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知られた秘密

 街を騒がせていた義賊は、恐らくもう出ない。

 そのことを知っているのは、ごくごく限られた人間だけ。その内の一人になったことに、ロベリアはどうしても戸惑いを消せないでいる。

 一晩眠って落ち着くと、警備隊長に言いたい苦情も、それほどではなくなっていた。

 問題は、黙っていたことはお互い様とはいえ、とんでもない行動に出たエルバートだ。

(……私は、どうしたら……)

 化粧と髪型を変え、仮面をつける。そうして、本来の自分とは違う自分になっていく。そのはずなのに、今日はどうしても気分が乗ってこない。

「あらぁ、シレネちゃん。おっはよぉーん」

「……おはよう」

 今日のヴィンスは、さらに薄気味悪さを増している。心なしか、クネクネ具合にも磨きがかかっているようだ。

「昨夜は大丈夫だったぁ? 心配したのよぉ?」

「……二度も取り逃がすだなんて、実に手痛い失態だった」

 その上、ただただ翻弄されただけだなんて、誰にも言うことはできない。

「いっくらシレネでも、直接三階から入ってくるなんて予想できなかったんだな」

 ググッと顔を近づけてきたダンから、ロベリアは思わず大きく身を逸らす。

 誰かに近づかれると、嫌でも昨夜の出来事を思い出してしまう。知らず知らず、顔が勝手に熱くなってしまいそうだ。

「では、ダンは予想していたのか? 三階から侵入し、屋根に逃げると」

「無理無理。俺、義賊じゃないし」

 あっけらかんと笑って、ダンはサラリと言い放つ。もちろん、ロベリアが逃げた分だけ、きっちり距離を詰め直してから。

 そんな彼から、もう一度距離を取り直したロベリアの背中に、何かが触れた。反射的に、それへ手刀を叩き込む。

「いちいち触りに来るな!」

「いや、何か、シレネには一日一度は触っておかないと、落ち着かなくてさ」

「迷惑だ」

 いつもどおりのやり取りだ。それでも、なかなか『シレネ』になりきれなかった。


        † 


 街を騒がせていた義賊が忽然と消えた。代わりに、第一王子の名があちこちで、いい意味で囁かれるようになってきている。

「ねえ、ロベリア。君も聞いたかな? エルバート殿下は最近、議会でしっかりと意見を言うようになったんだよ。髪型も変えてすっきりして、なかなかの美少年だって好評でね。ああ、それと、実は武術の腕が相当のものだったらしくて、本当に殿下には驚かされっぱなしだよ」

 朝食の場で、兄がひたすらしゃべっている。それを聞きながら、ロベリアは黙々と食事を済ませていく。

 似たような話ならば、この半年で、警備隊でもうんざりするほど聞いている。いや、聞かされているのだ。この上自宅でも、こうして聞かされてはたまったものではない。

 顔をしっかりさらすようになったエルバートは、確かにエルマーだった。それを確認した時点で、ロベリアはできるだけ、彼を視界に入れないで済むように行動している。

 苦痛な時間は、毎日の訓練だけでいい。

「それから、殿下に縁談を持ちかけた貴族もいるみたいだけど、ことごとく殿下に断られたみたいだね。何でも、すでに心に決めた女性がいて、彼女にふさわしくなれるよう努力している最中らしいよ?」

 それは初耳だ。

 うっかり取り落としたフォークが食器に当たり、カシャンと音を立てる。

 兄としては恐らく、何の気なしに話しただけだろう。しかし、ロベリアの動揺を誘うには十分だった。

(……本当に、そこまで本気だったの……?)

 あの時は単に、動揺させて隙を作るためだと思っていたのに。

 もし、彼が本気でそう思っているとすれば、それこそ無理がある。

 まず、ロベリアは確かに貴族令嬢だが、それほど家位は高くない。その上、年上だ。しかも、社交界からすっかり遠ざかっている。一国の王子相手には、釣り合いがまったく取れないのだ。かといって、あちらから望まれれば、ロベリアには断る術がない。

 王子の意思ひとつで、並みいる高位の令嬢を抑えられるはずがない。望まれた時点で、一生苦労するのは目に見えている。

(……試験に合格できるうちは、警備隊を続けたいのに)

 そう考えていることは、兄にも打ち明けたことはない。当然、反対されるだろう。

 この用意周到な兄のことだ。そろそろ、縁談相手を探しているに違いない。

「……兄様。食事中は、もう少し静かにできませんか?」

「あ、うるさかったかな? ゴメンゴメン。でも、ロベリアにはいろいろ教えておかないと、話題に乗り遅れちゃいそうだからね」

 一切悪びれない兄に、ロベリアは思わずため息をついた。


        † 


 詰所で着替えを済ませ、きっちり仮面をつけた上で、リンジー隊の部屋へ入る。とたんに、周りを一斉に取り囲まれた。

「……何だ?」

「ねえ、シレネ。聞いた?」

「……何をだ?」

 グッと顔を近づけてきたダンから、逃れる術がない。精一杯、ドアに背中を押しつけて、ロベリアはできるだけ彼から遠ざかる。

「王都の近くに、湖があるでしょ? あそこを観光の名所にしようってことで、ボートを貸し出すんだって」

 逃げ場のない中で、ダンは強引に近づいてくる。顔を引きつらせながらも、ロベリアは話を聞く。

「で、記念すべき最初の一人が、第一王子だってさ」

「……それと、どんな関係があるんだ?」

 どこか広い場所へ出たい。

 こんなにも切実にそう思うことは、もう二度とないかもしれない。それほどに、迂闊な身動きで触れそうな距離にいるダンは、苦痛しか感じられなかった。

「警備隊が護衛に出るんだよ。それで……」

 まともな隊員の片方が言いよどむ。言いにくそうな様子は、他の面々も変わらない。

「それで、どうした?」

「……ボートに一緒に乗るのが、シレネになるって」

「……は?」

 言葉が耳を素通りしようとした。それを慌てて引き止め、引っ張り込み、それでもなかなか理解できない。

 ようやく解したとたん。

「ふざけるな! なぜ私がそんなことをしなければいけないんだ!」

 よりによって、あのエルバートと、逃げ場のない場所へ放り込まれるなど。

(冗談にもほどがある!)

 憤慨するロベリアは、大方予想どおりだったのだろう。誰もが苦笑いを浮かべている。

「観光名所にするなら、恋人や家族連れに気に入って欲しいから、できれば女性に同行して欲しいって……殿下が言い出したらしいよ」

「……ああ、それで私に白羽の矢が立ったのか……」

 障害物のない水の上。そこで矢にでも狙われれば、身を守る術のない貴族令嬢では、どちらも危険にさらされる。しかし、警備隊として訓練しているロベリアなら、少なからず対応はできるだろう。

 表向きの理由は、そんなところか。

(……実際は、それを口実にした、というところね)

 もはや、ため息しか出てこない。

「それにしても、この恰好で同行したところで、いい宣伝にはならないと思うが」

「でもぉ、男二人で乗るよりはいいでしょぉ?」

 ヴィンスの言葉で、思わず想像してしまう。

 湖の上に浮かぶ小さなボートに、エルバートと警備隊の誰かが乗っている。何となく、実力という点で、副隊長が浮かんでしまった。

 美少年と評判の王子と、誰を選んでも顔だけはいい警備隊だ。十分、絵にはなるだろう。

「……別に、男同士でも問題ないだろう?」

「ないわけないでしょぉ? んもう、シレネちゃんったらぁ、冗談がきっついんだからぁ」

「どこに問題があるんだ? 見た目が暑苦しいというなら、特に線の細い者を選べばいいだけだろうに」

「……だからこそ、シレネなんだろ?」

 呆れ果てたように言われ、ロベリアは思い切り首を傾げる。

 どんな経緯を経て、そんな結論になったのか。本気で理解できていない。そういったロベリアの様子に、周囲からは失笑が起こった。

「警備隊で一番華奢なのは、シレネじゃないか。しかも強いし」

 強いと言っても、平隊員に限った話だ。小隊長以上となれば、勝つことは難しい。だが、納得はできる。

「……ああ、そうか。そうなるのか」

 うんうんと数回頷いたロベリアに、再び失笑が湧き起こった。直後に、ロベリアが思い切り背中を預けていたドアが、不意に開かれる。

「あっ……」

 支えを失って倒れかけた体は、誰かにしっかりと抱き留められた。

「お前たちは、いったい何をやっているんだ? おいシレネ、飯は食ってるか? 相変わらず軽いなぁ、お前は」

「け、警備隊長!」

 急いで体勢を立て直し、ロベリアは彼から離れる。他の隊員たちも、慌てて姿勢を正した。そんな彼らを眺めながら、ジャックは笑みを浮かべている。

「シレネ、話は聞いたか?」

「はい」

「同じ男として、殿下の言い分にも共感できるのでな……悪いが、犠牲になってくれ」

「……せめて、もう少し言葉を選んでください。やる気が完全に失せます」

 はっきりと「犠牲になれ」と言われては、やる気以前の問題だ。任務と割り切っていても、到底やっていられない。

 それならば、少しでもやる気を出せるよう、取り繕った言葉をかけて欲しい。そう願ってしまっても、致し方ないだろう。

「シレネがいるのに、男と二人きりでボートに乗りたい男はいない。そういうことだ」

「男同士でしかできない会話というものもおありでしょう? 私としては、そちらをお薦めしますが」

 むしろ、そちら側を選んで欲しい。

「美少女と二人きりに勝るものなど、この世には存在せんぞ?」

「……美少女? 誰か女装でもするのですか?」

 自分とは、ひどく縁遠い言葉だ。

 そう思っているロベリアの口からは、自然とそんな問いかけがこぼれる。当然、露骨にグッと眉を寄せる周囲の視線にも、一向に気づかない。

「お前以外に誰がいる? そもそも、誰かに女装させたところで、お前には勝てんだろうに」

「……え? あの……?」

「とにかく、頼んだぞ。朝の訓練を終え次第、任務に当たるからな」

 言い置いて、ジャックはさっさと立ち去ってしまう。

 どうしたらいいのか。

 呆然とたたずみながら、ロベリアは必死に頭を働かせてみる。けれど、いい知恵はまったく浮かんでこなかった。



 混乱を抱えたまま、朝の訓練は無事に終わった。意識は別の方向へ向いていても、体は勝手に動くようだ。何度かあった隊員同士の手合わせでは、気がついたら勝っていた。

 一緒に参加しているエルバート共々、夜勤明けの小隊以外は、城下を抜けて外へ出る。少し南へ歩けば、目的の湖はすぐだ。

 すでに噂として出回っていたようで、周囲にはたくさんの集まっている人々が見えた。

「ずいぶん、賑わっていますね」

 ジャックの隣を歩きながら、ロベリアはこっそりと呟く。とたんにジャックは、楽しげな笑みを彼女に向ける。

「殿下の希望で、大々的に宣伝したらしいぞ?」

「……この機会に、命を狙う輩も一網打尽にする気ですか?」

「さすがに、一網打尽は無理だろうが……まあ、心にとめておくんだな」

 ありがたい警告と受け取ったロベリアは、重いため息をひとつ、そっと吐き出す。

 この湖は深く、対岸の木々がややぼやける程度には広い。その上、季節柄、湖の水はまだ生温いはずだ。水中からの接近と、湖岸を彩る大木たちからの狙撃。どちらも警戒しなければいけない。

 もちろん、乗り込む際や、下りる時にも注意が必要だ。

 エルバートを取り囲みながら、警備隊は湖へと近づいていく。

 以前はなかった船着き場と小屋、そのそばの桟橋につながれたボートが見える。ボートは手こぎの、三人も乗ればいっぱいいっぱいになりそうな、本当に小さなものだ。

 近い距離で二人きり。その状況に、耐えられるはずがない。

「……やはり、男同士の語らいでいいと思いますが」

 この期に及んで、諦めが悪い。そう言われてもかまわなかった。

「我々が殿下と何を語らうんだ?」

「気になる女性の話でいいと思いますよ? そういうものではないのですか?」

「その手の話題が一切できぬお前には、さすがに言われたくないだろうよ」

「う……」

 この半年、わざとらしいほどに避けてきた。そのことについて、絶対に何か言ってくるだろう。それとない嫌味なら聞き流してもいいが、恐らく、はっきりわかるように言うはずだ。

 どのみち、ボートに乗らなければいけないことはわかっている。ならば、少しでも快適に過ごせるよう、悪あがきしておきたい。

 せめてもう一人、同乗者が欲しいところだ。

 乗り場は目の前にある。

「諦めるんだな」

 すげないジャックのひと言に、ロベリアはもう一度重いため息を吐き出した。そして、渋々といった体で、一度だけ頷く。

 そんなロベリアに、ジャックは満足げに首肯して、エルバートへ合図を出す。

「シレネ、今日はよろしくお願いしますね」

 ニッコリ微笑む彼は、どう見てもエルマーで、あの夜の義賊だ。ボソボソとしゃべっていたエルバートとは、なかなかつながらない。

 エルバートの名をかたって、エルマーがここにいるような。そんな、奇妙な錯覚すら感じてしまう。

 スッと差し出された手に、ロベリアは思わず左手を乗せる。右手は武器の上だ。

 かすかな苦笑いの後、エルバートは、彼女の手を逆手にそっと乗せ替えた。ついでのように、立ち位置もさりげなく変えている。

「あなたは女性ですが、根っからの警備隊員なのですね」

「お褒めにあずかり光栄です、殿下」

 にこやかなエルバートとは対照的に、仮面で目元を覆い隠し、冷ややかな声音で話す。そんなロベリアに向けられる視線には、好奇が大半だ。

 警備隊に女性がいる。

 それは広く知られている話だが、ロベリアがこうして表に出てくることはほとんどなかった。半ば強引に、目立つ仕事から外されていた、と言ってもいい。

 こうして急に、人目に触れるようにした理由。それにエルバートが絡んでいると、察せられないほど鈍感ではないつもりだ。

 大人しく手を引かれ、ボートのすぐ近くまで進む。

 真新しいボートは、綺麗な青色に塗られている。まるで、湖の色が映っているような、美しく鮮やかな青色だ。

 先に乗り込もうとしたエルバートを制し、まずはロベリアが乗り込む。わずかに身を乗り出して水中を確認し、周囲をグルリと見回す。ボートの底に細工がないかを、軽く叩いて確かめる。

 ボートをつないでいたロープを、スルリとほどく。

「とりあえず、大丈夫そうですね。殿下、お手をどうぞ」

 左手を差し出したロベリアは、軽々とエルバートをボートへ引き込む。向かい合う形で座らせて、素早く櫂を握る。

「ちょっと待ってください。こういう時にそれは、僕の役目でしょう?」

「では、私はぼんやり座っているだけですか? ああ、力不足の心配はいりません」

 言いながら、ロベリアはさっさと櫂で桟橋を押し、岸からボートを離す。そのまま、軽々と櫂を操り、滑るようにボートを湖の中心まで進めた。

「これで、どこからでも狙いやすいと思うけど?」

 叫ばなければ、岸辺にいる者に声は聞こえないだろう。それでもついつい、声を潜めてしまう。

「……あのさぁ。僕にだってプライドってものがあるし、ああいう時は素直に渡すものだよ?」

「だったら、可愛い女の子と乗ればよかったのよ」

「君がいるのに、他の子と乗るわけないでしょ?」

 真摯な瞳にジッと真っ直ぐ見つめられる。視線を外したら負けだ。そんな気がして、目が逸らせなくなる。

「宣伝を兼ねて乗るなら、君と一緒がいい。君以外とは、乗りたくないよ」

 耐えきれずに、フッと視線を逸らした。

 その視界を、何かがヒュンと通り過ぎる。ロベリアはとっさに、エルバートを抱き込んで船底へ押し倒す。

 狙い澄まされた一本が、頭の右側をかすめる。髪をグイッと引っ張られた感覚がした。さらに、肩に近い左腕も、何かがかすめていったようだ。引っかかれたような、ピリピリとした刺激と痛みがある。

「な、何? どうしたの?」

「襲撃よ。あなたは何があっても私が守るから、絶対に体を起こさないで。いい? わかった?」

 力強く囁いて、ロベリアは体を起こす。一緒になって起き上がろうとしたエルバートを、右手でグッと押し返した。

「あ……ロベリア、腕から血が……それに、仮面も……髪も……」

 船底に寝転がったまま、呆然とした様子でエルバートが呟く。

 目標とするエルバートが視認できなくなったからか、狙撃は収まっている。その隙に、ロベリアは自分が被った被害を確認した。

(……仮面は、頭をかすめた矢に紐を切られたのね。ああ、ピンも一緒に弾かれちゃったみたい……髪が邪魔だわ。左腕は……力を入れると痛いから、無理はできないわ。桟橋まで、どうにか戻れれば……)

 矢の方角をかんがみて、わざとエルバートを狙えないように。狙撃手たちがいるだろう方向へ背を向け、ロベリアは少しずつボートを岸辺へ向かわせた。

 櫂を動かすたびに、傷がズキリと痛む。歯をギュッと食いしばり、痛みを堪える。

「……ロベリア」

「どうしたの?」

「……ゴメンね……僕のせいで」

 目に見えるケガはしていなかったはず。もしかすると、船底へ押し倒した際に、背中を強く打ちつけてしまったのか。

 ロベリアが思わず心配をしてしまうほど、エルバートは痛そうな顔をしている。

 彼の目はゆるゆると、左腕の傷とロベリアの顔を行き来していた。

「これは私の役目だから、気にしないで。それに、毒が塗ってない限りは、死ぬことはないから」

「……毒が塗ってあったら?」

「多分、岸に着く前に毒が回るわ。そうなったら、助からないかもね」

 毒物も想定して、準備はしてきている。しかし、岸へ戻らなければ、何の手立ても打てないのだ。

 狙撃の心配があるうちは、エルバートにボートを任せるわけにはいかない。

「ダメだ! ロベリアがいなくなったら、僕はどうしたらいいの……?」

 不安に揺れる青緑色の瞳は、かすかに潤んでいる。

「大丈夫よ。エルマーなら、できるわ」

「違う! 僕はエルバートだ! 呼ぶなら、本当の名前を呼んでよ!」

「ああ、そうね……ゴメンなさい、エルバート殿下」

 そろそろ岸辺にも声が届きかねない。それがわかったから、ロベリアは黙るよう、エルバートに目で訴える。

 文句や苦情は、後でいくらでも聞くつもりだ。

 ゴツン、と岸にボートの先端がぶつかる。ここからの方向転換は、この腕では少々難儀するだろう。それよりは、岸にいる誰かにボートを引っ張ってもらった方が早い。

「シレネ!」

「リンジー隊長……」

 駆け寄ってきたリンジーが、急いでボートの先端をつかまえる。近くにいた警備隊が次々にやってきて、一気にボートを岸へつけてくれた。

「殿下、先に下りてください。まだ狙われるかもしれませんので、私の影に入るようにして……そうです」

 エルバートをかばいながら、ロベリアは彼を先に岸へ送る。次いで自分も向かおうと立ち上がり、リンジーの手を借りて岸へ下りたつ。

 ほんの少し、頭がクラッとした。

「毒はなかったようで何よりだ。しかし、いいのか?」

「不可抗力ですが、こうなった以上、隠し通すことは無理でしょうね」

 居合わせた警備隊員たちは、一様に驚いた様子だ。

 その驚愕は、『シレネ』の素顔が暴かれたことに対してか。はたまた、その素顔がロベリアによく似ているからか。

 どちらにしても、ごまかしはきかないだろう。

「後ほど、みなさんにまとめて説明します。それまでは、何も聞かないでください」

 何度も同じことを繰り返したくない。そんなロベリアの心情を、くみ取ってくれたのか。警備隊員たちは頷いて、エルバートの警護に当たる。

 その間にロベリアは、髪をまとめていたピンを残らず外す。

 しばらくして、狙撃手たちを追っていた警備隊員たちが戻ってきた。彼らも、知っていた一部を除いては、やはり驚きに染まっている。

「狙撃犯はとらえたが……いいのか?」

 リンジーと同じことを確認したジャックに、ロベリアは思わず苦笑いをこぼす。

「覚悟は決めましたから。まずはみなさんに、今までの偽りを謝罪します。シレネは偽りの名で、本当の名はロベリア……前警備隊長グレッグの娘です」

 これだけで、察せられる者は察したようだ。

 当初からロベリアとして入って来た場合は、二心が疑われる。だが、偽ってまで警備隊にいたことで、やはり二心があったのではないかと、思われても仕方がない。

 その辺りは、これまでの言動を元に、信じてもらうしかないだろう。

「今までだましていて、本当にゴメンなさい!」

 頭を下げたロベリアに、周囲から慌てたような声がかかる。

「や、ま、待って……本当に、シレネが、あのロベリア?」

「確かに顔は似てるけど……親戚とかじゃなくって?」

「ってか、あの華奢で可憐なロベリアが、あんなに強いとか……俺たち、さすがに情けないだろ……」

 周囲の声には、だんだんと落胆や悲哀が混じっていく。

 声音の急な変化に戸惑い、ロベリアはそっと顔を上げた。目に飛び込んできたのは、がっくりと肩を落とす警備隊員たちの姿だ。

「あ、あの……」

「気にするな。お前がロベリアとわかって、自らのふがいなさを悔いている最中だ」

「……えっと、そうですか」

 『シレネ』だから、強さも当たり前だった。その『シレネ』が、実は『ロベリア』だった。そうと知らされた彼らの複雑な感情は、ロベリアには推し量れないものだ。

「……こんなに早く、ロベリアのことが知られるなんて。ちょっと誤算だったよ」

「エルバート殿下……?」

 あからさまではないが、エルバートの声や態度から憤りを感じる。その理由がわからず、ロベリアは軽く首をひねった。

「ちょうどいいから、ここで宣言しておくよ。僕はロベリアを何としても手に入れる。その邪魔をするなら、誰だろうと容赦しないから。返り討ちにしてあげるから、やる気のあるやつだけ、どんどんかかっておいでよ」

「……ちょっと、私の意思を無視する気?」

「君の意思は関係ないよ。言ったでしょ? 僕は絶対に、君を手に入れる。そのためなら、どんなことでもしてみせる、ってね」

 抗議をしてみたが、予想どおり無駄だった。そのことに落ち込む暇もなく、エルバートははっきりと言い放つ。

 たとえ、何度聞いたとしても。この手の言葉には、一向に慣れられる気がしない。余計なことも思い出してしまい、じわじわと、頬は勝手に熱くなってしまう。

「だから実は、リンジー隊のダンとネイサンには、ちょっと腹が立ってるんだよね。何で二人とも、ロベリアにあんなに近づくわけ? というか、シレネがロベリアだって、絶対僕より先に知ってたよね?」

 エルバートの怒りの矛先が、奇妙な方向へ向いた。

 そんな気がしながらも、ロベリアには止めることができない。何しろ、止め方がわからないのだ。

「え……いや、だって……」

 しどろもどろになったダンが、エルバートから少し距離を取る。ネイサンはすでに逃げた後だ。

「とりあえず、ダンとネイサンは、ロベリアに近づかないでくれる? 僕、意外と心が狭いみたいで、ロベリアに近づく男は、ジャックでも許せないみたいだから」

「……警備隊長もダメって……それは、ちょっとわがまま……」

 言っている最中に、すうっと血の気が引いていく。フッと目の前が暗くなったと思ったとたん、すべての音と光があっという間に遠のいていった。


ネットの調子が悪くて、すっかり遅くなりました。ギリギリです。


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