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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第5章 模倣と誤算

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第77話:責任と出口

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

羽ペンの走る音が、苛立った指の打音にかき消される。

読み上げられる報告は途切れないのに、評議の間の空気だけが一歩も進まなかった。

長机に積まれた羊皮紙の山――そこに書かれているのは、王都の傷ではなく、“それを誰の傷にするか”だった。


長机の上には、王都の各所から上げられた膨大な報告書の束が山のように積まれている。それらを囲むのは、エルディナ国王をはじめとする王国の中枢を担う重臣たちだ。

だが、彼らの報告には共通して、最も肝心な一つの言葉が抜け落ちていた。


「……財務卿。資金繰りの『調整』とは、具体的にどうなっている」


王が低く、苛立ちを抑えた声で問う。


「はっ。大口案件の決済におきまして、ギルド発行の証文を併用し、資金の流動性は辛うじて維持されております。市場への影響を最小限に留めるための、暫定的な措置にございます」


「維持されているだと?」


財務卿の言葉を遮ったのは、軍の兵站を統括する兵站監だった。


「その『紙の流動性』とやらで、前線の兵は眠れぬのだ。証文などという紙切れで、どこの商人が薪や革を売ってくれる。足りぬものは薪と布と革だ。止まっておるのは、兵の冬支度そのものなのだぞ」


「それは検問の基準が厳しすぎるからだ!」


内政を預かる文官が、声を荒げて反論する。


「偽造された通行札が横行している以上、検査の厳格化は不可欠だ。現場の兵士たちが荷車を一つ一つ止めて調べるから、物資の流通が滞っているのではないか」


「その偽造札を野放しにし、責任の所在を曖昧にしているのは文官側だろうが!」


「お言葉ですが、いま事業を止めればどうなるか」


工房の事業監督官が、すかさず口を挟む。


「莫大な予算を投じた王命の計画です。品質の改善は着実に進んでおります。ここで資材の供給を絶たれれば、これまでの工程も投じた資金も、すべて無駄になります。資材さえ安定して供給されれば、必ずや持ち直せます」


「余は、言葉の出来を問うておらぬ」


王の冷酷な一言が、評議の間の熱を急速に奪い去った。


「何が止まり、何が足りぬのか。飾りの言葉を剥げ」


だが、王の問いに明確に答える者はいない。

彼らの議論はすでに「この施策を続けるか止めるか」という政策の是非から完全に外れていた。

誰の命令書を優先するのか。どの部署の印判で検問を通すのか。万が一市場が崩壊した時、誰が最終的な責任を負うのか。

その「責任の所在」を巡る泥仕合こそが、中枢が完全に機能を喪失している何よりの証拠だった。



「……理は、誤っていなかった」


重苦しい沈黙を破ったのは、これまで静観していた王太子だった。彼が口を開くと、文官も将官も一斉に視線を向ける。この大規模な模倣計画の端緒を開いた、発案者その人だからだ。


「王権の主導によって規格と記録を統制し、供給の仕組みを握る。軍の数だけではなく、経済力と物流の速さこそが国を強くする。その理念は、今でも間違っていないと信じている。」


王太子の声には、確かな信念が宿っていた。属人的な技術を数字と記録の仕組みに置き換えるという発想そのものは、国家を次の次元へと引き上げる絶対的な正解だったはずだからだ。


「……だが、人は理だけでは動かぬ」


王太子の口から、苦渋に満ちた言葉がこぼれ落ちる。


「現実として、我々の実装の手順と、各部署の統制は完全に破綻している。理を急いだ結果、今、現場では血が流れているのだ」


王太子は真っ直ぐに王を見据えた。


「父上。今は一度、段階的に計画を縮退させるべきです。工房の稼働を最小限に抑え、軍の冬支度への物資供給を最優先とする。そして、乱立している検問の基準を、王家の名のもとに一本化するのです」


それは、現状を冷静に分析した上での、極めて現実的な「撤退戦」の提案だった。

だが、その言葉に最も強く反発したのは財務卿だった。


「殿下、それは事実上の失敗認定にございますぞ!今ここで支払いや事業の縮小を明言すれば、ただでさえ冷え込んでいる市場の信用不安は一気に加速します。暴動が起きかねません」


「では、このまま偽りの証文を発行し続け、兵を凍えさせるというのか!」


「信用というものは、演出によって維持されるのです。ここで王家の弱気を見せれば、それこそ国が立ち行かなくなります」


王太子は強く唇を噛んだ。

理念は正しくとも、すでに計画は政治的な面子と市場の信用という、後戻りのできない怪物に育ち切ってしまっている。


「……兵の冬支度は、政策論争の外に置くべきだ」


その時、これまで硬い表情で目を閉じていた軍の最高権威、元帥モンフォールが静かに口を開いた。 低く、底光りするようなその声に、文官たちが息を呑む。


「陛下。兵站監の報告の通り、前線の状況は限界を超えております。同じ便に対して相反する命令が届き、検問ごとに基準が変わる。もはや軍は、文官の書類を信じて動くことができません」


元帥は、王権への反逆ではなく、あくまで国家を持たせるための現実策として提案した。


「軍枠の物資転用を即刻停止し、軍が独自の裁量で物資を確保する権限を明文化していただきたい。さもなくば、冬の到来と共に軍という組織が自壊します」


「……外には置けぬ」


王は、玉座の手すりを強く握りしめながら、元帥の提案を退けた。


「今それを切り分け、軍に独自の権限を与えれば、国家の統制機構そのものが崩れる。王権の威信が地に落ち、他のギルドや貴族たちもこぞって独自の動きを始めるだろう」


「もう崩れております」


元帥の冷徹な言葉が、王の胸を容赦なく刺し貫く。


「陛下。今は崩れない方法を探す段ではありません。どう崩れるか、その崩れ方を選ぶ段なのです」



重苦しい空気が支配する中、王は決断を迫られていた。

「中止」を明言すれば、政治的な死が待っている。だが「継続」を強行すれば、物理的に国が死ぬ。

王は、絞り出すように命を下した。


「……整理せよ。滞りを解け。現場を持たせろ。――ただし、王都の顔は潰すな」

その一句が、誰の首に縄を掛けるのか。

それを決めぬまま、王の言葉だけが先に落ちた。

その極めて曖昧な言葉は、破綻を目前にした各部署に「己の都合の良い解釈」を許す結果となった。


財務卿は証文の乱発を正当化し、内政文官は治安維持を名目に検問をさらに強化する。工房は実績を偽装し、軍は自力で物資を奪いに行く大義名分を得た。

王の決断の欠如は、各部門が自らの生存のために相反する命令をさらに増産していくという、最悪の未来を確定させた。


王太子が何かを言いかけて、無力感と共に言葉を飲み込む。

元帥は深く目を閉じ、それ以上何も言わずに沈黙した。その静けさは、王権への見切りにも似た、冷たく重いものだった。



評議が散会を迎えようとした、まさにその時だった。

一人の伝令が、血相を変えて部屋へ駆け込んできた。


「急報! 王都西区、第三備蓄倉の前で――軍の部隊と、近衛府の警備隊が睨み合っております!」


「なんだと!?」

王が玉座から身を乗り出す。


「なぜ味方同士で争っている! 暴動でも起きたというのか!」


「い、いえ……両部隊ともに『上層部からの特例命令』を掲げ、物資の優先引き渡しを求めております。互いに相手の命令書を『偽造だ』と主張して譲らず、ついに抜刀しての小競り合いに発展しました!」


伝令の報告に、評議の間の空気が凍りついた。


「周囲には配給を求める群衆も押し寄せており、いつ大規模な流血事態に発展してもおかしくない状況です!」


王の決断の欠如が、最悪の形で現場に跳ね返った瞬間だった。

「整理せよ」という王の曖昧な言葉は、皮肉にも各部署に「自分たちの命令こそが正当である」と強行させる大義名分を与えてしまったのだ。


「……愚かな」

元帥の声は小さかった。だが、その場の誰よりも“早く”結論に辿り着いていた。


羊皮紙の上の争いは、もう終わる。

次に王都を動かすのは、刃と群衆だ。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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