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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第5章 模倣と誤算

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幕間5-2:再訪と仕掛け

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

数日後。レオニスは再び地味な外套を羽織り、王都の古い石造りの建物が並ぶあの薄暗い路地を歩いていた。

しかし、いくら探しても、あの『古物・骨董』と記された色褪せた木製の看板は見当たらない。


記憶違いかと思い、何度も同じ角を行き来するが、そこにあるのは閉ざされた空き家と、見知らぬ靴職人の工房だけだった。


「確かに、この角の先だったはずだが……」


通りすがりの住人に尋ねても、「骨董屋? そんな店、この路地には昔から聞いたことがないな」と訝しげな顔をされるだけだった。

まるで白昼夢でも見ていたかのように、店は忽然と姿を消していた。

レオニスの胸に、これまで味わったことのないような強い焦燥感が生まれる。王太子として生まれ、望むものは何でも手に入ってきた彼が、初めて何かを強烈に「探して、求める」側になっていた。


(あの店主に、もう一度話を聞かねばならない。あの言葉の続きを)



路地を抜け、活気と喧騒、そして苛立ちが入り交じる市場へと足を踏み入れる。

夏の終わりの熱気は薄れ、朝夕の風には確かな秋の冷たさが混じり始めていた。本格的な冬の到来を前に、市民たちの不安は市場の物価と供給の滞りとして、生々しく可視化されている。


「糸が届かないんだよ!外套の修繕もできやしない!」


「替えの靴底だって入ってこない! 質のいい革は全部軍に回されてるって噂だぞ!」


荷車の前で、修理屋が客に平謝りしている。

その横では、建材を運んできた木こりが、役人に食って掛かっていた。


「木材の寸法が指定と違うってどういうことだ! 先週はこの規格で通ったはずだぞ!」


「昨夜から新規格に変わったんだ! 古い規格のものは受け取れん!」


「馬鹿言え! 切っちまった木はどうするんだよ!」


人々の怒号と悲鳴を聞きながら、レオニスは外套の下で強く拳を握りしめた。


(……あの老紳士の言う通りだ。個人の武勇や騎士の誇りなど、ここでは何の役にも立たない)


正しい理に基づく供給の仕組みがなければ、現場には血を流すのと同じような生活の痛みが生まれるのだ。

届く速さ。規格の統一。記録による確かな管理。

それらが欠如しているからこそ、この国の市場は疑心暗鬼に陥り、自らの首を絞め合っている。

レオニスの中で、「供給が国を支える」という言葉が、理屈ではなく痛みに変わっていくのが分かった。



市場の外れ、人通りが少し疎らになった広場の隅。

雑多な露店が並ぶ一角に、レオニスはふと視線を向け、そして息を呑んだ。


粗末な敷物を広げただけの簡素な露店の奥。小さな折り畳み椅子に腰掛け、静かに革張りの本を読んでいる白髪の人物。

間違いなく、数日前にあの路地裏の店にいた老紳士だった。

レオニスは周囲の目を気にすることも忘れ、足早に歩み寄り、その前に立った。


「あなたは……!」


老紳士はゆっくりと本から視線を上げ、驚いた様子も見せずに、ただ静かに微笑んだ。


「あぁ……あなたは、先日の……」


「あの路地の店は、どうした。何度探しても見つからなかったぞ」


レオニスが少し語気を強めて問い質すと、老紳士は穏やかな声で答えた。


「人の流れは、店も連れて歩きます。留まる水が淀むように、商いもまた、流れていくものです」


それだけで、十分だった。だが、今のレオニスにとって、そんな背景はどうでもよかった。



レオニスは周囲の雑踏に声が紛れるよう、一歩距離を詰めて声を潜めた。


「あなたの言った言葉が、頭から離れない。……供給の仕組みが国を支える。戦は届く速さで決まる。まさにその通りだ」


老紳士は本を閉じ、膝の上に置いた。


「今、この王都の市場で起きていることを見ましたか。国が飢える時、最初に壊れるのは何だと思います?」


老紳士はレオニスに答えを与えるのではなく、極めて自然な質問で彼の思考を誘導していく。


「……市場の信用だ」


レオニスは市場でのやり取りを思い出しながら答える。


「証文は紙切れと化し、現金の奪い合いになる。誰も明日を信じられなくなる」


「その通りです。では、信用が壊れた時、誰が物資を配る“順番”を決めます?」


「それは……」


レオニスは言葉に詰まった。商人たちの自主性に任せれば、力の強い者が買い占め、弱者が飢えるだけだ。各ギルドに任せても、彼らは自らの利益を最優先して他のギルドと争うだろう。


「……王が、決めるべきだ」


レオニスは確信を持って答えた。国家という巨大な船が沈みかけている時、舵を握れるのは王権だけだ。


「では、今の王がそれを決められない時は?」


老紳士の問いは、刃のように鋭くレオニスの核心を突いた。


「王が……」


レオニスは息を呑み、そして自らの口で、その致命的な結論を紡ぎ出した。


「王が“決められる仕組み”を作るしかない。規格と記録を王権で押さえ、供給を一つの歯車に組み直す」


それこそが、レオニスがこの数日間、無意識のうちに求め続けていた「理想の国家体制」の答えだった。



老紳士は、ただ一度だけ頷いた。

「素晴らしい。……良い眼だ」


そして、老紳士は敷物の上に並べられた古い分銅の一つを指先で転がしながら、まるで世間話でもするかのように、さらりと言った。


「……妙な話ですが。遠く離れた辺境の地に、すでにその“仕組みで回る村”があるそうです」


「仕組みで回る村だと……?」


レオニスの目の色が変わった。


「はい。木材の寸法がすべて揃い、物資の流れが記録に残り、誰に何を配るかの優先順位が明文化されている。個人の才覚という奇跡に頼るのではなく、誰にでも回せる確固たる運用が存在しているのだとか」


老紳士はレオニスの反応を確かめるように、少しだけ目を細めた。


「聞くところによれば、王都を追われた一人の追放者がその仕組みを作った、とも言われておりますが」


「辺境の開拓村で、それほどの統制が敷かれているというのか……」


レオニスの胸の中で、抽象的な理想論が、突如として現実の形を伴った「明確な目標」へと切り替わった。辺境の村でできていることが、事実として存在しているのだ。


「あくまで噂に過ぎませんがね」


老紳士は静かに笑う。


「ですが、本当に優れた仕組みの噂というものは、国境の壁より先に、人の口に乗って遠くまで届くものです」



レオニスの頭の中で、すべての思考が一本の強靭な線に繋がった。

王権で供給を握り直す。規格と記録を王都に導入する。

そして、その辺境の村で実証されているという「仕組み」を、国家の力で中枢に取り込み、模倣するのだ。

そうすれば、この腐りかけた王都の物流は蘇り、国は再び立ち直る。


(……父上に進言しよう)


レオニスは決意に満ちた目で、小さく頷いた。

そして、目の前の老紳士に向けて力強く口を開く。


「辺境でできていることが、王都でできないはずがない。その仕組みを中枢で再現できれば、この国は必ず持ち直す」


老紳士は、その若く純粋な情熱を止めることも、過剰に背中を押すこともなかった。ただ、極めて美しい正論だけを口にした。


「真に上に立つ者というものは、剣を抜く前に“届く道”を整えるものです。……若きあなたの思い描く理想が、いつか実を結ぶことを願っておりますよ」


それは、レオニスの国を憂う誠実さにとって、これ以上ないほど甘く、そして抗いがたい毒だった。

レオニスは深く頷き、老紳士に短い礼を言うと、決然とした足取りで王城の方角へと歩き出した。彼の背中には、もう迷いは一切なかった。


「仕組みを掴めば、この国は救える」


その確信が、彼の中の歯車を回し始めた。



レオニスの姿が市場の雑踏の中に完全に消え去った後。

露店の裏に積まれた木箱の影から、一人の若い男が音もなく姿を現した。彼は老紳士の露店を手伝う下働きのようにも見えたが、その気配の消し方には一切の隙がない。


「……獲れましたか」


連絡係の若い男が、周囲に聞こえないほどの低い声で尋ねる。

老紳士は折り畳み椅子からゆっくりと立ち上がり、敷物の上に並べた古道具を片付け始めながら、淡々と答えた。


「獲ったのではない。彼が自ら、最も美しい“正しさ”を選んだのだ」


若き王太子の純粋な善意と勤勉さは、その正しさゆえに、自国を破滅へと導く致命的な扉を開けてしまった。


「次は、どう動きますか」


連絡係の若者が問う。

老紳士は古い分銅を木箱の中にしまい込み、冷たい笑みを浮かべた。


「噂を、少しだけ増やす。彼が王城で声を上げた時、周囲の文官たちがそれを『確かな事実』だと錯覚するようにな」


老紳士の視線の先で、秋風に吹かれた枯れ葉が、石畳の上を乾いた音を立てて転がっていく。

国を壊すのに、軍も魔法も要らない。正しい理屈に、噂をひとさじ混ぜればいい。


噂は刃より軽い。

だが、強固な国を根本から斬り裂くのは、いつの時代も、人の口から口へと渡るその軽い噂なのだ。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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