幕間2-2:憂国の魔術師と沈黙する王宮
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エルディナ王国の北方、極寒の地にそびえ立つ氷壁の城塞「ラ・ヴァレット」。
その守護者の血を引き、王立魔術院の重鎮として名を連ねる男――オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットは、王宮の回廊を足早に進んでいた。
常ならば氷のように沈着な表情に、焦りが滲んでいる。
「……愚かな。あまりにも愚かだ」
握りしめた一枚の報告書が、わずかに軋む。
『アルベール・ド・リヒテンブール、私兵団五百を率い王都出立。進路、東。ウルム村』
数日前、国王自らが「正式な使節団を送る」と裁定したはずだった。
それを無視し、独断で軍を動かす――王命違反。否、反逆に限りなく近い。
「そこまでして……」
オリヴィエは歯噛みした。
彼は知っている。アシュランという男が、単なる「魔力なし」の落ちこぼれなどではないことを。
追放が決まったあの日。
提出された論文――
『マナ粒子エントロピー増大則に基づく魔法効率の考察』。
他の魔術師たちは嘲笑した。
だがオリヴィエだけは、読み終えた瞬間、背筋を凍らせた。
魔法体系そのものが、否定されかねない理論。
理解できたからこそ、恐ろしく、そして――黙した。
止められたはずだった。
だが止めなかった。
その結果が、ウルム村だ。
異常な発展。聖女と賢者。
すべてが「誤り」を証明している。
「……今度こそは」
近衛兵の制止を振り切り、宰相の執務室へ踏み込む。
「宰相閣下、緊急の報告です!」
白髪の宰相は、紅茶を啜りながら顔を上げた。
「騒々しいな。どうした、オリヴィエ殿」
「アルベール・ド・リヒテンブールが! 公爵家の私兵団を率いてウルム村へ向かいました! 直ちに止めねば、取り返しがつきません!」
報告書を机に置く。
だが、宰相の反応は鈍かった。報告書に目を通すふりをしながら、ため息をつく。
「……ふむ。血気盛んな若者の早合点だな」
「王命違反です!」
「形式上は、な」
宰相は肩をすくめた。
「魔獣討伐の演習という名目だ。
リヒテンブール公爵家を正面から罰すれば、貴族派閥が騒ぐ」
「聖女様に危害が及べば、帝国が黙っていません!」
「だからこそ、だよ」
宰相は、カップを置き、冷ややかな目でオリヴィエを見据えた。
「失敗すれば、嫡男の独断。成功すれば、王国の功績。どちらに転んでも、国は責任を負わずに済む」
言葉が、氷より冷たく胸に刺さる。
「……陛下も?」
「ご病気で伏せておられる。余計な憂いを増やすべきではない」
嘘だ。昨日の会議では、あんなにも矍鑠としておられたではないか。
オリビエは、理解した瞬間、何かが折れた。
「……承知しました」
一礼し、踵を返した。
背後で宰相が何か言った気がしたが、耳に入らない。
オリヴィエの中に、どす黒い失望が広がっていく。
この国は、終わっている。
伝統と権威にあぐらをかき、新しい可能性を排除し、都合の悪いことには蓋をする。
かつて「守護者」として国を守り抜いた我が祖先たちが、命を懸けて守ろうとしたのは、こんな腐りきった国だったのか。
回廊を歩きながら、オリヴィエは拳を握りしめる。爪が食い込み、血が滲む。
「……すまない、アシュラン」
彼は、東の空を見上げた。 そこには、分厚い雲が垂れ込め、今にも嵐が来そうな気配を漂わせていた。
「私は、無力だ。お前が追放された時も、そして今も、この国の暴走を止めることができない」
アルベールが率いる五百の兵。 対するウルム村は、どんなに発展しているとはいえ、所詮は百人足らずの村だ。正規の訓練を受けた騎士団と、金で雇われた手練れの傭兵たちを相手に、勝ち目があるとは思えない。
「ただ、祈ることしかできないのか……」
オリヴィエは、自嘲気味に笑った。
氷の魔術師と呼ばれ、国一番の理知的な男と評される自分が、最後は神頼みとは。
だが、彼はまだ知らなかった。
彼が案じている「か弱き村」が、実は王国軍など歯牙にもかけない、とんでもない「要塞」へと変貌していることを。
そして、彼が絶望したこの国の腐敗を、アシュランたちが物理法則という名のハンマーで、粉々に粉砕することになる未来を。
追放が決まった、あの日の会議室が脳裏に蘇る。重苦しい沈黙。形式ばった裁定。誰一人として、アシュランの顔を見ようとはしなかった。
理解できなかったのではない。――理解してしまったからこそ、視線を逸らしたのだ。オリヴィエもまた、その一人だった。
声を上げることも、異を唱えることもできず、ただ沈黙を選んだ。あの沈黙が、今のすべてを生んだ。
「……行こう。私にできることは、せめて最悪の事態に備えて、北方の兵を動かせるよう準備しておくことくらいだ」
オリヴィエは、決意を秘めた瞳で前を向いた。
彼もまた、動き出そうとしていた。
腐敗した王国の、最後の良心として。
東の空に、稲光が走った。
嵐は、もうすぐそこまで迫っていた。
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