表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

☆K☆ちゃんの思い出

作者: 池田コント

 

 もし、洗面所の扉を開けて、知らない女の子のシャワー上がりと出くわしてしまったら?

 お湯を浴びて、桃色に上気した、肌。豪奢な、金の巻き毛と、水滴だけが体を覆う、羽の生えた少女。

 その少女が、自分の部屋で無断でシャワーを浴びていることを目撃してしまった、長い黒髪の女。

 その二人の出会いのイメージを思い浮かべることから、この話は始まる。


「きゃああああっ」

 あたしは、自分の方こそ侵入者なのにもかかわらず、裸を見られたショックで、叫んでしまいました。

 そんな衝撃的な、接触を果たしてなお、綾ちゃんは、あたしの裸を半眼で、にらみつけたまま、なにごとかつぶやきました。

 動揺はしているらしく、くわえていたタバコがぽろりと落ちました。

 あたしは、恥ずかしくて、必死に体を手で隠しました。背中の羽を隠すので忙しくて、胸とか、腰とかは隠せませんでした。

 あたしが必死に事情とか、言い訳とか、話す努力をしようとしましたが、綾ちゃんには、あたしの言葉は聞こえてないようで、

「……なに、この一昔前のマンガみたいなシチュエーション」

 目をそらしながら、おっきなバスタオルを渡してくれました。

「……とりあえず、早く服を着なよ」

 あたしは、この国の人は、とても親切なのだと、思ったものでした。

 それが、あたしと綾ちゃんの出会いなのです。


 冒頭文及び以下、回収したグレイボックスによる被告人Kの魂魄記憶陳述原文。


 木枠のきしむ、横開きの窓を開けると、朝靄にけぶる、新鮮な空気が肌を濡らします。

 時間は六時半。

 アルハーバラの、朝の景色は健康的で、マラソンや、散歩をしたりする人たちが、階下を行き過ぎます。

 あたしは、こんな朝が大好きです。

 心が落ち着く、清々しさです。

 だから、もったいないと思います。

 あたしの、背後で、眉間にしわを寄せて寝ている女の人。

 あたしが、いそうろうしている、トラーナ薬局の家主、児島綾香。あたしは、綾ちゃんと、呼びます。彼女は、このとっても素晴らしい朝を、感じたことがあるのかな。残念なことに、あたしの、記憶の中には、一度もありません。

 すーすーすーすー。

 綾ちゃんは、寝ていると、唐辛子でも舐めたみたいに、変な顔をするので、美人が台無しです。

 せっかく、きれいで、整った顔なのに、まるで、アントニオ猪木の物まねをしているみたいなのです。

 あたしは、綾ちゃんが寝ている間に、ゴミを出したり、ちょこっと準備します。

「……もう、朝?」

 八時くらいになると、綾ちゃんは、ようやく起きだしてきます。

 起きたばかりの綾ちゃんは、とっても不機嫌で、女やくざみたいで、怖いです。

 あたしは、下着姿のまま、ぼーっとタバコをくわえている、綾ちゃんの世話を、かいがいしくします。

 ぼさぼさの髪をとかして、濡れたタオルで顔をふいて、軽くマッサージした後は、朝ごはんです。

 メニューは、決まっていて、トーストは一枚。エッグサラダを少しと、うぃんなーコーヒー。

 ご飯を食べ終わる頃には、少しはマシになっている綾ちゃんを、着替えさせて、一階の薬局に送り出します。

 一連の世話は、ちょっとした大仕事。

 気分はちょっと、世話やき奥さん。

 これが、三年前からの、あたしの朝の日課なのでした。


 三年前、あたしは、あたしの国から、家出してきました。

 とっても息苦しくて、いづらい国でした。みんな頭が固くて、保守的なのだと思います。

 その国で、とっても嫌なことがあって、あたしは、きのみきのまま、なんにも考えないで、逃げ出してきました。

 でも、この国で、羽が汚れてしまって。

 あたしは、窓が開いたままだった、建物に、緊急避難しました。

 そして、悪いと思ったけど、シャワーをお借りしました。

 見られないように、ちょっとだけ、のつもりだったのです。でも、ついつい、あったかいお湯が気持ちよくて、長居をしました。

 そして、綾ちゃんと出会ったのです。

 綾ちゃんは、この国の人らしく、割れた心臓を持っていました。おっきく割れていました。

 綾ちゃんは、あたしの説明を、最後までゆっくり聞いてくれて、行く当てのないあたしに、いてもいいと言ってくれて。

 あたしは、綾ちゃんの厚意に、甘えることにしました。

 初めのうちは、この国のことはよくわからなくって、綾ちゃんに一から教えてもらって、それでも失敗は多かったけど、がんばっているうちに、そのうち色々、できるようになりました。

 家事とか、買い物とか、知った今でも、まだまだ覚えることは多くて、それが楽しくて。

 あたしは、とっても、幸せです。


 綾ちゃんがお店に行った後は、お掃除とお洗濯をします。

 綾ちゃんが、買ってくれた、かわいいエプロンをつけて、戦闘準備は完了。

 お洋服をお洗濯して、ベランダに干した後は、パタパタとほこりをはたいて、箒でゴミを掃いて、雑巾で乾拭きして。

 お昼になったら、綾ちゃんと、サーモンとアボカドのサンドイッチを食べます。

 綾ちゃんは、あまり食べたがらなかったけど、最近は食べてくれるばかりか「おいしい」と言ってくれます。

 あたしは、それだけで、とっても嬉しくなります。

 飲み物は、あたしは、お茶々。でも、綾ちゃんは、コーヒー。夜もです。多分、綾ちゃんの体の中には、血の代わりに、コーヒーが、流れているんじゃないのかな。

 午後は少し、お店のお手伝いをして、ちょっと休んで、いつも決まった時間に店の前を散歩するおばあちゃんがきたら、商店街にお買い物に行きます。

 アルハーバラの昼間は、とても賑やかで、活気があって、楽しくて、歩いている人がいっぱいいます。みんな、かわいい女の子ばかりです。

 その中に混じるだけで、あたしも、なんだか楽しくなってきます。

 そして、あたしが、特別、アルハーバラがいいなと思うところは、あたしの他にも、羽が生えていたり、角が生えていたり、耳や尻尾が生えていたりする人がいっぱいいることです。

 あたしの国じゃないところで、こんなに自然と、あたしが、溶け込める町はなかったから。

 この光景を、見るたびに、あたしはここにいても、いいんだなって。

 あたしは、安心するのです。


 夕方が過ぎて、綾ちゃんと、お夕飯を食べて、綾ちゃんのお仕事が終わるまでの間、あたしは、本を読んで待っています。

 この国の本は、絵本も、お料理の本も、面白くて、新鮮で、楽しいです。

 まだ、見たことも聞いたこともないものを、本は教えてくれるのです。わくわくして、ドキドキして、本を読みます。

 でも、あたしの国のことが書かれている本だけは、読みません。

 胸がぎゅーっと、苦しくなって、しまうから。

 あの人のことを、思い出して、しまうから。

 涙が、こぼれて、しまうから。


 アルハーバラの夜は、朝と、昼と、どれとも違う顔があります。

 昼の、楽しい気配は、どこかに隠れてしまって、朝の爽やかさもまだ眠っていて。

 まるで、この世界に独り、取り残されたみたいな、静寂。

 お月さまは、冷たい光を降らしていて、きれいで、あたしの、時間が止まります。

 お月様には、ウサギさんが住んでいるって、本に書いてあったけれど。

 あたしは、信じられません。

 だって、あんなにきれいなものが、動物のすみかだなんて。

 あたしは、信じたくないのです。

 あたしの国の人は、みんな、あたしは間違っていると言ったけれど、あたしは、そう思います。


 その日は、とがった刃物、みたいな、お月様でした。

 夜の、誰にも壊せないと思った、静けさに、異変が起きたときのことです。

 今日の分の本を読み終わって、パジャマでベッドの上に座っていると。

 綾ちゃんと誰かが、言い争う、声。

 恐る恐る、階段を降りて行くと、もう相手の人は、帰ったみたいでした。

 でも、ずっと待っていても、綾ちゃんは動かなくて。

 声をかけようとして、あたしは驚きました。

 綾ちゃんは、泣いていて。

 そのひき歪んだ、泣き顔が、とっても、くしゃくしゃなのに、とっても、切ないほどにきれいだったのです。

 あたしは、びっくりして、なにを言ったのか覚えていません。

 多分、泣かないで、とか、無責任なことを言ったのだと思います。

 綾ちゃんは、あたしのことを、きっと睨んで、でも、すぐにあたしのことを抱きしめました。

 強く、強く。

「……ずっと、ここにいていいよ。いなよ」

 あたしは、戸惑いましたが、今この瞬間だけでも、綾ちゃんに、必要とされることが嬉しかったので、抱き返しました。

 お月様みたいに、きれいなのに、綾ちゃんは、やーらかくて、あったかかったです。


 次の日の朝には、綾ちゃんは、またもとの綾ちゃんに、戻っていました。

 無愛想で、なにもかもつまらなそうで、美人な綾ちゃん。

 でも、どこかが、決定的に違ってしまっていることも、あたしは薄々、気づいていたような気もします。なんとなく、心臓の割れ目が、ひどくなっているように思えたから。

 表面上は、いつも通りに過ごしました。綾ちゃんのお世話して、お洗濯にお掃除にお料理にお買い物。

 特別なことは、なにもなく、普通に、過ぎて、いきました。

 時折、綾ちゃんが、受話器を怒鳴りつけて、乱暴に切ったりして、怖かったけれど。

 特別なことは、なにもなく、普通に、過ぎて、いくのだ、と。

 あたしは、不安を、見ない振り、していたのです。

 でも、見ていなくても、事態の歯車は、止まったりしないのでした。


 階下で、ドンと音がして、あたしは、もう、後戻りは、できないのだと、理解しました。

 綾ちゃんが、すごい、怖い、顔であがってきて、あたしを見つけるなり、あたしに抱きつきました。

 そして、なにやら、ひどく興奮した様子であるにもかかわらず、手馴れた仕草で、錠剤と粉薬とを包んだ紙を取り出すと口に含んで、あたしに、飲ませた。抵抗する、あたしを、無理矢理、抑え込んで、押し倒すと、綾ちゃん自身も、同じ薬を飲みました。

 ベッドの上に、変な格好で、倒れて、あたしの、胸の上に、綾ちゃんの、顔があって、あたしは、綾ちゃんの、頭をなでてあげました。

 綾ちゃんの、目は、潤んでいて、いつもはきれいなのに、その時ばかりは、とっても、かわいらしかったです。例えるなら、そう、甘えた、仔猫のようでした。

 綾ちゃんは、薬の効能を、口早に説明していますが、あたしにはさっぱりわけがわかりません。

 あたしは、観念して、綾ちゃんの、したいように、させて、あげる、ことにしました。

 綾ちゃんは、いつもの、様子とは、まるで、違っていて、動物のように、あたしの、肌を、求めました。視界が、狭くなって、綾ちゃんしか、見えなくなって、綾ちゃんと、あたしの、肉と、肉が、擦れあって、なにもかも、真っ白な、世界が見えました。

 綾ちゃんと、ベッドに、横になって、ぼーっと、ひりひりする体を、抱いて、綾ちゃんは、あたしの、体のラインを、唇と指でなぞって。

 カーテンが、スカートみたいに、広がって、落ち着いて。

 その夜も、お月様は、とっても、きれいでした。


 その日からは、一日が、すごい勢いで過ぎていきました。

 綾ちゃんは、人が変わったように、あたしに触れてきました。

 それは、依存と呼ぶのがふさわしいものでした。

 普段の態度は前と変わらないのに、でも、それはポーズでしかなくて、朝と昼のご飯の後、夜、仕事が終わると、綾ちゃんの唇が、あたしの上をすべっていきます。

 この行為が、あたしの国でも、この国でも、異常なことなのだと、あたしは知っています。

 でも、ようやく正しい形になったのだと、あたしは思いました。

 あたしと、綾ちゃんの、正しい関係なのだと、思ったのです。

 あたしが、タバコの臭いにせきこむと、綾ちゃんはタバコをやめました。

 あたしが、コーヒー以外も飲んでみたら、と言ったら、お茶々も飲むようになりました。

 あたしが、髪型変えて、と言ったら、髪の毛をいじらせてくれるようになりました。

 あたしは、相変わらず、いそうろうで、綾ちゃんは、相変わらず、家主です。

 でも、力関係は、まるで、逆転したかのように見えました。

「私には、あんたしかいない。もっと、そばにいて。もっと、ずっと、そばに」

 破綻の足音が高らかに鳴っていました。


 ……そして。

 あたしたちの、正しい関係は、さっき、終わりを迎えました。

 動機としては、過去を忘れられない、あたしに対する、綾ちゃんの憎しみとかいらだちとか、そういうのもあったように思います。

 でも、それはやっぱり端っこの理由に過ぎないなのです。

 少しは、わかっているつもりです。

 あたしが、綾ちゃんにとって、どういう存在か。

 綾ちゃんの、あたしに対する愛情の帰着がどこにあるのか。

 あたしは、結局、お月様を見て、涙をおさえることを覚えられませんでした。

 あたしの国を、あの人を、忘れることはできませんでした。

 それらは邪魔になって、綾ちゃんの求める、割れた心臓の一部には、なれなかったのです。

 もとより、そんなものになれるものなど、ないのかも知れません。

 でも、そんなことなど、考えにものぼらない、綾ちゃんは、多分、二年八ヶ月ぶりくらいに、包丁を握りました。

 そして、あたしを丁寧にばらばらにして、局部はきれいに切り抜いて、他はカレーに入れる具よりも小さくして、食べました。

 あたしのお肉は、綾ちゃんのお肉になりました。

 あたしは、綾ちゃんのお肉になったのです。


 綾ちゃんは、他人が、他人でしかありえないことに我慢できなかったのでしょうか。

 どんなに信頼を深めても、あたしたちは同一ではなく、肉体という境界線は越えられないのです。

 綾ちゃんは、あたしを食べて、あたしと切っても離れられない、まったく同じになろうとしました。

 でも、綾ちゃんは、誤解してます。

 綾ちゃんが食べたあたしは、ただのお肉であって、あたしじゃないのです。

 綾ちゃんは、すぐにそのことに気づくでしょう。

 でも、その後の綾ちゃんに、あたしはなにもしてあげることはできないのです。

 それが、やっぱり、心残りです。


 ねえ、あなた。

 あたしは、綾ちゃんの家族になりたかった。

 ペットになり、子供になり、妹になり、やがて、恋人になって。

 でも、綾ちゃんの割れた心臓を埋めることはできなかった。

 最後に、綾ちゃんの求めるがまま、綾ちゃん自身のお肉になって。

 でも、やっぱり綾ちゃんの割れた心臓は埋まることはないのでしょう。

 ねえ、あなた。

 もしかして。

 あれは、埋まらないものなんでしょうか?

 あれは、最初から割れたままで、どうにかしようというのは間違ったことなのでしょうか?

 行き場のなかったあたしを、受け入れてくれたあの国と、綾ちゃんに、あたしはなにも返すことはできないのでしょうか?

 だったら、やっぱり、あたしの家出は、ひどい間違いだったのでしょう。


 ねえ、高貴なるあなたよ。

 あたしも、綾ちゃんも、なんて不恰好な生き物。

 でも、不思議と。

 不快ではないのです。


 終わり

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 始めまして。面白い話でした。描写の仕方が奇妙でくすぐったいと言うか、それがまた面白いなと思いました。最後の終わり方も怖いというより悲しくて寂しい終わり方だったなと思いました。でも単純に悲しい…
[一言] ほのぼの物語かと思いきや……裏切られました(いい意味で)。バッドエンドなのにハッピーエンドみたいというか、とにかく良かったです。
[一言] コメディなのかなぁ、と最初は思っていました。 読んでいくと、これは百合か!と期待し始めました。 そしてまあ、色々とおこちゃまの僕には過激なことをしてくれましたね。 ちゃんちゃん、で終わるはず…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ