第41話:王国の使節団と通告
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季節は盛夏を迎えていた。
空はどこまでも高く青く澄み渡り、ウルム村を囲む『鋼牙の魔境』の緑はいっそう濃くなっている。
その穏やかな風景の中に、場違いな緊張だけが、確かに紛れ込んでいた。
村の入り口にある大門が、重々しい音を立てて開かれる。
そこから入ってきたのは、煌びやかな装飾が施された馬車と、王国の紋章を掲げた正規の近衛騎士団。 これは威圧でも、示威でもない。エルディナ王国という「国家」が、公式に送り込んできた使節団である。
「……ふん。相変わらず、泥臭い場所だ」
馬車から降り立ったのは、恰幅の良い中年男性――文官貴族ベルモン侯爵だった。
上質な礼服と宝石に身を包み、ハンカチで鼻を覆いながら、村を値踏みするように見渡す。
その背後で、護衛隊長として同行したオリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットは、沈痛な面持ちで村を見つめていた。かつて追放を止められなかった男が築いた“城”を、彼は言葉なく見上げている。
「ようこそ、ウルム村へ。歓迎いたしますよ、ベルモン侯爵」
俺は、村の広場に設けた応接スペースで彼らを迎えた。
「応接スペース」といっても、急遽用意した長机と椅子、そして日除けのテントがあるだけの簡素なものだ。
だが、俺の背後には、最強の布陣が控えている。
右には、不機嫌を隠そうともしない聖女エレノア。
左には、無表情で羊皮紙とペンを構える賢者カイン。
そして後ろには、武装したギードやドルガンたち村の有力者。
この場は、交渉の席であると同時に、警告の場でもあった。
「アシュラン・ド・ランテームか。……随分と待たせてくれたな」
ベルモン侯爵は、俺を一瞥すると、許可も待たずに椅子にドカッと腰を下ろした。
「辺境の暮らしで礼儀を忘れたか? 王国の特使を迎えるにしては、あまりに粗末な歓迎ではないか」
「あいにくと、俺たちは忙しい身でしてね。それに、この村は、どの国にも所属していない土地。『王国の流儀』に従う義務はありません」
俺が淡々と返すと、侯爵の眉がピクリと跳ねた。
だが、彼はすぐに作り笑いを浮かべ、従者から受け取った羊皮紙を広げた。
「まあよい。今日は、寛大なる国王陛下からの、慈悲深い提案を伝えに来たのだ。心して聞くがいい」
侯爵は、朗々とした声で読み上げ始めた。
「一つ。先日のリヒテンブール公爵家嫡男、アルベールによる軍事行動は、彼の独断専行であり、王国としての意思ではないことをここに明言し、遺憾の意を表する」
「……遺憾、ですか」
俺は鼻で笑った。
五百もの兵が動いておいて「知らなかった」で済ませるつもりか。相変わらずのトカゲの尻尾切りだ。
「一つ。アシュラン・ド・ランテームへの追放処分を撤回し、その名誉を回復する。さらに、王立魔術院『名誉副院長』のポストを用意し、貴殿を再び王国の叡智として迎え入れる」
侯爵は、ここで言葉を切り、俺の反応を窺った。
「どうだ? 破格の待遇だろう。追放された身分から、名誉とは言え、副院長。実質、魔術院のナンバー2だぞ」
だが、俺は無言で先を促した。
侯爵は少し不満そうにしながらも、最後の一文を読み上げた。
「一つ。ウルム村全域をエルディナ王国の直轄領『ウルム辺境伯領』として編入し、アシュラン・ド・ランテームを初代辺境伯に叙爵する。……以上だ」
読み終えた侯爵は、羊皮紙を机に置き、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「どうだ、アシュラン。悪い話ではあるまい? 罪人の汚名は雪がれ、栄誉ある地位と領地が約束されるのだ。陛下は、貴殿の功績を高く評価しておられる」
彼の目には、「これで落ちないはずがない」という確信があった。
一度捨てた人間に、これだけの待遇を用意したのだ。感謝して涙を流し、靴に口づけでもすると思っているのだろう。
確かに、常識的に考えれば破格だ。
だが、その提案の裏にある「意図」は透けて見える。
アシュランを懐柔し、ウルム村の技術を接収し、あわよくば聖女と賢者もセットで手に入れる。
そんな虫のいい計算が、プンプンと臭ってくる。
俺は、隣のカインと視線を合わせた。
カインは、微かに肩をすくめてみせた。
エレノアに至っては、露骨にため息をついている。
「……なるほど。王国の意図は理解しました」
俺は静かに口を開いた。
「ですが――お断りします」
「うむ、よき返事を期待して……んっ?」
ベルモン侯爵の笑顔が、凍りついた。
「な、何を言っている? 聞き間違いか? 断る……だと?」
「ええ。全ての提案を、拒否させていただきます」
俺は即答した。
「き、貴様……! 正気か!? 国王陛下直々の温情を、無下にするつもりか! 辺境伯だぞ!? 貴族の位と、魔術院の要職だぞ!?」
侯爵が椅子を蹴って立ち上がる。
顔を真っ赤にして叫ぶ彼に対し、俺は座ったまま、冷ややかに言い返した。
「温情? どの口が言うんですか」
俺の声に、広場の空気が凍りついた。
「俺は、魔力を持たないという理由だけで、研究を否定され、名誉を奪われ、着の身着のままでこの死地に追放された身です。この村にいる者たちも、皆そうだ。理不尽な理由で国を追われ、あるいは重税と飢餓に耐えかねて逃げ出してきた者たちだ」
俺は、後ろに控える村人たちを見渡した。
彼らの目には、王国への未練など欠片もない。
あるのは、自分たちの手で荒れ地を開拓し、魔獣の脅威に立ち向かい、豊かな生活を勝ち取った者だけが持つ、強烈な自負と誇りだ。
「この村は、誰のものでもない。俺たちの場所だ。王国の支配下になるつもりもなければ、貴族の位も必要ない。俺たちは、俺たちのルールで生きていく」
「き、貴様……! それが、王国に対する反逆の意思表示だと分かっているのか!?」
「反逆? 違いますよ。これは絶縁です。そもそも属していない国に、反逆はできないでしょ?」
俺は静かに、しかしはっきりと告げた。
「今後、エルディナ王国政府としての干渉は一切拒絶します。軍隊を送ろうが、使節を送ろうが、答えは同じです。二度と、この村の敷居を跨がないでいただきたい」
「ぐぬぬ……! 無礼者め! たかが小僧が、図に乗るなよ! ここにいる近衛騎士団がその気になれば……!」
侯爵が合図を送ろうとした、その瞬間。
『――動くな』
地を這うような低い声が、広場を支配した。
声の主は、賢者カインだ。
彼が指を弾くと、防壁の上に設置された八機の自動迎撃バリスタが、一斉に駆動音を立てて旋回し、その照準を正確に侯爵と騎士団に定めた。
「ひっ……!?」
さらに、エレノアが静かに立ち上がる。
彼女を中心に、目に見えるほどの高密度のマナが渦巻き、不可視の障壁が騎士たちの動きを完全に封じ込めた。
「おいたはいけませんわ。師匠の御前ですもの」
聖女の微笑みは、慈愛に満ちているようでいて、その瞳の奥には底知れぬ威圧感が宿っていた。
騎士たちは、武器に手をかけることすらできず、その場で彫像のように硬直してしまった。
「……な、なんなのだ、これは……!?」
ベルモン侯爵は、腰を抜かして椅子にへたり込んだ。
彼は、ようやく悟った。自分たちが相手にしているのは、村ではない。
国家に等しい「力」だと。
「ただし」
俺は、震える侯爵に最後の言葉を投げかけた。
「民間の行商人たちの出入りまで制限するつもりはありません。彼らには罪はないし、物流は双方にとって利益になりますからね。国としては付き合いませんが、人と人としての商売なら歓迎しますよ」
是々非々。
それが、俺の出した結論だった。
「……くっ! 覚えておれ! このような暴挙、タダで済むと思うなよ! 国王陛下への反逆として、必ずや後悔させてやる!」
侯爵は捨て台詞を吐くと、憤慨極まりない態度で馬車へと戻っていった。
騎士たちも、バリスタの照準から逃げるように、慌ただしく隊列を整える。
使節団の列が、逃げるように村を去っていく。
その最後尾。
オリヴィエが、馬上の人となり、俺の方を振り返った。
彼は、侯爵のように怒ってはいなかった。
その瞳に宿っていたのは、深い悲しみと、諦念。そして、微かな羨望だった。
彼は何も言わなかった。ただ、深く、静かに頭を下げただけだった。
その目には、かつて彼を救えなかった謝罪と、「達者で暮らせ」という、かつての同僚としての想いが込められているように見えた。
俺もまた、黙って頷き返した。
彼とは、もっと違う形で出会いたかった。だが、もう道は分かたれたのだ。
「……行っちゃいましたね」
エレノアが、ポツリと呟く。
「ああ。これでもう、後戻りはできないな」
王国との決別。
それは、俺たちがこの世界で「独立勢力」として生きていくことを、全世界に向けて宣言したに等しい。
「望むところですわ。わたくしの居場所は、ここ以外にありませんもの」
彼女は晴れやかに笑った。
カインも、眼鏡を直しながら頷く。
「賢明な判断です、マスター。腐敗した組織に戻っても、研究の邪魔になるだけですからね。それに、あの程度の国、今の我々の敵ではありません」
頼もしく、そして少し変わった俺の仲間たち。
彼らがいれば、どんな困難も乗り越えられる気がした。
だが、問題はもう一つの大国――ヴィンデル帝国だ。
あちらがどう動くかで、この村の運命は大きく変わる。
「さて……。次はあちらさんの番か」
俺は、少し憂鬱な面持ちで東の空を見上げた。
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