第60話:神の言葉と帳簿の数字
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対外折衝ギルド――通称「受付所」が稼働し始めてから、ウルム村の入り口には、新たな「秩序」が生まれていた。
以前のような、怪しげな冒険者や強引な商人が勝手に村内を闊歩することはなくなった。
彼らはまず、受付所のカウンターで足を止められ、ロイルたちによる事務的な――しかし逃げ場のない――手続きの洗礼を受けることになる。
「名前は? 所属は? 滞在目的は?」
「アシュラン様への面会? 予約はありますか?」
淡々と記帳され、分類される来訪者たち。
その光景は、剣や魔法による防衛よりも遥かに近代的で、ある種、冷徹な防壁として機能していた。
そんなある日の午後。
受付所の前に、一台の馬車が静かに止まった。
装飾は控えめだが、扉には白銀の意匠――「十字に絡みつく蛇」の紋章が描かれている。大陸全土に信徒を持つ「聖教国」の正式な使節馬車だ。
「……ようこそ、ウルムへ」
ロイルは、内心の緊張を悟られないよう、務めて愛想よく声をかけた。
馬車から降りてきたのは、生成りの法衣を纏った初老の男と、随行の若い聖職者二名だった。
「神の祝福があらんことを。……私は聖教国より派遣されました、巡察司祭のセルジオと申します」
男――セルジオ司祭は、穏やかな笑みを湛えていた。
高圧的な態度は微塵もない。声は柔らかく、その瞳には慈愛すら宿っているように見える。
先日来た傲慢な商人とは大違いだ。
「遠路はるばる、お疲れ様です。……では、入村の手続きをお願いできますか?」
ロイルが用紙を差し出すと、随行の若者がムッとした顔をした。
「司祭様に対して、なんと無礼な」と言いたげだ。
だが、セルジオはそれを片手で制し、快くペンを取った。
「構いませんよ。郷に入っては郷に従え、と言いますからな。……ふむ、立派な書式だ。この村の規律の高さが窺えます」
彼はサラサラと美しい筆記体で名前と身分を記入し、ロイルに返した。
完璧な対応だ。だが、ロイルの背筋には、冷たいものが走っていた。
この男は、こちらのルールを「尊重」しているのではない。「観察」しているのだ。
子供の遊びに付き合う大人のような、絶対的な余裕がそこにはあった。
◇
手続きを終えたセルジオ一行は、ロイルの案内で村の中へと入った。
「素晴らしい……。実に素晴らしい」
セルジオは、村の景色を見るなり感嘆の声を上げた。
石畳の道、整備された水路、そして活気あふれる商店街。
辺境の寒村とは信じがたいその光景を、彼は目を細めて眺め回す。
「これほどの繁栄……。まさに、神の祝福がこの地に降り注いでいる証拠ですな」
「……ええ。みんなで頑張りましたから」
ロイルは言葉少なに答えた。
「神のおかげ」ではない。「アシュラン様と俺たちの努力のおかげ」だと言い返したい気持ちをぐっと抑える。
セルジオの視線が、広場の掲示板に止まった。
そこには、各ギルドの作業予定表や、資材の在庫状況、今週の目標などが張り出されている。
「ほう。……数字、数字、数字、ですな」
セルジオがつぶやく。
「明日の作業予定、収穫量の予測、水路の水圧……。この村は、随分と『数字』がお好きなようだ」
「効率よく働くためには必要ですので」
「なるほど、効率、ですか。……では、祈りの時間は?」
セルジオが、ふとロイルを見た。
その瞳は、笑っているのに、奥底が凍りついているように見えた。
「これだけ忙しく働いておられる。……神への感謝を捧げ、魂を清める『祈りの時間』は、いつ設けているのですかな?」
ロイルは言葉に詰まった。
祈り?
そんな時間は、この村のスケジュールには存在しない。
朝は鐘の音と共に起き、働き、夜は美味い飯を食って寝る。
感謝なら、食事のたびにアシュラン様や生産者にしている。
「……決まった時間はありません。それぞれが、心の中で感謝していますから」
ロイルが苦し紛れに答えると、通りがかりの農夫が不思議そうに口を挟んだ。
「祈り? そんな暇があったら、雑草の一本でも抜いた方が、来年の実入りは良くなるぜ、司祭様」
農夫に悪気はない。彼にとっての実感を述べただけだ。だが、その言葉を聞いた瞬間、随行の聖職者たちが息を呑んだ。
セルジオの眉が、わずかに、本当にわずかにピクリと動いた。
「……なるほど。心が、乾いておられるようだ」
セルジオは悲しげに言った。
怒りではない。
「無知で哀れな子羊」を見るような、一方的な憐憫の情。
それが、ロイルには何よりも不気味だった。
◇
村を一通り見て回った後、セルジオはロイルに向き直り、本題を切り出した。
「ロイル殿。私はこの村を見て、確信しました」
彼は胸の前で十字を切る。
「この村は豊かだ。だが、魂の拠り所が欠けている。……物質的な豊かさだけでは、人はいつか道を見失います」
「はぁ……」
「そこで、提案があります。聖教国は、この村に『小礼拝堂』を寄贈したいと考えています」
「礼拝堂、ですか?」
「ええ。もちろん、建設費用も、派遣する聖職者の生活費も、全てこちらで持ちます。村の方々に負担はかけません。……ただ、迷える魂に教えを説き、安らぎを与える場所を作らせていただきたいのです」
それは、完璧な「善意」の提案だった。
金も人も出す。見返りは求めない。ただ、場所を貸してくれればいい。拒否する理由が見当たらないほどの好条件だ。
だが、ロイルの本能が警鐘を鳴らした。
教会ができるということは、教義が入ってくるということだ。
「アシュラン様の物理学」で回っているこの村に、「神の教え」という別の理が持ち込まれる。
それは、油と水のように、決して混ざり合わない異物になるのではないか。
「……ありがたいお話ですが、私の一存では決められません」
ロイルは、アシュランが作った「仕組み」を盾にした。
「土地の使用には、村長と『建築ギルド』の許可が必要です。一度持ち帰らせていただきます」
「ふむ……。神の家を建てるのに、人の許可が必要とは。……まあ、良いでしょう。秩序は大事ですからな」
セルジオは微笑んだまま引いた。だが、すぐに次の手を打ってくる。
「では、この村の発展の立役者である、アシュラン殿にご挨拶をさせていただけますか? 彼ならば、神の愛の尊さを理解してくださるでしょう」
来た。本丸への接触要求だ。
ロイルは背筋を伸ばし、マニュアル通りの言葉を口にした。
「申し訳ありません。アシュラン様への面会は、事前予約制となっております」
「……予約?」
「はい。現在、二週間ほど先まで予約が入っております。所定の申請書を出していただき、審査のうえ日程を調整させていただくことになります。」
それは、アシュランが考案した「お断り」の定型句だ。だが、それを聞いたセルジオの表情から、初めて笑みが消えた。
「……ロイル殿」
声のトーンが、一度下がる。
「私は、聖教国の巡察司祭です。神の言葉を伝えるために参りました。……その私が、商売人や見物人の列に並び、順番を待てと?」
静かな威圧感。
「神の使徒が、人の作ったルールごときに縛られるわけがない」という、絶対的な特権意識。
これまでの来訪者なら、ここで怯んでいただろう。
だが、ロイルは引かなかった。彼には、物流部門で培った誇りと、アシュランから託された「壁」としての責任がある。
「規則ですので。……貴族の方であっても、同じようにお願いしております」
ロイルは真っ直ぐにセルジオを見返した。
数秒の沈黙。
視線と視線がぶつかり合う。
やがて、セルジオはふっと表情を緩め、元の好々爺の顔に戻った。
「……そうですか。貴族ですら、ですか。……ならば、従いましょう。この村では、規則が随分と尊重されているようですな。」
それは、皮肉だった。
だが同時に、決定的な「断絶」の宣言でもあった。
◇
「……お疲れ様です、司祭殿」
帰り際。
村の出口で、一人の男がセルジオたちを待っていた。
賢者カインだ。
彼は眼鏡の奥の瞳を光らせ、丁寧だが冷たい声で呼びかけた。
「おや、貴方は……。賢者カイン殿とお見受けする」
セルジオが足を止める。
「ええ。アシュランの補佐をしております」
「噂はかねがね。……帝国の至宝と呼ばれた貴方が、このような辺境で『帳簿』のような仕事をしておられるとは。……才能の浪費ではありませんか?」
「いいえ。神は秩序を愛されると聞きます。……私もまた、数字という秩序を愛しておりますので」
カインは淡々と返した。
セルジオは目を細める。
「秩序、ですか。……ええ、神は秩序を愛されます。ですが、秩序にも『正しい秩序』と『誤った秩序』がある」
セルジオは村の方を振り返った。
夕陽に染まるウルム村。
そこにあるのは、豊かさと、笑顔と、そして「神の不在」だ。
「魂のない繁栄は、砂上の楼閣です。……カイン殿。貴方ならお分かりでしょう? この村に足りないものが」
「……私には、必要なものは全て揃っているように見えますが」
「そうですか。……それは残念だ」
セルジオは、深く溜息をついた。
それは、話が通じない相手に対する、諦めと、そして新たな決意を含んだ溜息だった。
「では、また。……神の導きが、この迷える村にあらんことを」
セルジオは馬車に乗り込んだ。
最後まで丁寧で、最後まで「善意」の人だった。
だが、去りゆく馬車の背中には、黒い影が纏わりついているように見えた。
◇
馬車の中。
窓を閉めた途端、セルジオの表情から温かみが消え失せた。
彼は懐から手帳を取り出し、走り書きを始める。
「……報告書を作成する。宛先は、異端審問局だ」
「はっ。……やはり、この村は『黒』ですか?」
随行の若者が尋ねる。
「いや、まだだ。……悪魔崇拝の痕跡はない。禁忌の魔法実験も確認されなかった。……だが」
セルジオは、ペンを握りしめた。
「彼らは、神を必要としていない。……あるいは、別の“神”を持っている。……それが一番の問題だ」
貧困や疫病があれば、教会は「救済」として入り込める。
恐怖があれば、「祈り」を売ることができる。
だが、この村はアシュランの技術によって満たされている。
水も、食料も、安全も、人の手で生み出されている。
そこには、神の入る隙間がない。
「……これは、疫病よりも厄介だ。しかも、人々はそれを“幸福”と呼んでいる」
セルジオは手帳を閉じた。
その瞳には、狂信的な使命感が暗く燃えていた。
◇
一方、受付所。
カインは、ロイルが震える手で書いた日報を見ていた。
『聖教国・巡察司祭セルジオ。態度:友好的だが、妥協の余地なし。目的:布教およびアシュラン様への接触』
「……よくやりましたね、ロイル」
カインは労った。
「貴方が壁になってくれたおかげで、マスターの安眠は守られました」
「は、はい……。でも、怖かったです。あの人、笑ってるのに目が笑ってなくて……」
ロイルが肩を落とす。
「ええ。彼らは、自分たちが『絶対に正しい』と信じていますから」
カインは窓の外を見た。
星が瞬き始めている。
物理法則という「絶対のルール」に従うアシュランと、神の教えという「絶対の正義」に従う教会。
両者は、言葉は通じても、見ている世界が決定的に違う。
「……ただ一つ。彼らが“善意のまま”踏み込んできた場合、それが一番厄介ですね」
今はまだ、挨拶が終わっただけだ。だが、次は「善意の提案」が、「神の名の元での強制」に変わるかもしれない。
正しさと正しさがぶつかる前の、最も危険な沈黙。
その静寂の中で、カインは、帳簿を閉じた。次に守るべきは、村の「考え方」だ。
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