第31話:楽園の学び舎と忍び寄る影
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俺が求めたのは、単なる快適なスローライフだったはずだ。
少なくとも、こんな形になるとは思っていなかった。
そんなことを考えながら、ウルム村にある俺の自宅兼研究室を見渡す。
そこに広がっているのは、静かな隠遁生活とは程遠い光景だった。
ここは今や、俺が前世で知っていたどの王立研究所よりも、熱気と知的好奇心に満ちている。
その中心にいるのが、俺の弟子……と、俺以外の全員が信じて疑わないであろう、聖女エレノアと賢者カインだ。 彼らは、俺がもたらした科学という新しい玩具に夢中な子供のように、その知識を貪欲に吸収し、自らの魔法技術と融合させ、この村に次々と小さな奇跡を生み出していく。
◇
その日の午前中、俺はエレノアに呼ばれ、村の薬草園を訪れていた。
「師匠! ご覧くださいまし!」
エレノアは、興奮した様子で一区画の薬草を指し示す。
そこに植えられた薬草は、種類こそ他と変わらないはずなのに、葉は艶やかに青く、茎には異様なまでの生命力が宿っていた。
「これは……?」
「『生命循環農法』と名付けましたわ!」
彼女は、得意げに胸を張る。
「師匠の『マナ粒子エントロピー増大則』を応用したのですの。生命エネルギーが無秩序に散逸しないよう、土と薬草と、わたくしの魔力の間で、きちんと循環する仕組みを作りましたの」
彼女の説明は、専門的だが実に筋が通っていた。
土壌化学による栄養素の最適化。
治癒魔法を応用した微生物活性化。
さらにマナ流出を抑える結界によるエネルギー効率の最大化。
「なるほど……」
思わず、唸る。
「生態系そのものを、一つの閉じた回路として設計したわけか」
「はい。無理に力を注ぎ込むのではなく、“育つ流れ”を整えただけですわ」
その言葉に、彼女らしい柔らかさがあった。
「これなら、少ない魔力で安定した品質の薬草が手に入る。量産も現実的だな」
「ええ。『エリクサー』も、夢物語ではなくなりましたわ」
彼女は相変わらず楽しそうに語る。
だがその足取りは、確実に次の段階へ進んでいた。
◇
一方、カインはカインで、村の工房を完全に私物化し、何やら怪しげな研究に没頭していた。
俺が工房を覗くと、彼はドルガンやボルグと共に、複雑な歯車と鉄の骨格を組み合わせた、巨大な機械の前で議論を白熱させていた。
「カイン、例のバリスタの開発、進捗はどうだ?」
俺が声をかけると、カインは待ってましたとばかりに、目を輝かせた。
「マスター! ちょうど仕上げの段階です!」
「もうそんなところまで進んでいたのか……」
俺が驚いていると、カインは工房の奥を指さした。
そこには、布がかけられた巨大な何かがあった。彼がその布を取り払うと、姿を現したのは、俺が設計したバリスタをさらに魔改造したような、禍々しくも美しい自動迎撃兵器だった。
「なっ……!」
「マスターのゴーレム理論を応用し、魔石を動力源とした完全自律思考回路を搭載しました。敵意を持つ魔力を感知すると、自動で照準を合わせ、圧縮した風魔法で加速させた鉄の矢を、一分間に三十本の速度で連射することが可能です」
カインは、こともなげに説明する。
その隣で、ドルガンが「こいつの歯車を作るのに、どれだけ苦労したと思ってやがる」とぼやきながらも、その顔は職人としての達成感に満ちている。
「……天才は、違うな」
俺は、もはや感嘆のため息しか出なかった。
俺が提示したのは「概念」だけだ。それをここまで具体的な「兵器」として完成させてしまうとは。
◇
そんな二人の天才が巻き起こす技術革新の傍らで、村にはもう一つ、新しい文化の息吹が力強く芽生え始めていた。
広場の一角が、いつしか「アシュランの青空教室」と呼ばれるようになっていた。
そこに集まるのは、目を輝かせた村の子供たちだ。
「いいか、皆。エリアナ、この岩を動かせるか?」
俺は、子供では到底動かせない大きさの岩を指さした。
エリアナは一生懸命押してみるが、岩はびくともしない。
「うーん、無理だよー!」
「そうだな。だが、これを使えばどうだ?」
俺は、一本の頑丈な丸太と、支点となる小さな石を岩の根元に置いた。そして、丸太の端を、エリアナにゆっくりと押し下げさせる。
すると、あれほど重かったはずの岩が、ギギギと音を立てて、軽々と持ち上がった。
「「「うわーっ!!」」」
子供たちから、魔法でも見たかのような、素直な歓声が上がる。
「これが『てこ』の原理だ。小さな力も、道具を正しく使えば、何倍もの大きな力に変えることができる」
その中で、ひときわ真剣な眼差しで、俺の手元と岩が動く理屈を、食い入るように見つめている少年がいた。
かつてのガキ大将、キドだ。
彼は、今や俺の一番の教え子として、誰よりも熱心に科学の面白さにのめり込んでいた。彼は、ただ現象に驚くのではなく、その裏にある「なぜ?」を、常に探求しようとしていた。
「アシュラン様!」
キドが、興奮したように叫んだ。
「じゃあ、もっと長い棒を使えば、もっと重いものも持ち上げられるのか!? それに、支点の位置を変えたら、力の大きさも変わるのか!?」
「その通りだ、キド。素晴らしい質問だな」
俺は、彼の頭をわしわしと撫でた。
その目には、未来の科学者の、探究の炎が確かに宿っていた。
俺がもたらした知識は、もはや俺一人のものではない。
カインやエレノアのような天才たちによって、この世界の常識を超える新たな技術へと昇華され、そして、キドたちのような次の世代によって、この村の文化そのものになろうとしていた。
ドルガンやヘイムたちも、今では俺の助言がなくとも、「アシュランならこう考えるだろう」と、自ら新しい道具や工法を考案し、日々の仕事を改善している。
俺が夢見た「快適なスローライフ」は、俺一人のものではなく、村全体の、豊かで創造的な日常として、最高の形で実現していた。
この学び舎から、いつか、この世界の歴史を動かすような発明家が生まれるかもしれない。
そんな未来を想像すると、俺の胸は静かな興奮で満たされるのだった。
◇
そんな、穏やかな日々が続いていたある日の午後。
月に一度の行商人が、いつもより少し神妙な顔つきで、俺の元を訪れた。
「よう、アシュランの旦那。いつも通り、鋤と瓦はありったけ貰っていくぜ。……それと、これはただの噂話なんだがな」
男は、商品の代金を受け取ると、声を潜めて続けた。
「近頃、あんたを追放したエルディナ王国で、騎士団の動きが活発になっているらしい。なんでも、辺境に向けて、大規模な『討伐隊』が編成されたとか、されなかったとか……」
「討伐隊……?」
「ああ。それと、もう一つ。今度は帝国の方なんだが、こっちも、皇帝陛下直属の、物々しい調査団が、東の辺境に向けて出発したって話だ。火のない所に煙は立たないって言うが……」
男は、「まあ、あくまで噂話だ。だが、旦那。用心するに越したことはねえよ」と真剣な目で付け加えた後、いつもの笑顔に戻って去っていった。
俺の心には、小さな、しかし無視できない染みが広がっていた。
王国と、帝国。
二つの巨大な力が、同時に、この小さな村に視線を向け始めている。
それはもはや、単なる調査や視察のレベルではないだろう。
俺は、活気に満ちた村の喧騒を聞きながら、静かに空を見上げた。
この穏やかな日常が、いつまでも続くとは限らない。
どうやら、本気で防衛策を立てないと行けない時が、近づいているのかもしれない。
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