近づく心 遠のく距離
目を覚ますと、まったくなじみのない匂いがした。
(……ここは……?)
詰所とはどことなく似ているが、壁や天井の色が違う。こちらは、少々目に痛い真っ白だ。
腕の傷を確かめると、やはり矢がかすめた程度だったらしい。服の上から包帯が巻かれているが、そこに血はにじんでいない。
ロベリアはゆっくりと体を起こす。とたんに、頭がクラッとして、再び寝転がるはめになってしまった。
「ああ、目が覚めたか。それにしても、ロベリアは無茶が好きだな」
「……ジャックおじさん?」
ぼんやりとしたまま、ロベリアはつい懐かしい呼び名を口にしてしまう。それを耳にしたジャックは、嬉しそうに微笑んでいる。
「医者が言うには、すぐに倒れる毒ではなく、後から来る毒が塗ってあったらしい。幸い、大事にはならなかったが……」
「……そう、なのね。ああいう時は、即効性のあるものを使うと思っていたから、油断していたわ」
邪魔されない場所で狙うのだ。わざわざゆっくり効いてくる毒を使う理由はない。そう考えていたから、毒の可能性は排除していた。
後からじわじわ効いてくる毒ならば、体調を崩したと勘違いしてもおかしくないだろう。そうして、気がついた時には手遅れになっている。
もしかすると、それが狙いだったのかもしれない。
「お前は動いたから、その分回りが早かったんだろう」
調子に乗って、ずいぶん高くまで木に登った時。はしゃぎすぎて、うっかりテーブルをひっくり返してしまった時。父の訃報に、なかなか泣けなかった時。
折に触れて、呆れた声音はよく聞いた。
今は、懐かしさと同時に、気恥ずかしさが込み上げてくる。
「……あれから、どのくらい眠っていたの?」
「丸一日、といったところだな。昨日も今日も、相当騒がしかったぞ?」
「……騒がしい?」
不思議そうに首を傾げるロベリアに、ジャックは苦笑いを浮かべた。その表情には、何かを哀れむ色も見え隠れしている。
だが、ロベリアは、彼にそんな顔をされる理由がわからない。
「殿下に限らず、ロベリアに好意を持っている者は多いんだぞ? そのお前が寝込んでいると聞いて、押しかけてきたんだ。もちろん、エルバート殿下もだ」
「……心配を、させてしまったの?」
──誰に?
自らの言葉に、思わず自身で問いかける。
いったい、誰に心配させたことを気に病んだのか。つかみ損ねた答えは、あっという間に霧散してしまう。
「みんな心配しているぞ。まあ、目が覚めたことは俺から連絡しておくから、お前はしっかり休んで早く元気になれ」
「ええ、そうするわ」
頷いてスッと目を閉じると、足音が遠ざかり、ドアを開閉する音が聞こえた。
彼の言葉をかんがみるに、ここは王城にある医務室だろう。
幼い頃はともかく、城に上がってからのロベリアは、ケガや病気とは無縁の生活だった。医務室に世話になったこともない。それゆえに、ここがどこだか、すぐにわからなかったのだ。
(……何だか、急にお腹が空いたわ)
丸一日眠っていた。その事実を自覚するには、この空腹感が一番だろう。
誰かを呼んで食事を頼もうにも、近くに人の気配はない。かといって、起き上がれば、先ほどのように頭がクラクラして倒れ込む。
(……しょうがないから、誰か来るまで我慢しなきゃ)
だが、耐えるしかないとわかると、なおさら増すものだ。
ぐぅ、と腹の虫が小さく鳴いたところで、ドアが開く音がした。
「……ロベリア、起きてる?」
「エルバート殿下?」
体を起こしかけて、めまいに負ける。それが情けなくて、悔しくて、ひどい失態のように感じてしまう。
遠くで、エルバートのため息が聞こえた。
「お願いだから、無理をしないで。パンがゆを作ってもらったんだけど、食べられそう?」
「……ちょうど、お腹が空いたと思っていたところです」
「そっか。じゃあ、ちょっと待ってて」
ドアが閉まり、足音が近寄ってくる。
ロベリアのすぐそばに立ったエルバートは、小さな銀色のトレイを右腕に乗せていた。
サイドテーブルにトレイを置き、エルバートがベッドの横にある椅子に座る。そんなロベリアの予想に反して、エルバートはベッドの端に腰かけた。
軽く振り返った彼に、しっかりと顔を覗き込まれる。
「ねえ、ロベリア。君は今、自力で起き上がれないでしょ? だから、僕が助けてあげるよ」
「……え?」
ニッコリ微笑む彼の声音には、嫌な予感しかない。
一旦ベッドから下りたエルバートが、ロベリアの背中と膝に腕を差し込んで、ひょいと抱き上げる。その状態で、再びベッドに腰かけたのだ。
「よいしょ……っと」
当然のように、エルバートはロベリアを膝の上に乗せる。
「な……殿下!?」
「こうやって支えててあげるから、安心して食べるといいよ。君が一人で座っていられるなら、食べさせてあげたかったんだけど……しょうがないよね」
「安心できません!」
声を張り上げたとたんに、クラリとめまいがした。思わず指先で額を強く押さえ、小さくうめいてしまう。
「うーん……この状態でどうやって食べさせたらいいかなぁ……ねえ、ロベリア。君だったら、どうする?」
返事に困る。
そう返したら、恐らくかえって喜ばせるのだろう。今は、何も言わないのが最善だ。
やたらと、胸から腹にかけてムカムカしている。めまいと空腹のどちらが原因だろうか。それとも、両方が元凶なのか。
「ちょっとゴメンね?」
左側から押されて、落とされそうな感覚を味わう。
ロベリアはとっさに、エルバートの服をつかむ。けれど、れっきとした命綱になるほど、力を入れて握ることができなかった。ともすれば、指がズルッと滑ってしまいそうだ。
「僕は君をここから落としたりしないよ」
彼がクスクス笑っているかすかな振動が、手や体から伝わってくる。
「君だけを落とすくらいなら、僕がちゃんと下敷きになるからね」
「いいえ。殿下をつぶすくらいならば、一人で落ちます」
きっぱり言い切ったロベリアに、エルバートはがっかりした表情を見せる。
「……ねえ、ロベリア。僕はそんなに、頼りないかな?」
「え?」
王子として立派にやっているか。そう聞かれれば、判断材料が足りないから断言できないと答えるだけだ。しかし、今の問われ方では違う。正か否か。どちらか一方を、求めているのだろう。
逡巡した末に、ロベリアは数回、首を横に振った。
個人として評価した時、決して頼りないとは思わない。
何もかも、こちらが手や口を出す必要があれば、確かに頼りないだろう。だが、彼はそうではない。己で要不要や善悪を判断し、しっかりと決断を下せる人間だ。
「じゃあ、もっと頼って? できない時にできないと言うのは、ちっとも恥ずかしいことじゃないよ。素直に助けを求めずに無理をする方が、よっぽど恥ずかしいんだからね?」
「はい……」
年下の少年に、優しく諭されてしまった。
その事実が急に恥ずかしくなって、ロベリアはそっと顔を伏せる。
「というわけで、食べさせてあげるね。ほら、口を開けて?」
「えっ? い、いえっ、それは遠慮します!」
エルバートが握っているスプーンを取り上げようとしたが、あっさりとかわされてしまう。
「そんなに暴れると、大事なパンがゆがこぼれちゃうよ?」
「うっ……」
そのひと言で、ロベリアは動きを止める。けれど頑なに、口を開けようとはしない。
「君が食べないなら、僕が食べちゃうけど?」
目の前を、白い固まりが通り過ぎた。ふわっと甘い香りが鼻をくすぐっていく。
「ラナーン好きな君のために、うんと甘くしてもらったんだけど……いらなかった?」
「……殿下は、意地悪ですね」
「ロベリアが素直だったら、こんな意地悪はしないよ? だから、ほら。口を開けて?」
迷いに迷った挙げ句、空腹を刺激する匂いには勝てなかった。ロベリアはあらぬ方向を見ながら、渋々口を開ける。そこに、エルバートはパンがゆをひと匙ずつ、こぼさないよう丁寧に運ぶ。
しっかりと煮込まれたパンは、ふやけきってやわらかい。舌でギュッと上あごに押しつければ、それだけでふわりと溶けて消えてしまう。何より、口の中に広がる濃厚な甘みが癖になりそうだった。
「どう? おいしい?」
パンがゆが口に入ったばかりだったので、ロベリアは小さく首肯する。それを見たエルバートは、心底嬉しそうに微笑む。
「……早く、元気になってね? 君をこんな目に遭わせてしまって、本当に申し訳ないと思っているから」
しぼり出された悲痛な声に、ロベリアは急いで口を空っぽにする。
「わ、私は、王国警備隊の一員です。ケガをしようが、命を落とそうが、守るべきものを守ることが任務です。あの時、毒矢の可能性を恐れてあなたを危機に陥れていたら、私は父に顔向けができなかったでしょう。ですから、私のケガをあなたが負う必要はありません!」
毒を受ける。命に関わるケガを負う。その結果、父のところへ行くことになっても、ロベリアに後悔はない。
もし、何か思い残すことがあるとすれば、『これから』を見られなくなることくらいか。
よりよい形で国が変わっていく様を、できれば見守りたい。それが、万一の時、心残りになる可能性はある。
「……君は、そうだろうね。でも、僕は違う。誰よりも守りたい、大切にしたい存在が、自分のせいで傷つくなんて……絶対に許せないんだよ」
妙に思い詰めた声音と裏腹に、スプーンを運ぶ手つきはひどく優しい。その矛盾が、なぜだか無性に泣きたい気分を誘った。
†
王城の医務室でさらに一日を過ごした。それでもようやく、誰かの手を借りて歩ける程度の回復だ。今までどおりになるには、まだまだ時間が必要だろう。
けれど、食事が自力で取れるようになった点は、歓迎すべきことだった。
「おーい、シレネ! ……っと、ロベリア? まあ、どっちでもいいよな。調子はどうだ?」
「ダン、顔が近い」
本調子でなく、ベッドに座っている状態で、普段どおりに近づかれるのはかなり苦痛だ。精一杯身を引くが、すぐに壁に当たってしまう。
見れば、ドア付近にネイサンとヴィンス、リンジーもいる。まともな隊員が来ていないのは、緊急事態の連絡係として残されたからだろうか。
「昨日よりはずっといい。とはいえ、まだ本調子にはほど遠いな」
髪はほどいている。しかも、夜着と大差ない恰好だ。それでも、同じ隊の人間を前にすると、自然と『シレネ』としての口調や振る舞いが出てくる。
たった二年の間に、どこまで染みついてしまったのか。
自身の言動に呆れるが、決して不快ではない。
「そっか。じゃあ、第一王子の視察について行くのはシレネじゃないんだな」
「……視察?」
昨日、二度の食事で世話になっている。けれど、そんな話はひと言も聞いていない。
いったいどこへ、どの程度の日程で出向くのか。
「明日から、最低ひと月は留守になるらしいからさぁ……あれ? シレネは昨日会ったんだろ? 聞いてないの?」
「……私は何も聞いていない」
やや険呑な色をにじませて、ロベリアはボソリと囁く。
聞かされなかったことに対して、今感じているこの感情には、どんな思いが混ざっているのか。
深い憤りや、大きな落胆。そこに混ざるさまざまな気持ちを、細かく考えたくはない。
「……シレネに言わないなんて、第一王子は何考えてるんだ?」
相変わらず、ロベリアへグッと顔を近づけたまま、ダンは考え込んでいるようだ。
「そりゃあ、シレネに言ったら、その体でついてくって言い出すからだろ?」
「そうよぉ? シレネちゃんだもの、確実に足手まといってわかっていても、行くって聞かないじゃない? シレネちゃんが元気だったら、第一王子だってぇ、きっと迷わず連れていくわぁ」
ネイサンとヴィンスの言葉が否定できず、ロベリアはうっ、と声を詰まらせる。自然と、顔が下を向いていく。
確かに、昨日の時点で、視察に出ると聞いていたら。自力で起き上がっていられないくせに、ついていきたいと言っただろう。
ひどく困った顔で、けれどきっぱりと、エルバートは断るに違いない。
自覚のない足手まといなど、余裕のある時でも厄介だ。まして、命を狙われたばかりのエルバートには、頼りになる護衛しか必要ない。
「……ロベリア」
リンジーに名を呼ばれ、ロベリアはハッとして顔を上げる。ダンたちも一斉にリンジーを見やった。
「留守の間にしっかりと体を治し、次の視察には護衛として行けるようにして欲しい。そう、言づけを頼まれたぞ」
誰からの言づけか。わざわざ聞かなくとも、すぐにわかってしまう。
ゆるゆると視線を落とし、ロベリアは膝に乗せた拳をギュッと握る。手のひらに爪がグッと食い込むが、痛みはほとんど感じない。
黙っていたことに対する感情は、いつの間にか消えていた。代わりに、性格を把握された上で、逆らいがたい言づけを残されたことに、妙な苛立ちを覚える。
なぜ、こんなにも腹が立つのか。
(……ああ、そうなのかも?)
ロベリアはまだ、エルバートの人となりを、深く理解できていない。しかしエルバートは、会う前から話に聞いて知っている。
その差を、強く感じてしまったからだ。
──相手にばかり理解されていることが、悔しい。
──もっともっと、知りたい。
無性に、そんなことを思う。
「……わかりました。リンジー隊長、言づけをお願いしてもいいですか?」
「ああ」
「必ず無事に戻ってきて。ケガをして帰ってこようものなら、次の視察へ出る前に、根本から私が鍛え直してあげるわ」
苦笑いで承諾するリンジーに、ロベリアはひと言ひと言をはっきりと伝える。
平均的な隊員は、あっさりと音を上げる。そんなロベリアの訓練に、毎日ことごとくつき合わせるつもりだ。彼らはそう、即座に察したのだろう。
リンジーは呆れた顔になり、聞いていたダンたちも引きつった苦笑いだ。
「必ず、伝えてください」
しっかりと念を押したロベリアに向かって、リンジーは一度だけ、大きく首肯した。
†
体は、確実によくなっている。
本音を言えば、見送りに出たかった。けれど、一人で歩けるとはいえ、あっという間に息が上がってしまう。とてもではないが、医務室から外まで往復はできない。
仕方なく諦めて、医務室の窓から外を眺めてみる。しかし、門は見えない位置だ。少し窓を開けてみたところで、声ひとつ聞こえなかった。
(……エルバート殿下、どうかご無事で)
彼にケガひとつないように。襲ってきた賊は、残らずとらえられるように。
窓に額をくっつけて、ロベリアは静かに祈る。
いきなり頭角を現したエルバートを、快く思わない者は多い。それは、第二王子についていた者だけでなく、これまでエルバートを擁護していた者の中にもいる。
傀儡にするには、以前の愚鈍な王子が最適だ。自力で立派にやっていける王子には、何の価値もないということだろう。
人によっては、裏切りだと感じているかもしれない。
現時点で、確実にエルバートの味方と言える者は、それほど多くないはずだ。
ロベリアが知る中では、王国警備隊のごく一部。そして、ロベリア自身だ。出入りしている貴族にしろ、城の使用人にしろ、ロベリアには敵味方の区別はつかない。
味方面をしながら、いきなり裏切る者も出てくるだろう。
(……以前は、エルバート殿下がいっそいなかったら、と思っていたけれど……)
「……いてくれて、よかった」
なぜか、そう思えるようになった。
噂でしか知らなかった、愚鈍な第一王子。彼を守って死んだ父。
本来憎むべきは、その時の襲撃者だろう。だが、父が相打ちに持ち込んでいる。すでにいない者を、いつまでも憎むことは難しい。
この目に見えて、常に存在を感じて、湧き上がる憎悪を維持する。それには、関わった中で生きている者が必要だ。
特に、守られた側のエルバートは、恰好の対象だった。
出来損ないの振りをした理由を、はっきり言われたわけではない。恐らくそれが、彼自身を守るために必要だったのだろう。そうして、事実を明かす機会のないまま、年月だけが過ぎたのか。
今さらになって、実はきちんとできる人間でした。そう明かされても、納得できない者ばかりなのは仕方がない。
(そういえば、第二王子は、エルバート殿下の変わり様をどう思っているの?)
間に王女が一人いるため、第二王子は十歳になったところだ。
それでも、周囲から持ち上げられていたら、少なからずその気になるだろう。いきなりやる気を出した兄を、疎んじている可能性もある。
幼く無邪気な笑顔の下で、何を考えているのか。
エルバートを知ってしまった今、ロベリアには明確に答えることができない。
(……もし、会うことがあったら……その時に、それとなく聞けないかしら)
ふと考えるが、そもそも、ロベリアが第二王子と会う機会はなさそうだ。
その時、ドアが叩かれて名を呼ばれた。
「はい、どうぞ」
答えると、入って来たのはリンジー隊の面々だ。今日は、全員そろっている。
知らず知らず、背筋がスッと伸びた。
「……あのさぁ、シレネ」
ダッと駆け寄って距離を詰め、ついでに顔同士の距離も縮めてくるダンが、やけに深刻な声音で囁く。ドア付近に留まったままの男たちも、ダンの声に似た表情だ。
「……何があった?」
「王国警備隊の紅一点が、第一王子の婚約者だって、街中で噂になってるんだけど」
「……は?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「……いつ、私がエルバート殿下と婚約したんだ?」
何とかしぼり出した声は、どことなくかすれていた。
感情を堪える握り拳が、どうしてもカタカタと震えてしまう。
「……だよねぇ? あー、よかった!」
「いや、よくない。なぜそんな噂が出ている?」
「ほら、ボートから下りた後にさ、殿下がいろいろ言ってたじゃん? しかも、倒れたシレネを抱き抱えて運んでいったからねぇ……あれが巡り巡って、そんな話にふくれあがったみたいだね」
ネイサンがちょいと肩をすくめながら言う。
懸命にその時のことを思い出したロベリアの、顔からザアッと血の気が引いていく。
あの場で言われたことを吹聴されたら、確実に話が大きくなる。その上、倒れた後に運んでもらったとなれば。
それが、嫌になるくらい理解できた。
「ところで、シレネと殿下って、どこで会ったの?」
詰問する調子ではない。けれど、今のロベリアにとっては、ネイサンに問い詰められた気分になる。
どこまで話していいのか。何を言ってはいけないのか。
混乱した頭のまま、ロベリアは懸命に考える。
「……エルマー」
エルバートとエルマーが同一人物だった。そこは話しても差し支えはないだろう。だが、義賊が知った顔だったことは、絶対に言ってはいけない。
それだけは、わかっている。
「……エルバート殿下が、エルマーだったの」
「は?」
「ほら、街で助けてくれた、私と同じだけラナーンを食べる子がいるって言ったでしょ? その子が、エルバート殿下だったの。いきなり教えられて、さすがにびっくりしたわ」
隠しながらも、事実に沿って伝えることの難しさ。それを痛感しつつ、ロベリアは言葉を探してはつむいでいく。
「エルマーは、今のエルバート殿下みたいだったから、あの頃は全然気がつかなくて……今は、本当にエルマーが殿下だったんだって、わかっているけれど」
「マジで!?」
絶叫したのはダンだった。隊員たちはもちろん、小隊長といえども知らなかったらしく、リンジーもひどく驚いている。
「エルバート殿下は、父様から私の話を聞いていたそうだから、私を昔から知っている気になっているのかもしれないわ」
実際には、出会って一年も経っていない。その上、顔を合わせて言葉を交わした時間は、たいした長さではないのだ。
その辺りの認識が、エルバートには欠けているのだろう。
「……じゃあさぁ、シレネとしては、エルバート殿下からきちんと結婚を申し込まれたら、どうするわけ?」
「……は?」
あり得ない。
ロベリアとしてはそう思ってはいるが、非現実的な発想であることも理解している。
エルマーがエルバートだと知らされた時も、ボートでの一件も、エルバートの主張は一貫している。どれほど反対を受けようと、エルバートはやり遂げる覚悟と気概を抱いているはずだ。
恐らく、揺らぐことはないだろう。
「……私に、王族のつき合い方ができると思うの?」
居合わせた者たちが、どんな反応を示すのか。わかっていて問いかけた。だから、怒るつもりは一切なかったのだが。
「が、頑張れば、いけるんじゃない……かな?」
ダンが引きつった笑顔で言い放った。同意するように、いびつな笑顔の隊員たちと、リンジーが頷いている。
そんな彼らに、憤りが湧き上がった。
「……そう」
決して、引き止められたいわけではない。きっちり戦うために、ただ背中を押して欲しかっただけだ。
まるで、絶対に戦うな、と言われたような気分になる。
(……こうなったら、一日でも早く、隊に復帰してみせるんだから!)
そうして、噂を確認されるたびに、全力で否定してつぶしていく。それが、地道だが確実な方法だろう。
エルバートが視察から戻る頃には、厄介な噂は綺麗さっぱり消えている。そうなる予定だ。