エポックメイキング
チョコレヰトフレーバーのカプセルを奥歯で噛みしめながら。淡々とアスファルトにこびり付いた紙ふぶきの残骸をごしごしとモップで削ぎ落とし、塵屑入れに押し込めながら、【ガラクタ・カグラ】が回収された後の血痕や、肉片を次亜塩素酸ナトリウム溶液で殺菌処理をしていた。鼻につく臭いが口内に混じり合って非常に不快だ。しとしとと振り続ける雨に任せて排気口に流してしまえばいいのにと傍らで私の上司にあたる杉浦若がぼやいている。年寄りの独り言を無視して勤勉なこちらは粗方の作業を終えて帰還報告を【クシミタマ】の端末で行う。すぐに返答があったが、しばらくその場に待機せよとの指示が出た。訝しんだが上層部の命令に背く理由はないので、そのままの言葉を相方に伝え、近くの喫煙所で次の指示を待っていた。私に喫煙の嗜みはないが、杉浦は大層な愛煙家であるので、仕方なくそれに付き合う。煙草といっても大昔のナス科タバコ属の一年草のような自然ものを使用したものは今やなく、ニコチンを含んだ紙巻吸引器具がその代用品として出回っている。副流煙の害もないため、どこで吸おうがかまいはしないのだが、暗黙の了解というか昔の名残で喫煙家たちはそろって指定の場所に寄って来る。そこで一興世間話をするのが醍醐味というものらしいが、私には理解できない。そんなことはロビーの一つや二つで事足りるのではないだろうか。そうこう考えているうちに、杉浦は至福の一服を終えたらしく道路を挟んだ向かい側に立っていた私のところへ、気怠そうに首元をもみほぐしながらやってきた。特にお互い労いの言葉もなく。とっくに閉店した喫茶店の空家に入って雨を凌ぐことにした。私が忙しなく【クシミタマ】の端末を弄っていたせいで電池の残量が僅かになってしまった。充電の方法は電力からの直接供給か、太陽光による予備発電があるが、現在あいにくの曇り空であるため後者の充電はできない。携帯式の充電器は所持していたのでそれにコネクトすると赤色のゲージが一気に青色にかわる。色調は三段階で青が電池に余裕がある状態、黄色が使用を控えることをすすめる状態、先ほどの赤色が充電が早急に必要な状態を示している。どうしてこの三色なのだろうか。色の三原色であることは周知の事実であるし私自身も義務教育の過程でしっかりと習っている。だが、青は安全、赤は危険、黄色は忠告、という概念はいつごろから植えつけられたのかを考えると真っ先に浮かぶのはやはり信号機である。ただ、信号機もなぜ青は安全、赤は危険、として定めたのかは私は知らない。本能的に青はリラックスした状態を、赤は緊迫した状態を促すというが、それは後付けの刷り込みなのではないだろうか。刷り込みといえば、私は神託機械及び、神託少女に対して鼎の軽重を問うている。自己肯定の意識のあるものに【クシミタマ】を与え、風土病の蔓延した日本国に新たな物語を、奇跡の物語を、美しい神話を、この物語で民の心は潤い病はなくなることでしょう、これが神託少女の掲げる旗印である。だが、私はそれが意図的な淘汰なのではないだろうかと考える。神託機械から与えられたシナリオの犠牲者はいつだって風土病におかされた人間ばかり(いや、今ではおかされていない我々のような人種が稀なのだが)で【ガラクタ・カグラ】の素材となりまた次の舞台で人間を喰らう。もう一つ、疑問を感じているのはそれらが排泄する壁と砂である。日本国を閉鎖的な空間に保ち、外界からの有害な干渉を断絶する意図ならば合致が行く。それならば、全ての海岸線を埋め立てた時点で、排泄する生体的行動を操作しやめるべきではなかったのか。それだけの技術はあるはずだ。
それを行わない理由があるとするならばきっとそれは・・・・。
「はい、XXXX(私は偽名を使うのが好きだ)です。ははは。冗談です。私です。ええ、指示通り新橋駅前にて杉浦とともに待機しております。・・・・は・・・・相模湾レポートが外部アクセスで強制末梢・・・・」
私の言葉にだらけていた杉浦も飛び跳ねて起き上がった。相模湾レポートとは我々非公認公安課一係が内密に神託機械、神託少女が腹に収めている真実を調べ上げていた情報である。厳重なセキュリティ、アクセス制限があったにも関わらず破られた。
私のセキュリティが破られた。
【クシミタマ】を持つ右腕の震えが止まらない。ともすれば我々は組織ごと闇に葬りさられてもおかしくはない。
私のセキュリティが破られた。
そんな筈がない。あのシステムは完璧だった。私は何時でも成績は全て秀、全て秀であり。学年総代として壇上に立ったこともある。あいきゅーてすとと呼ばれてた昔の知能テストでは測定不可能な数値をはたきだしたんだ。そんな私の完璧な私のセキュリティが破られた。ありえない。そんな私はありえない。
「おっさん!伏せろ」
少女の甲高い声が響き渡る。中年の無精ひげを生やした男が反射的にその場に伏せた。傍にいた若い男性の右腕が大きく震え、持っていた【クシミタマ】が腕を飲み込んで大木ほどの大きさにまで膨れあがる、そこから蛸の吸盤の形をしたいくつもの老若男女の顔がぶつぶつと浮き上がり、ハ、ハハハ、ハハと呼吸とも嘲笑とも、産声ともつかない声を上げる。青年の顔は絶望に歪み、少女の方を向いた。少女は舌打ちをして一瞬だけ目をつむった。
一足早い黙禱だった。
少女が携えていたのはボウガンであった。【クシミタマ】の06シリーズである。蛍光色の鮮やかな光を纏った無数の矢が奇形と化した青年を打ち抜いていく。中年の男はあっけにとられてその光景から目が離せない。
ブスリ、ブスリと刺さる矢に青年は鼓膜を揺るがす絶叫を上げて抵抗している。青年の右腕が少女に襲いかかろうと蛇のようにうねる。それに臆さず、一際大きく引いた弓をそれに放つ、先ほどまでとは比べ物にならない閃光が駅前を包み、硝煙の焦げ臭い臭いと青年であった消し炭だけが残った。
「とんだアドリブさせやがって・・・・。おい、立てる?」
「あ、ああ。な、なんだったんだ・・・・あいつ・・・・どうしちまったんだよ」
「自己否定の意志に喰いつくされた。それによる【クシミタマ】の拒絶反応」
少女は塵のかぶった短い黒髪の頭を振った。
「あの兄ちゃんの名前なんていうの?」
杉浦は答えた。
八月朔日である、と
「既に侵されてたね。自分によっぽどコンプレックスがあったんだろうな」
「普段のあいつからはそんな風には・・・・まぁ、確かに学歴コンプレックスというか、高校受験に失敗してそれがトラウマなんです。とかいってたけどよ・・・・侵されたってどういう意味だ?」
「詳しく説明するから、とりあえず大倉山記念館まで来て。それから話す」
「・・・・なんだかわかんねぇが、従うしかねぇよな」
男の手を引く彼女の名前は。
八月朔日。
天才の称号を聞き古した少女である。