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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第4章 自律と観測

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第59話:開かれた窓口と微睡みの物理学者

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

理知院の観測官ゲルハルトが、戦慄と共にウルム村を去った翌朝。


村は、拍子抜けするほど「いつも通り」の朝を迎えていた。


秋の涼やかな風が吹き抜ける中、子供たちが歓声を上げて広場を走り回り、農夫たちは(くわ)を担いで畑へと向かう。

鍛冶場からは規則正しいハンマー音が響き、共同かまどからは香ばしいパンの匂いが漂ってくる。


彼らは知らない。


昨日訪れた「ただの鉄商人」たちが、実は帝国の最高意思決定機関に連なるエリートであり、この村を「帝国にとっての最大の脅威、あるいは希望」と評価して帰っていったことを。

村人たちにとっての関心事は、もっと切実で、生活に密着したものだ。


広場の掲示板に、一枚の紙が貼られている。

そこには、昨日の水路点検の結果が記されていた。


『西区画第三水路、一部漏水あり。修理予定日:三日後。担当:公共土木管理組合』


かつてなら、「アシュラン様、水が漏れてます!」と悲鳴を上げて駆け込んでいた事案だ。

だが今は、「三日後か。なら、それまでは予備の井戸を使おう」と、誰もが冷静に受け止めている。

即座に直らなくてもパニックにならない。

予定が管理されているという安心感。それは、外から見れば「異常なほどの落ち着き」だが、中にいる彼らにとっては、手に入れたばかりの「普通の暮らし」だった。



だが、その平穏な日常の裏で、新たな種類のストレスが蓄積されつつあった。

場所は、商業ギルドの詰め所。

そこには、責任者のヘイム、補佐のロイル、そして相談役のカインが集まり、深刻な顔で帳簿を睨んでいた。


「……また増えましたね」

ロイルがため息交じりに報告する。


「昨日だけで、新規の来訪者が五組。行商人が二組に、旅の職人が一組。あとは……『噂を聞いた』という冒険者風の連中が二組です」


「厄介だな」

 宿屋の主人でもあるヘイムが頭を抱える。


「商人はまだいい。金になるし、話が通じる。……問題は、観光気分の冒険者や、得体の知れない視察団だ」


最近、村の中を勝手に歩き回る来訪者が急増していた。

彼らはアシュランの技術や、村の豊かさを聞きつけ、好奇心、あるいは下心を持ってやってくる。

畑に無断で入り込んで土を持ち帰ろうとしたり、水路の仕組みを暴こうと配管を叩いたり。

そして、決まってこう言うのだ。


『ここの領主に会わせろ』


『アシュランという開発者はどこだ?』


「自警団が追い払ってはいますが、キリがありません」

 ロイルが訴える。


「中には『王都の貴族の使いだ』とか『帝国の高官だ』と名乗る者もいて……。無下に扱っていいものかどうか、現場の若者たちも困惑しています」


村人たちは、外の世界を怖がり始めていた。かつては「忘れられた場所」だったからこそ、平和だった。

だが、皮肉にもアシュランがもたらした繁栄が、世界中の視線を引き寄せてしまったのだ。


「……マスターの安全に関わりますね」

 カインが眼鏡を光らせ、冷徹に分析する。


「今はまだ有象無象ですが、いずれ本格的な工作員や、利権狙いの大物が接触を図ってくるでしょう。……村人が個別に判断していては、いつか付け込まれます」


室内に重い空気が流れる。

自分たちで判断しろと言われた。だが、相手が「外の世界の権力」だった場合、辺境の村人には荷が重すぎる。


その時。ガチャリとドアが開き、話題の主が入ってきた。


「……んあー、うるさいな。騒がしくて昼寝ができん」


アシュランだった。

相変わらずの寝癖頭に、眠そうな目。とても「世界の注目を集める人物」には見えないその姿に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


「あ、アシュラン様! すみません、起こしてしまって……」


「いや、お前らじゃない。……さっき、俺の家の前をうろついてた不審者を、自警団が捕まえる騒ぎがあってな」


アシュランはあくびをしながら、空いている椅子にドカっと座った。


「『俺はアシュランの旧友だ!』とか叫んでたが、知らん顔だったぞ。……どうなってるんだ、最近は」


「その件で相談していたんです」

カインが事情を説明する。


来訪者の増加。対応の限界。そして、アシュランへの面会要求の多さ。


話を聞き終えたアシュランは、面倒くさそうに頭を掻いた。

「あー……。なるほどな。有名税ってやつか。……面倒だな」

彼は一言で切り捨てた。そして、少しだけ虚空を睨み、ポツリと言った。


「……三十秒くれ」

そう言うと、アシュランは指で机を叩きながら、暫し思考する。


「よし。……直接訪問は禁止だ。……俺への直接訪問を、全面的に禁止にしよう」


「えっ?」

 ロイルが目を丸くする。


「き、禁止ですか? でも、相手が貴族様や、偉い商人だった場合は……」


「関係ない。王様だろうが教皇だろうが、俺の家のドアを勝手に叩く奴は、全員不審者扱いとして追い返せ」

アシュランはきっぱりと言い放った。


「窓口がないから、人は勝手に裏口を探そうとするんだ。……だったら、立派な『正面玄関』を作ってやって、そこに並ばせた方が楽だろ?」


「正面玄関、ですか?」


「ああ。……『対外折衝ギルド』を作る」


アシュランは、テーブルの上の羊皮紙を指差した。


「村の外の連中は、全員そこを通せ。まず受付、身元確認、用件記録。……俺への面会も予約制だ」


「……なるほど」

ヘイムが唸る。


「なるほど。窓口の一本化ですね。記録を台帳で統一し、面会は審査制にする、と」

カインが納得した表情で言う。


「そうだ。重要なのは、『話を聞く場所』を用意することだ」

アシュランはニヤリと笑った。


「人間ってのは不思議なもんでな。『担当部署につなぎます』と言われると、それだけで少し大人しくなる。……それに、『話を聞くだけならタダ』にしておけば、相手も無下にはできない」


それは、アシュランが前世の役所仕事で学んだ、処世術の一つだった。のらりくらりと窓口で対応し、面倒な案件は水際で止める。本丸を守るための、最強の防壁だ。


「……カイン。制度設計は任せる。ロイル、お前が責任者をやれ」


「ええっ!? お、俺ですか!?」

 ロイルが椅子から転げ落ちそうになる。


「無理ですよ! 俺はただの荷運びで……字だって、最近やっと覚えたばかりで……!」


「だからいいんだ」

アシュランはロイルを見た。

「お前は、商人の顔色を見るのが上手い。物流部門で揉まれて、胆力もついた。……それに、お前には『普通』の感覚がある」


「普通……?」


「ああ。偉そうな奴が来ても、卑屈になりすぎず、かといって喧嘩も売らない。……その『普通の対応』ができる奴が、一番強いんだ」


アシュランは立ち上がった。


「他のメンバーは……そうだな。村の中で、読み書きや計算が得意な奴を募れ。元商人の娘とか、引退した役人崩れとか、探せばいるだろ。……腕っぷしはいらない。必要なのは、口の上手さと、正確な記録能力だ」


アシュランは、部屋を出る間際に振り返った。


「これは、防壁と同じだ。……剣や魔法を防ぐ壁は作った。次は、言葉と悪意を防ぐ壁を作る番だ。……頼んだぞ」


パタン、とドアが閉まる。


残されたロイルたちは、顔を見合わせた。

不安はある。だが、アシュランの言葉が、彼らの背骨に一本の芯を通していた。

「守られる」のではなく、「守る」ための壁になる。

その役割が、彼らを単なる村人から、組織の担い手へと変貌させようとしていた。



数日後。

村の入り口、検問所の隣に、新しい建物が完成した。

看板には『ウルム自治区・総合受付所』の文字。そこには、真新しい制服を着たロイルと、数名の村人が詰めていた。


メンバーは多様だ。

元行商人の老婆。

計算が得意な農家の娘。

そして、字が綺麗だという理由で抜擢された、元傭兵の男。

彼らは武器を持っていない。代わりに、羽根ペンと分厚い台帳を持っていた。



夕暮れ時。村の入口に一台の豪奢な馬車が滑り込む。その中からは、身なりの良い太った男が降りてきた。王国の商会紋章をつけた、見るからに傲慢そうな商人だ。


「私は、王国の大手『金羊毛商会』の支部長だ! この村の責任者に、極秘の商談がある! すぐに通せ!」

商人は大声で喚いた。


以前なら、門番がオロオロして、カインやアシュランを呼びに行っていただろう。

だが、今日は違う。


「ようこそお越しくださいました」


ロイルが、愛想の良い笑顔で窓口から顔を出した。

「商談ですね? 承ります。……ではまず、こちらの用紙に、お名前とご用件、予定滞在期間をご記入いただけますか? あ、筆記用具はお貸ししますので」


「なっ……! 私が誰だと思っている! 書く必要などない!」


「規則ですので。……書いていただけない場合、入村許可が出せません。ああ、もちろん、ご記入いただければ、アシュラン様への面会希望リストに『優先的に』載せさせていただきますよ?」


「……ぐぬぬ」


商人は一度、部下と視線を交わした。だが、周囲の視線と、記録を取る男の無言の筆記に気づき、舌打ちしてペンを取った。

その様子を、奥の席で元傭兵の男が、無言で別のノートに記録していく。

『金羊毛商会。態度:高圧的。目的:不明だが焦っている様子。要注意』


情報は、記録される。記録された情報は、カインの元へ集約され、分析される。

たった一枚の紙切れと、愛想の良い受付。


商人は、書き終えた紙を乱暴に突き返した。

その指先は、わずかに震えていた。



その夜。

受付所の窓から漏れる灯りを、カインは離れた場所から眺めていた。


手元には、今日一日で集められた「来訪者リスト」の写しがある。そこには、単なる商人や旅人に混じって、明らかに異質な存在の痕跡が、断片的に記されていた。


ある者は、王国の貴族家の使用人を名乗り。

ある者は、遠方の宗教国家の巡礼者を装い。

そしてある者は、身分を隠して、村の特産品を大量に買い付けようとしている。


「……機能し始めましたね」

カインは独白した。


ロイルたちは気づいていないかもしれないが、彼らが書いているのは単なる日報ではない。世界がこの村をどう見ているか、その欲望は、書類の端に滲む。


「これは、防壁だ。……剣や魔法より、よほど厄介で、粘着質な敵を防ぐための」


カインはリストの一番下、最後に訪れた商人の記録に目を留めた。そこには、商会名と共に、備考欄にロイルの字でこう書き添えられていた。


『荷物の中に、見慣れない紋章のついた箱あり。十字に蛇が巻きついた形。……教会の関係者か?』


カインの目が、スッと細められる。

十字に蛇。その紋章を見た瞬間、カインの思考が一拍、止まった。


「……来ましたか」


カインは羊皮紙を強く握りしめた。

アシュランの技術。エレノアの離反。そして、帝国の関与。それらを嗅ぎつけ、古い権威が動き出したのだ。


彼らは、物理法則も、合理性も通じない相手だ。「神の教え」という、対話不可能な正義を振りかざしてくる。


「……厄介ですね。これは簡単に“排除できる相手”ではないですね。……が、準備はできます」

 カインは闇に溶けるように、静かにその場を去った。


村は静かだ。

だがその静寂の向こう側で、世界はこの「異質な楽園」を、もう放っておいてはくれないことを、冷たい夜風が告げていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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