とあるC
私の名前は・・・・便宜上Cとでも読んでもらおうか。
この際Cというものはなんだって構わない。キャロルでもサイモンでもいいだろう。ただし私は日本人、和名である。
だからこそありえもしないイニシアルであるCを用いたい。Cという音を私はとても気に入っている。歯並びのいい口を前面に押し立てて「シー」と発音するのだ。
虫歯だらけで銀歯の見え隠れしてるみっともない輩にはできない芸当だと自負している。また、口角があがって片エクボができる様も異性男性問わず好印象をもたらすものではないだろうか。
断りをしておくが、私はなにもナルシズムを云々語るつもりは毛頭ない。ただ、そう単なる自己紹介である。私の右手に握られている色鉛筆、十二本入りで八百円のしろものである。大して高くもなければ安くもない。
これについて注目をひいたのはもちろんこの色鉛筆を使って私が何かをしでかすから。というわけである。まず、空を圧迫する材質のよくわからない石壁に水色の芯でざっと一面を塗る。
この色は後に光源の当てられた装飾の光の部分に使うのだ。そこから色相、明度、濃度を視野に入れながら無心に描き続ける。遊びで黄色のハイライトを散りばめて完成である。
ピカソの青の時代には程遠く比べることもおこがましいが、中々上出来なものが出来上がった。私は昔から鉛筆やシャープペンシルの芯を舐めてしまう癖があるのだが、色鉛筆に関しては
そのような行為に及ぶ衝動に掻き立てられない。グラファイトの濃度が違うからなのであろうか。だとすれば、私はグラファイトというものに一種の依存的な部分があるのかもしれない。
グラファイトというのは炭素分子の集合体である。構造によってはダイヤモンドと同じであるから驚きである。高等学校でそれを習った時の感動は今でも鮮明に焼きついている。
成績は決していいほうではなかったが私には理学の才があった。いや、理学のみが他と比べて圧倒的に秀でていただけであり、世界的、全国的にみれば大したことではない。
落書きの時間が終わった。
外出許可終了の時刻を知らせる人口鴉拡声器がカーアカーア、と鳴り始めた。
絵も完成したことであるし、六畳半の我が家へ戻ろう。後ろを振り返り遠目から作品に目を向けた。
これは昨日の物語。
これは語られていく物語。
あの時までの廃棄された神話はもう誰も語らない。