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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第5章 模倣と誤算

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第75話:王と進言

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「一時的な滞留」「想定内の変動」「臨時の再配分」。


王の前に差し出された羊皮紙には、都合の悪い現実ほど、よく磨かれた言葉で美しく包まれていた。


重厚な石造りの政務室。王の背後にある暖炉では赤々と薪が燃えているが、部屋の空気は凍てつくように冷たい。

長机に並べられた報告書の束を前に、エルディナ国王は深く息を吐いた。


「……蔵務卿。この『大口案件における決済処理の調整』とは、具体的に何を意味しておる」


「はっ。一部の商会からの支払い請求に対しまして、ギルド発行の証文を併用し、資金の流動性を、その、確保している状態にございます」


「つまり、現金が払えず、ただの紙を押し付けているということだな」


蔵務卿が言葉に詰まり、額に冷汗を浮かべる。


「工房監督官。こちらの『試験工程における歩留まりの変動』とは」


「は、はい!新しい炉の温度管理において、若干の、本当に微細な誤差が生じておりまして、一部の煉瓦が規格に満たない状態で――」


「焼き損じの泥の山ができていると聞いているが」


王の低い声に、監督官はビクッと肩を震わせて黙り込んだ。

軍務局の連絡役も同じだ。「備蓄運用枠の臨時再配分に対する現場の懸念」という言葉の裏にあるのは、兵站を削られた前線部隊の飢えと怒りである。


誰も「失敗」とは言わない。保身のために言葉を濁し、責任の所在を曖昧にする。

王は苛立ちを隠さず、机を軽く叩いた。


「飾りの言葉はいらぬ。止まっているのは、道か。金か。人か」


「……いずれも、局所的な調整の範囲にございます。いずれ時機を見て解決に向かうかと」


文官の一人が、王の目を逸らしながら震える声で答えた。


「局所がいくつ集まれば、王都全体と呼ぶのだ」


王の冷酷な問いに、政務室は水を打ったように静まり返った。

誰も「失敗」とは言わない。保身のために言葉を濁し、責任の所在を曖昧にする。

...そして王自身もまた、その言葉を彼らの口から引き出すことはできなかった。

それを明言させた瞬間、この莫大な予算をつぎ込んだ巨大な計画は、完全に「王の失策」として歴史に刻まれることになるからだ。



王は目を閉じ、豪奢な椅子の背もたれに体を預けた。

脳裏に蘇るのは、数ヶ月前、まさにこの政務室で王太子が熱弁を振るっていた姿だ。


「父上。我が国の力は、兵の数や騎士の武勇だけではございません。物が届く速さ、人を動かす仕組みもまた、王の力にございます」


王太子は、非現実的な夢想を語る愚物ではなかった。次代の統治者として国を憂い、誠実に策を練る青年であった。


「あの村に人と物が集まるのは、一部の魔術や奇跡の技だけが理由ではありません。寸法を統一する規格、無駄のない導線、正確な記録。それを統制する運用の仕組みがあるからです」


王太子の主張は、王の統治者としての野心を強く刺激した。

王都の弱点は、常に供給の運用にあった。巨大な人口と物資を抱えながらも、その流通は一部の大貴族や古参の商会ギルド、そして軍部によって既得権益として分割されていた。


「……王都でそれを再現できれば、国の血流を王家の手に戻せる、と言うのだな」


「はい。辺境の小村にできて、王都にできぬ道理はございません。王家の旗の下で新たな(ことわり)を構築できれば、将来の戦備も税収も、すべて我らが握り直すことができます」


政治的にも、経済的にも、見事な筋書きだった。王がこの計画に国庫を開き、強行した理由はそこにある。

だが、軍務卿をはじめとする保守派の側近たちは、猛烈に反対した。


「拙速です。現場の職人たちの理解を得ぬまま、大規模な実行に移すのは危険に過ぎます」


「軍の備蓄を削ってまで新しい炉に回すなど、一線を越えております。血流を急に変えれば、まず末端の血管が破裂いたしますぞ」


それでも、王は押し切った。

ここで着手しなければ、王家は主導権を失う。辺境の追放者が作り上げた仕組みに、何百年と続く王都が後れを取るなど、統治の根幹を揺るがす事態だった。



王はゆっくりと目を開け、目の前に積まれた言い訳だらけの報告書を見下ろした。

末端の血管は、破裂した。側近の懸念は、最悪の形で現実になろうとしている。


王太子が描いた「王家の手に血流を取り戻す」という理想は、いまや猛毒に変わっていた。現場の職人を潰し、街道の荷を止め、市場の信用を枯らしている。


(だが……ここで止めるわけにはいかぬ)


王は内心で強く歯を食いしばった。

ここで「計画の中止」を命じれば、王は自らの致命的な判断ミスを天下に晒すことになる。

反対派の貴族や軍部に攻撃の隙を与え、ただでさえ冷え込んでいる市場の信用不安はパニックへと変わり、王都の経済は完全に崩壊するだろう。

過酷な現場で耐えている職人や商会たちも、「王家に見捨てられた」と絶望し、暴動が起きかねない。


「止める」という選択肢は、政治的にすでに失われていたのだ。


「……中止ではない」


王の重い声が、静まり返った政務室に響いた。


「中止ではなく、整理だ。滞りを解け。現場を持たせろ。どのような手を使っても構わん、王都の顔を潰すな」


その言葉を聞いた瞬間、居並ぶ官僚たちの顔に、隠しきれない安堵の色が浮かんだ。

王が「中止」を明言しなかったことで、少なくとも今この場で「失敗の責任」を問われずに済むと分かったからだ。


「はっ!直ちに各所へ調整を命じます!」


「現場への追加支援を早急に手配いたします!」


彼らは口々に勇ましい言葉を並べ立てるが、誰も「では、具体的にどの無駄な工程を止めるべきか」とは聞かなかった。


(……その“調整”が、どれほど現場に血を流させるか、分かっているはずなのに。誰も言わぬか)


王は深い孤独の中で、自らの蒔いた種が、取り返しのつかない怪物に育っていくのを感じていた。



軍務と内政の報告がようやく一段落し、重苦しい会議が終わりかけた、その時だった。

一人の書記官が、顔を蒼白にして小走りで政務室へ駆け込んできた。その手には、数枚の羊皮紙が震えながら握られている。


「陛下……急ぎ、ご確認いただきたいものが」


「何だ。またどこかの道が詰まったか」


「い、いえ……」


書記官は言葉を濁しながら、王の机の上に三枚の控えを広げた。

王はそれを一瞥し、眉をひそめた。


「これは……王都南区の工房へ向けた、特例資材の通行許可書の控えではないか。それがどうした」


「日付も、宛先も、発信元の名義もまったく同じです。……ですが、本文をお読みください」


王は目を細めた。

一枚目には『王命により、当該物資の出庫および通行を最優先で実行せよ』とある。

だが、二枚目には『偽造印の疑いあり。同物資の通行を一時停止し、厳重に検査せよ』。

そして三枚目には『軍務局の権限において、本件の物資移動を全面凍結する』と書かれていた。


「……写しの取り違えか?」


王は低く問うた。だが、書記官は首を横に振った。


「受理印と、中継した検問所の印がすべて異なります。これらは別々の経路で……実際に、現場へ向けて流されております」


部屋の空気が、凍りついた。

誰もが息を呑み、互いの顔を見合わせる。

それが意味するものは、あまりにも明白で、そして絶望的だった。


「……誰だ」


王の低い声が、地を這うように響いた。それは怒号ではなく、底知れぬ恐怖に触れた者の声だった。


「誰がこの命令を二重に流した」


誰も即答できない。

責任の押し付け合いですらない。官僚たちも本当に、王都のどこで、誰がこの矛盾した命令を出しているのか、まったく把握できていなかったのだ。


「控えの取り違えでは済まん。余の名を騙る者か、余の意志を無視する者か……いずれにせよ、別の意志が走っているということだ」


王の視界の中で、何百年と続いてきた絶対的な権力基盤が、音を立てて崩れ落ちていく。


「現場が詰まっているのではない……」


王は、相反する三枚の命令書を見つめたまま、絞り出すように呟いた。


「上が……国の中枢そのものが、裂け始めているのか」


その言葉は、王都を飲み込もうとしている真の崩壊の、最も恐ろしい開幕の合図だった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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