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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第5章 模倣と誤算

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第70話:再現と焦げ

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都の工房でその日、炉に火を入れる前から、職人たちの顔には諦めが浮かんでいた。


「明日までに形にしろ。中身は後でいい」


中間役人が冷酷にそう言い放った瞬間、炉の前に立つ職人たちの顔から、わずかに残っていた職人としての色がまた一段消え失せた。


「無茶です!ただでさえ失敗続きなのに、火の入れ方を急げば、まともな煉瓦なんて焼けません。あんな粗悪な煉瓦で炉を組んだら、後で大事故に……」


「口答えをするな。明日は視察が入るんだ。とにかく『使える形の煉瓦』が並んでいなければ困る。表面だけ整えておけ。割れたら新しいものに差し替えろ。……いいか、余計な記録には残すなよ」


役人は現場責任者の悲鳴のような抗議を無視し、傍らの書記に目配せをした。書記は青ざめた顔で頷き、失敗の数を書き留めるための羽ペンをそっと置いた。


記録の欠落。

それは技術の現場において、自らの目を潰して歩くことと同義だ。


「……火を、入れろ」


責任者の虚ろな声で、再び炉に火がくべられる。

本来の工程を無視した急激な加熱。炉の中から、ピシッ、パキッという、土が無理やり焼かれる嫌な音が響き始める。

吹き出す熱気で誰もが汗だくになっているのに、現場を覆っているのは背筋が凍るような寒い空気だった。

役人だけが、まだ一つも焼き上がっていないのに『達成予定数』の書かれた羊皮紙を満足げに眺めている。


焦げた土の臭いと、失敗を告げる嫌な割れ音。

現場責任者は「止めろ」と叫びたかったが、その言葉は、上意と体面の圧力に押さえ込まれ、喉の奥から外へ出ることはなかった。



その頃、同じ「煉瓦」を巡る話が、辺境ではまるで別の形で進んでいた。

迎賓館の裏手にある、普段は魔道具の試験などに使われる小型炉を備えた作業場に、アシュランたちは集まっていた。


「よし、全員いるな。これより、王都の煉瓦焼成における『再現実験』を行う」


俺の宣言に、壁際で丸椅子に座らされている親方のガレスと、若い職人のミオルがビクッと肩を揺らした。彼らの手や顔にはまだ痛々しい火傷の跡が残っているが、エレノアの治療と十分な睡眠のおかげで、顔色はだいぶマシになっていた。


「あの……アシュラン様。俺たちの失敗を、ここで見せ物にするってことですか……?」


ミオルが怯えたように尋ねる。俺は首を横に振った。


「勘違いするな。これはお前たちの責任追及じゃない。王都の連中が命じている無茶な工程が、物理的に『どこで、どう破綻するか』を視覚化して確認するだけだ。本番の反射炉でやれば大惨事になる。だから、この小型炉で安全に再現する」


「俺は助手だな!準備はもうできてるぜ!」


袖をまくったキドが、耐熱用の厚手の手袋をはめながら元気に前に出た。彼の手元には、記録用の木板、木炭のペン、そして時間を計るための砂時計が完璧にセットされている。


「相変わらず手際がいいな、キド。よし、お前は時間の計測と、俺が言った温度の変化を記録しろ」


「おう!アシュラン様の一番弟子の働き、見といてくれよ!」


キドの調子の良い言葉に、記録係として同席しているカインが「弟子というのは自己申告制でしたか」と小さくため息をついた。

少し離れた安全な位置には、アリシアとドルガンも立っている。


「私、難しい言葉はよく分からないんだけど……見てるだけでもいいかな?」


「構わないさ。むしろ、専門用語を知らない人間の素直な目の方が、変化に気づきやすいこともあるからな」

俺はアリシアに頷き返し、小型の炉の前に立った。

中に並べられているのは、王都の赤土に近い成分で作った三つのテスト用の泥塊だ。


「実験を始める前に言っておく。完成品を見るな。その過程……変化を見ろ」


俺はガレスとミオル、そしてキドに向かって告げた。


「色、匂い、音、表面の湿り気、そして割れ方。そこにすべての失敗の情報が詰まっている。今日は『成功させる』ための実験じゃない。『失敗を見極める』ための実験だ」


「失敗を、見極める……?」


ガレスが呆然と呟くのを横目に、俺はキドに合図を出した。


「まずは一つ目、急激な加熱だ。炉の温度を一気に上げろ」


キドが鞴を踏み込み、小型炉に強烈な風を送る。炎が勢いよく上がり、炉内の温度が急上昇した。

俺は頃合いを見て、火箸で一つ目の塊を取り出し、耐火煉瓦の上に置いた。


表面はすでに黒ずみ、カチカチに硬そうに見える。

だが、俺が小さなハンマーで軽く叩くと、ボコッという鈍い音がした。そのまま少し力を入れて叩き割る。


「あ……」


断面を見たガレスが顔色を変えた。

表面は黒く焦げているのに、割れた中身は元の泥と同じ、生の赤い色のままだったのだ。


「中まで熱が通る前に、表面だけが焼けて固まった状態だ。これを王都では……」


「……俺たちが、一番最初に怒鳴られた失敗だ。温度を上げすぎだって」


ガレスの震える声に、俺は頷いた。


「よし、じゃあ、次だ。今度は温度を上げきらず、低い温度のまま時間だけをかける」


キドが火の勢いを落とし、砂時計をひっくり返す。規定の時間が過ぎたところで取り出した二つ目の塊は、見た目には普通の煉瓦のような赤茶色に仕上がっていた。


「おお、こっちは綺麗に焼けてるな」


ドルガンが顎を撫でるが、俺は無言でその塊を指で弾いた。

ザラッ、という音と共に、角の部分が砂のようにボロボロと崩れ落ちる。


「うわっ、脆い……!」


「これも、山ほど出た……。温度が足りないって、上から急かされて……」

ミオルが両手で顔を覆った。

土の粒子を結合させる熱量に達していない。これは焼成ではなく、乾いただけの泥だ。


「最後だ。今度は王都の粗悪な土を想定して、少し不純物を混ぜたものを、適正温度で焼く。キド、温度を基準値へ」


「了解!」


三つ目の塊を焼き上げ、炉から取り出す。

それは表面も均一な色をしており、叩いてもカンカンと良い音がした。見た目には、完璧な成功品だ。


「なんだ、これは上手くいったじゃないか」


「……」


俺はドルガンの言葉に答えず、ただ腕を組んでその煉瓦を見つめていた。

十秒。二十秒。

作業場に沈黙が降りた、その時だった。


ピシッ!!


静かな空間に、甲高い亀裂の音が響き渡った。

見れば、完璧に見えた煉瓦の表面に、真っ直ぐなヒビが入っている。


「あ!今、できた後から割れたよ!」


アリシアが驚いたように声を上げた。


「その通りだ。見た目は同じでも、不純物が混ざっていると熱の膨張と収縮の度合いが均一にならない。冷えていく過程で内部に応力が発生し、時間差で勝手に割れるんだ」


「見た目だけ整ってても、使ったら後から壊れるなんて……怖いね」


アリシアの素直な感想が、事の本質を鋭く突いていた。

俺は三つの無惨な失敗作を並べ、ガレスたちに向き直った。


「同じ四角い形に見えても、中身はまったくの別物だ。割れ方も、崩れ方も、音も違う」


俺はキドがびっしりと書き込んだ記録板を指差した。


「量産ってのは、完成品の見本を眺めて『成功を増やす』作業じゃない。こういう無数の失敗の条件を記録して、一つずつ失敗を潰していく作業だ。記録がなければ、昨日踏んだのと同じ失敗を今日も踏むことになる」


完成品だけを求める王都の役人たちは、この「失敗を見極める」という最も重要な工程をすっ飛ばしている。だからいつまで経っても安定しないのだ。


「……俺たちの勘が、狂ってたんじゃなかったんだ」


ガレスが、絞り出すように言った。


「土の質が違うのも、炉の温度がおかしいのも、俺たちは分かってた。でも、上から『昨日と同じように形だけ揃えろ』『失敗の数はごまかせ』って言われて……。記録を捨てさせた時点で、あの現場は職人を捨ててたんだな」


誇りを傷つけられていた彼の目に、悔しさと、そして自分たちの技術が間違っていなかったという小さな安堵の光が浮かぶ。


「腕が悪いんじゃねぇ。現場の回し方が腐ってただけだ」


ドルガンが、ガレスの肩をポンと叩いた。


「まともな職人ほど、あんなやり方じゃ先に心が潰れる。お前さんたちは、逃げてきて正解だったさ」


ミオルが涙を拭い、ガレスが深く頭を下げる。

技術の失敗を個人の責任に押し付けていた呪いが、物理的な証明によって解けた瞬間だった。


「……なぁ、アシュラン様」


片付けをしながら、キドが記録板をじっと見つめて声をかけてきた。


「なんだ」


「失敗の記録を残してないってことはさ。王都の連中は、この先もずっと同じ失敗を繰り返すってことか?」


その純粋で、だからこそ恐ろしい推論に、作業場の空気が一瞬だけ冷えた。

俺はすぐには答えず、キドの顔をまじまじと見た。


木炭で手が真っ黒になりながらも、その瞳には現象の裏側にある「構造」を見抜こうとする、探究の光が宿っている。


「……そうだ」


俺は小さく口角を上げ、短く答えた。


「だからいずれ、煉瓦のヒビじゃ済まない。取り返しのつかない崩壊になる」


キドのメモ帳には、乱れた字で『失敗の条件』がしっかりと書き残されている。

記録を捨て、形だけを繕う王都が自滅への坂を転がり落ちていくのとは対照的に、この辺境の村では、失敗を知識に変える若き「芽」が、確かに育ち始めていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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