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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第4章 自律と観測

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第58話:怠惰な怪物と戦慄する帝国

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

ウルム村の喧騒から少し離れた丘の上。

聖樹リナの枝葉が心地よい木陰を作るその場所に、アシュランの自宅兼工房はあった。


案内役のロイルに連れられ、帝国理知院の観測官ゲルハルトたちがそこに到着した時、彼らが目にしたのは、あまりにも「無防備」な光景だった。


護衛の兵士はいない。威圧的な門もない。

ただ、幾何学的に配置された窓ガラスが午後の光を反射し、煙突からは穏やかな煙が立ち上っているだけだ。


「……ここが、統治者の館か?」

ゲルハルトは眉をひそめた。


王国の貴族や、帝国の高官の屋敷といえば、権威を誇示するための装飾と、厳重な警備が常識だ。

だがここには、拒絶の意志も、権威の誇示も感じられない。あるのは、徹底した「実用性」と、奇妙なほどの「静寂」だけだ。


「アシュラン様ー。お客さんですよー」


ロイルが玄関のドアをノックする。

しばらくして、中からドタドタという足音が聞こえ、ドアがガチャリと開いた。


「……んあ? 誰だ、ロイル。今は昼寝の時間だと言ったはずだが」


現れたのは、寝癖のついた黒髪に、着崩したシャツを纏った青年だった。

眠そうに目を擦り、手には読みかけの魔導書を持っている。

覇気はない。魔力の波動も感じられない。

どこにでもいる、少し偏屈そうな研究者崩れ。それが第一印象だった。


「すみません。鉄の買い付けに来た商人さんたちが、どうしてもアシュラン様に挨拶したいって」


「……チッ。商売の話なら商業ギルドに行けと言っただろう」


青年――アシュランは、露骨に舌打ちをした。

偽装しているとはいえ帝国の高官を前にして、この態度。

ゲルハルトの部下たちが、ムッとして色めき立つ。だが、ゲルハルトは片手でそれを制し、恭しく一礼した。


「お初にお目にかかります。鉄の仲買人をしております、ゲルハルトと申します。……この村の驚くべき発展ぶりを拝見し、ぜひその中心におられる方にご挨拶をと」


「挨拶? いらんいらん。俺はただの相談役だ。責任者は村長のギードだから、そっちに行ってくれ」


アシュランは面倒くさそうに手を振った。

謙遜ではない。本気で「関わりたくない」という顔だ。


「……ですが、村の方々は皆、貴方様の指示に従っていると伺いましたが?」


ゲルハルトが鎌をかけると、アシュランは「はぁ?」と心底嫌そうな顔をした。


「指示? してないぞ。……俺があいつらに言ったのは、『俺の昼寝を邪魔するな』『自分で考えろ』『壊したら直してやるから持ってこい』。それだけだ」


アシュランは欠伸を噛み殺しながら、ドア枠に寄りかかった。


「あいつらが動いているのは、あいつらが勝手に決めたからだ。俺は、そのための『仕組み』と『道具』を置いてやったに過ぎない」


その言葉を聞いた瞬間。

ゲルハルトの背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。


『命令』していない。

『管理』していない。

ただ、『仕組み』を置いただけ。


それは、統治者として最も恐ろしい言葉だった。

通常の支配は、命令と服従によって成り立つ。だが、それは常に「反発」というコストを伴う。

しかし、この男がやっていることはどうだ?

住人たちに「自分たちで決めた」と思わせ、自発的に動くように環境を設計している。

それはもはや統治ではない。

人間という変数を組み込んだ、巨大な自動演算装置の構築だ。


「……恐れながら」

ゲルハルトは、商人の仮面が剥がれそうになるのを必死で抑え、問いかけた。


「もし、彼らが間違った判断をしたら? あるいは、貴方様の方針に逆らったら、どうされるおつもりで?」


もし反乱が起きたら。もし利益を独占しようとする輩が出たら。

支配者ならば、当然用意しているはずの「罰」や「抑止力」を問うたのだ。


だが、アシュランはきょとんとして、それから鼻で笑った。


「逆らう? なんで?」


その問いは、あまりにも純粋で、それゆえに不気味だった。


「この村は快適だぞ。飯は美味いし、冬は暖かいし、夏は涼しい。……俺の方針スローライフに従っていれば、それが維持される。逆に、勝手なことをすれば、不便になるだけだ」


アシュランは、さも当たり前のように言った。


「人間は、不快より快適を選ぶ。非効率より効率を選ぶ。……水が低い方へ流れるのと同じだ。理屈さえ整えてやれば、強制なんかしなくても、勝手にまとまるさ」


ゲルハルトは絶句した。

洗脳でもない。

宗教的な教義でもない。

この男は、「快適さ」という餌と、「物理的な合理性」というレールだけで、何百人もの人間が、結果として同じ方向を向いているのだ。


恐怖による支配は脆い。

だが、「利益」と「納得」による支配は、岩盤のように堅固だ。

この村の住人たちは、アシュランの掌の上で踊らされていることすら気づかず、むしろ「自分たちは自由だ」と感謝しながら、最高効率で働いている。


(……なんて、男だ)


目の前にいるのは、寝癖のついた怠惰な青年だ。

だが、ゲルハルトの目には、玉座の皇帝とは別種の、理解不能な存在に見えた。


「……あー、もういいか? コーヒーが冷めるんだが」


アシュランが退屈そうに言う。

これ以上話しても無駄だ、という明確な拒絶。


「……失礼いたしました。お忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました」


ゲルハルトは深々と頭を下げた。

それは、一介の商人としての礼ではない。

帝国理知院の局長として、未知なる脅威に対する最大限の敬意と警戒を込めた礼だった。


「おう。……ロイル、帰りにそいつらに、ヘイムの宿の優待券でも渡してやれ。高い部屋に泊まらせて、金を落とさせろよ」


「了解です! アシュラン様、ゆっくり休んでくださいね!」


ロイルが敬礼し、アシュランはパタンとドアを閉めた。

後に残されたのは、静寂と、冷や汗に濡れた視察団の一行だけだった。



帰路につく馬車の中。

行きとは打って変わり、車内は葬式のような重苦しい空気に包まれていた。


「……局長」

部下の一人が、震える声で沈黙を破った。

「あの男……アシュランは、何者ですか? あんな……あんな『虚無』のような目をした支配者は、見たことがありません」


「……ああ」

ゲルハルトは額の汗を拭った。


アシュランの目は、野心に燃える者の目ではなかった。かといって、慈愛に満ちた聖人の目でもない。

ただ淡々と、現象を観察し、計算し、最適解を出力する機械のような目。


「あれは、軍隊よりも厄介だ」

ゲルハルトは断言した。


「軍隊なら、指揮官を潰せば終わる。恐怖政治なら、民衆を扇動すれば崩せる。……だが、あの村は違う」


ゲルハルトは、窓の外に広がる荒野を睨みつけた。


「あの村には、『命令する者』がいない。全員が自律的に動き、仕組みの一部として機能している。……アシュランという男は、自分がいなくても回る『永久機関』を作ろうとしているのだ」


もし、帝国がこの村を武力で制圧しようとすればどうなるか。

村人たちは、誰に命じられるでもなく、それぞれの判断で最善の抵抗を行うだろう。

補給線を断ち、罠を仕掛け、ゲリラ戦を展開する。中心を叩いても、その体制は止まらない。

それは、泥沼の消耗戦を意味する。


「……壊せない」

ゲルハルトは結論を下した。

「今の帝国にとって、ウルム自治区を敵に回すコストは、得られる利益を遥かに上回る」


「では、どう報告を?」


「『観測継続』。……そして、『最優先保護対象』だ」


 ゲルハルトは苦渋の決断をした。

 敵にするには危険すぎる。ならば、味方という枠に押し込め、飼い殺すしかない。

 たとえそれが、猛毒を懐に入れる行為だとしても。


「……アシュラン・ド・ランテーム。……ただの追放者ではない。あれは、(ことわり)という名の鎖で人を縛る、無防備な怪物だ」


馬車は帝都へ向けて速度を上げた。

だが、ゲルハルトの胸に残る戦慄は、距離が離れても消えることはなかった。



その頃。

迎賓館の執務室では、カインが窓の外を見下ろしていた。

視察団の馬車が、逃げるように去っていくのが見える。


「……ふふ。思った通りですね」


カインは口元を歪めた。

彼には聞こえていたわけではないが、理知院の連中がどんな顔をして、どんな結論に至ったかは手に取るようにわかる。

彼らは「深読み」のプロだ。

アシュランの「ただ楽がしたい」という純粋な動機を、きっと「高度な統治哲学」や「洗脳技術」として解釈したに違いない。


「評価が、一人歩きしていますね」


カインは手元の報告書――理知院へ送るための定例レポート――にペンを走らせた。

そこには、アシュランの功績や、ギルド制の有効性が、少しばかりカインフィルターを通して美化されて記されている。


「ですが、止めませんよ。……この誤解は、村にとって最強の鎧になりますから」


「底知れない賢者が治める、不可解な自治領」。

その評判が広まれば、王国も帝国も、うかつには手を出せなくなる。

アシュランが望む「静かなスローライフ」を守るためには、外の世界に対して「虎」の絵を描いておく必要があるのだ。


だが、問題もある。

注目が集まれば、今回のような視察団や、あるいはもっと厄介な連中――教会や、利権に聡い大商人たち――が押し寄せてくるだろう。

そのたびにアシュランを対応させていては、彼の安眠は守れないし、ボロが出る可能性もある。


「……ギード殿、ロイル」


カインは、次の計画を練り始めた。


「商業ギルドだけでは足りませんね。……外部からの干渉を専門に捌き、アシュラン様を守るための防波堤。……『対外折衝ギルド』、あるいは『外交部門』の設立が必要です」


カインの眼鏡が妖しく光る。

アシュランは「仕組みを作った」と言った。

ならば、その仕組みを完璧なものに仕上げ、主を守り抜くのが、賢者たる自分の役目だ。


誤解と戦慄を置き土産に、帝国の視察は終わった。

だがそれは、ウルム村が「世界」という舞台に、正式にプレイヤーとして引きずり出された瞬間でもあった。

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