有為無為回廊
箸を持つのが苦手であった。どうしてもバツの字をかいてしまう状態でしか食べ物を掴む事ができなかったのである。食卓に並んだ料理を否定しているのかと母は怒鳴る。そんな意図もあったのかもしれない。皿に乗せられているのは色とりどりのカプセルに入った栄養剤の盛り合わせだ。絵本で読んだミンチ肉を焼いたものや、カボチャをすりおろしたポタージュを私は食べ物として認識していたのだろう。茶碗に詰め込まれたカプセルを咀嚼するたびにまがい物の人工調味料の刺激が脳に伝わる。アミノ酸とは何だったのだろうか。
鉛筆を持つことも苦手であった。人差し指と親指で先端を掴まなければならないのに薬指をどうしても支えとして使わなければ文字が書けない。教師はそれを勉学に対する放棄だと否定した。実際問題、成績はお世辞にも良いとは言えず、下の中に入れば上出来であった。だが、この二つの個性を私は肯定した。やめることはなかった。それが、非常に希な特性を持つ人間として神託機械の御眼鏡にかかり、今こうして【ガラクタ・カグラ】討伐兵器である【クシミタマ】を手にするまでになった。
新橋のSL広場で起きた【ガラクタ・カグラ】討伐の映像は渋谷の交差点の並びにあるビルの備え付けの液晶ディスプレイで鑑賞していた。馴染みの顔が二人、あまり息の合っていないチームプレイでなぎ倒していく。最後の「終劇」の合図で舞った紙吹雪の処理をどうしたものかと危惧していた。現在位置は【クシミタマ】に搭載されているGPSで把握されている。新橋に近いこの場所ならばその要請指示が出てもおかしくはない。梅雨の通り雨が私の金色の髪を濡らしていく。この金髪は生まれつきのものだ。これの所為で日本人でありながらどこか異国の来訪者であるような疎外感を感じることもある。
彼もまた同じなのだろうか。
難波恭平。
亡くした弟に瓜二つの風貌。
いつも私は同情のような博愛ともつかぬ感情を通して見ていた。
「桐様、傘を」
立ち惚けていた私の従者である葵が番傘をさして私を中に招き入れる。自分の袴が濡れるのはお構いなしな辺、よくできた男である。袴といえば私自身も上下黒の袴を纏っている。自分なりの日本人としての主張の意味がこもっているのだ。
ああ、これもまた彼も同じなのだろうか。
百群の袴に襷掛けの出で立ち。
弟も百群が好きであった。
「連絡が入りました。近辺に非公認公安課一係の八月朔日、杉浦若の両名が待機していたようで、我々が出向くまでもないようでございます」
「ああ、そうかい。気の毒だねぇ。あたし達は優雅に銀座で高級栄養点滴でもうけて帰るかい?あんたもたまには付き合いな」
「桐様が仰るのであれば」
「なんだい?あんた自身の意思をあたしは訊いてんだよ?」
「恐れながら、わたくしの意思は桐様の意思に他なりません」
彼の自己肯定の方向性は理解しがたいが、受け入れて肯定することはそれとはまた別の話であり、難しくはない。番傘を持つ葵の手を見た。握り締めた手は何故か中指だけ柄の内側に挟まれている。この個性は彼にとっての何かに対する否定なのだろうか。私を雨から守るのは番傘ではなく、自分だ。そんな意味が込められていたらさぞかし話のタネになるだろう。私はどこまでも人が悪い。そんな自分はあまり好ましくなかった。
カユラはどうだ。あの女は自らの存在を嫌悪する人間だ。
だが【クシミタマ】を所持し、トップクラスの機動力を誇っている。あれはどのような自己肯定で成り立っているのだろうか。その話をふったところで返ってくるのは「その話つまんなぁい」などの程度だろう。
「恭平様は・・・本当に霧様とよく似ておいでですね」
「そうだねぇ。【白菊は散る】事件であの男を知ったけどたまげたよ。あの事件で生存していたことも驚きだけどさ、まさかその生き残りが霧にそっくりだなんてねぇ。おもしろくもつまらなくもない。唯一取り上げたい事案があるとすれば。なんだかわかるかい?」
「あの事件で、同じ場所、同じ台本を霧様も恭平様も受け取っておられました。そして【クシミタマ】の製造番号がどちらも0209だった・・・。同じ製造番号は二つとありません。ですが、あのお二人はそれを所持し、【白菊は散る】事件で02シリーズの適応者であった他の役者は全員死亡。適応不具合による非常に過敏な拒絶反応だと伺っておりますが、出来すぎた話だと思います」
「当の台本は残ってやしないし難波恭平も語らない」
精神的なストレスから生ずる健忘症だと診断された資料ならば残っている。私が肯定しない珍しい情報である。否定こそしないが喉の奥に埃の屑玉が引っかかっているような、掻き毟りたい、煩わしい、嗚咽を催す。そんな心持ちである。
雨が酷くならないうちに屋内へ入ろう。雨で冷やされた体は思いの外、体力を奪われるものだ。
百貨店のビルに入ろうとして一人の子供とすれ違った。
その子供は靴を左右逆に履いていた。
そういえば自分もあのくらいの年頃に同じことをしていたことを思い出す。それを父が笑いながら脱がせて、履き直させてくれたものだ。他の個性とは違い、あれだけは肯定、否定もなく、常人と同じものに落ち着いた。
走っていた子供が交差点の中央へ駆け込む。
真っ赤な信号機。
子供は一人だったのだろう。
だから長靴は宙を舞ったのだ。