No.19 はじまりの心
コンコンコン
「兄さん、私です」
不意にドアがノックされて、玲の声が聞こえてくる。
少し驚いたが、俺は玲をすぐ部屋に入らせた。
「鍵は開いてるから、入ってきていいぞー」
「あ、はい」
ガチャ
玲がドアを開けて部屋に入ってくる。
「兄さん、おかえりなさい」
俺の顔を見るなり、玲は微笑みながらそう言ってくる。
玲には学園に着く少し前にメールを送っておいたのだが。
ちゃんと顔を見て、これを言いたかったのだろう。
「ああ、ただいま」
だから、俺もそれにちゃんと答えた。
「どうでしたか?」
玲の端的な問い。でも俺と玲の間なら、それで十分に言いたいことがわかる。
「ああ、大丈夫だった。みんな、いい人たちだったよ」
言いながら、少し声のトーンが下がってしまう。
そのいい人たちを傷付けてしまったのだと、改めて認識して。
「……そっちは? クエストの後片付けは上手くいったか?」
玲に突っ込む暇を与えないよう、俺は続けてそう訊ねる。
「そちらは大丈夫です。ですが……」
玲の返答は、予想に反して歯切れの悪いものだった。
「どうした? なにか不備でも?」
「いえ、優姫さんが……」
「!? 優姫がどうしたんだ!?」
思わず、口調が荒くなる。
まさか、まだ意識が戻っていないとか!?
「いえ、そんな大変なことではないのですけど……。
優姫さんが起きてからずっと、兄さんのことを案じてましたよ」
「え? ……なんで?」
想像していたほどの事態ではなかったので、間抜けた反応になってしまう。
「なんでって……はぁ」
その返答を聞いて、玲が溜息をつく。
「ま、私が言いたいことにもつながりますし。べつに説明するのは構いませんけどね」
「言いたいこと?」
「ええ、そうです、兄さん」
玲はそう言って、ポスンと俺の隣に座ってくる。
時間が時間だ、風呂にはもう入ったのだろう。シャンプーの香りがほのかにする。
玲は俺の顔を見ず、宙を見つめながらぽつりと言った。
「兄さん、イレイザーを創っていた頃のこと、憶えてますか」
「……ああ。今でもしっかり、憶えているよ」
俺はしばらく間を開けた後、しっかりと答える。
あの頃の俺は、本当にまだ無邪気だった。
自分がこれから創るものに、沢山の夢と希望を見出していた。
――――それが、他人を傷つけてしまうとは、微塵も考えていなかった。
「ろくに学校にも行かずに、二人して父さんの書斎に入り浸ってましたね」
「それはクウォーク研究の時からだろ?
……楽しかったな」
「ええ」
それからしばらく、玲も俺も黙りこむ。
先に口を開いたのは、玲だった。
「……じゃあ兄さん、私たちが研究を始めるきっかけになったときのことは憶えてますか」
「もちろん。……言いだしたのは、俺だからな」
すべての始まり。俺が言いだした、他愛もない夢物語。
あれが本当にできるとわかった時の興奮は、今でも鮮明に思い出せる。
「……いつからでしょう」
玲が、ぽつりと言った。
「いつから私たちは、イレイザーを創りだしたことを後悔し始めたんでしょう」
「…………」
俺は何も、言えない。
またしばらく黙りこむ。さっきとは、違う空気につつまれながら。
「兄さん、これを聴いてもらっていいですか」
不意に、玲がなにかをポケットから取り出した。
「……ミュージックプレイヤー……?」
玲が取り出したのは、半年くらい前に販売された携帯型音楽再生機だった。
「べつに構わないが」
「じゃあ、はい」
玲はプレイヤーを手渡してくる。
「おう」
俺は短く首肯して、イヤホンを耳に挿す。
プレイヤーに映った曲の題名は『黒騎士事件テープ #2』。
「……………………?」
ますますよくわからなくなったが、とりあえず聴いてみよう。
再生ボタンを押す。
『……ぐっ……お前は、なんで黒騎士に味方する……?
あいつは確かに偉業を成し遂げた、いや成し遂げているところかもしれないが、人として大切なことを忘れた行いをしたんだ、ぞっ!?』
最初に聞こえてきたのは、鎧の向こうから発したのであろうベルのくぐもった声だった。
『あなたはなんでわからないの!?
イレイザーを生みだしたことに、人を傷付けてしまうものを創ってしまったことに、自分が世界を変える兵器を生みだしてしまったことに!
彼が、重がどれだけ苦しんでいるのか!』
怒ったような優姫の声。
そのあと、ぎちぎちと武器同士がすれ合うような音が聞こえてくる。
『それに彼は、私が知っている坂上重は!
誰よりも優しくって、人間らしい!
戦い方も、誰よりもがむしゃらに頑張ったような我流の戦い方で!
あの黒化による力も、人をもう二度と傷つけないためのもの!
誰かを護るための、彼が見つけた強さそのもの!
そういうふうに思った! そういうふうに思えた!
黒騎士はみんなにとって英雄かもしれない、だけど!
私にとっては泣き虫で、弱虫で、何でもかんでも背負おうとする、ただの男の子だ!』
『……っぐぅ!?』
優姫の声に、ベルのうめく声。それに剣が弾かれる音が続く。
しばらく、優姫の息をつくような様子が聴いてとれる。
ある程度息が整うと、優姫は高らかに言った。
『気付きなさい、ベルティーユ・アゼマ!
黒騎士だって、ただの一人の人間なんだ!
彼はもう十分すぎるくらいに、背負っている!』
――テープは、ここで終わった。
「優姫さんのイレイザーに仕込んでおいた録音機にとられていたものです」
俺がイヤホンをはずすと、玲がそう説明した。
「兄さん」
続けて、俺に訊いてくる。
「兄さんはもう十分に、償ったのではないですか?
少なくとも――昔のように無邪気に振る舞うくらいなら、許されるのではないでしょうか?」
俺は瞬時に理解する。
玲は――悲しんでくれているのだ。
俺の黒化を。『罪』の意識が、俺の心を焼いていることを。
今のテープは、昔の無邪気な俺を知らない優姫から見た、俺への印象を教えるためのもの。
「………………」
俺は何も言えずに、スッと優しく手を伸ばす。
玲の左の頬に、俺の無機質な右手が添えられた。
「……兄さん……?」
「……もう、部屋に戻って寝な」
言いながら、玲のおでこに俺のおでこをこつん、と軽く当てる。
昔、二人でよくやっていた仕草だ。
「今夜、じっくり考えてみるよ。ありがとな、玲」
口の端をちょっと上げて、玲に微笑みかける。
「……はい、わかりました。おやすみなさい、兄さん」
それを見て玲はくすぐったそうに顔を緩めたあと、おでこをぐりぐり当ててくる。
そして、少しさみしそうにしながら顔を離すと、そのまま部屋を出ていった。
バタン
「……さて」
玲が部屋を出ていくと、俺はとりあえずベットの上に倒れこんだ。
時差ボケのせいだろう。全然眠たくない。
「……」
無言で、両手を見つめる。
金属製の義手。さっきまで玲の頬に添えられていた、武骨な俺の過去の罪の証。
見つめながら、先程のやりとりを思い返す。
玲は――許されてもいい、と言ってくれた。
優姫は――俺のことを、何でもかんでも背負おうとするただの男の子、と言っていた。
俺の罪悪感はもはや――――他人からすればバレバレのようだ。
そこでふと、玲が初めに言っていたことを思い出す。
――――『いつから私たちは、イレイザーを創りだしたことを後悔し始めたんでしょう』――――
そう。俺はいつからか、イレイザーを創ったことを後悔していた。
なら。逆に、言ってしまえば。
俺は後悔し始める前は――――どう想っていたのだろう。
それは簡単だ――――ただ純粋な興奮と、歓喜だけ。
原因は、父さんが言った一言だ。
『これは、もしかしたら――――かの英雄、黒騎士を我々の手で創りだすことになるのかもな』
ある程度クウォークとイレイザーの創れる見通しが立った時に、父さんはそう言った。
俺はこれを聞いて、ひどく喜んだ。
――――あの大英雄を、創りだせる。僕の手に、よって。
その父さんの一言は、何物にも勝る歓喜と興奮を、俺にもたらした。
あれ、でも。
そこでもう一度、考え直す。
それよりも前の感情が、在るはずだ。
まずこのイレイザー――『ものを消す能力のある鎧』を考え付いたのは、何故だ?
俺はもっと昔のことを思い返す。
ああ、そっか。
そうだった。
なんで、忘れていたんだろう。
僕は、ただ――――――――




