第5話 絶望的な期限
カインの理論の正しさは、最悪の形で証明されることとなった。
「――領主様が、倒れられた!」
城からの早馬が管理棟に駆け込んできたのは、早朝のことだった。
原因不明の高熱。城に詰めている最高位の治癒魔術師が総出で治癒魔術を施しているが、熱は一向に下がらないという。
「まさか……」
カインは、最悪の可能性に思い至り、血の気が引くのを感じた。
彼はすぐに城へ駆けつけ、館の古い配管図を閲覧室から引っ張り出した。羊皮紙に描かれた図面は、百年前の非効率な設計思想のまま、放置されている。
「……これだ」
カインは、図面の一点を指先で強く叩いた。
領主の居室に繋がる飲料水の専用井戸。そのすぐ間近を、貴族区の汚水管(という名のただの素焼きの管)が通っている。
(あの「聖なる排水溝」がオーバーフローした時点で、予測すべきだった……!)
ひび割れた汚水管から漏れ出した汚染水が、館の地下水脈にごく微量ずつ、しかし確実に混入し続けていたのだ。
カインは、治癒魔術師たちが詰める領主の寝室に、半ば強引に押し入った。
「カイン! 貴様、何をしに来た!」
兄ガルスが、父の枕元で怒声を上げる。
「兄上、治癒魔術を今すぐ止めさせてください」
「何を馬鹿なことを!」
「領主様の病は、呪いでも魔力の消耗でもない。毒です。それも、微量の汚染水が体内に蓄積したことによる、慢性的な『中毒』だ!」
カインは配管図を突きつけ、汚染経路を断言した。
「治癒魔術は、体内の毒素を一時的に中和はできても、汚染された水を飲み続ける限り、根本的な解決にはなりません。むしろ、魔力で無理やり体力を回復させることが、毒の蓄積を早めている可能性すらある!」
カインの言葉に、治癒魔術師たちが動揺する。彼の指摘は、魔術が万能ではないという、彼らが最も認めたくない事実を突いていた。
ガルスは、父の容態が一向に良くならない現実と、カインの確信に満ちた言葉に、ぐうの音も出ないようだった。
そして、その場には、領主の諮問魔術師として呼ばれていたセラフィナの姿もあった。
彼女は、カインの言葉を聞くと、静かに前に進み出た。
「……カイン。あなたの理論が正しいというのなら、どうすれば父上は助かるの」
その声には、もはや「下水道貴族」への侮蔑はなかった。
「汚染源を断つしかありません。あの『聖なる排水溝』から貴族区の汚水を、地下水脈から完全に隔離した新しいバイパス水路へ流し切る。それが完成すれば、井戸の水は時間をかけて浄化されます」
その答えを聞いた瞬間、ガルスの表情が歪んだ。彼は、カインへの憎悪と、父を救う唯一の手段を天秤にかけ、そして、最も残酷な命令を下した。
「……わかった。城の修繕はすべて中止する。全権限を貴様にくれてやる」
ガルスは、カインの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで宣告した。
「だが、期限は三日だ。三日以内に下水路を完成させ、汚染を止めろ」
「三日!? 無茶だ! 素人五十人で、あの距離のU字溝を設置し、モルタルで固めるなど……!」
「できなければ、反逆罪だ」
ガルスは、冷酷に言い放った。
「父上の命を危険に晒し、領内の混乱を招いた罪。そのすべてを貴様に被せて、処刑する」
それは、カインを合法的に抹殺するための、絶望的な期限だった。
「……貴族の傲慢が作った最悪の構造的矛盾を、貴族のプライドが作った絶望的な期限で解決しろ、というわけだ。最高に理不尽だな」
カインは、管理棟に戻り、月明かりの下で設計図を睨みつけた。
三日間、不眠不休でやっても、モルタルの硬化時間を考えれば絶対に間に合わない。
「……一人で無理なら、二人でやればいいのでしょう」
静かな声と共に、セラフィナが管理棟に入ってきた。
「セラフィナ様……?」
「あなたの理論は、私の魔術の常識を覆した。そして、領主様の命は、今、あなたのその理論にしかかかっていない」
彼女は、カインの机に広げられたモルタルの配合メモを手に取った。
「私は、王立衛生魔術院の筆頭魔術師。この街の衛生を守る責任がある。……屈辱的だけれど、プロとしての良心に従うわ」
セラフィナは、カインの目をまっすぐに見据えた。
「このモルタル……あなたの言う『化学結合』とやらを、私の魔力で強制的に促進させることはできる?」
カインは、彼女の言葉に目を見開いた。
(そうか、その手があったか……!)
水とセメントの「水和反応」。それは、温度と湿度によって促進される。
「できる! 貴女の魔力で、モルタルの内部に均一かつ高温の熱を発生させることができれば、硬化時間は百分の一に短縮できる。貴女の魔力は、世界最高の『超速硬化促進剤』になる!」
「やりましょう」
セラフィナは、純白のローブの袖をまくり上げた。
泥と汗にまみれたカインの肉体労働。平民たちへの正確無比な指示。
そして、そのカインが打ち込んだモルタルに、セラフィナが精緻な魔力を注ぎ込み、瞬時に結合させていく。
互いの技術を、互いの知識を、完全に信頼しなければ成立しない、知的な共闘関係。
三日間の絶望的な突貫工事が、今、始まった。




