表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第6章 秩序と瓦解

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/126

第83話:神輿と布告

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

辺境へ向かった小隊が、帝国の石碑と村の掟の前に引き返した頃。王都の朝は、重苦しい鉛色の雲に覆われていた。


大通りのあちこちの壁に、真新しい羊皮紙の触れ書きが次々と貼り出されていく。

糊の匂いが漂う中、王都の行政局から派遣された書記官たちが、声を張り上げて布告を読み上げていた。


「王都の治安は回復に向かっている! 昨夜の混乱は収束し、配給と検問の再編が速やかに行われる! 市民は流言飛語に惑わされることなく、平穏な生活に戻るように!」


だが、その布告を聞き流す市民たちの足取りは重く、誰一人として安堵の表情を浮かべる者はいない。

彼らは貼り出された真新しい紙を横目で一瞥するだけで、そのまま素通りしていく。中には、書記官が立ち去った直後に、その布告を無惨に引き破り、泥のぬかるみへと踏みにじる者すらいた。


通り沿いの商店は重い鉄の鎧戸を固く閉ざし、少しでも財産のある者は荷車に家財を積み込んで、混乱が広がる前に街から逃げ出そうとしている。一方で、路地裏からは法外な値段で食料を取引する闇市特有の、腐臭に近い匂いが漂い始めていた。


「治安回復だと? 笑わせるな」


布告の紙切れを踏み越えながら、初老の男が小声で吐き捨てる。


「あんな紙っ切れで腹が膨れるか。紙は燃えるだけだ。俺たちが欲しいのは、今日口に入れる麦なんだよ」


大通りを警戒して回る巡回兵たちの目も、以前のような「都市を守る」という誇りは消え失せ、飢えた獣のようにギラギラと血走っていた。彼らの視線は外の敵ではなく、いつ暴発するか分からない王都の内なる市民たちに向けられている。


「……上からの命令は一本化されたはずだ」


槍を握りしめた巡回兵の一人が、同僚に小声でこぼす。


「だが、さっき届いた配給所の警備札、昨日とは書式も印の形も微妙に違っていたぞ。いったい誰が、今の王都を仕切っているんだ?」



その疑問の答えは、王城の一角に急遽設けられた、軍務局の仮設執務所にあった。

飾り気のない無骨な長机を挟んで、二人の男が対峙している。

王国軍の最高権威である元帥モンフォールと、王都の貴族たちを束ねる最有力者、リヒテンブール公爵である。


同じ卓に着いていても、二人の視線は同じ地図を見ていなかった。


「……麦と薪の配給ルートの確保が最優先だ」


元帥が、王都の市街図の上に短剣を突き立てて低い声で言った。


「理屈や体裁はどうでもいい。まずは物理的な流通の順番を機能させねばならん。その順番が死んだままでは、今夜にも王都の貧民街から再び火の手が上がり、街全体が燃え落ちるぞ」


「燃える街を鎮めるには、力だけではなく“旗”が要るのだよ」


公爵は、元帥の切迫した言葉を優雅な所作で受け流し、冷ややかに反論した。


「王家を飛び越え、明確な大義の旗を持たない軍の行動は、外から見ればただの簒奪にしか見えん。それでは他の貴族たちが納得せず、新たな内戦の火種を生むだけだ。正当性という名の飾りがなければ、国家は動かんのだ」


「ならば、貴殿がその大義の旗とやらを早急に用意しろ。我々軍は、兵士を動かして火を消し、暴徒を制圧するのに忙しい」


元帥の言葉には、政治の虚飾に対する隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

二人は互いに「今は割れるべきではない」と理解してはいるものの、機能と生存を優先する軍と、正当性と利害を優先する貴族の論理は、決して噛み合うことはなかった。


「……ええ、“顔”を立てましょう」


公爵は懐中時計を取り出し、短く告げた。


「民の不満を逸らし、貴族たちを納得させるための神輿を。……今夜、広場に出します」



夕刻。

王都の中央に位置する大広場に、急造の高台が設けられていた。

周囲は軍の精鋭と公爵家の私兵たちが幾重にも盾を並べて固め、異様なまでの警戒態勢が敷かれている。

そのものものしい雰囲気に引き寄せられるように、広場には半信半疑の群衆が集まっていた。


やがて、軍の喇叭が短く鳴り響き、高台の上に一人の人物が姿を現した。


「……あれは」


「アルベール様だ……魔術院の天才と言われてた、公爵家のアルベール様じゃないか!」


「馬鹿な、彼は国家反逆罪で死罪になったはずじゃ……!?」


群衆の中から、驚愕のざわめきが広がる。

かつて王城で傲慢な自信を振り撒き、アシュランを追放へと追いやった中心人物の一人。

地下牢の闇に繋がれていた影響か、その頬は痩せこけ、肌は青ざめている。だが、群衆を見下ろすその瞳の奥には、死の恐怖に怯える色ではなく、暗く粘り着くような異常な熱が宿っていた。

豪華な衣装は、鎖の代わりだ。それでもアルベールの目だけが、妙に乾いて光っていた。

(……借りは、返す)


アルベールは羊皮紙の束を開き、用意された声明文を読み上げ始めた。


「……王都の秩序回復のため、我らは一致して、この未曾有の困難に立ち向かう所存である。一部の暴徒……ならびに、王国を害そうとする『外部の悪意』による破壊工作は、断じて許されるものではない。市民諸君には、王国の誇りを胸に、今こそ団結を……」


『外部の悪意』。

台本にはないその一言を、アルベールは意図的に強調した。

言葉の響きは相変わらず滑らかで美しいが、そこには彼自身のどす黒い復讐心が込められていた。


「一致だと? どこがだ!」


「王国の誇りで腹が膨れるか! 綺麗事はいいから、倉庫に隠している麦を出せ!」


群衆の中から怒号が飛び交う。

その騒ぎの中、すぐ背後に控えていた公爵の側近が、小声で鋭くアルベールに囁いた。


「……余計な言葉は挟まぬよう言ったはずです。辺境のウルム村や、あの追放者の名など、決して口に出さぬように。あなたはただ、用意された台本を読んでいれば良いのです」


アルベールは微かに口角を歪め、従順な神輿を装って頷いてみせた。


(愚かな……。私をただの便利な駒として使い潰せると思っているのか。私をこのような惨めな地下牢に叩き落としたアシュラン……あの無能な追放者に、必ず地獄を見せてやる。この混乱を足がかりにして、必ず……!)


再び焦点の定まらない目を装いながら、アルベールは声明文を読み上げ続けた。

彼の内側に渦巻く狂気は、王都の混乱という劇薬を吸い上げ、静かに、しかし確実に再起の牙を研いでいた。


その哀れで、しかし同時に危険な爆弾を孕んだ神輿の姿を、広場の端から見つめていた元帥は、深くため息をついた。


「……顔を出しただけで、民の腹は満たせんというのに。それに、あの男の目……あれは大人しく飼い慣らせるような代物ではないな」


力による現実の統制を急ぐ軍と、権威という名の演出で事態を誤魔化そうとする貴族。

彼らの根本的なズレは、誰の目にも明らかな形で露呈し始めていた。



その夜。王都の行政局の廊下は、慌ただしく走り回る伝令たちの足音で埋め尽くされていた。


「配給所の警備を倍に増やせとの命令だ! 急げ!」


「いや、待て! こっちの命令書では、広場への道を通行止めにし、検問を強めろとあるぞ! どっちが優先なんだ!」


布告が出され、新たな顔が立ったにもかかわらず、現場の実装は完全に崩壊していた。

同じ管轄の案件に対して、別々の系統から相反する「追加命令」が次々と飛んでくるのだ。


薄暗い伝令詰所の隅で、大量の書類を処理していた書記官が、二枚の羊皮紙を見比べてぼそりと呟いた。


「……印の形も、署名のインクの癖も、まったく同じだ。だが、文言が完全に逆になっている」


それは単なる事務の手違いではない。

軍、公爵家、そして未だ王城の奥底で燻る旧体制の残存勢力。

命令は増えるのに、統制は戻らない。誰かが“整える”のではなく、誰かが“混ぜて”いる――そんな匂いだけが残った。誰が真実の命令を書いているのか、もはや誰にも分からない。

王都は、政変を経てもなお、内部からの摩耗という底なしの泥沼から抜け出せずにいた。



そして、その不穏なうねりは、王都のさらに深部へと牙を剥き始めた。

深夜、分厚い石壁に囲まれた魔術院の正門に、数名の使者が馬を乗り付けた。


「王都行政局、ならびに軍務総監、およびリヒテンブール公爵家よりの合同通達である!」


使者は、重厚な装丁の文書を門番に突きつけた。

それは表向きは「治安維持への協力要請」と銘打たれていたが、その実態は、魔術院が保有する力と権威を新体制の下に組み込むための、事実上の強制動員命令だった。


「魔術院は、この国の威信そのものだ。このような国家の非常時に、貴殿らが中立を保ち、沈黙を守り続けることは許されない」


文書を受け取った魔術院の若き魔術師は、その文面の最後に並ぶ署名を見て、思わず顔をしかめた。


「……名義が三つもある。軍と、貴族と、行政。……いったい、これは誰の真の命令なんだ?」


使者はその問いには答えず、ただ冷ややかな一瞥を残して馬を返した。


旗は立った。神輿という顔も出された。

だが、順番は戻らず、民の腹は満たされず、命令は増殖するばかりだ。

統制という名の幻影を追い求める王都の権力闘争は、ついに不可侵とされてきた魔術院の重い扉を、力ずくでこじ開けようとしていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

感想やレビューも、心からお待ちしています!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ