第1話 出会い
フィッツロイ家の自室で長女リディアが本を読んでいた。
ミルクティー色のさらさらとした長い髪は、時折、窓からの風で揺れている。夜空を思わせるネイビーの瞳は本に魅せられてきらきらとしていた。
一つ下の妹のおさがりである流行おくれのバイオレットのワンピースは、リディアの落ち着いた雰囲気にはあまり似合っていなかったが、本人は服に興味がないので気にしていない。
そんな、静かな朝食後の時間だった。
そこへノックの音がして、リディアは顔を上げ、入室を許可した。
顔を覗かせたのはリディアの専属メイドであるルーシーだった。くせ毛の茶髪をうしろでまとめ、そばかすのある顔は困ったような顔をしていた。
「奥様が、お嬢様に街でお菓子を買ってくるようにとおっしゃっています……」
リディアは溜息を吐いて、読んでいた本にしおりを挟んだ。
「クレア様のご命令なら仕方がないわ。支度をしていきましょう」
リディアは立ち上がり、クローゼットからコートを取り出して羽織った。
二人は部屋を出て、屋敷の馬留に向かった。馬の世話をしていた御者のトムにリディアは声をかけた。
「街へ行きたいのだけど、馬車を出してもらえる?」
トムはリディアに挨拶をして、支度をはじめる。
「また奥様のおつかいですか?」
リディアは苦笑気味に頷いた。それを見たトムは眉間に皺を寄せた。
「あのクソババア、またお嬢様に召使のようなことをさせて……」
リディアは慌てて辺りを見回した。
「トム、誰が聞いているか分からないわ。滅多なことを言わないでちょうだい。トムがクレア様からお叱りを受けたら、私は嫌だわ」
トムは馬車の扉を開きながら言った。
「お嬢様はお優しすぎる」
リディアはお礼を言い、トムの手を借りて馬車に乗った。
十分もしないで馬車は商店街の馬留に到着し、リディアとルーシーは馬車から降りて歩き出した。
「前回はクッキーにしたから、今回はケーキにしましょうか」
そう言って、リディアは慣れた様子で街を歩いて行く。
シェリー王国王都の中央通りは、主に貴族向けの店が立ち並び、行き交う人々も高貴な雰囲気の人たちばかりである。警備兵も厳重に見回りをしていて、治安はいい。女性二人で歩いていても安心だ。
リディアはお目当ての店でケーキを購入し、中央広場の時計台を見上げた。
「思ったよりも早く買えたわね。少しだけ本屋に寄ってもいいかしら?」
ルーシーは頷く。
「もちろんです」
同じ通りにある趣のある本屋に入ると、紙の香りが漂ってくる。リディアはこの雰囲気が好きだった。
薄暗い本屋の中をリディアはゆっくりと見て回る。時折手に取って、ぺらぺらとめくった。
棚に好きなシリーズの新刊があるのを見つけ、リディアが嬉しそうに取ろうとすると、先に男性がその本を手に取った。それは背が高く、ブラウンの髪をした男性だった。
リディアの口から思わず声が漏れると、男性はリディアに気がつき、言った。
「もしかしてこの本でしたか?」
リディアは恥ずかしくなって顔を赤くし、俯きがちに言った。
「そうですが、先に手に取られたのはあなたですので、お気になさらず……」
去ろうとするリディアに男性は声をかけた。
「お待ちください。お譲りします」
リディアは振り返り、気まずそうにした。
「でも……、一冊しかございません」
男性は優しく微笑んだ。
「いいんです。近々ダグラス帝国に行く用事があります。この本はダグラス帝国の著者のものだから、あちらに行けば購入できると思いますから」
リディアは差し出された本にそっと手を伸ばした。
「嬉しいです。続きが気になっていたものですから……」
「しかし、これはダグラス語で書かれた原書ですよ。お嬢さんはダグラス語が読めるのですか?」
「いいえ。でも、翻訳したものが待ちきれなくて、辞書を片手に読んでいるんです」
男性は感心したように頷いた。
そこへルーシーがリディアを探しに来た。
「お嬢様、そろそろお屋敷に戻らないと」
リディアははっとして、男性にお辞儀をした。
「本をお譲りいただき、感謝いたします。失礼いたします」
リディアは足早に会計を済ませて店を出て行った。
男性はそんなリディアの後姿を名残惜しそうに見送った。
「彼女とは本の趣味が合いそうだ。名前くらい聞けばよかったな……」
そう言いながら、男性も本屋を後にした。
リディアは屋敷に戻り、買ってきたケーキをクレアに持って行った。
部屋には継母のクレアと、義理の妹のレティーシャがいて、二人ともブラウンの髪と瞳をしていて、そっくりだった。
リディアの母が亡くなり、七歳の頃に後妻としてきたのがクレアで、クレアの前夫との間に生まれた六歳のレティーシャを連れてやってきた。それから一緒に暮らしていた。
クレアとレティ―シャはリディアが買ってきたケーキを見て、溜息を吐いた。
レティ―シャはリディアに怒りを込めた視線を送った。
「今日はケーキの気分ではなかったわ」
クレアはあざ笑うかのように言った。
「お前は本当に気が利かないね」
リディアは委縮したように俯いた。
「申し訳ございません……」
クレアはその場に立ち尽くしているリディアを一瞥した。
「何をしているの。用はもうないわ。下がりなさい」
リディアは一礼し、急いで部屋を出て、扉を閉めた。
ふぅっと息を吐き、自室に戻るために廊下を歩き出した。
「何を買ってきても気に入らないくせに……」
そうリディアは悲しげに呟き、胸の奥で何かがまた冷えるのを感じた。




