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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第2章 聖女と賢者

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第28話:帝国の哄笑と王国の扇動

お読みいただき、ありがとうございます。

このたび本作が、

[日間] 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)199位

に入ることができました。


ひとえに、読んでくださった皆さまのおかげです。

本当にありがとうございます。


これからも楽しんでいただけるよう、引き続き執筆していきますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

ウルム村を後にした二つの影は、それぞれの故郷へと帰還し、その目にした驚愕の事実を主君の元へと届けた。

その報告は、二つの大国の未来を左右する重い天秤の皿に、静かに乗せられた。


◇ 帝国:玉座の間の哄笑 ◇


帝都ヴィンデル、皇帝居城。


華美な装飾を排し、機能性と威厳のみを追求して作られた玉座の間は、静寂に包まれていた。磨き上げられた黒曜石の床に、皇帝ヴァレリアン・フォン・アドラーの低い声だけが響く。


彼の前には、長旅の汚れを落とした諜報機関『黒鴉(シュヴァルツ・クレエ)』の総隊長、ベアトリクス・フォン・アイゼンが、深く膝をついていた。


「――以上が、ウルム村に関する報告の全てです、陛下」


ベアトリクスの報告は、常に簡潔で、事実のみを述べる。


ウルム村が、噂以上に栄えていること。

人々が豊かで、平和な生活を送っていること。

その技術が、帝国の常識を遥かに超える、先進的かつ革新的なものであること。

そして、その全てが、エルディナ王国から追放された一人の男、アシュランという人物の知識によってもたらされたものであること。


皇帝は、表情一つ変えずに、その報告を聞いていた。


「うむ。して、聖女エレノアと賢者カインは」


「はっ。両名ともに、確かに村におりました。心身ともに健康、むしろ、帝都にいた頃よりも遥かに充実している様子とお見受けしました」


「そうか」


皇帝は、そこで初めて、かすかに興味深そうな色を目に宿した。


「聖女に至っては……」


そこで、ベアトリクスは一瞬、口ごもった。鉄の仮面と称される彼女の顔に、わずかな躊躇が浮かぶ。


「なんだ。申してみよ」


皇帝の威厳に満ちた声に、ベアトリクスの背筋が粟立つ。


聖女の言葉は、明確な帝国への離反宣言。これをそのまま伝えれば、皇帝の逆鱗に触れ、最悪の場合、聖女の粛清すら招きかねない。


言うべきか、濁すべきか。

逡巡は一瞬。彼女は己の役割を思い出す。主が求めるのは、心地よい嘘ではなく、冷徹な真実のみ。

たとえその報告が血を呼ぶことになろうとも、ありのままを伝えることこそが『黒鴉(シュヴァルツ・クレエ)』の矜持。

ベアトリクスは喉の渇きを嚥下し、覚悟を決めて事実を告げた。


「……はっ。聖女エレノア様は、わたくしの存在に気づいた上で、こう申しておりました。『わたくしの忠誠心は、もはや帝国にはない。我が師、アシュラン様にある』と……」


玉座の間に、重い沈黙が落ちる。

宰相ベルンハルトをはじめとする側近たちが、息を呑むのが分かった。


帝国の至宝、聖女による、事実上の離反宣言。それは、国家を揺るがしかねない一大事だった。


だが。


「――く、くく……ハハハ! ハッハハハハハ!」


玉座から響き渡ったのは、怒声ではなく、腹の底からの、楽しそうな大笑いだった。


皇帝は、しばらくの間、肩を震わせて笑い続けると、涙を浮かべた目で、面白そうに言った。


「なるほどな! あの、石頭で真面目一徹だったエレノアが、そこまで言い切ったか! よほど、そのアシュランという男が、彼女の心を掴んで離さぬらしい!」


あっけにとられるベアトリクスと側近たちを前に、皇帝は楽しそうに続けた。


「で? 聖女の気持ちは分かった。賢者はどうなのだ?」


「はっ……?」


「賢者カインは、どう言っておった?」


ベアトリクスは一瞬言葉に詰まった。

賢者の言葉は、皇帝に対するあからさまな「値踏み」であり、聖女の発言に輪をかけて不敬極まりないものだったからだ。

だが、最大の爆弾である聖女の離反は既に伝えてしまったのだ。今さら何を躊躇う必要がある。

毒を食らわば皿まで。

彼女は心の中で「ええい、ままよ!」と叫び、破れかぶれの覚悟を決めて口を開いた。


「……賢者カイン様は、ご自身の立場を明言されませんでした。ですが、わたくしに向けて、こう……」


ベアトリクスは、カインの言葉を正確に思い出しながら、報告を続ける。


「『陛下は、寛大で聡明な御方だ。エレノア嬢が本気だと知れば、無理強いはなさるまい。……となると、だ。そろそろ、私自身も、己の立場を明確にせねばならんのかな』と」


「くくく……。なるほど、カインらしい言い回しよ。つまりは、余の出方次第、か」


皇帝は、満足げに頷いた。


「よう分かった。ご苦労であった、ベアトリクス。……だが、一つ聞く。其方、帝国の『影』たる『黒鴉(シュヴァルツ・クレエ)』の長でありながら、聖女と賢者に、直接その存在を看破されたのか?」


「……っ! い、いえ、滅相もございません! わたくしは、あくまで影として、その気配を完全に消し……」


「そうか。気づかれたのだな」


皇帝は、ベアトリクスの言葉を遮ると、面白そうに言った。


「この帝国で、お主の気配を察知できる者など、片手で数えるほどしかおらぬというのに。……うむ。大義であった。下がって良い」


皇帝がそう言うと、ベアトリクスは屈辱に唇を噛み締めながらも、音もなくその場から姿を消した。


「……ベルンハルト、他の者たちも下がらせよ。少し、一人で考えたい」


「はっ。御意に」


宰相が一礼し、側近たちを連れて静かに退出していく。

重厚な扉が閉ざされ、広い玉座の間に皇帝ただ一人が残された。


ヴァレリアンは、玉座の背もたれに深く体を預け、天井を仰いで静かに呟いた。


「……うむ。これは、次の一手を、早めねばなるまいな」


その目は、もはやアシュランを脅威ではなく、帝国に新たな革新をもたらす、得難い「宝」として捉えていた。


◇ 王国:会議室の怒号 ◇


一方、エルディナ王国の王立魔術院は、帝国とは全く異なる、陰鬱で、粘着質な空気に満ちていた。



魔術院の奥深く、豪奢だがどこか息苦しさを感じさせるアルベールの執務室で、やつれた顔のリュシアン・ド・ブリサックは、主君であるアルベール・ド・リヒテンブールを前に、震えながら報告を終えた。 アシュランに見つかった失態は伏せ、あくまで「隠密調査で見た事実」として。


「――以上が、ウルム村で、私が見てきた全てです」


アシュランが、確かにそこにいたこと。

帝国の聖女と賢者が、彼の弟子を名乗っていたこと。

村が信じられないほど発展し、天を突く塔と、分厚い防壁、そして巨大な(おおゆみ)まで備えていたこと。

そして、今もなお、さらなる戦力増強を図っているように見えたこと。


リュシアンの報告を聞き終えたアルベールの顔は、嫉妬と憎悪に、醜く歪んでいた。彼は、わなわなと震える拳を握りしめ、ギリッと、奥歯を噛み締める。



その日の午後。

アルベールは、魔術院の重鎮たちが集まる円卓会議で、声を張り上げた。

だが、その報告は、リュシアンから聞いた事実を、自らの悪意で巧みに捻じ曲げた、虚偽に満ちたものだった。


「――諸君! 事態は、我々が想像していた以上に深刻だ!」


アルベールは、悲劇の主人公を演じるかのように、大げさに語り始めた。


「あの異端者アシュランは、辺境の地で、密かに強大な力を蓄えておりました! 帝国の聖女と賢者は、彼の妖しげな術によって惑わされ、無理やり弟子にされているご様子! もはや、洗脳されていると言っても過言ではありますまい!」


「なんと! 奴め、帝国の聖女と賢者を誑かし、手駒にしたというのか!」


「危険すぎる! 帝国の至宝を盾に、我々を脅すつもりやもしれんぞ!」


アルベールの扇動に、短気な老魔術師たちは、いとも簡単に乗せられた。

彼らの心にあるのは、「自分たちが追放した無能な男が、成功しているはずがない」という認知バイアスだ。洗脳や妖術という言葉の方が、彼らにとっては心地よい真実なのだ。


「それだけではありませぬ!」


アルベールは、畳み掛ける。


「奴は、村に巨大な塔と城壁を築き、大型の弩まで配備しておりました! 我々が追放したことへの逆恨みから、この王国に対して、反逆の牙を剥こうとしているのは、火を見るより明らかです!」


「なんと!」


「反逆だと!」


「あの、魔力なしの出来損ないが!」


会議室は、怒号と混乱に包まれた。

だが、その中で一人、冷静な声を上げた者がいた。

氷の魔法を得意とする痩身の魔術師、オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットだ。


「……お待ちいただきたい。アルベール殿の報告、にわかには信じがたいことばかり。事を急ぐのは危険ではありませぬか?」


彼の言葉に、熱狂していた数人がはっと我に返る。


「確かに。相手は帝国の聖女と賢者。もし、アルベール殿の言う『洗脳』が、彼らの自由意志であった場合、我々が手を出せば帝国との外交問題に発展しかねん」


「まずは、正式な使者を送り、事実確認をすべきでは?」


慎重論が持ち上がり、会議室の空気がわずかに変わる。

アルベールは、内心で舌打ちしながらも、顔には悲痛な表情を浮かべた。


「皆様のお気持ち、痛いほど分かります! ですが、考えてもみてください! 使者を送るなどという悠長なことをしていて、もし、その間にあの異端者が聖女と賢者を完全に手懐けてしまったらどうするのですか!?」


アルベールは、芝居がかった仕草で、円卓の魔術師たちを見回した。


「我々がすべきは、断固たる行動です! 逆賊アシュランを討伐し、彼の妖術に惑わされている帝国の至宝を『保護』するのです! これは好機ですぞ! 我々が彼らを『解放』し、手厚く保護すれば、恩義を感じた聖女と賢者が、帝国ではなく、この我らが王国に忠誠を誓う可能性も十分にあります! 帝国の二つの至宝を、そっくりそのまま手に入れる、またとない機会ではありませぬか!」


その言葉は、彼らの恐怖と、そして何よりも浅ましい野心を、巧みに刺激した。


そうだ、これは危機などではない。これは好機なのだ。

帝国の力を削ぎ、自国の力を増すための、千載一遇のチャンス。

その甘い誘惑は、何よりも魅力的だった。


「うむ、アルベール殿の言う通りだ!」


「そうだ! ぐずぐずしている暇はない!」


慎重論は、再び熱狂の渦の中に掻き消されていく。

オリヴィエは渋い顔で押し黙るしかなかった。


「この件、一刻も早く、国王陛下にご報告を差し上げねば!」


「そうだ! 逆賊アシュランを討伐し、帝国の至宝を我らが保護するのだ! うまくすれば、恩を売ってこちら側へ寝返らせることもできよう! 王国の威信を示す、またとない好機ではないか!」


アルベールは、その様子を、口元にかすかな笑みを浮かべながら見ていた。

彼の目的は、達成された。

古き伝統と権威にしがみつく、この保守的な王国は、帝国の若き皇帝とは違い、あまりにも御しやすかった。


エルディナ王国が、自らの手で捨てた「宝石」を、今度は自らの手で砕きに行こうとしている。

その愚かな決断が下されようとしていることを、まだ、誰も知らなかった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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