
その黒い物の下に、目が描かれているのだろうか?
ビニールのように見えるけど…、そこに印刷でもされているのか?
章一はまた信号を渡りそこない、もう一度それを確かめようと目を凝らした。
車が行き来している間、それは静かにしている。信号で車が止まる時、タイヤの下に敷かれると上部が浮き上がり、そこに目がある。いつも音がするわけではない。音は何かの偶然で違う所から出ているのかもしれなかった。
ということは、やはりただ何かビニール様のものに上半身と顔の部分が描かれているというだけなのだろうか?
だが、完全に目はこちらを向いていた。それには意志があるように感じられた。
だから何なのか?
車道に車がいなくなり、その場所に行って確かめられるなら、それを確かめてみたい。深夜か早朝ならそれは可能かもしれない。
ふと気がつくと、三十分もそこに立ち尽くしており、その黒い物を観察していた。
章一は空腹だったことを思い出し、自分の住むアパートへと道を急いだ。