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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第4章 自律と観測

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第51話:平和と予兆

お読みいただき、ありがとうございます。

このたび本作が、

[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)159位に入ることができました。


ひとえに、読んでくださった皆さまのおかげです。

本当にありがとうございます。


これからも楽しんでいただけるよう、引き続き執筆していきますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

汚水騒動から一夜明けた、穏やかな午後。


俺は自宅の一室――私室兼工房で、ソファに深く腰を沈め、コーヒーを啜っていた。

テーブルの上には、昨夜の事故現場の簡単な見取り図と、ウルム村全体のインフラ配置図。


……正直に言えば、もうこの手の図面を見るだけで胃が重い。


部屋に集まっているのは、いつもの三人。

村長のギード、賢者のカイン、そして聖女エレノアだ。


定例報告、という名目で集まってもらったが、ギードは俺の仏頂面を見て、早くも怪訝そうな顔をしている。


「……して、アシュランよ。そんなに難しい顔をしてどうしたんじゃ?水漏れの件なら、昨日のうちに全部片付いたじゃろう」


好々爺然とした笑顔。彼にとって、あれは「よくある小さな事故」で終わっている。


「解決? いいや、村長。何も解決していない」

「あの陥没、もしあと一時間遅ければ、子供が巻き込まれていた可能性もある」


俺はマグカップをテーブルに置いた。カチャン、と小さな音が響く。


「何も起きなかった、という結果だけを見れば、確かに成功だ。だがな――」


俺は深く息を吸う。


「昨日の農夫、こう言ったんだ。『アシュラン様に任せるのが一番確実』って」


「それの何が問題なんじゃ?」


ギードは即座に首を傾げた。


「頼りにされとる証拠じゃろう。実際、お前さんが来て、あっという間に直った。村の衆が安心するのも無理はない」


……そうだ。

だから、説明が難しい。


「村長。あの言葉は、感謝でもある。だが同時に――依存の兆候でもある」


俺は淡々と言った。

「しかも悪意じゃない。善意だから、余計に厄介なんだ」


一瞬、部屋の空気が止まる。


「……大げさじゃよ」


ギードは苦笑した。


「誰もお前さんを縛りつけとらん。疲れたら休めばいいし、村の衆だって鬼じゃない」


「問題は“誰も縛っていない”ことなんだ」


俺は身を乗り出す。


「頼まれてもいないのに、俺が出て行く。出て行けば、必ず解決する。だから誰も“自分で何とかしよう”としなくなる」


指を一本立てた。


「今は、トラブルは月に数回だ。だが、村は拡張している。人も建物も増えている。これが毎週、毎日になったら?」


俺は少し芝居がかった口調で続けた。


「俺の昼寝は!? 読書の時間は!? 優雅にティータイムを楽しむ余白はどこへ行くんだ!?」


「……」


「このままじゃ、俺は“村を楽にするために作った仕組み”に、俺自身が使い潰される」


本音を言えば、もっと単純だ。


「俺は、スローライフを堪能したいんだ!」


エレノアが吹き出した。

「ふふっ。結局そこですのね、師匠」


「否定はしない。……だが、俺が倒れたら、この村はどうなる?」

俺は即答した。


「だが、俺のスローライフは計画しないと守れない。何もしなければ、最終的に一番忙しくなる」


「相変わらず、欲望に正直ですわね」


そう言いながら、エレノアは楽しそうにコーヒーを注ぎ足す。

彼女はもう、俺の性格をよく分かっている。


「……だがな、エレノア。面倒くさいことを放置すると、将来的にもっと面倒くさいことになるんだ。夏休みの宿題を最終日まで溜め込むのと同じだ」


「あら、わたくしは初日に終わらせるタイプでしたけれど?」


「俺は最終日に泣きながらやるタイプだったんだよ!」


そんな俺たちのやり取りを、眼鏡を光らせて聞いていたカインが、真面目腐った顔で口を開いた。


「……感情論はさておき、マスターの懸念は構造的に正しいと、私も判断します」


カインは近くにあった羊皮紙を取り出し、簡易的な村の構造図をササッと描く。


「現在のウルム村は、問題解決の判断と実行が、ほぼマスターに集中しています。これは効率的ですが、これは構造的な欠陥です」


ギードが眉をひそめた。

「難しい言い方じゃの」


「簡単に言えば」

カインは淡々と言う。

「マスターがいなくなれば、終わります。――ひと月も持たないでしょう」


「……それは困るな」


「はい。……まぁ、マスターの『スローライフをしたい』という動機は不純ですが、指摘されている危機自体は、村の存亡に関わる重大事案と言えるでしょう」


「不純って言うな」


俺は抗議したが、カインは無視して続けた。


「ただし……」

ここで、カインは一拍置いた。


「それが“今すぐの危機”かと言われれば、そうとは断言できません。現時点では、あくまで将来的なリスクです」


ギードは腕を組み、頷いた。

「ほれ見い。今は何も起きとらん」


「だが、“起きてから”では遅い」

俺は静かに言った。


「だから、今のうちに考えておきたい。俺が元気で、余裕があるうちにな」


しばし沈黙。


やがて、カインが続ける。

「一案としてですが……問題解決を段階的に分散させる仕組みを作ることは可能です」


「ほう?」


「職種ごとに小さな組織――いわば“ギルド”を設けるのです」


カインは、中心から複数の円へと線を引く。


「農業、商業、鍛冶、建築。日常的な判断は、まず各ギルド内で行う。彼らで解決できない案件だけを、我々に上げる」


俺は内心で頷いた。

それこそが、俺の欲しかった“防波堤”だ。


「ただし」

カインは続ける。


「実際に村人がどこまで判断を担えるかは、不確定です。机上では成立しますが、運用は別問題でしょう」


ギードは顎髭を撫でた。

「村の衆が、自分で決める……か。今は、あまりそういう空気ではないのう」


「無理にやらせるつもりはない」

俺は言った。

「まずは、選択肢として示すだけでいい。必要になった時、すぐ動けるようにな」


ギードはしばらく考え込み、やがてため息をついた。

「……お前が動けば、村は変わるじゃろう。だがな、変わるということは――今の形を壊すことでもある」

ギードの声は低かった。

「それでもやると言うのか?」


ギードのいつもと違う迫力に俺は言葉を飲み込んだ。


会話はそこで一区切りついた。


ギードは「また様子を見よう」と言って帰り、カインとエレノアも夕食の準備へ向かう。


一人残された俺は、冷めたコーヒーを飲み干した。

「……何も起きていない今が、一番危ないんだよな」


窓の外では、いつも通りのウルム村が広がっている。

煙突の煙、家畜の声、笑い声。


平和だ。

だからこそ、誰も急がない。


「まあいい」

俺は、テーブルの上に広がる図面から目を離し、窓の外を見た。


そこには、いつも通りのウルム村がある。煙突からは煙が立ち、家畜の鳴き声が聞こえ、どこかで子どもが笑っている。


平和だ。

完成された日常だ。


――だからこそ。


「……この景色を守るために、壊さなきゃいけない部分もあるんだよな」


俺は、誰に言うでもなく呟いた。


まだ、何も始めていない。村人たちにも、何も伝えていない。

それでも――


俺の中では、もう引き返せないところまで来ている。


図面の端に、俺は小さく文字を書き足した。


《ギルド構想(案)》


「さて……」

コーヒーカップを置き、椅子から立ち上がる。


「これを“面倒ごと”だと思うか、“助け”だと思うかは――」


俺は、まだ知らない。

村人たちが、どう受け取るのかを。


静かな午後のウルム村で、まだ誰も気づいていない“波紋”が、たしかに生まれつつあった。

――この選択が、村の均衡を崩す最初の一手になるとは、まだ誰も知らない。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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