第84話:円卓と通達
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朝日が差し込み始めた魔術院の円卓会議室は、口火を待つ沈黙が、室内の温度だけを押し上げていた。
円卓を囲むのは、エルディナ王国の魔術を束ねる最高位の魔術師たちである。
「……以上が、未明に王都から届けられた『合同通達』の全文にございます」
若手魔術師が震える声で羊皮紙を読み終え、深く頭を下げた。
文面は丁重だが、中身は動員だった。
末尾には軍の印、公爵家の印、役所の印。――逃げ道を塞ぐための三つだ。
「ふん! ついに俗世の無能どもも、我ら魔術院の力にすがるしかなくなったというわけか!」
円卓の一角で、燃えるような赤い法衣を纏った炎の老魔術師が、傲慢な笑い声を上げた。
彼は魔術院の中でも最強クラスの破壊力を誇り、常に力による問題解決を好む武闘派の重鎮である。
「よかろう! 我らが出向き、広場で喚いている暴徒どもを黒焦げに焼いてやれば済む話だ。魔術の恐ろしさを骨の髄まで叩き込んでやれば、王都は一晩で静まり返るわ!」
「……“暴徒”の定義は、誰が決めるのですか」
炎の老魔術師の熱狂に冷や水を浴びせるように、静かで理知的な声が響いた。
水と氷の魔術を極めた円卓の重鎮の一人、オリヴィエである。痩身で冷徹な顔立ちの彼は、手元の写本から顔を上げ、氷のように冷たい視線を老魔術師に向けた。
「通達には『秩序を乱す者』としか書かれていません。昨日まではただの市民だった者が、今日には暴徒と呼ばれている。そのような曖昧な命令の下で我々が広場に業火を放てば、鎮圧どころか、王都そのものを焼き尽くすことになります」
「なんだと、オリヴィエ! 貴様はまたそうやって水を差すか!」
老魔術師が机を叩いて吠える。
「あの時、アシュランの追放に慎重論を唱え、アルベールのウルム村討伐の際にも及び腰だった貴様は、また魔術院が国威を示す絶好の機会から逃げるというのか!」
「……あの時、功名心に駆られて事を急いだ結果が、アルベールの惨敗と魔術院の権威失墜だったはずですが」
オリヴィエの静かな反論に、老魔術師が忌々しげに言葉を詰まらせる。
かつて魔術院の同僚であったアシュランの追放を止められず、アルベールの暴走も止められなかったことは、オリヴィエにとって静かな悔恨として胸の奥に残っている。だからこそ、彼は二度と同じ過ちを繰り返すまいと、徹底した現実主義を貫いていた。
「私が恐れているのは、魔術院が再び政治の『便利な私兵』として使い潰される事態です」
オリヴィエは老魔術師から視線を外し、卓の中央に座る白髭の魔術院長へ向き直った。
「院長。この通達は、到底そのまま受け入れられるものではありません」
「……だが、オリヴィエよ」
魔術院長は、深く刻まれた皺の奥で苦渋の表情を浮かべていた。彼もまた、過去にアルベールの暴走を黙認した当事者である。自らの権威と体面を守ることに、誰よりも固執していた。
「三つの権力から同時に名指しされたのだ。魔術院が国威の象徴である以上、この要請を完全に無視することはできぬ。もし拒否すれば、我々は新体制に弓引く反逆者として認定されかねんのだぞ」
◇
「……オリヴィエ殿の危惧も、院長のお立場も理解できます。ですが、現場の視点から言わせていただければ、これは非常に厄介な“罠”です」
これまで沈黙を保っていた実務型の魔術師、リュシアンが静かに口を開いた。
彼は中立的な立場で常に冷静に状況を分析し、魔術院の内部調整を担う男だ。
「罠、だと?」
「はい。この文書の文言、そして三つの印が並べられた不自然な書式。……これは『命令』ではなく、『責任転嫁』のための書面です」
リュシアンは羊皮紙の文面を指先でなぞった。
「もし我々が武力を行使して治安が回復すれば、彼らはそれを『新体制の威光』として宣伝するでしょう。ですが、もし過剰防衛で市民に多数の死者が出たり、街が延焼したりすればどうなるか。……『命令の範囲を超えて、魔術院が勝手に暴走した』と、すべての罪を我々に被せる気です。だからこそ、撤退の条件も、責任の所在も、この紙には一切書かれていない」
リュシアンの冷徹な分析に、円卓の空気が一段と冷え込んだ。
オリヴィエが小さく頷き、言葉を引き継ぐ。
「ええ。成功すれば彼らの手柄、失敗すれば魔術院の罪。政治的に最も安全な位置から、我々を都合の良い盾として前線に立たせようとしているのです」
◇
「理屈ばかり捏ね回しおって! 貴様らは腰抜けの集まりか!」
炎の老魔術師が、苛立ちに任せて円卓を強く叩いた。
「盾にされようが何だろうが、我々の力を見せつければ文官どもなど黙り込むわ! 燃やせばすべては灰になる。灰は文句を言わん!」
「燃やした後、その灰の山の上で、いったい誰が責任を取って国を立て直すというのですか」
リュシアンが静かに、しかし鋭く問い返す。
炎の老魔術師は鼻を鳴らし、忌々しげに顔を背けた。
「……ならば、どうするというのだ」
魔術院長が、重々しい溜め息と共に頭を抱えた。
「このまま沈黙すれば反逆者。出陣すれば責任を被せられる。だが、歴史ある魔術院が王都の危機を見捨てた、と後世に刻まれるわけにはいかぬのだ」
「刻まれるのは『介入した事実』ではありません。『何をしたか』という結果です」
オリヴィエが毅然とした声で断言する。
「協力するというのなら、誰の指揮下で、どこまでの武力行使が許可されるのか。その条件を明文化させなければ、我々は一歩も外へ出るべきではありません」
「だが、向こうは一刻の猶予もないと迫っている。条件交渉などしている時間はないぞ」
院長が焦りを見せる中、リュシアンが一つ、妥協案を提示した。
「……ならば、全面的な動員ではなく、『視察団』という名目で少数の実務班を出すのはいかがでしょうか」
「視察団、だと?」
「はい。表向きは治安状況の把握と、今後の協力体制の構築のための事前視察とします。これならば『無視した』という非難は避けられますし、大規模な武力行使のリスクも抑えられる。……現場の泥を被るにしても、最小限で済みます」
リュシアンの提案は、体面を保ちたい院長と、被害を最小限に抑えたいオリヴィエの双方にとって、ギリギリの落としどころだった。
「……よいだろう。まずは視察団を出し、魔術院として『協力』の姿勢を示す」
院長が重々しく決断を下す。
炎の老魔術師は「確認だと? 腰の引けた連中め……!」と不満げに毒づいたが、それ以上の反対はしなかった。
「……あくまで『支援』ではなく『確認』です。王都の現状と、誰が本当の実権を握っているのかを見極める。その一線を誤れば、魔術院は文字通り政治の業火に焼かれますよ」
オリヴィエが鋭く釘を刺した。彼は自らその視察団の代表として赴く覚悟を決めていた。
◇
魔術院が政治の最前線へと足を踏み入れる。
その重い決断が下され、円卓会議が散会しようとした、まさにその時だった。
「い、院長……!」
先ほど文書を持ってきた若手魔術師が、血相を変えて再び会議室に飛び込んできた。
「どうした、騒々しい。視察団の準備は後で――」
「そ、そうではありません! たった今、王都の大通りに新たな布告が貼り出され、触れ回られているとの報告が……!」
若手魔術師は息を切らしながら、握りしめていた布告の写しを円卓の中央に置いた。
それを受け取ったリュシアンが、一読した瞬間に表情を硬直させる。
「……どういうことだ」
「何が書かれている、リュシアン」
リュシアンは信じられないものを見るように、羊皮紙から顔を上げた。
「『魔術院は新体制への全面的な忠誠を誓い、王都の秩序を乱す暴徒、ならびに王国を害そうとする“外部の悪意”を討ち果たすため、直ちに最強の武力を以て鎮圧に当たる』……と」
円卓の魔術師たちが、一斉に息を呑んだ。
「な、なんだと!?」
「我々はたった今、状況確認のための『視察団』を出すことしか決めておらんぞ! いったい誰が、魔術院の全面武力介入などという嘘を勝手に発表したのだ!」
院長が激高して立ち上がる。
だが、その布告の末尾に記された署名を見たオリヴィエは、背筋に冷たい氷柱を突き立てられたような悪寒を感じていた。
「……アルベール・ド・リヒテンブール」
オリヴィエがその名を絞り出すように口にすると、会議室の空気が一気に凍りついた。
「死罪になったはずの、あのアルベールだと……!?」
昨日、王都の広場で公爵家の「神輿」として担ぎ出されたかつての天才。
彼が新体制の顔としての権限を利用し、魔術院の意思確認など待たずに、「魔術院は自分の手駒として動く」という既成事実を王都全域にばら撒いたのだ。
『外部の悪意』という言葉は、アルベールが未だに辺境のウルム村への復讐に執着し、魔術院の武力をその口実に利用しようとしていることを明確に示していた。
「……やられましたね」
オリヴィエは、手元の合同通達と新たな布告の写しを見比べながら、小声で呟いた。
「もはや『視察』などという言い訳は通用しません。市民には、我々が暴徒を焼き払いに来る恐怖の軍団として宣伝されてしまった。ここで出動を渋れば、新体制への反逆どころか、民衆からも『国を見捨てた裏切り者』として石を投げられる」
王都の権力闘争は、書類のやり取りなどという悠長な段階はとっくに過ぎていたのだ。
魔術院を自らの復讐と野心の道具として使い潰そうとするアルベールの悪意ある罠によって、彼らの外堀は完全に埋められてしまった。
「王都の狂気は……すでにこの円卓の喉元にまで刃を突きつけている」
歴史と権威を誇る魔術院は、一歩も外へ出る前から、王都という名の巨大な底なし沼にその足首を深く掴まれていた。
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