第62話:忙しない日常と揺るがぬ安寧
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[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)131位に入ることができました。
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帝国理知院の観測官が去り、聖教国の司祭が報告書を書き上げた頃。
外の世界で何が囁かれていようと、そんなことは関係ないと言わんばかりに、当の村人たちは、目の前の「仕事」に忙殺されていた。
「おい! 次、荷車三台入るぞ! 『商業ギルド』の検品係、配置につけ!」
「『対外折衝ギルド』から連絡! 王都の貴族が二組、予約なしで到着! とりあえず待合室で茶でも出しておけ!」
「『公共土木管理組合』より通達! 中央通りの石畳、三枚ほどガタついてるぞ! 昼休みに補修するから通行規制かけるなよ!」
朝のウルム村は、戦場のような――いや、高度に統制された巨大な工場のような熱気に包まれていた。
怒号にも似た掛け声が飛び交うが、そこに悲壮感はない。あるのは、次々と押し寄せるタスクを片付けていく、労働者特有の活気と、少しばかりの優越感だ。
村の入り口、新設された『対外折衝ギルド』の受付カウンター。
責任者に抜擢されたロイルは、山積みになった書類と格闘しながら、窓口に詰めかける来訪者たちを捌いていた。
「ですから、アシュラン様への面会は来月まで埋まっております。……ええ、残念ですが。手土産? お気持ちはありがたいですが、物品の収受は『商業ギルド』の管轄になりますので、あちらの窓口へどうぞ」
ロイルの対応は、板に付いていた。
かつてはただの荷運び人として、言われた荷物を運ぶだけだった若者が、今や王都の商人や冒険者を相手に、一歩も引かずに交渉している。
「……ふぅ。やっと昼か」
昼の鐘が鳴ると、ロイルはペンを置き、大きく伸びをした。
隣の席では、元行商人の老婆が、慣れた手つきでお茶を淹れている。
「お疲れだねぇ、補佐。……最近、また人が増えたんじゃないかい?」
「ああ、増えたなんてもんじゃないよ。……変な噂が広まってるらしい。『あそこに行けば、見たこともない道具が手に入る』とか、『万病に効く水がある』とか」
ロイルは苦笑しながらも、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
(……最近の連中、噂話を聞きに来てるって顔じゃない。値踏みでもない。……商売人の目じゃない)
ロイルは苦笑して茶を受け取った。
万病に効く水なんてない。ただ、上水道が清潔で、井戸水が冷たいだけだ。
だが、外の世界の人間にとっては、腹を壊さない水というだけで「奇跡」に見えるらしい。
「ま、忙しいのはいいことさ。……昔は、明日食う物に困って、空ばかり見てたんだからね」
老婆が窓の外を見る。
そこには、荷物を満載した馬車が列をなし、活気に満ちた商店街が広がっている。
魔獣の遠吠えに怯え、王国の重税に苦しんでいた寒村の面影は、もうどこにもない。
「……そうだな。忙しいってのは、贅沢な悩みだよな」
ロイルは頷き、午後一番の予定表をチェックし始めた。
彼の背中には、もう「誰かに守られるだけの若者」の弱さはない。
この村の「玄関」を守る責任者としての、逞しい矜持が宿っていた。
◇
同じ頃。村の北側にある『鍛冶・建築ギルド』の作業場。
ここでは、さらに物理的で、熱い戦いが繰り広げられていた。
「よし! クレーン三号機、ワイヤー巻き上げ開始!」
「オーライ! ゆっくりだぞ、荷崩れすんなよ!」
ギルド長のドルガンが、丸太の上に立って指揮を執っている。
彼らの目の前では、新設される二階建て倉庫の梁が、滑車とロープの力でゆっくりと吊り上げられていた。
アシュランが伝授した「倍力機構」は、今や完全に彼らの技術として定着していた。
力任せに持ち上げる時代は終わった。
今は、いかに効率よく、いかに安全に、重いものを動かすか。それが職人の腕の見せ所になっている。
「親方! 四号機の滑車、軸から異音がします!」
若手職人の報告に、ドルガンは即座に反応した。
「止めろ! 作業中止だ!」
号令と共に、全員の手が止まる。
かつてなら、「アシュラン様を呼べ!」と騒いでいただろう。
あるいは、「気のせいだ、続けろ!」と精神論で押し切っていたかもしれない。
だが、今の彼らは違う。
「……グリス切れか? いや、軸受の摩耗だな」
ドルガンは滑車を点検し、冷静に診断を下した。
「予備のパーツと交換だ。……おい、在庫管理係! 予備はあるか?」
「あります! 昨日、商業ギルドから納品されたばかりのが三つ!」
「よし、持ってこい! 交換作業は十分で終わらせるぞ! ……他の班は、その間にロープの点検だ! ボヤっとしてんな!」
「「「おう!」」」
職人たちが一斉に動く。
トラブルは起きる。物は壊れる。
だが、彼らはもう慌てない。
壊れる理由を知っており、直す道具を持っており、予備を用意するシステムがあるからだ。
交換作業を見守りながら、ドルガンはニヤリと笑った。
(……へっ。アシュランの手を煩わせるまでもねぇ)
彼らが目指しているのは、アシュランからの自立ではない。
「アシュラン様に見せても恥ずかしくない仕事」をすることだ。
その誇りが、彼らの技術を日々進化させている。
「よし、交換完了! 作業再開!」
再び、滑車の回るキリキリという音が響き渡る。
それは、自分たちの力で村を作っているという、高らかな凱歌のようだった。
◇
村の西側、広大な畑が広がる農業区画。
ここでは、『農業ギルド』と『公共土木管理組合』による、合同調整会議という名の立ち話が行われていた。
「……だから、水門を開ける時間をずらしてくれって言ってるんだ」
農業ギルド長のベルンが、泥だらけの長靴で地面を踏みしめて言う。
「今は麦の登熟期だ。水が要る。……なのに、鍛冶場の冷却水やら、宿屋の風呂やらで水圧が下がってちゃ、畑の奥まで届かねぇんだよ」
「わかってるよ。だが、こっちにも都合がある」
公共土木管理組合の班長が、困ったように頭をかく。
「人口が増えたせいで、生活用水の使用量が跳ね上がってるんだ。特に朝と夕方はピークだ。……そこで畑に全開で水を引かれたら、民家の蛇口から水が出なくなる」
「そこを何とかするのが、アンタらの仕事だろ?」
「無茶言うなよ……」
水不足。
それは、発展する村が必ずぶつかる壁だ。
以前なら、アシュランが新しい水路を魔法のようは技で掘って解決したかもしれない。
だが、彼らは知っている。アシュランの時間は有限であり、彼を頼れば「スローライフ」が遠のくことを。
そこに、組合の若手が割って入った。
「……なあ。貯水槽を増やせばいいんじゃないか?」
男は、地面に木の枝で図を描いた。
「村の北側、少し高くなってる荒れ地があるだろ? あそこに、夜のうちに水を溜めておく予備タンクを作るんだ。……で、昼間のピーク時はそこから水を落とす」
「……なるほど。位置エネルギーの貯蓄か」
ベルンが、アシュランから聞きかじった単語を呟く。
だが、少しだけ眉をひそめた。
「……今年は、それで持つだろうな。だが、来年も人が増えたら……また考え直しだ」
「まぁ、その時が来たらまた考えるさ」
「工事は俺たち土木班がやる。……ただ、資材と人手が要る。鍛冶ギルドに鉄筋を作ってもらわなきゃならんし、ロイルたちに石材を運んでもらわなきゃならん」
「……カネもかかるな」
班長が渋い顔をする。
「ギルド長会議にかけるか?」
「ああ。村長とカイン様を説得しよう。……アシュラン様には、完成してから『新しい寝床の近くに池を作りました』とでも言って、事後承諾をもらえばいい」
三人は顔を見合わせて、ニシシと悪巧みをする子供のように笑った。
◇
夕暮れ時。
一日の仕事を終えた村人たちが、赤煉瓦亭の酒場に集まってくる。
ジョッキをぶつけ合う音と、笑い声。
話題は、今日の仕事の失敗談や、明日の予定、そして家族のことだ。
カウンターの隅で、ギード村長が一人、静かにエールを傾けていた。
その横顔は、以前のような焦燥感や悲壮感はなく、どこか満ち足りたものだった。
「……忙しいのう」
ギードは独りごちた。
村長の仕事も変わった。
以前は「食料をどう確保するか」「魔獣をどう防ぐか」という、生存に直結する悩みばかりだった。
今は、「予算の配分」「ギルド間の仲裁」「他所の村との交渉」といった、政治的な悩みが大半だ。
書類は増えた。頭を下げる回数も増えた。だが、不思議と嫌ではなかった。
「人が増え、仕事が増え、悩みが増える。……結構なことじゃないか」
ギードは、酒場の賑わいを眺めた。
誰も、外の世界のことなど話していない。帝国がどうした、教会がどうした、そんな話はここにはない。
彼らの世界は、この村の中で完結しており、そして充実している。
「……アシュランよ。お前さんが作りたかったのは、これだったんじゃな」
ギードは、アシュランの自宅の方角を見上げた。
きっと今頃、あの偏屈な天才物理学者は、うるさいと文句を言いながら、それでも満足げに寝転がっているに違いない。
そこへ、ロイルが駆け寄ってきた。
「村長! ちょっといいですか? 明日の視察団の件で、接待費の申請が……」
「またか! お前さんら、少しは財布の紐を締めろと言ったじゃろうが!」
ギードは怒鳴りながらも、嬉しそうに席を立った。
何も変わらない一日。
トラブルがあり、喧嘩があり、そして解決がある一日。
だが、その「変わらなさ」こそが、何よりも強固な盾となって、この村を守っているのだ。
外の世界がどれだけこの村を「異常」だと評しようとも、彼らにとっては、これが愛すべき「日常」だった。
◇
その夜。
アシュランの工房。
カインが、今日一日の報告書をまとめていた。
『各ギルド、稼働状況良好。トラブル発生件数3、うち現場解決3。マスターへのエスカレーションなし』
カインはペンを置き、ソファで爆睡しているアシュランを見た。
今日は一度も呼び出されなかった。ピクルスの蓋も、水漏れも、来客も、全て村人たちが防波堤となって止めてくれた。
「……完璧ですね」
カインは呟いた。
帝国理知院や教会が、この村を「高度な統治システム」だと恐れるのも無理はない。だが、その実態は、一人の男を安眠させるために、数百人が全力で働いているだけの、奇妙な互助組織だ。
「ですが……彼らは気づいていないでしょうね」
カインは眼鏡を光らせた。
「この『アシュラン様のために』という動機が、結果として彼ら自身を最強の集団に育て上げていることに」
アシュランは、眠りながら寝返りを打った。
「……明日は、静かだといいな」それが、彼の無意識の願いだった。世界がすでに、彼を中心に動き始めていることなど、夢にも知らずに。
この寝顔を守るために、明日も村人たちは知恵を絞り、汗を流すだろう。
ウルム村の夜は更けていく。
外部の不穏な動きなど、まるで関係ないかのように。
ただ、揺るぎない生活の灯りだけが、辺境の闇を照らし続けていた。
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