第51話:平和と予兆
お読みいただき、ありがとうございます。
このたび本作が、
[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)159位に入ることができました。
ひとえに、読んでくださった皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
これからも楽しんでいただけるよう、引き続き執筆していきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
汚水騒動から一夜明けた、穏やかな午後。
俺は自宅の一室――私室兼工房で、ソファに深く腰を沈め、コーヒーを啜っていた。
テーブルの上には、昨夜の事故現場の簡単な見取り図と、ウルム村全体のインフラ配置図。
……正直に言えば、もうこの手の図面を見るだけで胃が重い。
部屋に集まっているのは、いつもの三人。
村長のギード、賢者のカイン、そして聖女エレノアだ。
定例報告、という名目で集まってもらったが、ギードは俺の仏頂面を見て、早くも怪訝そうな顔をしている。
「……して、アシュランよ。そんなに難しい顔をしてどうしたんじゃ?水漏れの件なら、昨日のうちに全部片付いたじゃろう」
好々爺然とした笑顔。彼にとって、あれは「よくある小さな事故」で終わっている。
「解決? いいや、村長。何も解決していない」
「あの陥没、もしあと一時間遅ければ、子供が巻き込まれていた可能性もある」
俺はマグカップをテーブルに置いた。カチャン、と小さな音が響く。
「何も起きなかった、という結果だけを見れば、確かに成功だ。だがな――」
俺は深く息を吸う。
「昨日の農夫、こう言ったんだ。『アシュラン様に任せるのが一番確実』って」
「それの何が問題なんじゃ?」
ギードは即座に首を傾げた。
「頼りにされとる証拠じゃろう。実際、お前さんが来て、あっという間に直った。村の衆が安心するのも無理はない」
……そうだ。
だから、説明が難しい。
「村長。あの言葉は、感謝でもある。だが同時に――依存の兆候でもある」
俺は淡々と言った。
「しかも悪意じゃない。善意だから、余計に厄介なんだ」
一瞬、部屋の空気が止まる。
「……大げさじゃよ」
ギードは苦笑した。
「誰もお前さんを縛りつけとらん。疲れたら休めばいいし、村の衆だって鬼じゃない」
「問題は“誰も縛っていない”ことなんだ」
俺は身を乗り出す。
「頼まれてもいないのに、俺が出て行く。出て行けば、必ず解決する。だから誰も“自分で何とかしよう”としなくなる」
指を一本立てた。
「今は、トラブルは月に数回だ。だが、村は拡張している。人も建物も増えている。これが毎週、毎日になったら?」
俺は少し芝居がかった口調で続けた。
「俺の昼寝は!? 読書の時間は!? 優雅にティータイムを楽しむ余白はどこへ行くんだ!?」
「……」
「このままじゃ、俺は“村を楽にするために作った仕組み”に、俺自身が使い潰される」
本音を言えば、もっと単純だ。
「俺は、スローライフを堪能したいんだ!」
エレノアが吹き出した。
「ふふっ。結局そこですのね、師匠」
「否定はしない。……だが、俺が倒れたら、この村はどうなる?」
俺は即答した。
「だが、俺のスローライフは計画しないと守れない。何もしなければ、最終的に一番忙しくなる」
「相変わらず、欲望に正直ですわね」
そう言いながら、エレノアは楽しそうにコーヒーを注ぎ足す。
彼女はもう、俺の性格をよく分かっている。
「……だがな、エレノア。面倒くさいことを放置すると、将来的にもっと面倒くさいことになるんだ。夏休みの宿題を最終日まで溜め込むのと同じだ」
「あら、わたくしは初日に終わらせるタイプでしたけれど?」
「俺は最終日に泣きながらやるタイプだったんだよ!」
そんな俺たちのやり取りを、眼鏡を光らせて聞いていたカインが、真面目腐った顔で口を開いた。
「……感情論はさておき、マスターの懸念は構造的に正しいと、私も判断します」
カインは近くにあった羊皮紙を取り出し、簡易的な村の構造図をササッと描く。
「現在のウルム村は、問題解決の判断と実行が、ほぼマスターに集中しています。これは効率的ですが、これは構造的な欠陥です」
ギードが眉をひそめた。
「難しい言い方じゃの」
「簡単に言えば」
カインは淡々と言う。
「マスターがいなくなれば、終わります。――ひと月も持たないでしょう」
「……それは困るな」
「はい。……まぁ、マスターの『スローライフをしたい』という動機は不純ですが、指摘されている危機自体は、村の存亡に関わる重大事案と言えるでしょう」
「不純って言うな」
俺は抗議したが、カインは無視して続けた。
「ただし……」
ここで、カインは一拍置いた。
「それが“今すぐの危機”かと言われれば、そうとは断言できません。現時点では、あくまで将来的なリスクです」
ギードは腕を組み、頷いた。
「ほれ見い。今は何も起きとらん」
「だが、“起きてから”では遅い」
俺は静かに言った。
「だから、今のうちに考えておきたい。俺が元気で、余裕があるうちにな」
しばし沈黙。
やがて、カインが続ける。
「一案としてですが……問題解決を段階的に分散させる仕組みを作ることは可能です」
「ほう?」
「職種ごとに小さな組織――いわば“ギルド”を設けるのです」
カインは、中心から複数の円へと線を引く。
「農業、商業、鍛冶、建築。日常的な判断は、まず各ギルド内で行う。彼らで解決できない案件だけを、我々に上げる」
俺は内心で頷いた。
それこそが、俺の欲しかった“防波堤”だ。
「ただし」
カインは続ける。
「実際に村人がどこまで判断を担えるかは、不確定です。机上では成立しますが、運用は別問題でしょう」
ギードは顎髭を撫でた。
「村の衆が、自分で決める……か。今は、あまりそういう空気ではないのう」
「無理にやらせるつもりはない」
俺は言った。
「まずは、選択肢として示すだけでいい。必要になった時、すぐ動けるようにな」
ギードはしばらく考え込み、やがてため息をついた。
「……お前が動けば、村は変わるじゃろう。だがな、変わるということは――今の形を壊すことでもある」
ギードの声は低かった。
「それでもやると言うのか?」
ギードのいつもと違う迫力に俺は言葉を飲み込んだ。
会話はそこで一区切りついた。
ギードは「また様子を見よう」と言って帰り、カインとエレノアも夕食の準備へ向かう。
一人残された俺は、冷めたコーヒーを飲み干した。
「……何も起きていない今が、一番危ないんだよな」
窓の外では、いつも通りのウルム村が広がっている。
煙突の煙、家畜の声、笑い声。
平和だ。
だからこそ、誰も急がない。
「まあいい」
俺は、テーブルの上に広がる図面から目を離し、窓の外を見た。
そこには、いつも通りのウルム村がある。煙突からは煙が立ち、家畜の鳴き声が聞こえ、どこかで子どもが笑っている。
平和だ。
完成された日常だ。
――だからこそ。
「……この景色を守るために、壊さなきゃいけない部分もあるんだよな」
俺は、誰に言うでもなく呟いた。
まだ、何も始めていない。村人たちにも、何も伝えていない。
それでも――
俺の中では、もう引き返せないところまで来ている。
図面の端に、俺は小さく文字を書き足した。
《ギルド構想(案)》
「さて……」
コーヒーカップを置き、椅子から立ち上がる。
「これを“面倒ごと”だと思うか、“助け”だと思うかは――」
俺は、まだ知らない。
村人たちが、どう受け取るのかを。
静かな午後のウルム村で、まだ誰も気づいていない“波紋”が、たしかに生まれつつあった。
――この選択が、村の均衡を崩す最初の一手になるとは、まだ誰も知らない。
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