追放された王太子の婚約者ですが、やっと自由になりました。
「エリザ、君には失望した」
玉座の前に立つ私を見下ろし、王太子が冷たく言い放つ。
その隣には、涙をうるませた可憐な聖女。
白いベールの下で震える肩——けれど、その口元はわずかに上がっていた。
「嫉妬にかられて……聖女をいじめるなんて」
「殿下……ですが、わたくしの立場もご理解を——」
「言い訳は不要だ」
ぴしゃりと遮られる。
すると、聖女がそっと王太子の袖に触れた。
「いいのです……殿下。わたくしは平気です。ただ、エリザ様とは離れたほうがよろしいかと……」
「おお。さすが聖女だ」
王太子は深く頷いた。
「彼女の優しさに免じて、刑は軽くしよう。
エリザ・クレール公爵令嬢。お前を王都から追放でとどめる」
ざわめきが一気に膨らむ。
「つれていけ」
命令と同時に、兵士が前に出た。
私は抵抗せず、歩き出す。
背後から、貴族たちの囁き声が降ってくる。
「聖女さまはお優しい……追放で済むなんて……」
「王太子殿下のご英断だ」
重い扉が閉まる。
石の回廊に音が響いた。
その瞬間、肩から何かが崩れ落ちた。
——聖女様……ありがとう。
やっと、これで自由だ!
◆
「鈴木くーん、これもお願い。今日中ね」
上司が笑顔で言いながら、私の机に書類の束を置いた。
「ええ……まだ別件、終わってなくて……」
「頼むよー。君、速いし」
当然のように言い残して、上司は颯爽と去っていく。
机の上には、いつの間にか積み上がった書類の山。
カタカタ……
「……あなたも帰っていいわよ」
「え……先輩……でも……」
「いいのいいの。これも先輩のつとめよ」
苦笑しながら手を振ると、後輩は何度も頭を下げて帰っていった。
静かになったオフィス。
キーボードを打つ音だけが残る。
ふと、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「フフ……これが終わったら……長期休み取って旅行に行くんだ……!」
——この言葉が死亡フラグになるなんて、思いもしなかった。
◆
目が覚めたとき、視界に飛び込んできたのは、金色の装飾が施された天蓋だった。
「……え?」
起き上がろうとすると、驚くほど身体が軽い。
壁にかかった鏡に映った顔は——金髪、青い瞳の女の子だった。
「……転生、した?」
混乱しているうちに、侍女が部屋に訪れ、名前を呼ぶ。
——私は、エリザ・クレール公爵令嬢として生まれ変わっていた。
神様ありがとう!
仕事から解放され、お嬢様ライフ満喫ね!
……と、思っていたのだけれど。
「お嬢様、本日はマナーのご講義がございます」
「午後は王宮史の講義、その後は舞踏の稽古でございます」
私を待っていたのは、「王太子妃候補」としての教育の日々だった。
礼儀作法、社交、歴史、宗教、政治……
朝から晩まで予定が詰め込まれ、息をつく暇もない。
「受験勉強の比じゃない……!?」
そしてある日、決定打が落ちた。
「エリザ嬢。君を、王太子殿下の婚約者とする」
王の言葉が告げられた瞬間、両親は大喜びし、貴族たちは喝采した。
拒否なんて、できるわけがなかった。
「……はい」
自由どころか、生活はさらに制限されていく。
外出には許可が必要になり、
発言は記録され、
交友関係まで管理される。
王太子妃教育も一段と厳しくなっていった。
◆
王太子は、見た目だけは完璧だった。
背が高く、顔立ちは整い、物腰も柔らかい。
王族として非の打ち所がない——外見だけなら。
けれど、中身が空だった。
幼い頃から、周囲が尻拭いしてきたのだ。
失敗しても誰かが書類を整え、
言い訳を用意し、
責任の矛先を別の場所へ逸らす。
そして当然のように、婚約者である私の仕事は増えた。
「エリザ、代わりに説明してくれないか」
「君なら上手くやれるだろう?」
会議でそれを言われるのは、一度や二度ではない。
書類の確認、会議の補足説明、貴族への根回し。
王太子に連れられて城下町を回ることもあった。
気がつけば、王太子の仕事の半分以上を私が処理していた。
……詰んだ。
——公爵令嬢としての人生は、楽になるどころか、
別の形の「仕事」になっていただけだった。
◆
転機は、突然やってきた。
「聖女が現れたのですって?」
聖女——王家と婚約すれば国が栄えると信じられている存在。
神殿が正式に認めたその知らせは、王宮中を一瞬で駆け巡った。
謁見の間で、聖女はにこにこ笑っていた。
くりっとした目、柔らかな頬。年の頃は十六、七といったところだ。
「かわいい……」
王太子は、思わず口に出していた。
婚約者の前で言うことだろうか。
私は表情を崩さないようにしながら、心の中で頭を抱えた。
——助かったの?
これで解放される?
そう思う一方で、胸の奥が少しだけ痛む。
こんな若い子に、押しつけていいのだろうか。
聖女と二人きりになったタイミングで、私は声をかけた。
「殿下との結婚は——やめておいた方がよろしいかと」
聖女がこちらを見て、にこっと笑った。
そして、さらっと言った。
「ええねん。だいたい分かってきたから」
え……関西弁?
「驚くよな。実は前世の記憶があんねん」
やはり、そうだった。
彼女も転生者だった。
「親孝行したいんや。前世でずっと働き詰めでなぁ。
今世は、家族にちゃんと……って思ってん」
それから彼女は、王太子の方角を見て、ため息をついた。
「街で見かけてな。あんな王太子が国王なったらあかんと思って」
「それで……名乗り出たのですか?」
「せやで。国のため、言うたら大げさやけど、放っといたらホンマに詰むやろ。
……あんたも、あの子の尻拭いで振り回されとったし」
見抜かれていた。
私は苦笑して頷いた。
「あんたには、あのじゃじゃ馬は無理や。
それとも、王太子妃なりたかった? 王太子、好きやった?」
目を瞬かせた。
そして、ゆっくり息を吸い、答えた。
「なりたくありません。好きでもありません。もう、自由になりたいです」
「せやろな」
聖女は満足そうに頷いた。
◆
そして今。
城の回廊を歩きながら、私は聖女との会話を思い出していた。
『……追放?』
『そう。あんたが悪役になれば、王家はメンツ守れ、堂々と聖女を王太子妃にできる。民は納得する。あんたは出ていける』
合理的すぎる提案だった。
そして——その通りに、すべてが進んだ。
がんばってね、殿下。
聖女(五郎さん60歳)は某会社の元社長だから、しっかり鍛え直してくれるわ。
『任せとき。おったわ、こんな社員』
あの一言が、どれほど心強かったか。
城の前には、馬車が待っていた。
商会ギルドのマーク。五郎さんの実家だ。
御者台の横に立つ侍女が、深く頭を下げた。
「エリザさま。こちらへ」
私は一度だけ、城の方を振り返った。
五郎さんの言葉を思い出す。
『人の心配できるのは、美徳やけど。まずは、自分を大切にせなあかんで』
「はい……」
馬車に乗り込む。
扉が静かに閉まり、車輪が動き出した。
窓の外で、城が少しずつ遠ざかる。
胸の奥にあった重たいものが、ようやくほどけていく。
「どこに行こうかな」
これからの人生は、自分のために生きる。
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