第52話:終わる平穏と始まる自治
お読みいただき、ありがとうございます。
このたび本作が、
[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)145位に入ることができました。
ひとえに、読んでくださった皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
これからも楽しんでいただけるよう、引き続き執筆していきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
朝の空気は、少し湿っていた。
夜のうちに霧雨でも降ったのか、ウルム村の石畳にはまだ濡れた土の匂いが残っている。
村の運送係を務める若者、ロイルは、共同倉庫から荷車を引っ張り出しながら、大きく伸びをした。
「今日も平和、っと」
口に出してから、少しだけ笑う。
最近は、何かあるたびにそう呟く癖がついていた。
先日の水路の事故や、給水塔の騒ぎなど、少しばかり騒がしいことはあった。だが、結局はアシュラン様やカイン様が出てきて、魔法のような手際で解決してしまった。
いつものことだ。
俺たち村人にできるのは、「ああ、助かった」「さすがアシュラン様だ」と胸を撫で下ろし、称賛することくらい。
難しい理屈や、壊れた原因なんて考える必要はない。全部あの人が考えてくれる。
それで、今まで何も困らなかったし、これからもそうだろう。
「ロイルー! それ、こっち頼む!」
通りの向こうから声が飛んでくる。鍛冶場の若い衆だ。
「ああ、今行く!」
ロイルは荷車を引きながら歩き出す。 道の脇では子どもたちが走り回り、家々の煙突からは朝餉の匂いが漂っている。
平和だ。
本当に、何も問題がない。 ……たぶん。
鍛冶場の前で荷を下ろしていると、ふと道具箱の留め具が少し緩んでいるのに気づいた。
ガタついている。ドライバーで締め直せば済む話だ。
だが、ロイルの手は止まった。
(……締めすぎて壊したら嫌だな)
一瞬、そんな考えがよぎる。
この道具箱も、アシュラン様が考案したバネ仕掛けの便利なやつだ。素人が下手にいじって、バネを飛ばしてしまったら?
「……後でいいか」
そう言って道具箱をそのまま荷台に戻した瞬間、荷台の中で金具がカチャ、と嫌な音を立てた。
ロイルは聞こえなかったふりをした。
今度アシュラン様か、カイン様に会った時に聞けばいい。「これ、緩んでるんですけど」と言えば、きっと魔法のような手際で直してくれるはずだ。
そう思って、そのままにした。
自分で判断しない。それは、とても「楽」だった。 責任を持たなくていい。失敗を恐れなくていい。ただ言われた通りに動いていれば、衣食住は保証される。
ここは楽園だ。アシュラン様という神様のような人が管理する、揺り籠のような楽園。
昼過ぎ、集会所の前が少し騒がしいのに気づいた。
村長のギード様が、厳しい顔をして中に入っていくところだった。 その後ろには、アシュラン様、カイン様、エレノア様。いつもの「雲の上の四人」だ。
「珍しいな、昼間に揃って」
隣にいた年配の男が、あまり興味なさそうに言う。
「また何か新しい設備でも作るんだろ」
「俺たちには関係ないさ。決まったら教えてくれる」
「だな」
それで十分だった。
俺たちは、言われた通りに動けばいい。そうしてきたし、それで村は上手く回っている。
だがその夕方、掲示板の前を通りかかると、見慣れない羊皮紙が貼られていた。
『明日正午、緊急村民集会を行う。全員参加のこと』
署名はギード村長だ。
「集まり、か……」
面倒といえば面倒だが、話を聞くだけならいい。どうせまた、「水路を拡張するから手伝え」とか、その程度のことだろう。
そう思って家に戻った。
この時のロイルは、まだ知らなかった。
この「何も起きていない感じ」が、今日で終わりを告げることを。
◆
翌日、正午。
村の中央広場には、ほぼ全ての村人が集まっていた。
農夫、職人、商人。顔ぶれはいつもと同じだが、どこかざわついている。
広場の中央には木箱を並べた演壇が組まれ、そこに村長のギードが立っていた。その両脇には、アシュラン、カイン、エレノア。そして鍛冶師ドルガンや農夫代表のトマスといった、村の顔役たちが並んでいる。
「……さて、集まってもらったのは他でもない」
ギードがよく通る声で切り出すと、ざわめきが波が引くように静まった。
「最近、この村は大きくなった。人も増え、建物も増え、商売も盛んになっとる。……喜ばしいことじゃ」
ギードは一度言葉を切り、村人たちを見渡した。
「そこで、これからの『村のやり方』を根本から変えることにした」
「変える……?」
ロイルの隣にいた男が呟く
「どう変えるんだ? 税でも取るって言うのか?」
不安げな空気が広がる中、ギードはアシュランに視線を送った。
アシュランが一歩前に出る。
いつもの気だるげな様子ではなく、今日はどこか、冷徹な学者の顔をしていた。
「単刀直入に言おう」
アシュランは、村人全員を一度見回した。
「……先に言っておく。俺はもう、『便利屋』みたいな運用はやめる」
その一言で、広場の空気が凍りついた。
便利屋を辞める? それはつまり、見捨てるということか?
「村を捨てるつもりはない。だが、――些細なことで、いちいち俺を呼ぶな」
ロイルは心臓が跳ねた。道具箱のネジ。まるで昨日の自分を見透かされていたかのようだ。
「俺は物理学者だ。この村を快適にするための“仕組み”は作る。だが、その仕組みを動かし、守っていくのは――ここに住むお前たちだ。俺はいつまでも隣に立っていられるわけじゃない。だから今のうちに、渡せるものは渡しておきたい。」
アシュランの言葉が終わった瞬間、広場に沈黙が落ちた。
次の瞬間、それは小さな波紋になって広がる。
「……渡す、って?」
「いつまでも一緒じゃない、って……どういう意味だ?」
誰かがそう呟くと、別の誰かが慌てて首を振った。
「いや、出て行くって話じゃないだろ」
「でもさ……今までみたいには、いかないってことだよな」
安心したい声と、不安を隠しきれない声が入り混じる。
「俺たちで、やれって……」
「できるのか?」
「失敗したらどうなる?」
ざわめきの中に、戸惑いと、ほんの少しの反発が滲む。
責任を負うことへの恐怖。
快適な日常が崩れることへの不安。
それらが混ざり合い、重苦しい沈黙となって広場を支配する。
アシュランは、ふぅ、と小さく息を吐いた。そして、少しだけ表情を緩め、今度は本音を語るように肩をすくめた。
「はっきり言おう。……俺は、スローライフがしたいんだ」
「え?」
村人たちがポカンとする。
「俺は研究がしたいし、本も読みたいし、昼寝もしたい。なのにお前らが『アシュラン様、アシュラン様』と何でもかんでも持ってくるから、ちっとも休めないじゃないか! このままじゃ過労死する!」
笑いが起きる前に、誰かが息を呑む音がした。
それは崇高な理念というよりは、切実な「愚痴」だった。
しかし、その人間臭い本音が、逆に村人たちの心に突き刺さった。
神様だと思っていたアシュランが、「疲れた、休ませろ」と言っている。それは、自分たちが彼にどれだけ甘えていたかを、痛烈に自覚させる一言だった。
「そこで、提案があります」
アシュランに代わって、カインが前に出て図面を広げた。
「マスターの負担を減らし、かつ村の機能を維持するために、組織を改編します。……名付けて『ギルド制』です」
「ギルド……?」
「はい。「農業ギルド」「鍛冶ギルド」「建築ギルド」商いと物流をまとめた「商業ギルド」。そして、道路や水路などを管理する公共組織。
……それぞれの職種ごとに組合を作り、自分たちで責任者を決め、日常的な業務やトラブル対応は、まずそのギルド内で行ってもらいます」
カインの説明は続いた。
ギルドには独自の予算が与えられること。
ある程度は自分たちでルールを決めて良いこと。
そして、アシュランや村長への報告は、ギルド長を通じて行うこと。
「……それって、つまり」
ロイルは喉を鳴らした。
「何かあっても、まずは俺たちで何とかしろってことか?」
「失敗したらどうなるんだ?」
「責任なんて取れねぇよ」
あちこちから、再び不安の声が上がる。 当然だ。彼らはこれまで「守られる側」だったのだから。判断することの恐怖が、彼らを支配している。
その空気を断ち切ったのは、アシュランの言葉だった。
「失敗していい」
アシュランは言った。
「全部を俺に投げるより、よっぽどいい。俺が直す前に、お前たちで直せるなら、それが一番だ。ただし――壊れたら、“隠すな”。報告しろ。早ければ早いほど、被害は小さい。その時こそ俺たちが全力でカバーする。だから恐れるな」
アシュランは村人たちを見回した。
「俺は、お前たちを信じていないわけじゃない。……ただ、俺も楽がしたいんだ。俺の安眠を守るために、お前らが強くなってくれ。頼む」
頭を下げるアシュラン。 その姿に、村人たちの顔色が変わった。
見捨てられたんじゃない。頼りにされているのだ。
「俺たちのために」と言われるより、「俺のために」と言われた方が、何倍もやる気が出る。だって、彼らはアシュランのことが大好きなのだから。
沈黙の中、一人の男が前に出た。
鍛冶師のドルガンだ。
「……わかったよ。やりゃあいいんだろ」
ドルガンは、頭をガシガシとかきながら、アシュランを見た。
「アシュランにそこまで言わせちまっちゃ、職人の名折れだ。……『鍛冶ギルド』、俺がまとめよう」
「『商業ギルド』は俺がやります!」
続いて声を上げたのは、パン職人のベルンだった。彼は前回の成功体験がある分、その目の光は強い。
「商業と言えば、宿屋も商売だよな」
宿屋のヘイムも手を挙げる。
次々と手が挙がる。 不安が消えたわけではない。だが、そこには「やらねばならない」という使命感が生まれていた。
「ロイル! お前は『商業ギルド』に入れ!」
突然、ギード村長に指名された。
「えっ、俺!?」
「荷運びでお前ほど村中を知ってる奴はおらん。ヘイムを手伝って、物流を管理しろ。……できるな?」
ギードの強い視線が、ロイルを射抜く。
ロイルの脳裏に浮かんだのは、昨日の「緩んだネジ」のことだった。あのまま放置していたら、いつか道具箱は壊れていただろう。誰かが直してくれるのを待つだけの自分。そんな自分と、今ここでお別れしなければならない気がした。
「……は、はいっ! やります!」
ロイルは思わず大声で返事をしていた。
逃げ道はあった。だが、それを選んだ瞬間、自分は昨日の自分のままだ。
ただの荷運びだと思っていた自分が、ギルドの一員として役割を与えられた。
もう、「誰かがやってくれる」とは言えない。道具箱のネジ一つ、自分の判断で締めなければならないのだ。
「よし! ではこれより、ギルドを発足させる!」
ギードが高らかに宣言した。
集会所は、拍手と、そして新たな熱気に包まれた。それは昨日までの「平穏な停滞」とは違う、ざらついた、けれど確かな「生活の手触り」だった。
「……やれやれ。これで少しは、自分の研究に時間が割けるかな」
演壇の脇で、アシュランが肩の力を抜いて呟くのが聞こえた。その横顔は、いつもの飄々としたものに戻っていたが、どこか満足げに見えた。
帰り道、ロイルは空を見上げた。
昨日と同じ色の空だ。
でも、胸の奥に、ずっしりとした重みが残っている。
「俺たちで、決める」その言葉は心細いが、同時に、少しだけ誇らしくも感じられた。
この日、ウルム村は「アシュランの箱庭」から、「自立した村」への第一歩を踏み出した。もちろん、すぐに上手くいくはずもない。明日からは、失敗と混乱の日々が始まるだろう。
だが、それでも。歯車は、確かに回り始めたのだ。
――そして歯車が回る時、必ず「噛み合わない音」も生まれる。
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