第35話:迫りくる独善と鉄壁の楽園
お読みいただき、ありがとうございます。
これより第3章スタートです。
第3章も、お楽しみいただければ幸いです。
季節は夏。
じりじりと肌を焼くような日差しの中、エルディナ王国の東端、魔境へと続く街道を、土煙を上げて進む一団があった。
リヒテンブール公爵家の紋章を掲げた、五百名の私兵団である。
その中央、豪奢な馬車の中で、アルベール・ド・リヒテンブールは不機嫌そうに扇を仰いでいた。
「暑い……。なぜ私が、こんな埃っぽい田舎道を何日も揺られねばならんのだ」
「申し訳ございません、アルベール様。ですが、もう間もなくウルム村に到着いたします」
対面に座るリュシアンが、ハンカチで汗を拭いながら宥める。彼の顔色は悪く、胃のあたりを押さえる手が小刻みに震えていた。
その時、先行させていた斥候の騎兵が戻ってきた。
「報告します! 前方にウルム村を確認! ……ですが、様子が変です!」
「変だと? 追放者どもが怯えて逃げ出したか?」
アルベールが鼻で笑う。だが、斥候の報告は彼の予想を裏切るものだった。
「いえ……。村の周囲に、巨大な防壁が築かれています。高さはおよそ十エルム(約五メートル)。赤褐色の石材……おそらくレンガ積みで、非常に堅牢な作りです」
「十エルムだと?」
「はい。さらに、壁の上部には数基の据え置き式大型弩砲らしき影が確認できました。また、目視では確認できませんが、何らかの魔力干渉……防御結界も装備している可能性が高いです」
斥候の声には、隠しきれない動揺が混じっていた。
たかが追放者の村だと思って偵察に行ったら、そこにあったのは軍事要塞だったのだ。驚くなという方が無理だろう。
だが、アルベールはふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「馬鹿な。あの貧乏な村に、そんな予算も技術もあるはずがない。どうせ、色を塗った張りぼてだ。置物の弩砲で、我々を威圧したつもりなのだろう」
「し、しかし……」
「アシュランの小細工だ。奴は魔力がない分、そういうハッタリだけは得意だからな。生意気にも、我々を恐れさせようとしているのだろうが……浅はかなことだ」
アルベールは、歪んだ笑みを浮かべた。
彼の頭の中にある「アシュラン像」は、魔術院を追放された時の、無力で哀れな若者だ。彼が成功しているなど、断じて認めるわけにはいかない。
「全軍、進め! 偽りの城壁ごと、逆賊どもを踏み潰してくれるわ!」
高らかに命令を下すアルベール。
その横で、リュシアンは絶望に目を閉じた。
(……やはり、この人では無理だ。現実が見えていない。このままでは、全滅もあり得る……)
彼は、懐に忍ばせた「あるもの」を強く握りしめた。
いざという時は、自分だけでも生き残るために。
◇
一方、その頃。
ウルム村は、嵐の前の静けさ……というよりは、極めて穏やかな陽光に包まれていた。
広場の一角では、俺の「青空教室」が開かれ、子供たちの元気な声が響いている。
「いいか、このコップの水をこぼさずに逆さまにするぞ」
俺は水の入ったコップに羊皮紙の切れ端を乗せ、手で蓋をしたままひっくり返す。そして、そっと 押さえていた紙から手を離す。しかし、水はこぼれ落ちない。
「うわああっ! なんで!? 水が落ちてこない!」
「魔法だ! アシュラン様が魔法を使った!」
子供たちが大騒ぎする。
「魔法じゃない。『大気圧』だ。空気にも重さがあって、下から紙を押し上げているんだよ」
キドやアリシアたちが、俺が教える実験に目を輝かせている。
目に見えない空気の力。その裏にある「理屈」を知る喜び。
ここには、王都の学問所にはない、自由で純粋な学びがあった。
畑では、ボルグたちがたわわに実った夏野菜の収穫に精を出している。その額には心地よい汗が光り、時折、冷たい水筒の水で喉を潤しながら、無理のないペースで作業を進めている。人も作物も、暑さ対策こそが夏の農作業の要だ。 工房からは、ドルガンが打つ鉄の音と、カインが何やら新しい機械を調整する駆動音が、規則正しく聞こえてきていた。 そして薬草園では、エレノアが村の女性たちに効率的な栽培法を教えながら、穏やかな笑みを浮かべている。
誰もが、自らの役割に誇りを持ち、明日への希望を育む、平和な日常。
俺が思い描いていた以上の暮らしが、いつの間にか、ここに根を張っていた。
だが。
その、あまりにも穏やかな平穏を、突如として引き裂いたのは、けたたましく鳴り響く警鐘の音だった。
カン、カン、カン、カン、カン!! カン、カン、カン、カン、カン!! カン、カン、カン、カン、カン!! ……
村の四隅にある物見櫓から、これまで訓練でしか鳴らしたことのない、連打の金属音が村中に響き渡る。
敵襲を告げる、最高レベルの警報だ。
広場で遊んでいた子供たちの動きが、ピタリと止まる。
畑仕事に精を出していた男たちの顔から、笑みが消える。
工房から、ドルガンとカインが、工具を放り出して飛び出してきた。
だが、そこに混乱やパニックはなかった。
「――皆、落ち着け!」
響き渡ったのは、村長ギードの、老いてなお張りのある声だった。
「訓練通りじゃ! 女子供は、中央の集会所へ避難! 男たちは、それぞれの持ち場へ! 急げ!」
その号令一下、村はまるで一つの生き物のように、整然と動き始めた。
「さあ、みんな、行くよ! 慌てないで、小さい子の手をしっかり握って!」
アリシアの母親が、真っ先に動いた。彼女の指示に従い、女たちは子供やお年寄りの手を引き、村で最も頑丈な石造りの建物へと、慌てず、しかし迅速に避難していく。その表情には不安の色があるものの、取り乱す者は一人もいない。
その間、男たちの動きは、さらに速かった。
「鍛冶班、第一防衛区画へ! ヘイムのところの連中が来るまで、ゲートを死守するぞ!」
ドルガンは、工房の壁にかけてあった、自らが鍛え上げた巨大な戦斧をその手に掴むと、地響きのような雄叫びを上げた。 その目に、もはや温厚な職人の色はなかった。 彼の背中を、鉄の武具を身につけた若い職人たちが、覚悟を決めた表情で追っていく。
「農業班は、第二、第三区画の防壁上へ! 弓と槍を準備しろ!」
ボルグもまた、いつもの人の好い農夫の顔ではなかった。
彼は、改良された鋤で大地を耕すその手で、今は鋭い穂先を持つ長槍を握りしめている。
彼の周りには、同じように農具を武器に持ち替えた男たちが集い、防壁への階段を駆け上がっていく。その目は、自らが汗水流して育んだ畑を、そして家族を守るという、静かだが、何よりも強い決意に燃えていた。
そして、大工班を率いるヘイムは、最も冷静だった。
彼は、部下たちに防壁の各ゲートの連動装置や、バリスタの台座の最終確認を指示しながら、村全体の防御配置を俯瞰していた。
彼の頭の中には、この村の全ての構造が、設計図として完璧にインプットされている。どこが最も攻撃に弱く、どこを重点的に守るべきか。彼は、それを誰よりも理解していた。
彼らはもはや、ただの職人や農夫ではない。 理不尽な追放という過去を乗り越え、自らの手で楽園を築き上げた、誇り高き「ウルム村の民」なのだ。 そして、その楽園を自らの手で守り抜くという揺るぎない覚悟を、今、その背中で示していた。
「……師匠!」「マスター!」
報告を聞いて駆けつけたエレノアとカインが、俺の元へやってくる。
二人とも、すでに戦闘態勢に入っていた。
「行くぞ。物見櫓へ」
俺たちはすぐさま防壁の上の櫓へと駆け上がった。
そこには、すでにギードが望遠鏡を構えていた。
「……来たか」
俺も望遠鏡を受け取り、西の方角を覗き込む。
土煙を上げながら進軍してくる、大規模な武装集団の姿が見えた。
その数、およそ五百。
陽光を反射して鈍色に輝く鎧、ずらりと並んだ槍の穂先。攻城兵器らしき破城槌も見える。
間違いなく、この村を破壊し、蹂躙することを目的とした軍隊だ。
「……来ましたわね」
エレノアが、その美しい顔から表情を消し、静かに呟いた。
その瞳には、もはや聖女としての慈愛はなく、自らの聖域を脅かす者に対する、氷のように冷徹な光が宿っている。
「旗印は……」
カインが、自身の魔法で強化した視力で敵の旗を捉え、眉をひそめた。
「エルディナ王国の国旗ではありませんね。あれは……確か……リヒテンブール公爵家の紋章です」
「リヒテンブール……」
俺は、その名に聞き覚えがあった。
「アルベールの、家門か」
「ええ。以前、マスターから追放された経緯を聞いた時、そうなるのではないかと予測していましたが……。どうやら、国王陛下の承認を得られずに暴走した、というのが正解のようですね」
カインは静かに頷き、分析を続ける。
「正規軍ではありません。装備に統一感がない。手柄を立てたい野心家や、金で雇われた傭兵たちをかき集めた、私兵団でしょう。……なんと、愚かな」
「自らの嫉妬と功名心のために、私兵を動かすなど……。貴族の風上にも置けませんわ。彼の言う『魔法の芸術』とやらは、随分と安っぽくなったものですこと」
エレノアが、侮蔑を込めて鼻を鳴らした。
俺は、二人のやり取りを聞きながら、冷静に敵の戦力を分析していた。
数は五百。騎馬隊が約百、残りは歩兵。
単純な兵数で言えば、今のウルム村の人口を考えれば、まともにぶつかれば勝ち目はない。
だが。
俺たちの村は、ただの村ではない。
「……やれやれ。どうやら、最悪の予想の方が当たってしまったらしいな」
俺は、誰に言うでもなく呟いた。 その声に、エレノアとカインが、俺の顔を見る。 二人の目には、一点の不安もなかった。あるのは、俺への絶対的な信頼と、迎撃への闘志だけだ。
「エレノア。君が作り上げた防御結界の準備を頼む」
「はい、師匠! 不浄な輩は一歩たりとも通しませんわ!」
「カイン。バリスタの準備は大丈夫か?」
「無論です、マスター! 照準機構、調整完了。いつでもいけます」
二人は、俺の指示に力強く頷くと、それぞれの持ち場へと駆け出していった。
俺は、眼下に広がる、平和な、しかし確かな覚悟を決めた村人たちの姿を見下ろす。
そして、遠くに迫る、愚かな侵略者たちに視線を向けた。
「仕方ない。それじゃあ、始めようかな」
好んで戦いたいわけじゃない。
だけど、俺たちの快適なスローライフを邪魔する無粋な客人は帰ってもらわないとね。
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