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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第6章 秩序と瓦解

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第86話:秘匿と不可侵

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

正門の外に並ぶ松明の列は、夜明けても一歩も崩れていなかった。

火の間隔も、立つ影の姿勢も、呼吸の乱れすらない。――避難民の列とは、まるで別の生き物だ。


「……勘繰るのは勝手だが、これ以上の無用な問答に応じる気はない。

一歩でも踏み込めば、帝国への敵対行為として扱われる。――その責任を、お前が背負えるか」


ロイルが冷徹にそう言い放ち、頑丈な正門を固く閉ざさせたからだ。

王都の小隊も、名乗ることもできない裏の任務で帝国との戦争の引き金を引くわけにはいかず、強行突破を諦めて門前で野営を始め、一晩中嫌がらせのように松明を焚き続けていた。


そして、朝。

冷たい光の中で、正門前で野営していた小隊の異様さがより際立って見えた。

彼らは夜通し冷え込んだはずの屋外にありながら、誰一人として陣形を崩さず、私語一つ交わさずに門を睨みつけ続けている。それは烏合の衆や単なるならず者ではなく、明確な統制の敷かれた「軍事行動」の緊張感そのものだった。


門の内側では、早朝から避難民の列が不安げに揺れ動いている。

ロイルはすぐさま自警団に指示を飛ばし、避難民たちを門から遠ざけ、小隊の視界に入らないよう厳重に導線を締めた。恐怖が群衆に伝播すれば、それだけで村の内側から崩壊しかねないからだ。


門外の小隊長は、昨夜の威圧的な態度を崩さず、馬上から見下ろすように再び要求してきている。


「王都の治安維持に関わる案件だ。朝になったのだから、さっさと門を開けろ。中を改める」


だが、その蛇のような冷たい目は、ロイルではなく、門の隙間から見える避難民の群れの奥を、何かを「探る」ようにねっとりと舐め回していた。

明確に誰を探しているのかは言わない。だが、その目的が単なる治安維持の確認でないことは火を見るより明らかだった。


「……上の人たちに状況を報告してくる。それまで一歩でも動けば、警告通りとみなすぞ」


ロイルがそう釘を刺し、警戒を自警団の部下に任せると、一時的に門から離れて迎賓館へと向かった。



迎賓館の管理室。

アシュラン、カイン、エレノア、そしてギード村長が集まる部屋に、ロイルが重い足取りで入ってきた。


「門前の連中、明らかに何かを探しています。避難民の顔を一人残らず確認するつもりでしょう」


ロイルが忌々しげに報告した直後、控えめなノックの音が響いた。

扉を開けて入ってきたのは、初老の執事クラウスだった。


その後ろには、いつもと変わらぬ質素な服を着たロッテが、静かに俯いたまま付き従っている。


「アシュラン殿、ギード村長。面会を願いたい」


クラウスは深く一礼し、顔を上げた。その表情には、決死の覚悟が滲んでいたように見えた。


「……今この状況、我々が黙っていては村に迷惑が及ぶと判断いたしました」


クラウスは言葉を区切り、重々しい声で告白を始めた。


「……我々は王城から逃げてきた。追手が来ているのは、そのためです」


「だろうな……」


アシュランが書類から視線を上げ、全く驚く様子もなく静かに応じた。


「わが主は……」


「言わなくて良いよ」


クラウスがその「名」を口にしようとした瞬間、アシュランが手で制した。


「ロッテ様ですからね」


隣で眼鏡の位置を直しながら、カインが淡々と補足する。


「……お気づきでしたか」


クラウスが目を見開く。


「まぁ、見れば分かるよ」


アシュランは軽く肩をすくめた。

その立ち振る舞い、手先の綺麗さ、そしてクラウスの絶対的な忠誠心。王都から逃れてきたという事実と照らし合わせれば、彼女がただの没落貴族のお嬢様などではないことくらい、最初から見抜いていた。


「……は?」


部屋の隅で、ロイルが完全に言葉を失い、間の抜けた声を出した。

ギードもまた、目を丸くしてクラウスとロッテを交互に見つめている。「王城」という言葉の響きと、二人が纏う隠しきれない気品の前に、先ほどまで気さくに言葉を交わしていた少女が、自分たち辺境の民が決して触れてはならない雲の上の存在であることを悟り、ただ圧倒されて息を呑んでいた。


「推定と一致しました。以降、秘匿レベルを上げましょう」


カインが事務的な口調で告げる。


「名を隠すのも、今は慈悲ですわ」


エレノアが優しく微笑み、ロッテを見つめた。

もしここで彼女の本当の身分を明言してしまえば、村全体が「王族を匿っている」という重すぎる政治的責任を背負うことになる。素性の知れぬ「ロッテという町娘」として扱うことが、彼女と村の双方を守るための最も強固な盾となるのだ。


「……ご迷惑は、かけません」


ロッテが顔を上げ、アシュランを真っ直ぐに見つめて小さく言った。

その瞳には、自分のせいで村を危険に晒したくないという強い意志が宿っていた。


「それが俺たちの仕事だ」


アシュランはロッテの瞳を正面から受け止め、静かに、だが力強く返した。



「さて、門前の小隊をどう引き返させるかですが」


カインが手元の地図を指差しながら、即座に作戦会議へと話題を切り替えた。


「戦わず、門を割らせず、探させず、引き返させる。使うカードは三枚です」


「入れない。理由は“掟”だな」


アシュランが一つ目のカードを提示する。


「武装解除と身元確認なしでは、何者であろうと一歩も村には入れない。これは王都の使者であろうと例外はない」


「二つ目は帝国との不可侵条約ですね」


カインが眼鏡を光らせて続ける。


「連中も解っているとは思いますが、この村に武力行使をすれば、あの黒皇石の石碑を汚すことになり、帝国への明確な敵対と解釈されます。あのような名乗ることもできない小隊の肩書で、その重責を背負えますか?……と突きつけましょう」


「そして三つ目。ただ追い返すだけでは暴発しかねん」


ギードが白い髭を撫でながら、三枚目のカードを置いた。


「出口は用意してやる。『村は避難民を保護し、武器は預かっておる。お主らが探すような危険な輩はここにはおらん』——それで王都に報告しろと伝えるのが良かろう」


「ああ。もし追うなら、街道側でそっちの責任でやれ。村内に踏み込む権限はない、とな」


アシュランが結論をまとめた。


「彼らも馬鹿ではないでしょうし……帝国を敵に回すリスクと、手ぶらで帰る言い訳の天秤にかけられれば、必ず引くはずですわ。さすがは師匠の策ですわね」


エレノアが誇らしげに微笑み、アシュランを讃えた。



ウルム村の正門前。

対策を固めて戻ってきたギードとロイルは、門外で小隊長と対峙した。


「匿うなら共犯だぞ」


小隊長が焦りと苛立ちを隠しきれず、低い声で脅しをかけてくる。


「共犯だろうが何だろうが、村の安全が先だ。掟を守る限り、この村は崩れない」


ロイルが毅然とした態度で跳ね返した。


「ここは帝国の黒皇石が立つ不可侵の地だ。無理に押し通れば、お前たちが帝国への宣戦布告の責任を負うことになるぞ」


その言葉に、小隊長の背後にいた兵士たちが動揺し、互いに顔を見合わせる。名乗ることもできない裏の任務で、帝国との戦争の引き金を引くわけにはいかない。


「村の掟に従い、避難民の武器はすべて門前で預かっておる」


ギードが村長としての威厳を放ち、決定的な「撤収の名分」を静かに突きつける。


「本日は避難民多数で混乱しておる。これ以上の詮索は、お主らの言う“暴徒”の暴発を呼ぶだけじゃ。王都には『村は保護と武装解除を徹底しており、危険な輩はいない』と報告するがよい」


帝国を敵に回す恐怖と、王都へ持ち帰るための中身のない言い訳。

その二つを提示された小隊長は、これ以上踏み込んでも得るものはないと判断し、忌々しげに強く舌打ちをした。


「……今日は退く。だが、次は“通達”では済まんぞ」


「次があるなら、次も門前で止めるだけじゃ」


ギードが涼しい顔で返し、交渉を完全に打ち切った。

小隊長は馬の首を返し、去り際に門の奥の避難民の群れを、獲物を数えるような冷酷な目で一瞥した。

彼はまだ諦めていない。「探している」ことだけを強烈な痕跡として残し、小隊は王都の方角へと引き返していった。



迎賓館の管理室の窓辺。


遠ざかっていく小隊の砂埃を見届け、クラウスはアシュランに向かって深く頭を下げた。

その所作だけで、言葉より重い礼が伝わった。


「……この御恩は、生涯忘れません。我々を受け入れ、守っていただいたこと、心より感謝申し上げます」


「まぁ、例外は作らないからな。村の掟に従って生きてもらうだけだ」


アシュランは窓の外を見つめたまま、ただ淡々と、しかし確かな庇護の約束を告げた。

その横で、小隊の消えた街道の先を見据えていたカインが、眼鏡を押し上げながら静かに口を開いた。


「退いたのは“諦めた”からではありません。——彼らは、確実に『ここにいる』と確信したはずです」


カインの言葉が、部屋に冷たい不穏な空気を落とす。


「……王都の狂気は、いずれ必ず形を変えてこの村に牙を剥くでしょう」


「だったら、こっちも整えるだけだ」


アシュランの眼差しには、王都の巨大な悪意に対する微塵の恐怖もなかった。

来るなら来い。この村の理と防壁は、決して王都の都合などでは揺るがない。


静寂は戻った。

だが――門の外に残った足跡は、消えていない。

冬の風が、その跡をなぞるように村を撫でていった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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