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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第6章 秩序と瓦解

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第82話:町娘と掟

お読みいただき、ありがとうございます。

このたび本作が、

[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)124位に入ることができました。


ひとえに、読んでくださった皆さまのおかげです。

本当にありがとうございます。


これからも楽しんでいただけるよう、引き続き執筆していきますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

ウルム村の奥まった場所に位置する別棟。その静かな部屋の窓辺から、ロッテは村の広場を見下ろしていた。

朝の冷たい空気の中、臨時野営地へと続く道には、王都から逃れてきた避難民たちの長い列ができている。そして、その列の脇では、村の女性たちから温かいスープの炊き出しが配られていた。


「……ただ待っているだけの避難というのは、思いのほか胸が苦しいものですね」


ロッテは窓枠に手をかけ、ぽつりと呟いた。

その背後で控えていた初老の執事、クラウスが静かに歩み寄る。


「お気持ちは分かりますが、今は目立たぬことが第一です。外の混乱に巻き込まれるわけにはいきません」


「だからこそ、列に並んで手を動かすのです。別棟に籠もりきりで特別扱いを受けていること自体が、かえって余計な目を引きます」


ロッテは振り返り、真っ直ぐにクラウスを見据えた。その言葉と眼差しには、隠しきれない“育ち”が滲んでいた。


「それに、彼らもまた、同じように行き場を失った者たち。私がここで何もしない理由にはなりません」


「……承知いたしました。ですが、村の掟に従い、あくまで短時間、そして自警団の目の届く範囲での行動として申請させていただきます」


クラウスは深く一礼し、主の意志を尊重した。彼はこの若き主が、一度決めたら決して曲げない、芯の強さを持っていることを誰よりも知っているのだ。



「あの、私もお手伝いさせてくださいな!」


炊き出しの大きな鍋から湯気が立ち昇る天幕。忙しく動き回っていたアリシアは、突然現れた少女の声に目を丸くした。

簡素な服に着替えていても、手先だけが妙に白かった。


「えっと……手が足りなくてすごく助かるんだけど、本当にいいの?」


「ええ、もちろん! 何をすればよろしくて?」


ロッテが明るく微笑むと、隣で木べらを握っていた村の女性が、少し遠慮がちに声をかけた。


「お嬢ちゃん、火の前は危ないし煤が飛ぶよ。せっかくの綺麗な服が汚れちまう。袖、もっとしっかり捲りな」


「はいっ! ……あ、熱っ……!」


ロッテは言われた通りに袖を捲り、スープの器を受け取ろうとしたが、鍋の熱気に思わず手を引っ込めた。


「へたっぴ!」


順番を待っていた小さな男の子が、それを見て無邪気に笑う。

周囲の大人たちが「こら、失礼なことを言うんじゃない」と慌てたが、ロッテはむっとした顔を作ってから、ふわりと楽しそうに笑い返した。


「ふふっ、次はもっと上手にやりますよ! さあ、たくさん食べて元気になってね」


その少し品の良い、しかし全く飾らない真っ直ぐな笑顔に、最初はよそよそしかった村人たちの警戒心が、少しずつ解けていくのを感じた。

不器用ながらも一生懸命に器を洗い、配給を手伝う彼女の姿は、いつの間にか「どこかのお嬢様」から、手伝いに来てくれた「気立ての良い町娘」へと、村人たちの認識を書き換えていた。



炊き出しの手伝いが一段落した頃、ロッテは正門の方向から聞こえてくる騒々しい声に気づいた。

門前では、次々と到着する避難民たちでごった返し、配給の順番や家族の割り込みを巡って、今にも掴み合いの喧嘩が起きそうな雰囲気が漂っている。


「俺たちが先に来たんだ! 後ろに下がれ!」


「ふざけるな、こっちは怪我人がいるんだぞ!」


一触即発の空気の中、ロイルが自警団の若者たちを率いて割って入った。


「押すな! 列を割るな!」


ロイルの声は、怒鳴り声ではなく、よく通る鋭い指示だった。


「子供連れが先だ! 次が負傷者! 順番通りに並べば、必ず全員が野営地に入れるし、配給も行き渡る! 慌てるな、前の人間との間隔を空けろ!」


ロッテは少し離れた場所から、その光景を驚きの目で見つめていた。

剣の柄に手が伸びそうな空気を、あの青年は“手順”で押し返している。

群衆の熱が、嘘みたいに落ちた。

ロッテの胸に、言葉にならない感情が灯る。


その時、押し合う群衆の隙間から、小さな女の子が転びそうになるのが見えた。


「危ないっ!」


ロッテは思わず駆け出し、人混みの中に腕を伸ばして女の子の体をしっかりと抱き止めた。


「大丈夫? こっちよ、転ばないでね」


「……っ、うん」


女の子を安全な場所へ誘導したロッテの姿に、現場を指揮していたロイルが一瞬だけ視線を向けた。


「……助かる。そっちの誘導、任せたぞ」


ロイルは余計な詮索はせず、ただ現場を支える一つの戦力として彼女を認め、短く声をかけた。

「任せた」というその一言が、ロッテにとってはどんな丁重な扱いよりも嬉しく感じられた。


「ええ、任せてください!」


ロッテは力強く頷き、女の子の手を引いて誘導を続けた。



「お下がりください! 危険です!」


突然、鋭い声と共に、一人の男が群衆を掻き分けてロッテのそばに躍り出た。

クラウスと共に彼女を守っている、護衛の男だ。彼は血相を変え、腰の剣に手をかけながら周囲の避難民たちを威嚇するように睨みつけた。


「おい、ちょっと待て」


そのただならぬ殺気に気づいたロイルが、すぐさま二人の間に割って入った。


「この村の中では、自警団以外の武器の持ち歩きは禁止されてるぞ。その剣から手を離せ」


「無礼な! 貴様らごときが、この方をどなただと――」


護衛の騎士が激高し、今にも剣を抜き放ちそうになったその瞬間。


「剣を納めなさい」


低く、しかし絶対に逆らうことのできない威厳を持った声が響いた。

ロッテだ。

彼女は先ほどの「町娘」のような柔らかい表情を完全に消し去り、護衛を真っ直ぐに射抜いていた。


「ここでは、この村のやり方に従いなさい。彼らが築き上げた秩序を乱すような真似は絶対に許しません」


「……っ、しかし!」


「下がりなさいと言っているのです」


有無を言わさぬその迫力に、護衛の騎士は奥歯を噛み締めながら、ゆっくりと剣の柄から手を離し、頭を下げた。

ロイルは小さく息を吐き、ロッテに向かって軽く手を挙げた。


「……ありがとな。掟が守られれば、あんたらを含めて、ここに来た全員を守れる」


「……ええ。お騒がせして申し訳ありませんでした」


ロッテは再び柔らかい微笑みを浮かべ、少しだけ上品に頭を下げた。



同じ頃。迎賓館の管理室では、静かで緊迫した空気が流れていた。

長机の上に広げられた王都周辺の地図に、カインが幾つかの駒を置いていく。


「……街道沿いの見張り台からの報告によれば、王都の方角から等間隔の松明の火がこちらへ向かっているとのことです」


カインの眼鏡の奥の目が、鋭く光る。


「歩幅と隊列の乱れのなさから見て、ただの避難民や暴徒ではありません。訓練された部隊です。速度から推測して、今夜中にはこの村の門前に到達するでしょう。……彼らが探しているのは、間違いなく『優先度の高い人物』かと」


「なるほどな」


俺は腕を組み、窓の外の臨時野営地を見下ろした。

相手が誰を探しているのか、おおよその見当はついている。だが、あえてその正体を詮索するつもりはない。


「夜は防犯のために門を閉める。だが、逃げてきた避難民を締め出すような真似はしない」


俺は静かに、しかし断固とした声で方針を告げた。


「相手が誰であろうと関係ない。この村の門を叩き、掟に従う意志がある者は、すべて保護の対象だ。判断基準は決してブレさせず、これまで通り一本化して対応しよう」


俺の言葉に、隣で書類を整理していたエレノアが、誇らしげな笑みを浮かべた。


「ええ、その通りですわ。師匠が定めたこの村のことわりの前に、例外などあり得ませんもの。……師匠の鉄の掟の前には、ただ立ち尽くすしかありませんわ」


エレノアは熱っぽい視線を俺に向け、「さすがは私の……いえ、我らが村長補佐ですわね」と、嬉しそうに呟いた。

カインが微かに苦笑し、俺は軽く肩をすくめた。


「ともかく、今夜は門前の警備を厚くしろ。ギード村長にも立ち会ってもらう」


俺がそう締めくくると、カインは深く頷き、すぐさま手配のために部屋を出ていった。



そして、夜。

冷たい風が吹き荒れるウルム村の正門前に、多数の松明の炎が揺らめいた。

到着したのは、黒っぽい革鎧に身を包んだ数十名の小隊だった。紋章が外されており、正規軍なのか、あるいはどこかの貴族の私兵なのか、一見しただけでは判別しにくい混成部隊だ。


門の内側で松明を手にしたロイルと、その横に立つギード村長の前に、小隊の指揮官らしき男が進み出た。


「王都よりの通達だ。ここ数日、王城を抜け出した極めて危険な逃亡者が、避難民に紛れ込んだ可能性がある。村の中を確認させてもらう。ただちに門を開けよ」


居丈高に告げる指揮官に対し、ギード村長は全く動じることなく、低い声で返した。


「それはご苦労なことじゃが、ここは王国にも帝国にも属さぬ空白地帯じゃ。そもそも、我らが王都の通達に従う義務はないぞ」


「なんだと? 辺境の開拓村風情が、王国の通達に逆らうというのか! 金が必要なら払おう、さっさと道を開けろ!」


「金じゃない。掟の話だ」


ロイルが一歩前に出て、指揮官を真っ直ぐに見据えた。


「ここはただの開拓村じゃない。門の向こうには、帝国から直々に贈られた『黒皇石の石碑』が立っているんだぞ」


その言葉に、指揮官の取り巻きの兵士たちがざわめいた。


「王国の部隊がここで強引に剣を抜けば、帝国への明確な敵対行為とみなされる。その責任、お前らみたいな名無しの小隊で取れるのか?」


ロイルのハッタリではない、冷徹な事実の突きつけに、指揮官の男は忌々しげに舌打ちをした。

武力で押し通る大義名分を完全に封じられ、彼は門の奥に広がる無数の焚き火の明かりを睨みつける。


「……辺境の泥臭い開拓村が、ただの避難民の群れに対して、帝国との不可侵の盾を使ってまで頑なになる理由があるのか?」


男の目が、蛇のように細められる。


「……まるで、“絶対に守らねばならない者”でも匿っているかのように見えるがな」


(……踏み込んできやがったな)


ロイルは内心で舌打ちをしながら、腰の剣の柄にそっと手を添えた。

王都の混乱という名の巨大な波は、ついに明確な「悪意と目的」を持った刃となって、この辺境の村の門をこじ開けようとしていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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