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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第5章 模倣と誤算

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第74話:命令と食い違い

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都の中心部にある豪奢な石造りの役所。その長い回廊は、朝から戦場のような怒号と足音に包まれていた。


「急げ!王家肝煎りの工房向け資材だ、最優先で通せと検問所に伝えろ!」


「お待ちください!その案件は、偽造された通行札が混入している疑いがあるため、警備隊から一時停止の要請が来ています!」


「馬鹿を言え!すでに会計方からは仮の裁可が下りているんだぞ。ここで止めれば、遅れの責はこっちに被せられる!」


羊皮紙の束を抱えた書記官たちが右往左往し、決裁の印章を待つ者たちの列が廊下の端まで伸びている。

同じ案件に、まったく逆の指示が別口から飛ぶ。

調整は消え、各所はただ「自分は命令を出した」という形だけを現場へ押し付けていた。


「それはそちらの不手際だろうが!」


「現場が勝手に止めているだけだ!我々は期日通りに書面を出している!」


言い争う中堅役人たちの横で、待たされていた伝令兵が悲鳴のような声を上げた。


「無茶を仰らないでください!同じ日の同じ案件に対して、三つ目の命令書を持って行けと言われても……それでは現場の兵から、私が偽者扱いされてしまいます!」


「うるさい!いいからこれを届けろ!上の決定だぞ!」


怒鳴りつけられた伝令兵が、絶望的な顔で走り出していく。

もはや、そこに統一された国家の意志はない。あるのは「自分は命令を出した」という免罪符を作りたいだけの、無責任な紙切れの乱造だった。


「……もう、各所が勝手に火消しをしておるな」


廊下の隅で、古参の書記官がすり減った羽ペンを握りしめながら、誰にともなく小さく漏らす。

王都の行政機構は、機能不全という末期症状を明確に呈し始めていた。



王都の狂った命令の往復運動は、休むことなくウルム村の正門前へと押し寄せていた。


「王都からの緊急の依頼書だ!すぐに工房に回してくれ!」


伝令が馬を駆け込ませてきたかと思えば、その一時間後には別の伝令がやってくる。


「さっきの依頼は一時撤回だ!仕様が変わった、作業を止めさせろ!」


さらにその数時間後。


「やはり前の規格に戻せ!だが納期は据え置きだ、急がせろ!」


王都の混乱の波は、「商人の列」と「避難民の対応」でただでさえ逼迫している門前を、完全に飽和させようとしていた。

だが、そこにはすでにロイルが敷いた強固な導線管理が機能していた。


「おい、伝令の馬は左の待機線に入れろ!一般の荷車は右だ。中央の緊急通路は絶対に塞ぐな!」


ロイルは自警団の若者たちを動かし、門前の空間を「商人の待機」「伝令の専用線」「緊急退避」の三つに明確に切り分けていた。


「緊急の通達だぞ!早く通せ!」


馬から降りて叫ぶ伝令兵に、ロイルは表情を崩さず向き直った。

「急ぎなのは分かった。だからこそ順番を壊すな。順番が崩れりゃ、結局いちばん急ぐ奴から止まる」


「なんだと!」


「書類はあっちの受付に出せ。馬には水場で水を飲ませておけ。あんたはそこの天幕で仮待機だ。上の確認が取れるまで村の中には入れない」


ロイルは感情的な相手の言葉には一切乗らず、ただ「手順」として処理していく。


「ロイル兄ちゃん!また王都から撤回の命令が来たぞ!さっきと全然話が違う!」


書類を受け取った若い村人が、混乱した様子で駆け寄ってくる。ロイルは首を振った。


「違うんじゃない。『違う命令が同時に来てる』可能性があるってことだ。今は勝手に判断するな、受け取った時間と一緒に記録だけ残して上に回せ」


その見事な交通整理の横で、荷車の誘導をしていた物流責任者のヘイムが、呆れたようにため息をつく。


「荷物より先に、伝令の往復で道が詰まるとはな……。末期だぜ」



行政の混乱は、現場の職人たちに「実作業の徒労」という最も重い疲労を強いていた。


「ふざけるな!材料を切って、炉に火を入れる直前で仕様変更だと!?」


ウルム村の工房で、ドルガンの配下である若手職人が金槌を床に叩きつけた。


「止めたら今度は『前の規格に戻せ』だぁ? 段取りってもんを何だと思ってやがる!」


「……この流れ、向こうの工房と同じだ」


隅の方で作業を手伝っていたガレス親方と弟子のミオルが、青ざめた顔で顔を見合わせていた。王都で彼らを追い詰めた「無責任な命令の乱発」が、ここでも始まろうとしている。


「ごめんね、ちょっとお茶の差し入れだよ」


張り詰めた空気の作業場に、アリシアがお盆を持って入ってきた。彼女は怒り狂う職人たちや、トラウマに怯えるガレスたちに、温かいお茶の入った木の実のカップを手渡していく。


「まだ作ってないのに、作り直しの話ばかり来るの、おかしいよね」


アリシアは専門的な工程のことは分からない。だが、彼女はその現象の本質を、素直な言葉で言い当てた。


「手は止まってるのに、心だけ先に削れてる顔してる」


その一言に、怒鳴り散らしていた若手職人も毒気を抜かれたように息を吐き出した。徒労感という見えない重圧を、アリシアが言葉にしてすくい上げてくれたからだ。


「……また、あの無茶苦茶な徹夜作業が始まるんでしょうか」


震える声でこぼすミオルに、アリシアは優しく、だがはっきりと言い切った。


「ここでは、分からない命令のまま無理に火を入れたりしないよ。ギード村長も、アシュラン様も、ちゃんと守ってくれるから。だから安心して、少し休んでて」


王都との決定的な違い。それは、理不尽な命令から現場の職人を守り抜く「防波堤」が存在していることだった。



ロイルが門前で整えた受付記録。伝令が持ち込んだ依頼書や撤回書の束。そして、工房側での作業停止の記録。

それらはすべて、朝、昼、夕刻という厳密な時刻の記録と共に、迎賓館の管理室へと上げられていた。


「……変だな」


長机の上に無数の書類を並べていたキドが、首を傾げて呟いた。

彼は、王都から届いた何枚もの「依頼書」と「撤回書」を並べ、食い入るように見つめている。


「これ、名前も役職も違う人が出してる命令書なのに……」


キドは二枚の羊皮紙をカインの前に押し出した。一枚は『最優先で着手せよ』という依頼書。もう一枚は、その数時間後に届いた『仕様変更のため一時停止』という撤回書だ。


「よく見てよ。一番下の署名の癖、跳ね方がまったく一緒だ。それに、数字の書き直し方とか、王国の印章を押す位置のズレ方まで同じなんだよ」


キドの言葉に、カインの目の色が変わった。


「これ、別人の命令っていうより……同じ机で、同じ人間が慌てて書き直してる字に見える。それに、『止めろ』って言ってる紙と、『急げ』って言ってる紙……どっちも同じ手が触ったみたいな汚れの跡がついてるぞ」


内容の矛盾ではない。キドが見抜いたのは、書類という「物質」が作られた過程の矛盾だった。


「素晴らしい」


カインが感嘆の声を漏らし、キドの頭に手を置いた。


「内容の正しさではなく、生成された工程を見たのですね。書面上の名義は違っても、実務としてそれを処理しているのは同じ一室の書記たちだということです」


俺もまた、壁際からそのやり取りを見て感心していた。


「……いい拾い方だな、キド」


俺の言葉に、キドが嬉しそうに鼻の下を擦る。


「現物の表面の言葉に騙されず、裏側にある『流れ』を見てる。弟子の素養としては十分すぎるな」



「現場が命令を守っていないんじゃない。守れるようなまともな命令が、最初から届いていないんだ」


俺は集められた書類の束を見下ろしながら、王都の現状を切り捨てた。


「発令する側が責任を押し付け合い、同じ書記たちに矛盾した書類を何枚も書かせている。組織内部の統制が完全に崩壊している証拠だ」

「ええ。単なる伝令の遅れでは説明がつきません。同一の案件に対して、複数の優先順位が同時に動いている状態です」


カインが眼鏡を押し上げながら同意する。財政と技術の失敗が、ついに行政の運用システムそのものを壊し始めたのだ。


「ウルム村での受け入れの掟を固めるぞ」


俺はカインに向かって指示を出した。


「王都からの依頼は、最終的な確定印、受領責任者の署名、そして発令時刻の記録。この三つが完全に揃うまで、絶対に工房には着手させるな」

「承知しました。保留案件として扱います」

「もし一度着手した案件に、後からふざけた撤回や仕様変更が来た場合は、そこまでの作業工程と無駄になった材料をすべて記録しろ。それを『損失』としてはっきりと目に見える形にして、王都に突き返してやれ」


相手の無責任な思いつきを、こちらの現場で無料で引き受けてやる義理はない。


「そして、伝令の受付はロイルがやっている導線分離のやり方を、正式な村の掟として運用しろ。感情で動く奴は、門の内側に入れるな」


いくら王都が壊れようとも、ウルム村の記録と導線の仕組みさえ守り抜けば、この村の平穏は揺るがない。


その日の夕刻。

一階の受付に降りていたカインが、少し険しい顔をして戻ってきた。


「門前で待機している行商人や、伝令の護衛兵たちの間で、少し厄介な噂が広がり始めているようです」

「厄介な噂?」

「はい。『役所の文官が出す命令はもう信用ならない。これからは、軍の荷物は軍の印だけで通すべきだ』と、兵士たちの間で公然と言い出している連中がいるそうです」


カインの言葉に、部屋の空気が微かに冷えた。

文官の行政命令を無視し、軍が独自の判断で動き始める。それは国家という枠組みにおいて、最も危険な兆候だ。


「統制の乱れが、ついに権限の分離へと進んでいますね。……次は通行札の違いではなく、掲げている旗の違いで、街道が完全に止まるかもしれません」

「……命令が食い違っているうちは、まだ組織の『故障』で済む」


俺は窓の外、夕闇に沈みゆく王都の方角を見つめながら、静かに言った。


「だが、系統ごとに自分の命令だけを強引に通し始めたら……それはもう、全く別の病気だ」


武力という牙を持った組織が、それぞれの正義と面子のために別々の旗を掲げ始めた時。

本当の崩壊が、音を立てて幕を開ける。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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